複製不可能な最強の鍵は金属製? 〜IoT時代のセキュリティー考

複製不可能な最強の鍵は金属製? 〜IoT時代のセキュリティー考

2016-09-01

3Dプリンターによって揺らぐセキュリティー事情
3Dプリンターの普及により、製品の生産のあり方やその寿命が大きく変わってきています。製品開発にかかる時間と費用が短縮され、顧客の個別の需要に合わせて部分や色などが異なる、多様な仕様の製品をつくることができるようになっただけでなく、故障・紛失した部品を個々につくって代替・補充することで、製品の従来のライフサイクルを調整・長期化ことも可能になりました。しかしこのような技術は、非常に便利で、新しい可能性を開いただけでなく、新たな問題や危険も同時に生み出しました。例えば、複雑な構造の造形物でも作成が容易になったため、銃や武器などを勝手に製造することも可能となり、このような危険をどう回避するかが焦眉の課題となっています 。
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もっと生活に身近なところで、複製してほしくないものが複製される危険もでてきました。誰もがひとつは所持している金属製の鍵です。オリジナルを手にいれなくても、それを写した写真さえあれば、その鍵を複製することができることが技術の進歩で可能となり、これまで建物のセキュリティーを一手に引き受けてきた鍵への信頼は、大きくゆらぐ事態となってきています。
複製不可能な鍵の登場
しかしこんな不安をよそに、複製がほぼ不可能という、これまでにない新たな金属製の鍵の技術が、近年開発されました。2014年7月に設立されたスイスのアーバンアルプス社という会社の鍵です。
一体どのような鍵なのでしょう。一見すると、大きさも重さも、鍵の厚さも通常の鍵とほとんど変わりありませんが、よくみると内部へのわずかな開口部分があり、鍵の内側は空洞になっています。その内部の空洞に向かって、外からは見えませんが鍵の内側に、3Dプリンターの精巧な技術を活かした、立体的な構造の溝がつけられています。外部に開いた開口部分は非常に小さいので、鍵の内部の複雑な立体構造を、通常のカメラでみることは不可能です。もちろん、 スキャナも役にたちません。このため、高性能のX線を使って内部を解析しようとすれば、不可能ではないかもしれないが、精巧な内部構造の解析作業は費用と時間と手間が多大にかかるため、現状では、複製はほぼ不可能、と会社側は説明しています。確かに、鍵を盗みだし、それを高い費用と手間を介して解析して複製を完成し、それを所持者が気付かないうちに用いて犯罪を成功させることの採算とリスクを考えると、実際に被害がでる可能性はきわめて低いと言えるでしょう。
電気も磁気も一切使わず、まして電子機器にも依存しない金属製の一本の鍵は、 多少のことでは壊れませんし、充電もアップデートも必要ありません。電子機器のような多機能性はありませんが(それが鍵に必要かもわかりませんが)、持ち歩きも楽で、 子供からお年寄りまで無難に使いこなすことができる金属製の鍵の、格別な使い勝手の良さは、誰もがすでによく知っているとおりです。
以前、「『リアル=デジタルreal-digital』な未来 〜ドイツの先鋭未来研究者が語るデジタル化の限界と可能性」で、ドイツの未来研究の第一人者として知られるマティアス・ホルクス氏が、急激なデジタル化のプロセスは問題を起こすことが多いと指摘し、デジタル・ツールとアナログ形態の中間的な利用方法・形態が、これまで同様、将来におちても有望だ、と概観していることをご紹介しました。今回とりあげた鍵は、まさにそこで言われているような、ハイテク技術とアナログ・ツールを組み合わせた、理想的な形態と言えるでしょう。
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出典: アーバンアルプスの公式サイトhttp://www.urbanalps.com/

同社は、鍵と鍵穴と合わせて量産を可能にするソフトウェアも合わせて開発しており、金属粉を使って3Dプリンターで作成するこの鍵を、レーダーやセンサーから探知されない軍事技術、通称「ステルス」から名前をとって「ステルス・キーStealth Key」と名付けました。
近年、従来の鍵はもはや安全ではないとする見方が急速に広がり、デジタル技術を利用した施錠の方法に将来性を見る傾向が強まっている状況で、一見時代遅れにみえるような従来の物理的な鍵という形状を残し、物理的な複製をできなくすることに打開策を見出したことは、非常にユニークと言えるでしょう。
量産と多様化の利点を合わせた新たな鍵づくりの構想
また、今回の鍵の開発において、鍵業界における3Dプリンターの意味を、コピーが簡単になったという弱点に目を奪われて単なる脅威と位置付けるのではなく、むしろ安価でより高度なセキュリティーを保証する鍵を自分で簡単に作り、場合によっては量産化できる可能性、という新たな価値にして、セキュリティーに活かしたことも、危機をチャンスに見事に変えたイノベーションのお手本のようです。
会社によると、鍵は一本、従来の鍵の10分の1ほどの費用である2ユーロほどで作成が可能です。また会社の開発したソフトウェアを使えば、24時間以内に1000本のステルス・キーが量産できるといいます。これは、量産体制のコスト面などの優位性を尊重する一方、 個々の顧客の要望に合わせた製品の製造をめざすマス・カスタマイゼーションという製造コンセプトを体現したもので、ドイツ政府が推進する製造業の高度化を目指す戦略的プロジェクトインダストリー4.0の最終的なゴールとも共通するものだとも、説明されています。
スタートアップ企業としてのスタート
この新しい鍵の構想は、スイスでは早い段階から高い評価を受けてきました。会社設立したのと同じ年の2014年には、ベンチャーキックからの13万スイスフランの支援を受け、今年2016年にはW.A. de Vigier 賞という、スイスで名高いスタートアップ企業に送られる賞を受賞し、賞金として10万スイスフランを獲得しています。
目下、ヨーロッパ各国で請願中の特許が今年中か遅くとも来年の初めまでに完了することを見込んでおり、近日、市場に本格的に参入する予定です。そして将来的には、会社独自の技術と特許のライセンス契約によって収益をあげられると予想しています。
せまりくるIoT時代に向かって
世の中では、「IoT(Internet ot Thingsモノのインターネット)」と言われ、モノ がお互いにつながっていくと騒がれています。しかし、つながることは、便利さとはうらはらに、重要なデータが流出してしまう危険をいつも伴っています。個人情報の流出も深刻な問題ですが、セキュリティーに関わる情報も流出してしまうと、大変なことになります。これに対抗するため、さらなる高度なデジタル化・精巧化で、セキュリティーを高めようとするのがセキュリティー業界の現状だとすれば、 IoTでない、一切つながらない、ということによって機能の安全性を担保しようという、今回の逆転の発想から生まれた鍵は、時代のはやりの潮流にのることだけがいつも最短で最善の解決策になるとは限らないことを示唆しています。
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鍵市場は、「これほどダイナミックでない市場はない」(NZZ、2016年6月17日)と言われるほど、これまで動きが少ない市場であり、将来、このような鍵が実際に今後どれだけ普及するかは不透明ですが、 今回の開発された鍵とその経緯は、セキュリティー分野にとどまらず、 IoT化が広範に進む社会全体においても、発想の転換や、問題解決を探る発想の手がかりを示してくれているように思います。
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参考ウェッブサイト
アーバンアルプスの公式サイト(英語)
The Unscannable 3D printed Stealth Key | Felix Reinert | Urban Alps | TCT Show, 2015年11月3日公開
Stefan Betschon, Der Schlüssel im Schlüssel, NZZ, 17.6.2016.
Die kopiersicheren Schlüssel von UrbanAlps, Bilanz Das schweizer Wirtschaftsmagazin, 12.02.2016
Clare Scott, UrbanAlps Receives Prestigious Award for 3D Printed, Copy-Proof Stealth Key, 3DPrint.com, 1.6.2016.
3Dスキャン&3Dプリントでも複製困難な鍵をスイス企業が開発、fabcross ニュース、2015年6月1日
Schweizer Unternehmen entwickelt unkopierbare Sicherheitsschlüssel - dank dem 3D-Druck, 3Dnatives, 29.5.2015.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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