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スイス社会のスイス人とドイツ人の微妙な関係 〜言語共同体にひそむ緊張と信頼の絆

今年の初夏は世界中ワールドカップの観戦で盛り上がったと思いますが、スイスのパブリックビューイング会場で、ドイツの試合を観戦したドイツ人の友人は、ショックなことがあったと言います。観衆の大半(スイス人と思われる人たち)が、ドイツを罵倒する言葉を発しながらドイツが負けるように応援して試合観戦していたのだそうです。

この話を、子どもにすると、「なぜみんな、ドイツに負けてほしかったの?」と逆に質問され、はっとしました。スイスに住んでいると、スイス人とドイツ人の間に独特の関係あることがなんとなくわかり、上記のような話を聞いても、個人的には友人を気の毒だと思っても、特に驚きません。起きたことが、想定範囲内のように感じられるためです。同様に、政治的な正義に照らし合わせて、ドイツに対する差別だ、ヘイトスピーチだといって騒ぎたてるドイツ人もいなければ、「問題行為」だとしてニュースや社会で取りざたされることもありません。問題となる程度のことではない、という見解もまたスイス社会でほぼ一致しているためだと思われます。

しかし、そのような微妙な関係は、目にみえる現象や出来事から主に状況を理解・判断する子どもにとっては、とらえにくく、それをとりたてて問題としない社会的な共通見解も不可解に映るのだ、ということに、子どもから質問を受けて初めて気づきました。それと同時に、このような事象は、子どもにだけでなく、第三国にいる人々にとっても、みえにくく、とらえにくいことに違いない、という憶測が頭をよぎりました。

今回は、この憶測をもとに、「問題」として捉えられにくいけれどスイス社会で歴然と存在している(とスイスに住む人が認識している)スイス人とドイツ人の微妙な関係について、わたしの経験や理解をもとに、可視化を試みてみようと思います。

このような関係は、スイスでのドイツにまつわるさまざまな表面的な事象を理解する根っこの部分にあるため、今回のような、ドイツへの嫌悪や不満の紛糾を理解するのに役立つのはもちろんですが、背景にある微妙な関係が表面的な事象や現象とどう関わっているのかを、今回の事例で可視化して知覚することは、ほかの国や地域間での関係を考える際にも、参考になるのではと思います。

※今回の話は、スイスでもドイツ語圏に限った話となります。このため「スイス」と叙述する時も、スイスのフランス語圏やイタリア語圏の状況については配慮しておりませんので、ご了承ください

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「強いドイツ」をよく思わない背景
パブリックビューイングでドイツを罵倒する人が多かった最も直接的な理由は、ドイツがサッカーで強いから、ということでしょう。

今回のワールドカップでは一次リーグを突破できませんでしたが、ドイツは前回の優勝国でもあり、一般にサッカーに「強い国」と認識されています。そんな「強い国」を相手にする試合では、相手国に関係あるない関わらず、つい「強い国」に立ち向かう相手国を応援したくなることがあっても無理はありません。強豪の相撲取りに立ち向かう小さな相撲取りを応援したくなる気持ちと似たようなものでしょう。

ただ、逆に強いからこそ人気があるチームもあります。サッカーでも、野球でも、強かったり、スター選手がいることで、人々を魅了し、ますますファンを獲得するという場合もあります。

また、たとえ強いチームに勝って欲しくないと内心望んでいたとしても、試合中に罵声を発するというような、一線は越えた行動には出ないところにとどまる、という可能性もあります。

今回、二つ目や三つ目のケースではなく、一番目のケースに多くの人が当たり、ドイツ側のプレーに罵声を発するに至ったということは、水面下で、そちらに傾斜するような背景があったのだと解釈します。そしてそれが、とりわけスイスにおけるドイツ人とスイス人に微妙な関係と考えます。

それでは、スイス人とドイツ人の関係のどのような側面が、とりわけ、今回の状況にいたらせたといえるのでしょうか。ここでは、それを問題をわかりやすく捉えるため、具体的な三つの現象(あるいは特徴)、スイス人のドイツへの関心、共通の言語がもたらす緊張関係、スイス社会で占めるドイツ人の位置、について取り上げてみます。そこでのスイス人とドイツ人の態度や見解の違いを観察し、それが、どのようにネガティブな衝動や感情のような要素とつながるかを推し量り、考察していきます。


ビックブラザー・ドイツとそれが気になるスイス
スイスの10倍の人口(約8300万人)をもち、スイスの5.5倍の国内総生産を誇るドイツは、スイスにとって、圧倒的な存在感を放っている隣国です。そんなドイツをスイス人は「ビッグ・ブラザー Grosser Bruder」と表記することもたびたびです。

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このような大国に隣接するスイスは、その国のことについて、政治や経済だけでなく、互いの関係も含め、絶えず気にしているようにみえます。もちろん地方紙と全国紙、あるいはそれぞれの新聞社の方針によって、ドイツが取り上げられる頻度や内容には大きな幅がありますが、全般に、スイスのメディアでのドイツへの関心は高く、トップニュースの常連です。

たとえば、スイスの日刊紙でドイツ語圏の高級紙として名高い『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトンク』(以下、ドイツ語でのこの新聞の略名表記にならい「NZZ」と表記します)では、ドイツの国政に関わる時事報道に多くの紙面をさくだけでなく、読者を対象に、ドイツに焦点を絞ったしたニュースレターを配信しています。長文の詳細にわたるドイツの政情を分析する週1回のニュースレターと、ドイツの読者に最も読まれた記事をリストアップしたもの(日曜を除く毎日)の二つです。ドイツ人がどのような記事を読んだかについてまで知ることが果たして重要なのかは定かではありませんが、少なくともNZZでは、ニュースレター全19種類の1割を、ドイツに特化していることになります。

ドイツへの関心の高さは、同じドイツ語圏で東側の隣国であるオーストリアへの関心と比べると、さらに鮮明になります。

オーストリアは、やはり同じドイツ語圏として、スイスと人やモノの行き来がさかんであり、近くて手頃な避暑地としてもスイス人に人気が高い国です。にもかかわらず、オーストリアがスイス国内で話題や関心にのぼることは、ドイツに比べかなり少なくなっています。スイスのメディアでのオーストリア関連のニュースの頻度がボリュームだけでなく、オーストリアで発信されているメディアの消費も、ドイツのそれに比べものにならないほど少量です。例えば、スイス、ヴィンタートゥア市内の図書館が定期購読しているドイツとオーストリアのメジャーな新聞と総合雑誌の数をみると、ドイツが5誌であるのに対し、オーストリアはたった1誌のみです。

(なぜオーストリアやオーストリア人に対して、スイスでは、同じドイツ語圏なのにドイツよりも格段に関心が低いのかという問題については、スイス人とドイツ人の関係を本題とする今回は、深入りしませんが、大雑把に言えば、スイスとほぼ同じ人口規模で、経済や文化面でも、等身大に近い国であるオーストリアに対して、スイスが、ドイツほどの関心がもてないのも、ある意味、当然といえるのかもしれません。)


関心の高さに比例する感情的な反応
高い関心が寄せられているということは、好感につながる場合もある一方、違和感や嫌悪感などネガティブな感情を刺激することがあります。ドイツに他国と比べ圧倒的に高い関心を寄せているスイスでの、ドイツの場合も例外ではないでしょう。このため、結論を先に言えば、ほかの国よりもドイツに対し、ネガティブな感情が抱かれることも多くなるのだと推測します。

ふたたび、オーストリア人についてのスイス人の見方と比較して、具体的に考えみます。これまで何度か(スイスにいるとドイツ人についてよく問題児のようによく言われるので、同じドイツ語圏のオーストリア人については果たしてどう思っているのだろうと気になって)、スイス人に、オーストリア人についてどう思っていのか、自分たちと比べてどんなところが違うと思うのか、と尋ねてみたことがあるのですが、その結果は興味深いものでした。

わたしの質問に対し、回答は「人当たりがいい」「感じがいい」、「(スイス同様、アルプス山腹に住む伝統をもつためスイスと)違いはあまりない」、など個性や特性に乏しいあたりさわりのない形容の返答ばかりだったのが印象的でした。スイスに住んでいるオーストリア人(2016年現在4万1900人)だけでなく、働きに来ているオーストリア人も多いですし(特に国境付近の地域では)、スイス人がオーストリア人をよく知らないわけではないはずです。ドイツ人についてどう思うかとスイス人に訊けば、控えめなスイス人でも、自分たちの「ドイツ人」的なるものについての考えを、色々な表現で説明してくれることが多いのとは、かなりのギャップで、拍子抜けするほどでした。

「温厚な人たち」、「問題のない人たち」とオーストリア人が理解されていることは、一般的に考えれば、スイス社会でうまくインテグレーションことの証左であり、よいことに違いありません。

しかし、オーストリア人の中には、そのようなスイス人の態度にいまひとつ物足りなさを感じる人もいるようです。先日、長年スイスに住むオーストリア人が、「スイス人はオーストリアに無関心で、オーストリア人についてなんとも思っていないように思う」と不満そうに言っていました。彼女からみると、スイス人は、ドイツの国や人に対する関心に比べると、あまりにオーストリアの国や人についてのスイス人の関心が低く、まるで、対抗意識からわざと無視しているかのような気さえするのだそうです。

このようなオーストリア人の推測が正しいのかわかりませんが、とりあえず、スイス人のオーストリア人観として、あまり気にもせず、腹も立たなければ、ネガティブな感情も起こりにくいというのが実情と思われます。ひるがえって、相対的に高い関心をもってみているドイツの国や人には、問題と感じることが多かったり、感情的に敏感に反応することも多いということがあるのではないかと思います。


ドイツのスイスへの関心
ちなみに、ドイツ国内ではスイス人やスイスの国はどうとらえられているのでしょう。まず(統計をとったわけでなくあくまで自分の印象からの推定ではありますが)、ドイツの主要メディア上で、スイスについて扱われる比率は、スイスがドイツについて扱う比率よりも圧倒的に低くとどまっているように思われます。大国特有のさがでもあるかと思いますが、ドイツは自国のことにまず熱心であり、その次にくるのはEUへの関心です。EUにも入っていない近隣の一小国スイスは、ドイツにとって、相対的に重要性が低く、結果として、スイスのドイツに対するほどの関心は、ドイツはスイスに対し抱いていないのではないかと思われます。

ドイツ国内で、ドイツ人とスイス人の間で摩擦や問題はどのくらいあるのでしょうか。たしかにドイツでも仕事や勉強で住み着いているスイス人もいますが(2017年末現在で8万8600人で、数だけでいえばスイスに住むドイツ人の倍以上いますが)、ドイツの人口比に対してスイス人の数は、(スイスでのドイツ人が占める割合に比べ)相対的に低く、スイス人とドイツ人の緊張感の濃度も、また、ほかの「問題」(たとえば移民やイスラム教徒問題など)に対比され「問題」として深刻化する確率も、低くとどまっていると思われます。

つまり、ドイツ人とスイス人の間にある微妙な関係は、ドイツとスイス全般にみられるわけではなく、スイスという地域でのみ強く認知されている、つまり「地域的な問題」であるともいえます。


ドイツ語という共通言語にまつわる緊張関係
スイスに住むスイス人とドイツ人を、よくも悪くて切っても切れない縁でつなげている、もう一つの重要な要素として、言語があると思います。少し細かい話になりますが以下、説明してみます。

スイスは通常「ドイツ語圏」とみなされますが(もちろんフランス語圏やイタリア語圏の場所もありますが、それらを除く大部分の地域で)、スイスで、一般的に話されているドイツ語は、標準語とはかなり音声的にかけはなれたドイツ語方言です。(どのくらいかけ離れているかというと、ドイツでの番組では、スイスドイツ語が放映されると字幕がつけられるほどです。)スイス内でも地域により方言はかなり異なりますが、標準ドイツ語に対比して、それらのスイス方言は、全部まとめて、「スイスドイツ語」と一般に呼ばれています。

スイスドイツ語は基本的に口語(話される言葉)で、筆記用の言葉ではないため、書き言葉には、標準ドイツ語を使っています(標準ドイツ語とはドイツで、口語および書き言葉として標準的に使われている言葉です)。標準ドイツ語は、書き言葉であるだけでなく、ドイツ語圏の共通の言葉でもあるため、、子どもの頃から、標準語を上手に使いこなせるように、学校の授業では基本的に標準ドイツ語しか使わないなどして、使う訓練を重ねていきます。

ここまでは、日本国内での地方での方言と標準語の関係と類似しており、特記することもないように思われますが、ここでネックなのは、標準語と方言の使い方の差異が、同一国民のなかの差異でなく、スイス人とドイツ人という国民的な差異になっていることと、標準語に対する認識が双方でかなりくい違っていることです。

スイスドイツ語は、スイス人であることを示すよりどころのようなものであり、その意味ではスイスでは「標準語」並みあるいはそれ以上のプレステージをもった言葉であると言えます。特にここ数十年で、スイスドイツ語の重要性が、スイス社会で見直される傾向にあり、以前は、スイス国内で開催される講演会や会見などの公的な場では標準語を利用するのが一般的だったのに対し、最近は、スイスドイツ語が使われることが多くなってきています。

一方、それをあからさまにドイツ人は蔑むわけではありませんが、ドイツ人にとっては、標準語と方言の間には明確な違いがあり、スイスドイツ語は、「方言」のひとつにすぎず、標準語と同等ではない、という意識が、長年スイスにいるドイツ人においてさえも根強くあるようで、それが時に、スイス社会でも見え隠れします。

このようなドイツ人の標準語を優位に感じる感情は、スイスドイツ語を標準語にまさるともおとらないものと思っているスイス人にはあまりいい気がしません。

「標準ドイツ語」のことを、標準ドイツ語では「ホッホ・ドイチュ(英語で言えば「ハイ・ジャーマン」)」と通常言いますが、スイスでは、「文章用ドイツ語」と称し、「標準ドイツ語」という記述を使いたがらないことには、そのような、スイス人の不満な気持ちが反映されているように思えます。スイス人にとって、自分たちのしゃべる「スイスドイツ」語が、標準ドイツ語に対して、劣った「低い」ものであるわけではなく、書き言葉であるだけなのだ、と暗に主張する対抗意識のようなものです。

さらに、スイス人は、学校教育の場で使ったり、その後も書き言葉として使ってはいますが、スイスにいる限り標準ドイツ語をしゃべる必要は(外国人を相手に話す場合などを除いて)ほとんどもたないため、結果として、ドイツ人に比べれば、標準ドイツ語をそれほど「上手に」(標準語らしい発音で正確で、流暢に、などの意味)話せない人が少なからずいます。そのなかには、自分はスイスドイツ語が話せるのだから、ドイツ人ほど標準語ができなくてもいい、と表向きはふるまっていても、ドイツ人ほど自分が標準語をうまく使いこなせないことが、一種のコンプレックスになっている人もいるようです。

このように、スイス社会水面下でスイスドイツ語と標準語をめぐり微妙な関係があるなかで、ドイツ人が(真っ正直なドイツ人堅気にもとづき)ストレートに強引な主張を、流暢な標準ドイツ語でまくしたてるような場面が展開したらあかつきにはどうなるでしょう。スイス人には、ドイツ人が傲慢で意固地な人にみえてきても無理はないかもしれません(スイス人が、ドイツ人ほど直接的な言い方を好まず、調和や妥協をより重視する、という性格的な違いも、摩擦を起こしやすい素地をつくっていると思われます)。

まとめてみます。同じ言葉を話す隣国人とは、ただでさえ、言葉のひだやニュアンスもよくわかり、意気投合がしやすい反面、お互いがよくわかりすぎて、価値観の相違もみえやすく、不満や不信になりやすくなります。さらにそれに輪をかけて、今回のように、自分たちの言葉が隣国であまり評価されていないと感じ、同時に自分たちは、隣国の標準言語を使いこなさなければ立ち行かない、という複雑な関係になってくると、摩擦や葛藤が生じやすいでしょうし、それらが積もり積もって生まれた負の「ドイツ人」像(ステレオタイプ)へ対抗意識や衝動的な感情を表出するケースもでてくるのだと思います。

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スイス社会におけるドイツ人のポジションとドイツ人差別が「問題」とされないことが意味すること
しかし、打倒ドイツをパブリックビューイング会場でさけんだ人たちであっても、ドイツ人がいなくては、国の経済や生活はたちゆかないことを知っていますし、これまで一度も親切な、あるいは気の合うドイツ人に職場や生活空間に出会ったことがない、と言い張る人もいないでしょう。

スイス全体の移民のなかで、ドイツ人は、イタリア人に続き多い多数派移民で、スイスには30万3500人おり(2016年現在)、スイス社会でドイツ人はオムニプレゼントな(どこにでもいる)存在です。

単に数が多いというだけでなく、ここ十年余りの間にドイツから渡ってきたス人たちは、とりわけ高学歴で、社会的地位も高い重要な職に就いている人が多いのが、これまでのスイスの移民の主流であった低学歴低収入の社会層と大きく異なる特徴です。例えば、スイスで働く医師の5人に一人はドイツ人ですし、チューリヒ大学の教授は3人に一人、バーゼル大学の教授はほとんど二人に一人(42%)がドイツ人です(Laur, 2015)。

言葉だけの問題でなく、学力・就業ともに、スイスでバリアがなく躍進できるドイツ人は、スイス人ではないにもかかわらずスイス人にせまる高い地位を得ている。そのことが、逆に、スイス人を刺激して、潜在的に脅威を感じたり、ドイツ人をよく思わない人を増やす傾向に、つながっているとも考えられます。

ただし、そのような複雑な感情を多少引き起こすとしても、自分たちで十分に求人枠を供給できないため、やはりドイツ人がいないとどうしようもないと認識しているようです。先ほどバーゼル大学の教授職の42%がドイツ人であるとお伝えしましたが、これに関し、大学はなにか対抗手段を講じるべきか、という日刊紙『ターゲスアンツァイガー』のオンラインアンケートでもそれが伺われます。、回答した924人のうち、「とるべきではない」と回答したのが74.1%でした(Laur, 2015)。圧倒的な多数が、(優秀な人材を確保するために)州立大学が、ドイツ人を採用することを、問題とみなしておらず、賛成している、というのが実情なのです。

ところで以前、スイスの広告に自主規制について扱った記事で、女性や移民出身者、高齢者などであれば、ただちに差別問題だと判断されるような表象(その人たちをネガティブに表現するなど)でも、それが白人のヨーロッパ男性を表象したものだと、問題にならない(あるいはなりにくい)という傾向について示唆しました。一般的に社会の弱者やマイノリティが、差別被害の対象者となるためで、ヨーロッパ(白人)男性は、スイス社会において、社会で権力側にあるマジョリティの社会グループと認識されており、このような権力のある側をネガティブに表象したとしても、それは「差別的」ではなくコメディのたぐいとみなされる、という話でした(「ヨーロッパの広告にみえる社会の関心と無関心 〜スイス公正委員会による広告自主規制を例に」)

この話を、ここでのテーマにあてはめて考えてみると、以下のような解釈も可能かもしれません。ドイツに罵声をあげて観戦する人々が後をたたなくても「問題」とならないということは、裏を返せば、ドイツ人は、「二流市民」扱いをされていないどころか、すでにスイス社会において、権力者側にいるマジョリティ(あるいはそれに匹敵する存在)になっていることを意味する。ドイツ人は、権力側に立っているのだというお墨付きを、すでにスイス社会から与えられているのだ、と。


おわりに
これまでの話をまとめてみましょう。

スイスは長いこれまでの歴史のなかで、ドイツという大国の引力にときに振り回されながらもなんとか独立を維持し、政治や文化をつむいできました。今日の関係は、基本的に大変友好的ですが、恩恵を享受しあい、共感するだけでなく、時には弊害も苛立ちもある愛憎関係でもあり、「友好」よりも「憎悪」色が濃い行為や言動がたびたび噴出されることも、たびたびみられる状況にみえます。

同時に、ドイツ人とスイス人には共存するための信頼の基礎があり、社会や友人としてもなくてはならな存在であることを、(ドイツ人も含め)誰もスイスで疑っていない、だからこそ、ヘイトスピーチだと声高にさけぶ人もおらず、政治沙汰にはならないということになります。

とはいえ、今回のショックを受けたドイツ人のように、スイスのドイツ人とスイス人の間に摩擦や軋轢が起きた時、その場にでくわす当人者たちにとっては、決して気持ちのいいものではないでしょう。実際にスイスになじめなかったり、なんらかのトラブルからドイツにもどるドイツ人ももちろんいます。ただし、それを特別扱いするのは少し問題かと思います。そういう移住者はどこの国でも一定数いて、スイスのドイツ人の問題として特記するものではないように思うからです。ただし、そのようなテーマが(ドイツ人の存在がとかく気になる)スイスでは、注目され、たびたびメディアでも言及されるという意味では、やはりスイス特有のこと、といえるかもしれません。

一方、少し見方を変え、その現場から一歩距離を置き、それは愛憎の一面であり、違う角度からみれば、スイスにとってドイツは常に、目を離せない大きな存在でありつづけているということなのだ、と冷静に思うことができれば、ドイツ人も悪い気はしないかもしれません。

ヨーロッパの大国ドイツを故郷とするドイツ人としては、やはり、スイス人に一目置かれる存在であるはず(そうであっていいはず)だ、という自負もまた、強いのでしょうから。

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<参考サイト>
Newsletter, NZZ

Laur, Franziska, 42 Prozent Deutsche an Uni Basel. In: Tagesanzeiger, 17.06.2015





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