笑うのに必要なものは理由でなくトレーニング 〜高齢者の間に笑う機会を増やすための「笑いヨガ」の試み

笑うのに必要なものは理由でなくトレーニング 〜高齢者の間に笑う機会を増やすための「笑いヨガ」の試み

2016-12-19

笑うことが健康にいいという理解は、世界各地にあるようです。ドイツ語でも「笑うことは最高の薬」、「笑うことは健康にいい」などとよくいわれます。一方、笑うことがいいとわかっていても、 どうしたらよく笑えるか、などと考える人はまず、いません。おかしければ笑うし、おかしくなければ笑えない。ただそれだけのことであり、よく笑えるかどうかは、おかしいかどうかにかかっているだけ、とだれもが当然のように思っており、逆におかしくないのに笑うのは不自然だし、そもそもおかしくないのに笑おうなどと、だれも考えつきもしなかったのではないかと思います。
少なくとも20年ほど前までは。というのも、1990年代半ばに、簡単でだれもが実践しやすい笑い方を模索した人がいました。一旦、方法が確立されると、またたくまに人がいつでもそして繰り返し笑える唯一の確実な方法として、世界的に知られるようになり、とくに病気の治療や予防の現場で広範に受け入れられるようになってきました。
しかし、笑う方法を考えるほど、なぜ笑うことに、その人はそんなにこだわったのでしょう。そもそも笑うことは本当に健康なのでしょうか。今回は、近年の笑いについての科学や医学分野での見解をおさえつつ、考案されて世界中で実践されているこの方法、「笑いヨガ」について紹介します。そして、ほかの笑いの療法と合わせて、これら笑う手法が、未来の社会をどんな風に変える可能性について考えてみたいと思います 。
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笑いについての学問と医学的な見地
まず、笑いについて、これまで科学や医学の分野で検証され、一般的な見解とされていることについて、概観してみます。
笑いが人の心身にどのような影響を及ぼすかについては、1960年代から英語でGelotology (ドイツ語Gelotologie)とよばれ、ひとつの研究分野になりましたが、とくに研究がさかんになったのは、約40年ほど前からで、医師や社会学者、神経学者、心理学者などを中心にした学際的な研究分野としてこれまでに発展してきました。
笑う時には体が動くため、静止していないと使えないMRI(核磁気共鳴画像法) などの精密な機械で脳内を調べることができず、笑った時に脳がどうなっているかはいまだはっきりはわかっていませんが、笑いにより、ストレスや痛みが緩和されたり、炎症が抑えられたなどの笑いを肯定する症例報告は、すでに多くでてきています。笑うことによって、脳内で多幸感をもたらすといわれるエンドルフィンEndorphinが分泌され、ユーモアや人と接することへの喜びも増すといいます。
笑うことは体全体を使う運動でもあります。30分ずっと大笑いすることは20キロのジョギングに匹敵するとGelotologie の創設者のWilliam Fryは言っています。笑うことで、血行がよくなり、 新陳代謝は促進され、免疫機能も強まり、消化すら助けることにもなります。そして1日に15分から20分間笑うのが理想的とされます。うれしいことに、笑いすぎることで体に支障がでたという話もこれまでなく、療法としても利用されていますが、同時に病気になるまえの予防方法としても今日重視されるようになってきました。
つまり、健康な赤ちゃんはよく笑うとたびたび言われますが、この場合、赤ちゃんが健康だから笑っている場合だけでなく、笑っていることで健康になっているという解釈もできることになります。
他方、笑うことを 健康にいいと評価をしている多くの社会でも、自然な心のうちに好きな場所や状況で簡単に笑うことは許されません。怒りや悲しみなど自然に起こってくる感情をある程度、自分で抑制しながら、行動することが分別ある態度とされ、笑いもまたそこに入るためです。子どもは1日に平均、400回笑うのに対し、大人は15回しか笑わないとされますが、それは、単に大人にとって子どもよりずっとおもしろいと思わないからという話ではなく、社会のマナーとして適切な場所と状況をみて笑うことに意識が強くなり、笑いが、潜在的に 抑制されているとも考えられます。
いずれにせよ、笑わない傾向は、全体的に近年強くなっているようで、ドイツでは40年前はは1日18分笑っていたのが、今日は6分程度といわれます。
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笑いヨガの成り立ち
さて、このような笑いに対する禁欲的な現代社会に挑戦するかのように、「笑い」を積極的に実践する動きが世界的に広がっています。「笑いヨガ(英語でlaughter Yoga, ドイツ語ではLachyoga)」と呼ばれるものです。
笑いヨガは、インド、ムンバイ(ボンベイ)の医師カタリア氏Dr. Madan Katariaが1995年につくったものです。(以下、「笑いヨガ及びユーモア・トレーニングのヨーロッパ職業連合」のサイトを参考にまとめて紹介します。)カタリア氏は、1995年雑誌への記事を執筆するための調査をするうちに、笑うことが健康にいいとする結果が多いことに関心をもちます。そして実際にそれを確かめたいと思い、ある朝、早朝公園に行って5人でお互いにジョークなどを言い合って笑いあいました。笑ったあとの1日は非常に爽快に過ごせたため、「笑いクラブ」と称して、毎日公園で笑い合う活動を始動させます。活動自体は、わずか数日で50人以上が参加するほどの盛況となりますが、他方、笑いのたよりにしていたジョークのほうはしばらくすると、ねた切れになり、人種や性差別的なものや性的なジョークなど、望ましくない傾向のジョークが増えてきます。
これを機に、カタリア氏は、ジョークなしにも人々が笑えるような可能性を新たにみつけなければいけなと考えるようになります。一方、研究や調査を重ねるうちに、人工的に引き起こされた笑い(くすぐるなど、笑うようになんらかの刺激をして笑わせる場合)と本当におかしくて笑うのでは、脳のなかでは全く違いがなく、どちらの場合も幸福感をもたらすエンドロフィンが脳から分泌されることがわかります。このため、これまでの理由をつけて笑うことにこだわっていた発想を180度変えて、「理由なく笑う」ことを目指すようになります。そして、妻でヨガ教師のMadhuriさんといっしょに、ヨガの呼吸法とストレッチと笑いの顔の表情や動きをする練習などをとりいれた、全く新たな笑い方を考案しました。
一般に「笑いヨガ」と呼ばれるこの方法は、できてからこれまでの20年間で、インドや国境をこえて世界に受容されるようになり、現在までに、 日本を含め100カ国以上の国で総計 6000以上の「笑いクラブ」と呼ばれる結社がつくられ、日々、その方法を用いて笑いが訓練、実践されるようになったといわれます。
トレーニングをして好きな時に笑う
具体的な笑いヨガの方法については、いろいろな形でインターネットでも紹介されており、それらを見ると、誰でもいつでも簡単にできることを目指したわかりやすいものであることがわかります。一言で言えば、深呼吸で体に十分な空気を取り入れ(肺の容量が広がれば、笑う身体的な力も増すのと、上半身をリラックスさせ効果があるため)、大きな声を出しながら手をたたき、体を動かし、気持ちを高揚させ、大きな笑いを自分で作り出すようにするということのようです。
しかし、動作は簡単にわかっても、一人で始めるのはかなり抵抗があります。また、笑いは人にうつるものでもあるので、ほかの人といっしょに練習するほうが成功率もあがり楽しいようです。このため公園や室内に定期的に集まって、 訓練や実践を続けている人が多いようです。笑いヨガの教師によると、はじめは無理して作り笑いしているのが、だんだん自然に自笑えるようになり、笑うだけでなく楽しい気分にもなっていくというプロセスになるといいます。
笑いヨガでの最も大きな特徴で、従来のユーモアや笑いの療法と大きく異なることは、笑いを、スポーツのようにトレーニングで鍛えられるものだと定義している点でしょう。コメディーやジョークなどなにかがおかしいと認知した反応で笑うのではなく、ジムへ行って自分の体を鍛えるように、体を使って自分を笑えるようにトレーニング(訓練)する。これによって理由がなくても自分で笑いたいときに笑えるようにする。そして最終的に(笑いによって)自分の気分を、自分の望むようなものになるようにする、という大変ユニークな考え方です。
高齢者と笑い
創始者によると、笑いヨガが最も力をいれているのが、活動全般が縮小し、体力も減って、笑う機会が減少していく高齢者への適用だといいます。 インドの笑いヨガをやっている人の多数が中高年から高齢者で、笑いクラブがはじまったのも、退職者が多く集まる朝の公園からでした。
高齢化が進むヨーロッパでも、 お金もほとんどかからず、高齢者の健康効果が望める、笑いヨガに最近注目が高まっています。スイス最大の高齢者のための多様なサービスを行っている半民半官の組織で100年の歴史を誇るPro Senectuteが主催する地域的な催しをみても、安価で受講できる笑いヨガの講座を最近よく目にするようになりました。高齢者の健康維持・推進、特にうつ病予防・改善の効果が期待されているようです。
ドイツでも、高齢者の「失われた笑いを活性化し」、再び 「喜びを感じられる」ようにし、「うつ病や孤独感に対する強力な対抗手段」とするべく「おばあちゃんがまた笑った」というプロジェクトが昨年9月に立ち上げられました。2016年11月までの約1年の間で、この笑いヨガを推進するこのプロジェクトに630人以上が参加したといいます。その実績がみとめられ、2016 年のドイツのソーシャルワークの奨学制度のプロジェクトに選ばれました。
終わりに
今回は笑いヨガだけを取り上げましたが、もちろん 、笑いを用いた治療はこれだけではありません。コメディーやジョークを聞くなどクラシックな方法で笑う治療法、あるいは専門的なセラピストによるクラウン(道化)やパペット人形を使った訪問など色々あり、様々な現場で色々な方が関わって、笑う機会の少ない病気や高齢者の方々への地道な治療や個々の努力がつづけられています。
笑いヨガのなによりも大きな功績は、理由もなく笑うことを是認することや、具体的に新しい手法を編み出すことで、笑うことへの従来の発想を崩したことではないかと思います。これによって、笑いに対する社会の考え方全体が柔軟になり、また笑いヨガに刺激されて、今後、さらに場所や年齢、精神状態やモチベーションに合わせて、自分を楽に笑わせることができる新たな発想や手段が次々あらわれることになるかもしれません。そうなれば、もしかしたら数十年後の未来には、今の時代のわたしたちが考えられないほど、大人も子どももよく笑い、また笑うことで、健康で充足感をもつ人が多い時代になっているかもしれません。笑いヨガの興隆に、そんな期待がふくらんできます。
なにはともあれまずは、たくさんの笑いに包まれる素晴らしい新年を、みなさまがお迎えになられますように。心からお祈り申し上げます。
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参考文献
——笑いヨガについて
笑いヨガ及びユーマトレーニングのヨーロッパ職業連合Europäischer Berufsverband für Lachyoga und Humortrainingの公式サイト
Sandra Büch, Lachyoga? Kein Witz - das gibt’s!, Puls, SRF, 2.2.2016.
Die 4 Schritte im Lachyoga, Sabine Vogel(2016年12月8日閲覧)
Maria Wiesner, Ein Abend beim Lachyoga Lachen auf Befehl, Frankfurter Allgemeine, 14.6.2014.
Nina Leßenich, Lach-Yoga: Vom künstlichen zum echten Lachen, Aachener Zeitung, 15. April 2015.
Michelle Ostwald, Lachclub Mitte Heiter hüpfen beim Lachyoga, Berliner Zeitung, 06.02.15.
Lachyoga, Wikipedia (Deutsch)
——笑いについての学際的な研究
Burkhard Strassmann, Unglaublich komisch, Lachforschung, 20. April 2011 DIE ZEIT Nr. 17/2011
Gelotologie “Lachen ist Joggen im Sitzen”, Interview mit Michael Titze, Spiegel Online, 17.1.2014.
——高齢者への笑いヨガセラピーの取り組み
Lachyoga mit Senioren (英語とドイツ語、2016年12月10日閲覧)
Lachyoga mit Seniorinnen und Senioren (Download-Video-Datei)(2016年12月10日閲覧)
Cornelia Leisch - Lachtraining and Humor-Coaching, Oma lacht wieder, Stiepndiat 2016, Start Social, Hilfe für Helpfer.(2016年12月9日閲覧)
—-笑いヨガ以外の笑いを用いるセラピーについて
Lachtherapie, Yoga Vidya (2016年12月8日閲覧)
Christine Schulthess / Daniel Hilfiker, Kann ich Humor lernen? , Puls, SRF, 22.2.2013

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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