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フレキシブル化と労働時間規制の間で 〜スイスの労働法改正をめぐる議論からみえるもの

「1週間における最高労働時間数の上限をなくす」、「休息時間(翌日の労働までの休みの時間)の最低時間数を決めない」、「日曜や祝日の労働の制約も一切なくす」、こんなフレーズを聞くと、みなさんはいつの時代、あるいはどんな国の話だとご想像なさるでしょうか。労働者が過酷な条件で働かされていた19世紀の産業革命期の話、あるいは現在でもまだ労働者の権利が十分に保証されていない国の話かと思われるかもしれません。しかし、これらはすべて現在のスイスの連邦議会(国会)で提案され、具体的な法案作成にむけて目下議論されているテーマです。国をあげて労働時間短縮に取り組んでいる日本の状況とは逆行しているように一見見えますが 、スイスでは、一体、なにが起こっているのでしょうか。

今回は現在進行中のこのスイスの労働法の改正(緩和)の議論について取り上げ、スイスだけでなく、今後世界中で議論となりそうな就労形態とその規定の間の複雑な関係について、少し考えてみたいと思います。

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労働法の改正を求める背景
スイスでは2016年から新しい労働法が施行されました。しかし当初から、この労働法が時代に適応しておらず不十分だという意見が、一部の産業界で強くあり、同年3月には、さらなる法律の改正を求める産業界一部の要望を受ける形で、連邦議会の全州議会(上院)に、労働法の改正を求める二つの提案が提出されました。この提案は昨年8月と今年の2月に、上下両院の専門委員会である経済委員会で相次いで賛成多数で可決され、具体的な法案作成の協議が現在行われています。

そこでは、どんなことが改正の対象となる問題とされたのでしょう。連邦議会に提出された法律改正を求める提案理由をみると、現行の労働法は、工場などの労働者を主に念頭にして作成されたものであって、現代の働き方に十分な可能性を提供していないと書かれています。具体的には、現行の労働法で謳われているいくつかの規定、例えば、時間外労働は2時間までしかできないこと、休息時間(一日の労働終了後の翌日の労働までの時間)は最低11時間まとまってとらなくてはいけないこと 、また日曜は原則として労働が禁止されていることが問題となっています。現行の法律では、日中職場で仕事をしたあと5時に保育所にこどもを迎えに行き、夕食後の9時から11時まで自宅のパソコンでも仕事をして、翌日朝8時に会議に出席するというのは、まとまった十分な休息時間をとっていないことになり、法律違反になってしまうのですが、このような労働法は、もはや現実に即していないというわけです。

さてこのような労働法の緩和を求める動きについて、被雇用者たちはどんな反応をしているのでしょうか。継続的にこのテーマについて扱っているスイスの主要日刊紙NZZの経済部門の記者シェヒリHansueli Schöchli氏の一連の記事やほかの報道からまとめてみると、被雇用者側は、主に緩和推進派、妥協派、反対派の3者の立場に分かれているようです。3者の具体的な主張をみてみましょう。


緩和推進派
まず、共同の連盟をつくり、今回の法案改正に向けて積極的に国会議員に働きかけていた改革推進派の被雇用者たちは、労働法全体の緩和、特に、週の労働時間の上限45時間や、休息時間最低11時間を取り外し、また日曜にも仕事をすることが可能になるように求めています。この人たちは、会計監査、管財人、コンサルタント、IT専門家、PR関連の産業界に就業する人、スタートアップの会社の従業員などで、週で時間を規定するのではなく、年間で最大労働時間数を規定することにすることで、繁忙期は50〜60時間働いて、忙しくない時期にその埋め合わせをするという働き方を可能にしたいと考えています。

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妥協派
一方、仕事と家族を両立させやすくなるようなフレキシブル化する改正には基本的に賛成でも、 最大労働時間数の制限がなく、休憩時間や日曜の労働の制約も一切なくなるというのは健康を害する心配があり、「急進的すぎる」と判断する人たちもいます。同じような立場をとるいくつかの被雇用者の団体(スイス商業連盟、サラリーマン・スイス、スイス幹部職員団体など)は、共同して「プラットフォーム 教育、経済、仕事」という連盟組織を立ち上げ、自分たちの意見を国会の労働法改正に反映してもらうことを求めて、今年8月28日に独自の提案をまとめ、発表しました。この提案の主要な点は、以下のようなものです。

●週でなく年間で労働時間を決める。とはいえ、最高でも1日で15時間、1週間では60時間という労働時間の上限をもうける。(つまり、忙しい場合は60時間まで週に働ける)
● まとめてとるべき最低休息時間は現行の11時間から9時間に短縮。
●年間労働時間は最大でも52 X 45時間。(スイスでは最高労働時間は週45時間とされていますが、労働協約上は週40~42時間が慣行)
●年間の最高労働時間数は現行と同じで、増やさない。
●時間外労働Überzeitは、年間で170時間以上になってはいけない(週に決められた最長労働時間を超過すると、 それは残業Überstundenでなくスイスでは「時間外労働」となります)。
●被雇用者は、とくに時間外労働において(たとえば家で働くなど)働く場所をフレキシブルに選ぶ権利をもつ。
●被雇用者の健康を保護するための法律改善や業界全体の業務措置の定義


反対派
改正に強く反対する立場の人たちもいます。2016年の8月、議案の審査が委ねられた連邦議会の専門委員会である経済委員会では、賛成は10名で多数派でしたが、反対票を投じた国会議員も3人いました。反対票を投じた議員や、反対の意を示す労働組合側は、改正案についてとりわけ被雇用者の健康の保護や擁護という観点からみて問題視します。労働法が実際に緩和されれば、バーンアウトやストレスなど健康状態が著しく悪化する被雇用者が増大することになると危惧するためです 。

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反対勢力は、現段階では反対の意思表明だけで、具体的な妥協案や対案を示すなど直接的な行動に至っていないようですが、改正案が連邦議会で通過・承認された場合、法律に反対する国民投票を呼びかけ、国民に問う可能性もあると言及しています。(スイスでは法律が施行してから100日以内に5万人の署名を集めれば、その法律を国民投票にかけることができます。投票者の過半数が法律に反対すれば、それを無効にすることが できるという「レフェレンダム」という独特の政治システムがあります)


改正議論でキーとなること
今後、様々な立場や意見を考慮しながら法案が作成されていくわけですが、法案の落とし所ををさぐるのに、キーとなることが、いくつかあるように思われます。それは、1)改正された労働法が該当するのは誰か、2)労働法が緩和化されたとして、際限なく労働時間が増えないようにどう監視し、被雇用者を保護するのか、3)(被雇用者の健康をいかに守るかが議論の中心のひとつとなっていますが)そもそも被雇用者の健康を守るために労働を時間数や就労時間割り当てで統括する労働規定の在り方は、どのくらい妥当なのか(被雇用者の健康を守るのに有効なのか)、という3点です。この3点について私見もまじえながら、以下まとめてみます。


新しい労働法が該当する人の範囲
緩和推進派も妥協派も、労働者の就労状況を全面的に変更することを求めているわけではありません。例えば、土木建設現場やスーパーのレジ係、またシフトで働いている産業界の労働者は、柔軟な労働法の適用の対象に想定していません。専門性の高い職種の人(自主的に時間配分をしたり自由な裁量で仕事をする割合が多い人たち)や、一年の間で繁忙期とそうでない時期で仕事量が大きく異なったりする職業の人たちにとって、現行の労働法で不便な規制を緩和することが目標です。このため改正されても新しい労働規約に該当するのは、被雇用者全体においては少数になると考えられます。緩和推進派は、その割合を全スイスの被雇用者の1割、妥協派は約15〜20%ぐらいと想定しています。


スイスのフレシブルな就労状況とその問題
スイスではすでに就労者の半分近くが、ある程度フレキシブルな就労形態をとっていると言われます。他方、複数の調査によって フレキシブルな就労形態をとっていると、タイムカードのような監視型の就労形態の人よりも、労働時間が多い傾向が強いことが指摘されています。さらにフレキシブルな労働時間が、正規の労働時間として認められにくく、 妥当な手当がつかないことも珍しくないようです。このような現状を鑑みると、労働法の緩和(フレキシブル化)が進めば、不当な手当てやバーンアウトなど、就労上の新たなトラブルや健康悪化につながるのでは、という危惧の声があがるのも、無理がないのかもしれません。

日本でも最近、教員の過剰な残業を防ぐためタイムカードを導入すべきでは、という議論がでていましたが、これは、逆に言えば、タイムカードのようなひと昔前の厳格な監視制度が、多様な働き方が認められる時代にはかえって被雇用者を保護する役割を担う可能性があるという、パラドックスが生じているといえます。しかし、労働時間の超過から被雇用者を守るのに、タイムカードのような労働時間を厳密に把握する以外に方法はないのでしょうか。フレキシブルな働き方を容認する方向と対立して相殺される危険はないでしょうか。このジレンマをどのように解決できるか、スイスでもまだ妙案はみつかっていないようです。

当面の措置として、被雇用者の妥協派は、被雇用者の健康を保護するための法律改善や、業界全体の業務措置の定義を徹底させることで、同時に、一日、週間、年間の最大労働時間の上限も具体的に定めることを提案し、過剰な労働に歯止めをかけようとしています。


仕事の時間数と疲労の相関関係
妥協派も反対派も、被雇用者の健康を、改正後の労働法でも最重視すべきだというスタンスでは一致しています。緩和推進派もその点で異論はないでしょう。しかし、健康を阻害しない労働の時間数や時間の割り振りはいかにすべきかという点では、三者見方や立場が異なっています 。

ところで、そもそも労働時間数やその配分は、被雇用者の健康とどのように関わっているのでしょうか。このような素朴な疑問に対して参考になる調査結果があります。チューリッヒ大学によってまとめられた、労働と健康についてのこれまでの先行研究を概観し、それらが提示する結論や結果を12ページにまとめた文献調査報告書です。この報告書によると、「自主的に(自由度が高く)フレキシブルに働くと、長く集中して働いても、ある程度までは、極度の疲労にはならない」、また「自主的に働けるかと同様に、ほかの要素、環境や社会的な状況、余暇の過ごし方などの要素も、健康に影響を与えている」という結論は、先行研究においてほぼ一致して出てくる結論だそうです(ただし、筆者はその報告書原文を手に入れることができなかったため、上の二つの引用文は、Schöchli, 23.8.2016, NZZ.からの孫引であることをお断りしておきます)。

現行の労働法では、労働時間が長くなると疲労に直結する、その疲労を回復するためには11時間以上の休息時間をとらねばならない、というロジックになっていますが、この研究結果によれば、身体的な負担や健康状態は、働く時間と直結した相関関係にあるのではなく、より複雑であるということになります。となると、フレキシブルな働き方と従来の働き方が並存する将来の状況において、これまでのように労働時間数やその1日の割り振り方だけで一括して規定すること自体、そもそも限界があるということかもしれません。


おわりに
現行の労働法下では、やりたいように仕事ができないと思っている職業の人たちがいて、その人たちは特に労働の規制緩和やフレキシブル化を望んでいる。一方、労働法が緩和されることで、被雇用者に健康被害がでないようにするにはどうすればいいのか、まだ明快な解答がない。これはスイスの話であると同時に、スイスに限定された特殊な問題ではないでしょう。多くの先進国では、ベビーブーマー世代の労働力が近い将来に大幅に減ると予測されています。このため新しい労働力を様々な形で確保することは、各国にとって死活問題であり、そのために働きやすい就労環境を整えることは焦眉の課題です。そのためのガイドラインともいえる労働規定を、時代の変化や需要に合わせて変更していくという舵取りの手腕が、今、どこの国においても問われているのかもしれません。


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<参考サイトと文献>
------連邦議会における労働法改正に関する経過報告
Teilflexibilisierung des Arbeitsgesetzes und Erhalt bewährter Arbeitszeitmodelle
Parlamentarische Initiative

Ausnahme von der Arbeitszeiterfassung für leitende Angestellte und Fachspezialisten, 16.423 Parlamentarische Initiative

Beratung zur Revision der Quellenbesteuerung abgeschlossen
Medienmitteilung, Freitag
, 19. August 2016 12h15

Arbeitnehmerschutz - Wirtschaftskommission erwägt Lockerung des Arbeitnehmerschutzes, Dienstag, 24. Januar 2017 17h35

------労働法改正案についてメディアの報道
Hansueli Schöchli, Wenn flexible Arbeitszeiten der Gesundheit nützen, Reform des Arbeitsgesetzes. In: NZZ, 23.8.2016

Hansueli Schöchli, Die Brückenbauer im Streit um die Arbeitszeiten, Arbeitsgesetz. In: NZZ, 18.1.2017

Hansueli Schöchli, Für flexiblere Arbeitszeiten. In: NZZ, 29.4.2017.

«Kassensturz»-Spezial Flexible Arbeitszeiten: Freiheit oder Ausbeutung?, SRF, 2. Mai 2017.

«Eine 70-Stunden-Arbeitswoche ist moderne Sklaventreiberei», Mit Thomas Feierabend sprach Andreas Valda. In: Tagesanzeiger, 24.05.2017.

Hansueli Schöchli, Die 60-Stunden-Woche soll legal werden, Arbeitsgesetz. In: NZZ, 28.8.2017

Länger arbeiten, kürzer ruhen: Mehrere Arbeitnehmervertretungen präsentieren einen Kompromissvorschlag, «Flexibilisierung» des Arbeitsgesetzes. In: NZZ, 28.8.2017.

60 Stunden, dafür weniger im Büro. In: Berner Zeitugn, 29.08.2017

Hansueli Schöchli, Aussichten auf die 60-Stunden-Woche. In: NZZ, Kommentar, 2.9.2017, 07:00 Uhr

Markus Städeli, Weniger Arbeitnehmerschutz ist auch für die Arbeitnehmer gut. In: NZZ am Sonntag, 3.9.2017.
Kathrin Alder, Die Verstösse gegen das Arbeitsrecht nehmen zu. In: NZZ, 9.9.2017.

------その他
Die plattform der Arbeitnehmerverbände Angestellte Schweiz, Kaufmännischer Verband, Schweizer Kader Organisation SKO und der Zürcher Gesellschaft für Personal-Management (ZGP) Mediengespräch, Modernisierung der arbeitsgesetzlichen Grundlagen, 28. August 2017, Bern Medienzentrum.

Katharina Matheis, Konrad Fischer, Jan Guldner, Max Haerder, Kristin Schmidt, Unheimlich unabhängig: Arbeit. In: Wirtschafts Woche, 15.9.2017.




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