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プラセボ 〜 医学界と社会保険政策で注目される理由

スイスでは、2009年に国民投票があり、代替医療(民間医療)を医療として憲法で正式に認めることが決まりました。これによって、ホメオパシーや中国伝統医療(針治療など)などの五つの主要な代替医療が、恒常的に健康保険の対象となる道が開かれたのですが、ひとつ困ったことがでてきました。当初、国はそれぞれの代替医療の効果や目的、それにかかる費用を客観的に検証して、適切と判断されるものを正式に2017年から保険適用しようと考えていたのですが、代替医療の効果を計るということ自体が、かなり難しいことがわかったのです。

ある医療行為がどれだけの効果をもつかを計る、という考え方は、今日の西洋医学においては非常に重要です。ある医療行為が適切であることを示すために、科学的根拠(evidence)を提示し、その科学的な根拠に依拠して医療をすすめるという「根拠に基づく医療 EBM(Evidence-based Medicine)」が、西洋医学で普及してきたためです。このため西洋医学同様に健康保険に適用化するにあたって、代替医療にも同じような科学的根拠を求めようとしたのでした。

西洋医学において「科学的根拠」を明らかにするためによく利用されるものに、プラセボ(偽薬)というものがあります。名前の通り、薬の偽物です。薬に、薬の開発者が主張するような効果が本当にあるのかを調べる際、複数の被験者にその薬とプラセボのどちらかを服用してもらいます。プラセボを服用した人よりも薬を服用した人のほうに、効果が強く現れれば、その薬は合格です。しかしプラセボより効果が少ない、あるいは同じくらいの効果しか認められない場合は、薬として不適と判断されます。実験を公正に行うため、薬を渡す医師当人もどちらが本物の薬かわからないようにするのが一般的です。

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さてやっと、今回の本題に入ってきますが、このプラセボ、単なる偽薬のはずだったのですが、意外な効果があることがわかり、医学界で注目を集めるようになりました。特にドイツでは、その傾向が顕著です。プラセボの研究に、ドイツ研究振興協会(DFG)(日本での科学研究費助成事業を行う日本学術振興会に相当します)から、2011年から3年間の研究に2600万ユーロ、2014年からの3年間の研究の継続にはさらに増額されて2800万ユーロの研究費が配分されており、ドイツのプラセボ研究は世界の最高峰を占めています。それに先立つ2010年3月には、ドイツ全国の14万人以上の医師で構成される中央自治組織 (BÄK)が、プラセボについて、医学部の医師養成課程及び研修において取り上げて医師が見識を深めるとともに、また実際に医療現場でも、プラセボの利用することを奨励する、という見解を出しています。

なぜ、薬の効力のないプラセボに多額の研究費がつぎ込まれ、しかも医師が積極的に利用することまで奨励されているのでしょうか。結論から先にいうと、プラセボに、場合によって薬のような効果が現れることがわかってきたためです。医師の間でも広く認められるようになってきたこの現象は、「プラセボ効果」と呼ばれます。近年の研究論文やそれついての報道や解説をもとに、以下、プラセボ効果について簡単にまとめてみます。

プラセボ効果を理解するためのわかりやすい実験として、プラセボ研究の第一人者エンクPaul Enck教授がドイツ、テュービンゲンで学生を被験者にして行ったものを、まず紹介してみましょう。被験者に回転する椅子にそれぞれ乗ってもらいます。気分が悪くなったところで、 生姜のような強い刺激物(プラセボ)を口にしてもらい、一つのグループ には「これを飲むともっと気分が悪くなる」、 もう一つのグループには「これを飲むと気分がよくなります」という説明も加えます。するとその結果、最初のグループでは気分が悪くなる人がさらに多くなり、後のグループでは気分が悪い人の数が減りました。今回の実験のように、プラセボをもらうことで、本来プラセボの成分にはないような効果が症状に現れること(特に望ましい効果の方)が、プラセボ効果です。

プラセボが効果を示す詳細のメカニズムはいまだにわかっていませんが、自分のなかの回復治癒力が、なんらかの形で活性化されるからと言われています。ただし、プラセボ効果はいつもあらわれるわけではなく、効果を引き出すためには、いくつかの条件があると考えられます。それをまとめると、以下の2点にまとめられます。

まず、患者がその医療行為とそれに付随して伝達される情報に対し、一定の期待あるいは注意を向けていることです。ただし必ずしもそれを信じる必要はないようです。自分で「信じている」気がなくても効果が現れることがあります。一方、主治医のように大きな信頼を置く人から受けるプラセボは、より効果があるとも言われます。ただし、今回の実験でもみられるように、よい効果だけでなく、伝達される情報によっては症状の悪化を引き起こす場合もあります。このような効果は「ノセボ効果」と一般的に呼ばれています。

また本人が「医療行為を受けている(あるいはそれが医薬品である)」という意識をもつような環境あるいは儀礼的なプロセスがあることも、プラセボ効果を引き出す決定的な条件です。例えば、病院という特別の場所にいって、白衣の医師から説明を受け、薬らしい形状をもつものを、水を含ませて飲むという行為は、医療という非日常的な出来事を意識させる環境や儀礼的なプロセスといえます。錠剤プラセボの色や形による効果の違いについてはまだ研究があまりありませんが、点滴のほうがは錠剤より効き目があると言われます。

プラセボの効果は実際に測ることができます。例えば、痛みを訴える被験者がプラセボを受容することで、 ドーパミンなどの症状を和らげる化学物質が被験者の脳内に出てくることは、これまで多数の実験で認められています。

プラセボだと被験者が知っていても、効果がでる場合があることもわかってきました。ハーバード大学医学大学院教授Ted J. Kaptschukの研究では、通常のプラセボ効果よりも、プラセボであることを事前に説明されてからプラセボを受容した人のほうが、効果が強くすらなりました。このことは、医学行為を受ける環境やその形態が、プラセボ効果を高めるのにいかに重要であることを、逆に浮き彫りにしたとも言えます。すべての人と病気に適用することはできないにせよ、事前に知らせてもプラセボ効果が引き出せるとすれば、患者への説明義務を負う医師が、プラセボを利用できる余地が大きくなる可能性があります。

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さらに最新の研究では、プラセボ効果を訓練で高められる可能性が示唆されました。イタリア人のプラセボ研究の権威Fabrizio Benedetti は、パーキンソン病患者を対象にした治療に関する今年2月の論文で、4日間薬を投与後にプラセボを投与すると、薬と同じ効果を24時間発揮することが認められ、このようなプラセボ効果は、誰もが訓練によって習得することができる可能性が高いとしています。このため、プラセボ効果における訓練が今後重要になるとも指摘しています。

このような効果が明らかになるにつれて、プラセボは、現代医学界の新たなフロンティアを開く可能性として高く期待されるようになってきました。プラセボを利用することで、薬や医療行為を減らし、それによって生じる望ましくない体への負担を最小限にとどめ、最終的に、本来の医療効果を最大限に高められると考えらるためです。前述のように、国際的な医学界の合意に先立って、2010年からドイツ最大の医師協会がプラセボの利用を肯定する姿勢を取り始めたのも、このような理由からです。ただし、プラセボが万能なわけではなく、すべての疾患に適当であるわけでももちろんありません。自覚症状のある慢性的な疾患には、比較的高い効果があるのに対し、生化学的な病症や、がんのような効率的な集中治療が必要なものには不適とされます。

プラセボに、医療面でのメリットからだけでなく、 社会保険政策としても、大きな期待がよせられています 。毎回高価な薬を投与するかわりに、数回に1回をプラセボに代替することができれば、国全体の健康保険のコストが大幅に削減されるためです。医療費の増大化が不可避と考えられいる超高齢化時代を前にして、効果は減らないのに、体の負担も医療費の負担も減らせる可能性があるプラセボは、医療界と社会保険界にとって、希望の光といえるかもしれません。

実際に、プラセボどのくらい処方されているのでしょう。現状では、まだ実際に使われることは少ないようですが、ドイツやアメリカでの医師へのアンケートでは半数以上がプラセボを利用したことがある、と回答したというデータもあります。特に若い医師の間では、プラセボ効果を最大限利用することに積極的な人が増えているようです。

さてここで、冒頭の話にもどりましょう。健康保険に適用化するにあたり、代替医療の効用を計り検証しよう、としたスイスの国の当初の計画は、先述のように、困難と判断され、結局とりやめとなりました。かわりに、一定の条件をみたせば保険に適用するという案がだされました 。国のこの新しい提案を、代替医療団体側は、歓迎しています。これまで代替医療が擬似医療やプラセボではないかと疑う西洋医学側からの激しい議論は多くありましたが、保険の対象として代替医療の地位が確立されれば、今後は、そのような西洋医学との対立や直接的な衝突も減ってくるでしょう。

一方で、これまで代替医療は、プラセボとみなされることに憤慨し、同等とみられないよう違いを強調する立場でしたが、代替医療とプラセボの関係も微妙に変わってくるかもしれません。無害で安価で医療効果を最大限発揮するための一助として、プラセボが積極的に医療の場で取り入れられ、実際に望ましい効果をあげることが広く認められるようになれば、プラセボこそが、代替医療にとっての最強のライバルとなるような事態も起きるかもしれません。


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参考サイト・文献
----ドイツを中心にした医学界のプラセボに対する研究・見解・利用状況について
DFG unterstützt Forschergruppe mit weiteren 2,3 Mio. Euro. Placebo-Forschung weiterhin Weltspitze, 15.11.2013.

Stellungnahme des Wissenschaftlichen Beirats der Bundesärztekammer "Placebo in der Medizin" (Kurzfassung) [PDF]

Jan Schweitzer, Phänomen Placebo, Die Zeit, 14.2.2012.

Pascal Biber, Medizin auf dem Prüfstand, 3.6.2015, Gesundheit, SRF.


----プラセボ効果について
Placebo, Wikipedia (ドイツ語版)

Fortschritte bei der Placebo-Forschung, SWR, 5.2012.

Placebo-Wirkung: So unterstützen positive Gedanken den Körper, Spiegel Online, 12.12.2013.

Der Arzt als Placebo

Der grüne Zaubertrunk. Wie sich das Immunsystem konditionieren lässt, WDR, 20.8.2013.

Stefan Stöcklin, Placebo Keine Mittel, grosse Wirkung, Beobachter(日付不明) 


----Paul Enck教授の行ったプラセボ効果の実験について
Geschlechtsunterschiede beim Placeboeffekt, Pressemeldungen, Universitätsklinikum Tübingen, 1.8.2008.

Die Erfolge einer erfundenen Behandlung, Prof. Paul Enck, SWR1, 4.4.2013.


----被験者が知っていてもプラセボ効果がでることについての研究
Ted J. Kaptchuk et al., Placebos without Deception: A Randomized Controlled Trial in Irritable Bowel Syndrome, PLoS One, 22.12.2010.

(わたしが読んだのは次の論文解説 Eva Obermüller, Placebo wirken, auch ohne Geheimhaltung, Science, ORF.at)


----訓練でプラセボ効果を持続・向上させることに関する研究
Fabrizio Benedetti and others, Teaching neurons to respond to placebos, The Journal of Physiology, 24 February 2016

(わたしが読んだのは次の論文解説 Der Placeboeffekt lässt sich trainieren, Gehirn, Science, ORF.at)


----スイスの代替医療の健康保険適用化について
Fünf Methoden der Komplementärmedizin werden unter bestimmten Bedingungen während sechs Jahren provisorisch vergütet. Medienmitteilungen. Bundesamt für Gesundheit BAG, 12.1.2011.

Gleichstellung Alternativmedizin. Komplementärmedizin wird kassenpflichtig, 2.5.2014, NZZ

Alternativmedizin, Wikipedia(ドイツ語)



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