フランスの学校が直面する「表現・言論の自由」 〜フランスの理念、風刺画、学校教育、イスラム教徒(1)

フランスの学校が直面する「表現・言論の自由」 〜フランスの理念、風刺画、学校教育、イスラム教徒(1)

2020-11-10

今年10月17日、フランスのパリ近郊で、授業で「表現の自由」について教える際、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を生徒にみせる機会をつくった歴史教科の中学校教員が殺害され、フランスはもちろん世界を震撼させました。

この事件の翌日、ドイツでは、1998年のノーベル経済学賞者のアマルティア・セン Amartja Senが、世界最大のブックフェアとして知られるフランクフルトのブックフェア期間に毎年授与されている「ドイツ出版協会平和賞」を受賞しました。

全く異なるこの二つのニュースが、前後して、10月中旬、ドイツ語圏で報道されたのですが、きいているうちに、次第に、フランスの事件の理解に、意識しないうちにセンの俯瞰的な視点が混ざり、注視する点や捉え方が、(事件について最初に耳にしたころに比べ)、自分の中で変わっていくような感覚を覚えました。

今回から3回にわたり、この体験をもとに、フランスの事件を、フランスの特殊な問題、状況としてとらえるのでなく、事件の背景や関連するテーマを、ほかの国と共通する問題領域に関連させて、少し考察してみたいと思います。事件を、単なる「敵」がいて、それを「打倒する」とか「どう対象すべきか」という言説ですべて吸収できるような、因果関係のはっきりした事件として捉えるのでなく、むしろ、センの鳥瞰的な視点を借りつつ、事件をどう受け止めるか、捉えるかという点に意識を強くもち、気づいたこと、気になったことを記してみます。このような事件をフランスや世界で減らしていくには、なにが必要なのかを、広い視角から見渡すささやかな機会となればと思います。

次回以降の記事:
第二回 フランスの学校が直面する「表現・言論の自由」 〜フランスの理念、風刺画、学校教育、イスラム教徒(2)

第三回「アマルティ・センの「正義」と3人のこどもたちが切り開く未来
※ 参考文献は次回の記事の下部に一括して掲載します。

「われわれを決して分断することはできない」

これは、この事件直後のマクロン大統領の発言の一部です。(残忍な暴力でわれわれを脅そうとしても)「われわれのなかに打ち破って入ることはできないし、われわれを決して分断させることはできない。」われわれを不安に陥れようとしても、不安になるのはわたしたちではなく、テロリストの方だ。そう、大統領は発言しました。

このコメントは、少し角度をかえて解釈すると、そうでありたいという思いを固く誓っているように聞こえます。このような力強い言葉で、自分たちの方向性を示し、国民の動揺を少しでも沈めたかったのかもしれません。フランスはこれまでも多くの人が、イスラム過激派のテロの犠牲となってきました。そのたびに、人々は不安に陥りそうになりますが、このような誓いのような言葉をかけあうことで、テロリストに屈しないよう気丈でいられるよう努めてきたのだと思います。

未来研究者ホルクスMatthias Horxは、以前、テロをめぐる人の心理と行動について、わかりやすく以下のように解説していました(以下、「ヨーロッパの大都市のリアル 〜テロへの不安と未来への信頼」からの抜粋)。

「人は、不安になると、その時から、負のスパイラルに足を踏み入れてしまう。一度不安になると、注意力がそれだけにそそがれることによって、冷静な判断を欠くようになるためである。

不安は、さらに憎しみを増幅させるものであるという意味でも大きな問題。憎悪とは、よくみると、違う感情にみえても、不安な気持ちが複雑に入り組んでいる状態にすぎず、自分の不安から逃れるために、憎悪に走るという構図をとることになる。(例えば、イスラム過激派のテロへの恐怖から、イスラム教徒全般を敵視する。あるいはそのような敵視への恐怖から、イスラム教徒はフランスの政治体制を憎悪するといった風に この例えは、筆者による補足)。

つまり住民の生活が不安で覆われると、人はまともな判断ができなくなるばかりか、憎悪をたきつけ、社会が分断されるだけで、なんら生産的な問題の解決にはならない。

不安を抱く代わりにもつべきものとして、もつべきは、冷静さ(落ち着き)だろう。テロに対しては、過剰に反応せず冷静さを保ち、賢明に無視すること。それを可能にするために、不安を増幅するだけの(低質な)メディアの消費を避け、社会に蔓延しているヒステリックな気分から距離を置くことも重要だ。」

こうみると、確かに、フランス大統領の言葉もホルクスの説明も、心に響き、言っていることも、とても分別あるものに聞こえます。イスラム過激派は、非イスラム教徒に、イスラム教徒全般を敵視するよう差し向け、イスラム教徒は、それに耐えきれず穏健派から、自分たちの過激思想になびくようにするように仕向けたいのだろうが、そうはさせない。我々はむしろ結束し、テロリストに分断されることはない。

しかしその一方、そう考え、これまでやってきても、テロが繰り返し起きていることに無力さも感じ、それゆえなおさら、むなしさや腹立たしさを今抱いているフランス人も少ないかもしれません。さらに、フランスでもイスラム教徒たちの間では、大統領の言葉がどう響いているでしょう。非イスラム教とのほかのフランス人に対するのと同じように響いているでしょうか。

イスラム教徒の目に映るフランス

この事件の起こる一週間ほど前、フランスのある調査結果をききました(Longin, Verlorene)。5年前に襲撃を受けた「シャルリー・エブド」の依頼でフランス人1000人を対象に行われたアンケート調査の結果で、今年9月に発表されたものです(回答者のうち500人がフランス在住のイスラム教徒)。

これによると、自分の信仰を、フランス共和国が掲げる価値よりも重視するとした人の割合は、全体では17%であったのに対し、イスラム教徒では40%でした。25歳以下のイスラム教徒に限れば、その割合は、74%にものぼっていました100
また、イスラム教(の教え)が、フランスの共和国の価値と両立しえないと信じている人は、イスラム教徒全体では29%でしたが、若い人では、45%と半数近くになりました。ちなみに、フランス人全体では、その割合が61%とさらに高くなっています(Remix News, French muslims)。

25歳以下のフランスで育ったイスラム教徒の若者たちの7割以上が、フランス共和国の価値よりも、イスラム教の信条の方を重要と考えている。これは、なにを意味しているのでしょう。

これまで、フランスは、イスラム過激主義のテロがあとをたたない状況にあって、もちろん、これに強い問題意識をもち、国家として重視する価値観をフランス住民すべてに浸透させる、とりわけ未来の世代にフランス的な価値を根付かせるために、義務教育の場での教育内容を重視してきました。今回の事件のきっかけとなった授業のテーマ「言論の自由」も、義務教育の授業で扱われるべき重要なテーマでした。しかしこのようなアンケート調査結果をみると、もしも(国の教育機関である)学校と、イスラム教の教えが、対立するような場面があれば、イスラム教徒の学生の過半数以上が、学校に背く、ということを意味するのでしょうか。

そう考えると、早急に検討や対策を要する問題領域として浮き上がるものが、二つある気がします。一つは、授業の進め方(授業でそのテーマの扱い方)。もう一つは、それを教える教師たちをめぐる状況と対策です。

「表現・言論の自由」というテーマの授業の進め方

今回の事件で、改めて、「表現・言論の自由」の質やその扱い方について、注目が集まっています。

さかのぼって5年前の襲撃事件(今回問題になったモハメッドの風刺画を出版した出版社で過激派に襲撃された事件)直後も、どこまで「表現・言論の自由」(以下、「表現の自由」と表記)を認めるべきかという議論がさかんでした。そこでは、フランスが掲げる「表現の自由」の重要性を改めて説く言説だけでなく、信仰者にとって不快な風刺画を掲載することは、どこまで許容されるべきか。宗教の重要な人物を笑い者扱いする表現は、宗教やそれを信じる人への差別を助長しないか、などの争点が注目されていたように記憶しています。

その後、「表現の自由」の授業は、問題の複雑さも理解した上で、入念に教師たちの間で検討・準備され、授業が行われていたはずでした。例えば、今回亡くなった教師は、5年前の襲撃事件のきっかけとなったモハメットの風刺画を利用しましたが、それを見たくないと思った生徒は見なくていいとして、イスラム教徒の生徒に細心の配慮を払っており、イスラム教を貶めるような意図は全くなかった、というのが一般的な評価です。

しかし、教師自身が周到に配慮したつもりでも、今回、予期せぬ最悪の事件が起きてしまいました。よりによって、教師が、イスラム教徒の生徒たちに、自分で見るか、教室を去るかを、生徒の自主的な判断に委ねるようにしたことが、これまでの調べでは、一人の生徒の親にとりわけ気に入らなかったようです。その親は、事件の数日前に、学校に出向いて不満を訴えているのですが、その時の不満とは、モハメッドの風刺画を生徒に見せたこと自体でなく、むしろ、このように生徒たちの自由に委ねたことであったといいます。

つまり、今後(少なくとも当面)教師は、「表現の自由」を教えるために、具体的にどんな資料を使うのが適切か、という物理的資料の問題だけではなく、これまでより広い問題、生徒をとりまく環境(生徒だけでなく生徒の家庭事情)や相互作用(授業のインターアクティブな進め方とそれへの班の)といったことにも、配慮・留意していくことが必要となってきそうです。

次回は

次回は、教師たちをめぐる状況や、フランスの風刺画という独特の文化の現在置かれている状況、またヨーロッパ全般にみられる、「表現の自由」以外の周辺にある、教育現場のほかの対立について、みていきながら、事件の背景についてさらにさぐっていきます。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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