一般社団法人 日本ネット輸出入協会 – JNEIA

自転車離れするスイスの子どもたち 〜自転車をとりまく現状とこれから

2018-09-04 [EntryURL]

今日、クリーンな移動手段として、自転車への期待が世界的に高まっています(「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。

しかし、スイスの現状をみると、頻繁に自転車に乗る人は全住民の7〜8%にすぎず、ドイツ(12%)に比べ、大きく下回り、EU 28カ国全体の平均(8.3%)と比較しても若干少ない割合です。特にスイスのフランス語圏にいたっては4%以下、イタリア語圏では2%以下という数字です。若年層(6歳〜20歳)においては、さらに驚く数値に出くわします。主要な移動手段として自転車を利用する若年層の割合が、この20年で半分近くに減っているのです(Sauter, 2014, S.85)。

これらのデータをみると、スイスは、単に、ヨーロッパ全体の潮流に遅れをとっているにとどまらず、むしろ後退・離脱していくかのようにもみえます。

スイスでは一体なにが起こっているのでしょう。今回は、特に若年層の自転車走行をめぐる現状とその背景について注目し、複雑な状況について、読み解いていきたいと思います。後半は、このような状況の建設的な打開策のひとつとして現在各地で取り組まれている、自転車能力試験についてご紹介し、今後の自転車をとりまく状況とその課題について一望してみたいと思います。

減り続けるこどもの自転車走行

スイスの6歳から20歳の間の年代で、主要な移動手段として自転車を利用する人の割合は、1994年から2010年までの約20年の間に、19%から10%と、ほぼ半減しました。例えば、16〜17歳は26%から14%、18〜20歳までは20%から5%までに減っており、自転車を最もよく利用する世代であるとされる13歳〜15歳の年齢層でも、38%から24%と少なくなっています(Sauter, 2014)。

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1994年〜2010年の間のスイスの若年層(6歳〜20歳)が利用する主要な交通手段の推移(青が徒歩、水色が自転車、黄色が公共交通、オレンジが自動車、緑がその他)
Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014, S.85


スイスで自転車走行する人の割合が最も高いとされるバーゼル市でも、通学などで定期的に自転車を利用しているティーンエイジャー(12歳〜17歳)は、23%にとどまります。

このような最近の若者の自転車離れの理由として、以下のような点が指摘されています。

・公共交通機関を以前より多く利用している
若者の間で以前より公共交通機関が多く利用されるようになっていることが、相対的に、自転車の利用を減らしているとされます。

公共交通機関が多く利用される理由は主に二つ考えられます。まず、公共交通が以前より使いやすくなったことです。1994年から2010年の間で、スイス全体で公共交通機関は、(本数が増えたり、距離が伸びるなどして)3割充実化してました(Sulter, 2014, S.14)。

もう一つは、若者たちの生活環境やライフスタイルの変化です。若者の間でもスマートフォンの保有が当たり前となり(こどもにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(1)  〜スイスのこどもたちのデジタル環境・トラブル・学校の役割)、

SNSを使って友人とやりとりしたり、音楽をきくなど、スマートフォンを使う時間をつくるため、自転車に乗る代わりに公共交通機関を利用する人が増えていると推測されます。

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スイスの若年層の年齢による交通手段の変化(青が徒歩、水色が自転車、黄色が公共交通、オレンジが自動車、緑がその他)
Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014, S.85


・自転車を躊躇する若者独特の事情
自転車で通学したいと思う生徒の数自体が必ずしも少なくないのではなく(自転車通学を希望すると生徒が半分を占めるという調査結果が出ているケースもあります)、自転車で走行するための前提がネックになり、敬遠されているという説もあります。

端的な例が、ヘルメットです。一方で、ヘルメットを被らないと危険であるという認識があるものの、現在の若者のファッション感覚として、ヘルメットをカッコ悪いとする傾向が強いようで、ヘルメットがかぶりたくないために自転車に乗りたくないという人も意外に少なくないと推測されています。スイスでは、14 歳までのこどもでヘルメットをかぶる子供たちが、2009年には70%いたのに、5年後の2014年には60%にまで落ち込んでいます。(ただし、若者だけでなくヘルメット離れは、スイス社会全般に現在みられます。2014年、いくつかの地域で大人のヘルメット着用を観察したところ、2009年と比べ46%から43%に減っていました。)

また、若者の自転車への感覚も、自転車に対する敷居を高くしているとされます。自転車を必要な交通手段、つまり生活必需品という感覚で捉えるのではなく、生活スタイルのプラスアルファー、つまりファッションの一部になってきているため、乗るなら、ファッショナブルで上等のものに乗りたい、と考えます。しかし、そのような要求をある程度満たす自転車を購入するとすれば、700スイスフランはするため(日本円で約7万5000円)、かなりの高額です。結果として、(安いものを買って「かっこ悪く」乗り回すより)買わずにいる方がいい、という発想になるという人が多いのでは、と言われます。

また、たとえ高い自転車を購入した(できた)としても、そうなるとなおさら壊されたり盗難の危険が高くなり(スイスでは学校のキャンパスが、門や塀などで囲まれていないため、誰もいない自転車置き場は、たびたび盗難や毀損のターゲットにされます)、自転車通学を抑制する傾向につながっているとも言われます。

・親の車の送迎が増えている
親の学校や課外活動への車での送迎が増えたことも、自転車利用が減った直接的な理由としてよく取りざたされます。

直接関連する統計のデータは見当たりませんでしたが、近年、親がこどもたちの通学の送迎をすることが増えている、と教育現場では言われています。スイスでは、基本的に親が同伴せず、一人あるいは友達といっしょに自力で通学することが、小学校はおろか、幼稚園の時から奨励されていますが(「学校のしくみから考えるスイスの社会とスイス人の考え方」)、一部では送迎する親が増えているようです。

理想と現実が乖離する自転車をとりまく環境

このように、スイスでは、クリーンで健康を促進する移動手段と認められ社会全般で評価されている一方で、若者たちの間では自転車離れが進んでおり、自転車をめぐり、理想と現実の乖離が目立ちます。

一方、このような若年層の自転車離れの状況を改善すべく、個別に問題を解決しようとする対策も始まっています。ここからは、そのような対策の具体例として、近年スイス全土で力が入れられ始めた、自転車技能試験に目を向けてみます。

なぜ自転車に乗らない、乗らせないのか

しかし、自転車技能試験が、自転車離れとどう直接関係するのか、と首を傾げておられる方もおられるかもしれません。そこで、もう一度、若年層の自転車離れの理由として最後に挙げられていた項目に触れて見ます。

近年、親たちによる送迎が多くなったのでしょうか。これには色々な理由が考えられますが、その一つとして、自転車が危険、という理解が強まっているからではないかと推測されます。自転車の交通量や全体の交通量は全体として年々増えており、それに平行して、確かに事故が増えています。2013年(こどもが通学に自転車通学すると、自転車通学しない場合(バスや徒歩の通学)の場合よりも、事故にまきこまれる危険が5から7倍高い、という統計もあり(«Sicherheitsreport 2013)、これらのデータや報道を見聞することで、意識するしないに関係なく、子どもたちの自転車運転への不安が高まっているのかもしれません。

実際に、最近の子どもたちの自転車運転技術が未熟で、事故の直接的な原因となっているという意見もあります。子どもたちの運動能力的な問題、例えば、左折右折の時に片方の手をあげてわたる、車線を変える時に後ろをみて車がいないか確認する、あるいは、まっすぐに走るなどが、できない子どもたちが増えていると言います。実際、自転車事故の3分の2が、自分の運転ミスから生じてた事故です。

つまり、これらのデータを合わせて考えると、自転車に乗るのは危険だといって子どもを自転車に乗せずに、親が学校の送迎をする。そうすると、子どもたちは、ますます運転の練習ができないため、当然、運転が下手で、事故を起こしやすい、という悪循環に陥っている可能性があります。

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自転車技能試験

いずれにせよ、こどもたちの自転車の事故が増大するようでは、総合的にみて優れた移動手段とはいえないのは確かです。このため、まずは、こどもたちが安全に自転車走行できるようにすることが重要とし、2010年代からそのための有力な対策として、スイス各地で取り入れられるようになってきたのが、自転車技能試験です。

ただし、自転車の技能試験自体は、新しいものではありません。ドイツやオーストリアを含めドイツ語圏の多くの地域では、(自動車が増え交通事故が増加する)1970年前後から数十年間、技能試験が実施されていました。

しかし、試験開催には50人の要員が、1日がかりで関わらなければならず、他方、1970年前半をピークに交通事故件数は減少の一途をたどるようになっていったことを背景として、自転車技能試験を実施する自治体は次第に減っていきました。たとえば、2013年の時点で、チューリヒ州内にある171自治体のうち義務の自転車技能試験を実施しているのは、14自治体のみです。

しかしチューリヒ州警察では、近年こどもたちの自転車走行技術がこれまでより悪化してきているという危機感が強まっており、自転車技能試験を再び自治体で義務化させることを、最終的に実施の権限をもつ自治体に訴えています。近年スイス各地で技能試験が実施されるようになってきた背景にも、同じような危機感があると考えられます。

三部構成の試験概要

試験は具体的にどのような内容なのでしょうか。州によって若干異なりますが、概要をご紹介しましょう。

・対象年齢は小学校4年から6年生(スイスの地域によって若干異なる)
法律上、こどもは6歳になれば自動車道路や自転車専用道路を走ることができまが、車やほかの車両交通と危険なく、走行するのは難しいため、12歳までは、歩行者道を自転車で走行することが認められています。逆に12歳をすぎると(つまり中学生以上)は、一般道路を走行しなくてはいけなくてはならないため、それまでに、そのための知識と技能の両方の取得が不可欠となる、これが、小学生のうちに試験が行われる理由です。

・試験内容(3部構成)
1。交通ルールについての筆記試験
事前に配布された教材やオンラインで勉強した交通ルールについての筆記試験

2。自転車の点検
ブレーキ、前と後のライトと反射鏡、タイヤの状態、ベル、ヘルメットがチェックされます。

3。実技試験
教習所内での(カーブや細い道などを走行する)実技試験と路上での実技試験(具体的な走行ルートの例(ビデオ)は、記事最後に掲載してある参考リンクからご覧ください)

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交通ルールについて学ぶために子どもたちに配布される学習教材の例


・試験の合否と試験後のケア
試験は、多くの自治体で、自動車免許試験同様、合格と不合格に判定されます。これには法的効力はありませんが、合格すれば(あるいは合格するために交通ルールを覚えたり実技の練習をすることで)、こどもたちには、公道を走行するのに必要な余裕や自信となることでしょう。

不合格となる場合にも、法的効力があるわけではありませんが、こどもたちが不十分な技能で不安なまま走行することにならないよう、後日、補講を行うなど、さらなる指導をしています。自治体や年度により合格率は異なりますが、平均すると5、6人の生徒のうち一人の割合で不合格者がいるとされます。

おわりにかえて 〜適切な移動手段を考える

スイスの子供たちの現在の自転車走行を取り巻く状況を広範に見ていけばみていくほど、様々な事情や相反する問題が絡んできて、自転車が乗れなくなったことが一概に悪いことで、自転車を推進することが正しいとも言えなくなります。

例えば、端的に以下のような問いには、どう回答するのが適切でしょう。

こどもたちの健康促進や環境負荷を減らすために自転車にのらせたほうがいいのか、それとも事故予防のため、自転車にのらないようがいいのか。

自転車走行が下手であれば、乗らないほうがいいのか。それとも上手になるために、自転車走行したほうがいいのか。

自転車走行を奨励するとしたとして、今度は、ヘルメットの問題があります。かぶらないなら自転車にのらないほうがいいのか。それともかぶらなくても自転車走行を奨励したほうがいいのか。

ところで、直接これらの回答の手助けにはなりませんが、これに関連する話として、デンマークの自転車愛好家Mikael Colville-Andersenの興味深い主張があります。ヘルメットをかぶる人が多いところほど、その町の自転車運転が安心感がない、という説です。実際、ヘルメットをかぶる人が多いところほど、自転車にのる人がすくないということはある調査でもみとめられたといいます(ただしこれは1997年のイギリスの調査です)(Schindler, 2016)

ヘルメットをかぶりたくない人は、ヘルメットなしでは危険と考え、自転車自体にのらないということもあるといいましたが、スイスでは自転車の乗る時にヘルメットをかぶっている人でも、かぶっていても安全な気がしない人が多いといいます (Schindler, 2016)。

それらの話を聞くと、ヘルメットをかぶるかぶらないに関係なく、安心して走行するための、自転車専用レーンの整備などを優先すべきという気もしてきます(実際に、来たる9月23日の国民投票では、憲法に自転車専用レーンの設置を盛り込むかの是非が問われることになっています)。

または、自転車に諸事情(自分が運転するよりデジタル機器を利用する時間を作りたいなど)があって乗りたがらない人が増えているのだとすれば、その人たちが乗る方向を目指すよりも、さまざまな理由で自転車に乗ることができない人々(例えば高齢者や幼児、障害者など)も乗車できる公共移動手段の充実をさらに優先させるほうが、公益になるのではという考え方もできるかもしれません。

さらに広げて考えてみれば、地域社会の規模、地形(平地か山がちか)、気候、地域住民の社会構成(年齢や社会、経済的背景)などによって、社会で中心的になる移動手段は異なることでしょうし、そもそも、社会のインフラやライフスタイルなど生活を取り囲む環境自体が数年単位で大きく変化している現代においては、自転車の社会での意味や重要性自体も大きく変わる可能性があります。

今後も、さまざまな事例をとりあげながら、人々にとって適切な移動・交通手段とは何か、場所や世代や時代の文脈に合わせて、考えていきたいと思います。

参考文献・サイト

Aargau Solothurn - Schulkinder fahren gut Velo, aber…. In: SRF, Montag, 08.08.2016, 06:09 UhrAktualisiert um 06:09 Uhr

Aletti , Melina, «Ich war schon ziemlich nervös», meint der Schüler nach überstandener Veloprüfung. In: Oltner Tagblatt, von Schweiz am Wochenende, Zuletzt aktualisiert am 30.6.2017 um 19:06 Uhr

Darum fahren Jugendliche nicht mehr Velo Helm und Handy sind schuld. In: Blick, Publiziert am 25.09.2015 | Aktualisiert am 26.07.2017

Kaufmann, Carmen, Alle Schüler bestanden die Veloprüfun. In: Tagblatt, 30.5.2018, 08:01 Uhr

Gagliardi, Claudio, Immer mehr Kids rasseln durch Veloprüfung. In: 20 Minuten, 14. Mai 2013 23:35; Akt: 15.05.2013 17:35

Kinder und Velo: Keine Erfolgsgeschichte, Mdeianschule St. Gallen. In: Saiten, 27.9.2013.

Müller, Roger, Umwelt und Verkehr - Immer weniger Kinder tragen einen Velohelm, Kassensturz-Espresse, SRF, Dienstag, 08.07.2014, 17:00 Uhr

Raths, Olivia, Wenn eine Autoversicherung Velofahrer warnt. In: Tagesanzeiger, 9.8.2013.

Rüttimann, Céline, Schulweg soll zum Veloweg werden. In: Der Bunde, 5.9.2017.

Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014.

Scharrer, Matthias,Autofahren wird sicherer - auf zwei Rädern ist das Gegenteil der Fall. Verkehrsunfallstatistik 2017, az Limmattaler Zeitung, Zuletzt aktualisiert am 13.3.2018 um 18:20 Uhr

Schindler, Felix, Velo-Entwicklungsland Schweiz. In: Tagesanzeiger, 9.8.2016.

Sommerhalder, Maja, Polizei will mehr Veloprüfungen in Schulen. In: 20 Minuten, 09. Oktober 2013 21:10; Akt: 09.10.2013 21:11

Veloprüfung der 6. Klässlerinnen und 6. Klässler. In: Der Landbote, 07.06.2016.

Veloprüfung, Schule Steinberg(自転車試験のために必要な技能と知識が一望できる)(2018年6月27日閲覧)

Veloprüfung, Stadtpolizei Winterthur,Verkehrsinstruktion(ヴィンタートゥア市で行われている路上での実技試験で使用されている全ルートを紹介するビデオ)(2018年6月27日閲覧)

Veloprüfung, Stadt Winterthur(2018年6月27日閲覧)

Veloprüfung, Winterthur(オンライン交通ルール問題集)(2018年6月27日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


自転車が担うアフリカのモビリティ 〜支援する側とされる側の両方が歓迎する社会事業モデル

2017-04-01 [EntryURL]

前回までの二つの記事で、ヨーロッパを例にした交通・輸送の現在と未来についてみていきましたが、 ヨーロッパから視線を少しずらすと、「移動」が容易にできることが当然でも簡単でもない国や地域がいまだに多くあります。
昨年キューバで、延々と続く日陰の一切ない一本道を炎天下歩行する人や、 トラックの荷台に立ち乗りするして移動する人々、また大人二人とこども二人の4人が (こどもの一人は背負われ、もう一人は大人の間にはさんだ格好で)1台のバイクで走行するのを目の当たりにして、わたしも、モビリティ(移動性)の重要性を強く感じました。(キューバのモビリティとインターネット事情についての詳細は「キューバの今 〜 型破りなこれまでの歩みとはじまったデジタル時代」をご覧ください)。適切な移動手段があれば、 快適に移動できますが、それがなければ移動は、時間も労力も膨大にかかり、危険なものにもなります。
スイスでは、アフリカでのモビリティを確保・推進するため、中古の自転車をアフリカに送るという民間主導のプロジェクト「ヴェラフリカ Velafrica」が1990年代からはじまりました(当初の名称は「アフリカのための自転車」で、2014年11月に現名に変更 )。その後、年々プロジェクトの規模が大きくなり、スイス全域を網羅するプロジェクト支援体制もできて、現在では、毎年約2万台の自転車が集められ、アフリカに送られています。このプロジェクトは同時に、スイス国内において失業者や障害者などを社会から疎外せず、融合・統合(インテグレーション)させるための社会福祉事業としても定着しており、支援国と支援される国が相互にウィンウィンの状況となる新しい事業モデルとしても評価されています。
今回はこのプロジェクトについて取り上げてみます。通常、 海外への支援と国内の社会福祉は別個に扱われますが、長期的に国内外で成功しているこの社会事業が、具体的にアフリカとスイスでなにをもたらし、社会や生活にどのような変化を与えたのかをみていくことで、社会事業の在り方や、自転車によるモビリティの意義について、 考察してみたいと思います。
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プロジェクトのきっかけはスイスの失業問題
ところで、このプロジェクトが立ち上がった当初は、アフリカへの支援は想定されていませんでした。スイスでは1990年代、好景気から一転して経済が停滞し、失業者が急増しましたが、その最中の1993年、失業者への雇用を促進する目的で、自治体や社会福祉基金の支援をうけて、中古自転車を修理する作業場がつくられたのがそもそものはじまりです。失業中に、中古自転車修理の技術を学ぶことで、新しい雇用先をみつけやすくすることがねらいでしたが、すぐに倉庫は自転車でいっぱいになってしまいます。窮余の策として、プロジェクトを立ち上げた自転車修理工のリヒターPaolo Richter氏 が思いついたのが、直した自転車をアフリカにおくるというものでした。早速同年、最初の自転車が、コンテーナーでガーナに送られました。
その後、アフリカでの自転車の高い需要を受けて、プロジェクトはスイス全土に展開していきます。これまでアフリカに送られた自転車は合計で15万台以上になり、送る国も、ガーナ、タンザニア、エリトリア、ブルキナファソ、ガンビア、コートジボワール、マダガスカルと拡大していきました。2005年に一度だけ、中国産の新品の自転車が、スイスの中古自転車とほぼ同額でアフリカの市場にでまわって、スイスの中古自転車の需要が一時的に若干減ったことがありましたが、スイスの中古自転車の性能が中国産の新品に勝るという理解が現地で広がり、すぐに需要も回復します。
ヴェラフリカのプロジェクトがスタートしてから20年以上がたちましたが、この間に、スイス国内のプロジェクトの協力体制も確立されてきました。パートナー企業や社会事業組織が、自転車の持ち込み先からアフリカに届けられるまでの作業の一部をそれぞれ担当し、支援する体制です。自転車は国鉄の駅とスイス全国500ヶ所の収集場所が常時、無料で受け入れ、修理作業所に輸送されます。修理作業場は、スイス全国にある、失業者や難民、障害をもつ人の就業を推進する社会福祉組織内にあり、自転車の修理のほか、一部の自転車を解体して、使える部品を調達するなどの作業も行います。それでも不足する自転車の部品は、大手生協の「コープ」が無償で提供しています。走行可能な状態にまで修理された自転車は、スイスのプロテスタント教会救済組織HEKSによって、海路と陸路でアフリカに輸送されます。
アフリカの経済活動を支援する
中古自転車はアフリカに着くと、 現地の販売先や社会福祉組織で 、50〜100スイスフランで売られます(推進プログラムとして譲渡される場合も一部あります)。自転車販売の収益は、社会プログラム(学校、職業訓練、女性助成)や新しい販売拠点や修理工場などにあてられ、プロジェクトを長期的かつ効果的に続けるのに役立てます。自転車は、アフリカの人々の2〜3ヶ月分の収入に相当し、決して安いものではありませんが、 簡単に手に入らない貴重なものであるから余計に、自転車は大切に利用されるという利点もあるといいます。
自転車を手にすることで、実際に、アフリカの人の生活はどう変わるのでしょう。プロジェクトの担当マネージャーであるドゥコムンMichel Ducommun氏は、自転車は、「非常にシンプルな乗り物」でありながら、決定的に「生活条件を改善する」ものだ(moneta, 2016)と言います。
具体的にどういうことか、昨年公表されたタンザニアとブルキナファソの調査結果をもとにまとめてみますと、まず、物理的に移動が非常に容易になるので、経済(就業)や教育の機会を増やし、健康や生活を向上させるのに直接役立ちます。例えば、遠方の職場にも通勤できるようになるなど、より柔軟に雇用・労働市場に対応することができます。子供たちは通学できる範囲が広がり、通学時間が短縮されることで、学習の機会や時間が全般に増えます。医療機関へのアクセスも容易になりますし、重いものの輸送も非常に楽になります。毎日数時間かかることもめずらしくない、薪や水くみなどの重労働をこなす女性にとっても、大きな労力の削減につながり、余剰となった時間と労力を別の仕事をするのにあてて、収入を増やすことも可能になります。
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新たな雇用も生まれます。ヴェラフリカでは、自転車の販売だけでなく、自転車を修理・維持するための自転車修理工の職業訓練(研修)プログラムにも力をいれており、アフリア各地で開催しています。ここで学んだ修理工たちは、自分たちで店を出すなど、次々新たな就業の場を作り出しています。今後さらに自転車が普及することで、仕事の種類や数も増え、地域の経済全体がより活性化されることも期待できます。
ちなみに、アフリカに輸出された古着が現地の服飾産業を破滅においやったという指摘がありますが、ヴェラフリカによると、自転車産業は少なくともプロジェクトを行っているアフリカの国々ではほとんどなく、中古自転車販売や修理作業場の存在自体が、地元の産業を圧迫しているという事実はないといいます。ブルキナファソにプジョーの自転車工場が一時期設置され、2013年に閉鎖されたことはありますが、これについても中古自転車が増えたためではなく、単に企業にとって現地で十分な利益があげられなかったためという見解を示しています(moneta, 2016)。
スイスでの社会福祉事業としての展開
このプロジェクトが全国的な展開となるまで規模を拡大させ、20年以上の間成功をおさめてきたのは、アフリカにとってだけではなく、スイス社会にも大きな貢献をしているためでしょう。
前述のように、もともとこのプロジェクトは失業者の雇用推進を目的にスタートしました。その後、スイス各地の社会福祉組織が、それぞれの地域の自転車受け入れや修理作業で協力をするようになり、現在社30ヶ所がこのプロジェクトと連携しています。これらの組織では、アフリカに送るための点検と修理をするかたわら、一部の自転車(アフリカで需要が少ないビンテージものなどが主流で、最大で全体の15%まで)を修理し販売することが許されており、組織の運営の資金や就業者への賃金にすることができます。このため、失業者は新たな雇用先をみつけるまでの経済的にも精神的にも不安定な時期に、報酬を得ながら、自転車修理工としての技術を学ぶことができます。また、身体的な障害などが理由で一般の会社で就労ができない人々にとっても、貴重な雇用の場を生み出しています。
途上国の持続可能な開発支援と国内のインテグレーションへの貢献をうまく組み合わせ、両者にとって得となるモデルをつくりあげたことが高く評価され、2009年には、政府監督下にあるNPO法人シュヴァーブ基金Schwab Stiftung から 「スイスソーシャル企業 Swiss Social Entrepreneur」賞を受賞しました。
今後の展開と可能性
さて、このプロジェクトは今後どう展開していくのでしょう。スイス側もアフリカ側もすでに協力・支援する社会的組織や企業のネットワーク体制が20年来構築されてきて、軌道にのっているため、今後もアフリカで高品質の中古自転車の需要があれば、長期的な運営の見通しは悪くありません。
むしろ、今後の展開の鍵となるのは 、国内で十分な自転車の調達できるかにあるかもしれません。スイスでは毎年38万台の新しい自転車が購入されており、ガレージなどには、350万台の自転車が使われずに置かれていると推計され、まだ潜在的なアフリカに送ることができる自転車は多いと考えられています。ヴェラフリカは、年間を通じて様々なイベントやキャンペーンをほかの企業や組織と共同で行いながら、人々の注意をひき、これら使われずに放置されている中古自転車の寄付を訴える予定です。
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自転車の商品パンフレットに掲載されたヴェラフリカの広告
「いらなくなった自転車を寄付すると、電動自転車を購買するときに割引があります 」

ヨーロッパのほかの国にもプロジェクトを広げる計画もでてきています。目下候補地として検討されているのは、オーストリアとフィンランドです。アフリカの地形や道路の状態を考慮すると、頑丈で軽いマウンテンバイクが最適ですが、この二国では、マウンテンバイクがスイスと同様に多く乗られているのだそうです。ちなみに、自転車の台数から言えばヨーロッパでダントツ一番のオランダは、 比較的重くギアが3段しかない自転車が多いため、現在、プロジェクトの対象にはなっていません。
おわりに
前回と今回、連続して自転車に注目してみましたが、先進国でも途上国でも使い勝手がよく、依然として有望な移動手段として、自転車が高く評価されているのがおもしろいなと思います。日本でも寒さもぐっとやわらぐこの季節、これを読んでくださったみなさんのなかで、風を切って自転車を走らせたくなった方もいらっしゃるかもしれません。
///
<参考文献>
プロジェクト「ヴァラフリカ Velafrica 」について
Velafrica. Mobilität mit Perspektiven 公式サイト(英語)(2017年3月22日閲覧)
Seit über zwanzig Jahren eine Erfolgsgeschichte, Drahtesel (2017年3月22日閲覧)
Velos für Afrika, Lokaltermin, SRF, 17.6.2016.
Brühlgutstifung, 99`999 und 1 Velo für Afrika
Ein Velo hilft, die Lebens¬ bedingungen zu verbessern», moneta : Zeitung für Geld und Geist, 4/2016.
Recycling: Schweizer Velos für Afrika, Coopzeitung, 8.10.2012.
Mit dem Velo auf den Markt und in die Schule, Coopzeitung, 8.10.2012.
Brühlgut Stiftung(2017年3月22日閲覧)
タンザニアとブルキナファソの調査報告について
Velafrica (hg), MOBILITÄT. EINKOMMEN. BILDUNG. Zusammenfassung der Wirkungsstudien in Tansania & Burkina Faso, 2016 (Text: Adliano Aebli). (2017年3月22日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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