スイス人の就労最前線 〜パートタイム勤務の人気と社会への影響

スイス人の就労最前線 〜パートタイム勤務の人気と社会への影響

2016-10-07

職業上の新たな「自由」
私たちの社会で認められている「自由」には、言論の自由、宗教の自由、居住移転の自由などいろいろあり、職業選択の自由もその一つですが、近年のスイスでは、職業に関して、どこで何をして働くかだけではなく、一週間の仕事量や時間を決めるという、もう一つの職業の「自由」が強く意識・要望されてきているようです。それが何よりよくあらわれていると思うのが、近年のパートタイム勤務の急増です。1994年からの20年でパートタイム勤務は8.5%増加し、現在は全就労者の36%、女性では10人に6人、男性では10人のうち1.6人がパートタイム勤務です。パートタイム勤務は一般の社員の間で増えているだけでなく、管理職にまで広がってきており、今日スイスは、ヨーロッパで最もパート勤務が多い国と言われています。
近年、先進国では、ワーク・ライフ・バランスという言葉がよく聞かれ、仕事量を減らす就労の在り方にも注目が集まっていますが、今回は、パートタイム化が進むスイス社会について、普及してきた背景や、パート勤務の具体的な形、またパートタイム化により社会で生まれてきた新たな問題にも目を向けながら、詳しくご紹介したいと思います。
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就労割合を選ぶ働き方
ところで、スイスのパートタイム勤務は、日本で同じ言葉で思い浮かべるものとは若干異なるので、最初に簡単に概要を説明しておきます。スイスではパートタイムは、一週間分の仕事時間量を100%とし、そのうちの30%や80%など、部分的に勤務すると理解されることが多く 、一般的に時間給で不規則に働くのではなく、規則的に働く就業形態をさします。規則的な就労として、産休や病気の時も賃金支払いの継続も認められ、年間最低4週間の休暇も法律で保障されています。パート勤務の賃金は、業種や会社によって異なりますが、ヨーロッパ全般に正社員の賃金の平均7−8割という比較的高水準に保たれており、パート勤務でも経済的にも社会保障の面でも大きなデメリットが感じられないことが、スイスでパート勤務が好まれる大きな理由といえそうです。(ただし実際に問題がないわけではありません。例えば、スイスの雇用均等推進機関は、就労パーセンテージが少ないと将来年金生活に入った後に厳しいと経済状況に陥る可能性があると警鐘を鳴らし、最低70%は働くようによびかけています。)
具体的にどんな理由でパートタイム勤務を選ぶことが多いのか、主要なものを三つあげてみます。
-自分の勉強のため
前回の記事「スイスの職業訓練制度 〜職業教育への世界的な関心と期待」で詳しく触れましたが、就労しながらさらなるキャリアップのための勉強をしている人が、スイスにはかなりいます。このような人たちにとってパートタイムという就労の仕方は、大変人気があります。
-ほかの仕事と兼業している
パートタイムという就業形態で複数の仕事についている人もたびたびみかけます。職業情報センターの職員の話では、スイス人は若くから職業教育が始まるため、平均して3種類の職業資格をもっているそうです。このため、自分のライフステージに合わせて仕事を選択したり変更するだけでなく、パートタイムという形で複数の仕事を同時並行して続けたい人も一定数いるようです。一つの仕事では時間数が少ないため、別の仕事もかけもっている人もいるでしょう。例えば、歯科衛生士で保育士、学童保育師で老人ホームの介護福祉士、公立中学校の校長で民間企業の経営者といった、兼業パターンの方に私も会ったことがあります。
-家庭の仕事(家事、育児、介護など)との両立のため
パートタイムをする人で最も多いのが母親であり、パートタイムの理由として一番多いのは、家庭と仕事の両立のためと考えられます。2014年のスイスの統計調査では、子どもが6歳以下のスイスの母親のうち27%が専業主婦、61%がパート社員で、100%働いている人はわずか13%です。20年余り前の1992年においては子どもが6歳以下の母親の56.4%が専業主婦、33.8%がパート社員、100%働いている人は9.8%であり、就労する女性はこの20年で2倍弱と、かなり増えていることがわかりますが、内実をみると100%の就労者数はほとんど増えておらず、圧倒的にパートタイムとしての就労が増加したことがわかります。
母親にパートタイムが多いのには、外的な理由と内的(心理)的な理由があります。外的な理由は、預けると端的にお金がかかりすぎるためです。託児所への公的な援助が少ないため、子ども一人を1日預けると100スイスフラン(日本円で1万円以上)ほどかかるのが一般的で、チューリッヒの都心部では150スイスフランもかかるところもあります。このため子ども一人でも託児所に週5日間預けると相当の額になります。スウェーデンでは、親が働いているか否かを問わず、子どもが1歳から就学前に預ける場所があり、80%以上の子どもがそこに入っているといいますから、同じヨーロッパでも幼児を抱える親の環境はかなり異なり、なかでもスカンジナビアとはスイスは対極に位置しているといえるでしょう。
しかし、母親が100%働かないのは外的理由だけでなく、スカンジナビアやフランスではかなり前から解消されているとされる、心理的な理由によるところも大きいと考えられます 。家族の役割分担の考え方や、子どもや家族のために家にいることをよしとする伝統的な考えが今も潜在意識に残っており、 100%就業することへの(母)親自身にある抵抗や躊躇です。このため、経済的に託児所に預けることが可能でも、片親や両親がパートタイム勤務をし、週のうち数日だけ子どもを預けるパターンもたびたびみられます。
ちなみに女性だけでなく、男性でも、パートタイムを希望する人は年々増えてきており、1994年から2014年の間に男性の間でもパートタイムが8%から16%と2倍に増加しました。特にこの傾向は若い世代に強くみられます。
パートタイム就労を可能にする恵まれた環境
ところで、子どもが大きくなっても、パートタイムから100%に割合を引き上げる女性は多くありません。2012年の25歳以下の子どもをもつ母親で100%働いているのは17%にとどまっており、圧倒的多数の61%がパートタイム勤務です。このことは、子供が小さいため第三者に委ねたくない、あるいはあずけるのが高額で割りに合わないからなどの理由では説明できません。一体どういうことなのでしょうか。
「パートタイムで働くことは、多くの人が好んで身につけたいと思うラベルのひとつになった」(Thier,6.7.2015)と昨年のスイスの主要な日刊新聞NZZの記事では説明されています。女性は、仕事をするかしないかを選択できる自由を、1960年代以降徐々に獲得してきましたが、今日においては、仕事と家庭のうちの一つを選び取る自由にあきたらず、どちらも手に入れるという新たな選択肢への要望が強くなっており、それを実現するための手段として、パートタイム勤務の人気が高まってきたということのようです。そして、100%働くのでも、専業主婦になるのでもなく、パートタイムが選択できるということが、「女性、特に子どもを持つ母親にとっては、自由な女性の生き方 の象徴(原文を文字通り訳すと「解放の象徴」)になっている」といいます。
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また、パートタイム勤務をするいうことは、別の言い方をすれば、すべての人に当てはまるわけではありませんが多くの場合、100%働かなくてもいい経済的に豊かな状態であるともいえ、それが社会的な現象となるということは、なにより社会全体が豊かであることの証といえるかもしれません。
パートタイム勤務が生み出す社会的な問題
ここまで読まれて、生活に困らないなら、なにも100%働く必要ないはないし、ワーク・ライフ・バランスもよくなって、万々歳じゃないか、と思われる方も多いかもしれません。実際、そのようにパートタイム勤務を是とする風潮が着実に浸透してきており、若い人の間では就職する前の学生時代から、稼ぎより時間を大切にし、パートタイムを最初から所望する傾向が顕著だといいます。しかし、パートタイムは、それをする当人にはよくても、その人数が特定の分野で増大することで、社会全体のマクロな側面においては、全く新たな問題を生み出しています。
昨年、ちょっとした物議を醸す発言がありました。NZZ 誌の日曜版にのせられた、ベルン大学教授で著名な経済学者のヴォルター氏Stefan Wolterの提言です。氏は、教育への投資に対してどれくらい収益をもたらすかを考える経済学の「教育の収益率」という概念を社会全体に適応し、高等教育の収益率を計算しました。その結果、高学歴者のパートタイム化が進んできており、国や州が高等教育を受ける大学生のために負担した費用に対して十分な収益がとれていないことを問題視し、卒業後働かないあるいは働く割合が少ない人には、なんらかの形で返済義務を課すべきではないかと提言しました。
確かに、高学歴者の間でパートタイム勤務は高い人気です。2013年、修士課程卒業の3分の1の人が100%で働いていません。2007から2013年までの間に、90〜100%働いている人の割合は、70から65.5%に下がっており、逆に50〜90%働く人は26.6%から30%にあがっています。2014年現在、女性で大卒の5万人が専業主婦をしており、その数は過去10年で2倍に増加しています。(ただしこれは、スイス独自の特殊な状況のようです。ほかのヨーロッパの国では共稼でないと生活できないことが多いと言われます。)高等教育に籍を置く学生数をみると、近年の傾向として女性のほうが多くなっており(2014年、男性6828人に対し、女性は7534人)、大卒などの高学歴の女性のパート勤務の人数は、今後もさらに増えると予想されます。
高等教育の費用は本人も一部は負担しますが、大部分は国や州が負担しています。大学5年間で勉強する一人の学生に対して、国や州は平均して、11万5000スイスフラン払っており、医学においては、一人の医師を養成するためには、その10倍以上の120万スイスフランの費用を支払っています。ヴォルター氏によると、高等教育修了者の就労が50〜60パーセント代まで減ると、社会の教育収益率は負に転落するといいます。
経済学者の提言自体は、スイス社会には急進的すぎたようで、政治家からの支持も得られず、一見、一過性の騒ぎだけで終わったかのようにみえます。他方、この発言に限らず、近年、女性の解放を象徴する華やかなイメージのパートタイムの裏の側面、パートタイム化する社会が直面する問題の断片がメディアで指摘されるようになってきており、社会全体においてメリットとデメリットの両面をもつパートタイム就労の全貌が徐々に明らかになってきました。
まず、一部の産業部門の人員不足の深刻化です。その最たる例は医師で、日曜新聞Schweiz am Sonntagで取り上げられた調査によると、100%働いていない医者は全体の3分の2になるといい、医師が大幅に足りない状態が続いています。すでにスイスでは毎年、外国から2000人の医師を新たに外国から入れていますが、これは近隣諸国の医者不足につながる危険がありますし、スイスでも去年可決された移民の人数を制限する国民投票(「大量移民イニシアティブ」と呼ばれるもの)の結果、今後外国から大量に医師を入れること自体が難しくなることも考えられます。来年からスイスでは新しく医学部の受け入れ学生数を現在年間900人から1300人に増やす予定ですが、100%働くよう医師を強制できない以上、実際にどのくらいの医師が実働労働力として供給されるのは不明です。高齢化が進むスイス社会で医師不足は、文字通り死活問題であり、パートタイム勤務が常態化する医師界の窮地を今度どう切り抜けていくかは、医療界だけでなく社会全体に関わる課題です。
労働力不足は教育界でも顕著です。特に女性が教職を占める割合が圧倒的に多い小学校では、パートタイム勤務が常態化しており、必要な数の教師を自分の学校に雇い入れることは、毎年、校長の最大のミッション(任務)といっても過言ではないでしょう。
また、パートタイム勤務が広がることで、新たな社会の差異化、階層化にもつながるという危惧もでています。例えば、近年、金融業界でもパートタイムが増えています。もともとこの業界は基本給が高く、80%働くだけで十分生活できるといわれており、医学界同様に、パートタイム勤務に拍車がかかってきているようです。このため、経済力があり100%働く必要がないため時間に余裕ができる就業者層と、生活が厳しいため就労時間が減らないあるいはさらに増える就業者層といったふうに、 就労者の間で、非就労時間の量をめぐって、階層化、分極化が今後進むのかもしれません 。
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それでも、アングロサクソンの国々のように自らが教育に投資しているのなら(アングロサクソンの国々では高等教育は自腹ですが、大陸ヨーロッパでは、高等教育の機会の平等を確保するため、費用の全額あるいは大部分を国や州が負担するのが一般的です)ある意味で公平かもしれません。しかし高等教育の費用の大部分を公的に援助してもらいながら、そこで得た高度な技術を100%の就業という形で社会に十分還元するかわりに、少ない割合のパートタイムをするかあるいはまったく就業しないで、自分の利害を優先するのが、 社会において果たして公平なのか、と言われると、それも一理あるような気がしてきます。
このようにパートタイム全盛期のスイスでは、その恩恵を多くの人が享受している一方、パートタイム化が進む社会の課題や新たな問題も、また、どこよりも鮮明にみえてきています。
しかしこれらの問題がみえてきたといっても、パートタイム大国スイスにおいて、パート勤務自体を減らしたほうがいいという社会的な合意はなく、むしろトレンドは逆向きです。もし何らかの措置や対策をとるとしても、パートタイム勤務者がなぜ100%で働かない、あるいは働けないのには、社会制度や環境、健康、私的な理由など多様なレベルの個々の事情が長期・短期で絡んでおり、どの理由は認め、なには認めないのかの線引きは非常に難しそうですし、かといって、そもそもパートタイムをめぐる公平さとは何なのか、と議論をはじめると、意見はかなり割れて、着地点がなかなか見えそうにありません。
とはいえ、パートタイム化の進行に並行して、新たに出てくる難問や社会の疑問に対しても、パートタイム先進国らしく、自ら解答や社会的合意を模索することも、これからのスイスの重要な課題になっていくでしょう。
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参考文献・サイト
——スイスの女性の働き方について
Als Frau das Wort zu greifen, bleibt ein Risiko, Interview mit Franziska Schutzbach. In: Migros Magazin, Nr.39, 26.9.2016, S.36-40.
Nicole Anliker, Emanzipierte Rebenmütter, NZZ, 14.15. Sept. 2013.
Hausfrau und Mutter zu sein, ist meist keine Entscheidung fürs Leben, Iterview mit Andrea Maihofer, Migros Magazin, Nr.36, 2.9.2013, S.97.
Nicht alle Familien sitzen im selben Boot,Migros Magazin Nr.46,11.11.2013, S.16-21.
Nicole Althaus,Das Vergessene Kapital der Emanzipation, Bücher am Sonntag, NZZ am Sonntag, Nr.3, 27.3.2016.
——経済学者 Stefan Wolter の発言について
Jenni Thier, Wohlstandsproblem Teilzeitarbeit. Falsche Anreize bei Bildungsfinanzierung, NZZ, 6.7.2015.
Wer nach der Uni Teilzeit arbeitet, soll zahlen, 20 Minute, 7.7.2015.
Michèle Midmer, «Studierten Hausfrauen eine Rechnung zu schicken, ist falsch», Tagesanzeiger, 7.10.2014.
«Ohne Anreize funktioniert es wohl nicht». Interview von Jenni Their, mit Bildungsökonom Wössmann über Bildungsrenditen, 6.7.2015.
——医学界のパートタイム就労について
Steigender Ärztemangel: Junge Mediziner wollen nur noch Teilzeit arbeiten, Aargauer Zeitung, 13.10.2013.
Anja Burri, Verteilkampf ums Medizinstudium, Tagesanzeiger, 4.2.2016.
——金融・銀行業界でのパートタイム就労の人気
Banker arbeiten immer häufiger Teilzeit, 20 Minute, 3.8.2016.
——パートタイム就業者の将来的な(老後の)問題
Für eine sichere Altersvorsoge mindestens 70 Prozent arbeiten, 9.6.2016.
Teilzeitarbeit. Die Uhr tickt - Sorgen Sie frühzeitig vor, Beobachter, 29.2.2016.
——その他
Teilzeitarbeit. Keine Angestellten zweiter Klasse, 16.10.2015.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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