スーパー・レコグナイザーと顔認識システム 〜テクノロジーとの競合と人の能力の活かし方

スーパー・レコグナイザーと顔認識システム 〜テクノロジーとの競合と人の能力の活かし方

2017-01-15

2015年のケルンの大晦日から新年にかけて、数百人の女性に対する大規模な暴行と窃盗事件が起こりましたが、その事件で、大きく注目された人たちがいました。通常、スーパー・レコグナイザー super recognizerと呼ばれる特別な能力をもった特別捜査官です。
スーパー・レコグナイザーとは、 人の顔に関して通常考えられないような、飛び抜けた記憶や判別能力をもった人たちをさします。例えば、5年前にたった一度レストランで見かけた人の顔を憶えていたり、メガネや髪型などによって外観が大きく変わっても同一人物であることが判別できたり、また帽子やマスクで顔を覆っている人の目だけを見るだけで、その人が誰なのかをすぐに認識することができたりします。今回は、このような特殊能力をもつ捜査官の活躍について紹介しながら、 このような優れた人の能力や技能全般が、今後、テクノロジーと競合しながら、どのように評価、また活用されることが可能か、またその際の課題はなにかなどについて、考察を少し加えてみたいと思います。
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ロンドン警察のスーパー・レコグナイザー
ケルンの事件では、 駅前など数カ所に設置された防犯カメラの映像や携帯電話で撮られたビデオなどをもとに事件の分析が試みられましたが、遠方からの撮影や断片的な映像に映し出された深夜の暗がりにうごめく大勢の人々の中から容疑者を確定するのは、困難極まる作業でした。しかしそこに、頼もしい助っ人があらわれます。スーパー・レコグナイザーと呼ばれる人たちです。
ところで、このスーパー・レコグナイザーは、ドイツ人ではなく、ロンドン警察から2週間派遣されたイギリス人警察官でした。ケルン警察がわざわざロンドンから招いた理由は単純で、ドイツにそのような専門家がいないためです。ドイツだけでなく、世界全体をみても、カメラの映像や画像をもとにした容疑者確定に従事するスーパー・レコグナイザーの捜査課を置いている警察は、ロンドン警察をのぞき、ほかには存在しません。派遣された二人のスーパー・レコグナイザーは2週間のケルンでの滞在中、現地での捜査に協力するのと同時に、スーパー・レコグナイザーの素質があると思われる3人のドイツの警官に、映像や画像資料の分析などの指導も行いました 。
イギリスにおいても、スーパー・レコグナイザーの存在が評価されるようになったのは、ごく最近です。特に注目されるようになったのは、2011年に起こった「イギリス暴動」と言われる大規模な暴動の後でした。暴動に関わった5千人のうち、おおよそ4千人が監視カメラやソーシャルメディアなどの映像や画像をもとに容疑者が割り出されました が、そのうちの3分の1がロンドン警察に所属するスーパー・レコグナイザーによるものでした。たった一人で180人の確定した人もいました。
目覚ましい功績が評価され 、2015年にはロンドン警察内に、ビデオや画像の分析を専門とするスーパー・レコグナイザーだけの特別捜査課が設置されます。そしてその後、そこに所属するたった6人で、ロンドン警察全体(警察官数3万2千人)の容疑者確定の4分の1を担うほどの成果をあげています。ちなみに、ロンドン警察にはこの特別捜査課以外にも150人のスーパー・レコグナイザーがおり、それぞれの配属先で、容疑者の割り出し業務に携わっています。
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秘められたスーパー・レコグナイザーの能力
近年、注目を集めるようになったスーパー・レコグナイザーですが、学術的にはいまだほとんど未踏の領域です。アメリカの認知心理学研究者 Richard Russel らによる最初の論文が、 2009年に発表されてから2016年3月までに、スーパー・レコグナイザーについて出された学術論文はいまだ5本しかでていません(Hucklenbroich, FAZ, 2016)。このため、人々の顔に関してスーパー・レコグナイザーがどのように脳内で顔の情報を処理しているのか、また、どこが、普通の人たちの処理と大きく異なるのか、まだほとんどわかっていません。
最初に論文を発表したRichard Russel自身も、もともと、スーパー・レコグナイザーの専門家ではなく、スーパー・レコグナイザーと全く逆の、知っている人々の顔でも認識や区別するのが難しい症状である「相貌失認(失顔症)」 の専門家です。脳のなんらかなお機能障害で人々の顔が区別できない人がいるのなら、その逆に、飛び抜けて人の顔認識ができる人もいるのではないかと思いついて、一般広告で該当すると思われる人を募ったところ、実際に、非常に優れた顔認識の能力をもつ人が見つかり、この結果を論文として発表したのでした。この論文によって、はじめてそのような能力をもつ人の存在がスーパー・レコグナイザーとして学術的に知られるようになりました。
研究もほとんどなければ、そのような特殊能力への社会的な認知ももちろん全くない状況下で、スーパー・レコグナイザー自身、その能力が特別に秀でていることに気づいていない場合がほとんどだといいます。自分にとって普通にできることは、誰も特別な能力だと思わない傾向が強く、第一、日常生活において、必要な能力でもありません。職場の同僚や顧客、家族、友人など、会話を交わす人についての記憶さえあれば、通りすがりの人やバスに前に座っている人について、記憶することは通常必要ありません。逆に、数年前にちらっとあったことがあることをよく覚えていれば、普通の人には奇異に感じられたり、下手をすればストーカーのように怪しまれる危険すらあります。このようなわけで、社会でそのような能力が目立つことは少なく、社会にどのくらいスーパー・レコグナイザーが潜在しているかも、よくわかっていません。社会全体の人口の1〜2%の人がそのような能力を保持しているのではないかと言われることが多いですが、専門家の間では、根拠が乏しいこの推計に疑問の声もあがっています。
さいわい、ロンドンのグリニッジ大学には、2000年代後半からスーパー・レコグナイザーについて研究しているイギリスの心理学者 Josh Davisがおり、警察と研究者の協力的な関係が築き上げられてきたことで、ロンドン警察は、世界でも唯一のスーパー・レコグナイザーの積極的な起用や専門課の設置に至ったということのようです。
このように、まだまだわからないことがだらけのスーパー・レコグナイザーの能力ですが、スーパー・レコグナイザーの捜査課の設置に尽力し、現在も課を率いている警察官Mick Nevilleは、スーパー・レコグナイザーが、 様々な容疑者捜査の場面で、今後大いに活躍できる可能性があると確信しているといいます。特に、飛行場やほかの国境の出入国管理、テロ容疑者の捜索などは、今後最も活躍が期待される分野であり、映像分析は、 指紋やDNA鑑定などにまさるとも劣らない、容疑者割り出しの有力な捜査方法になりうるとします。
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顔認識ソフトウェア対スーパー・レコグナイザー
スーパー・レコグナイザーの能力がすごいことは疑いなくても、人工知能や顔認識システムがメディアで騒がれる現代において、これらの能力はどれだけ意味があるのでしょうか。
顔認識ソフトの技術は近年、めざましく進んでいます。昨年はロシアのFindeFace というウェッブのソフトウェアは、通りの誰か知らない人の写真を撮ってアップロードすると、VK.com というSNSに登録されている3億人のユーザーのプロフィール写真と比べ誰かを割り出すサービスをはじめました。そして同年に、このソフトが7割正しい該当者をみつけ出したとして話題になりました。Facebookでも顔認証機能が取り入れられています。
しかし顔認識システムは、少なくとも今の段階では、覆わずに正面から写した顔でないと認識の正解率はかなり低く、正面からきれいに捉えたきれいな画像などほとんど期待できない映像資料からの容疑者割り出し作業では、ほとんど使いものになりません。スーパー・レコグナイザーが、ピントがあっていない白黒映像や、顔の一部だけがしかも正面からではなく撮られた写真などからでも容疑者を割り出すのとは、能力的に雲泥の差があります。実際にロンドンの暴動の映像資料をもとに警察が割り出した容疑者数は4千人であったのに対し、顔の認定ソフトウェアが確定できたのは一人だけでしたし、近年のソフトでも、警察が容疑者と確定できた写真千枚から、ソフトではたった一人しか確定できなかったといいます。(Gioia, 2016)
スーパー・レコグナイザー対テクノロジー
しかし、スーパー・レコグナイザーを囲む現状は、近年評価や注目はされるようになったとはいえ、安泰とはいえないようです。いまだ、ロンドン以外に同様の課を公式に設置した例はなく、ケルンの事件の後もドイツ警察もスーパー・レコグナイザーによる特別捜査を本格的に導入する予定はないと公式発表されています。ロンドンにおいてすら、捜査課課長のNeville 氏によると、十分に評価されて、市民権を得ているとはいえず、 特別捜査課の存在は いつ取り潰されるかもしれないという依然とした不安定な状況にあるとし、「悲しいことに、我々は(顔認識ソフトウェアの)機械にはお金を払うのに、人にお金を払わない奇異な時代に生きている」と不満をもらしています。(Keefe, The New Yorker, 2016)
少し話はずれますが、以前、 ヒトのタンパク質の細胞画像の分類作業を、オンラインゲームのなかのミニ・ゲームに取り入れて、ゲームのプレーヤーにしてもらうことで、非常に短期的に効率よく学術的な業績をあげたディスカバリー・プロジェクトという、ゲーミフィケーションの事例についてとりあげたことがあります(「ゲームをしながら社会に貢献? 〜進化するゲームの最新事情」)。これを企画した研究者は、素人に分類に託す意義について、不規則な形と数で存在し、画像によって重なったり欠損しているようにみえるものも多い細胞の画像を分類する作業は、 多少の訓練を受ければ、専門家でなくても難しいものではない。しかし同じことをコンピューターにやらせるためには、非常に複雑で膨大なプログラムが必要であり、コンピューターにやらせるのは採算を考えると、現実的ではないと説明していました。
顔認識・確定作業は、このゲーミフィケーションのプロジェクトと類似した状況にあるように思われます。顔認識は人間(この場合、すべての人ではなく、スーパー・レコグナイザーに限られますが)が得意な分野である一方、同じことをコンピューターにやらせるには膨大なデータと非常に複雑なプログラムが必要です。このため、人とコンピューターで、現在、どちらが採算に合うかは明白です。数年後にはテクノロジーが人の認識・確定能力を超えることも考えられますが、それぞれの現時点で、優れたもの、採算があうものを評価・尊重し、その技術を最大限活かすことは、意味があることのように思われます。つまり、現在実際にスーパーレコグナイザーが優れた能力を発揮していることは、将来如何に関係なく、全うに評価こそされるべきで、過小な評価やそれを取り入れることへの消極的な姿勢は妥当ではないでしょう。
特に、スーパー・レコグナイザーたちの能力は、近年発見されたばかりでありで学問的には研究が浅いものの、社会での広い汎用の可能性があることを考えると、顔認識ソフトの開発のほうにだけ偏って社会の関心が向かうのは非常にもったいないように思われます。むしろ、今いるスーパー・レコグナイザーの能力をより活用する方向に積極的に研究が進み、治安、防犯のためにもっと利用範囲が広がることを期待したいです。
人間の能力を補完あるいはより活かすためのテクノロジー
ただし、現状においてスーパー・レコグナイザーが、顔の認識ソフトウェアより圧倒的に優位であるということだけで、将来のことはわかりません。将来、認識ソフトの需要が高ければ、顔認識ソフトは技術的にさらに向上するでしょうから、スーパー・レコグナイザーとテクノロジーとの競争は、これからも続いていくことになるでしょう。スーパー・レコグナイザーに限らず、現代は、医学から音楽まで、現代は、コンピューター技術や人工知能などのテクノロジーとの競争にさらされない領域はほとんどないといってもいいほど、従来の職業のあり方根幹から問われる時代です。
一方、人間の能力は使わなければ萎えていくという特徴があります。ナビゲーションが便利に発達すれば自分で道を見つける能力は退化しますし、字を自ら紙に書かなくなれば、記憶していたはずの漢字も忘れて書けなくなります。スーパー・レコグナイザーの能力も潜在的なものを評価し活かす場がなければ、社会において失われた能力となります。最終的に、映画『ウォーリーWall-E』
のように(テクノロジーがすべての面倒なことを代行してくれる宇宙船のなかで、歩くこともままならなるほど身体的に退化してしまった人間がでてきます)、テクノロジーに委ねることが多くなることで、人が使う能力範囲が狭まっていき、能力が劣化の一途をたどるのが、私たちの好ましい未来なのでしょうか。
理想をいえば、人とコンピューターがお互いに学び合い、競い合い、補完し合うような関係でより仕事の質や効率をあげていくことができたらベストでしょう。それと同時に、人の能力をおしのけるテクノロジーの開発ではなく、人の能力を育て、維持・発揮させることやそのような環境をつくること自体を、将来のテクノロジーの大切な役割、課題として真剣に目指すべきなのかもしれません。
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参考サイト
<英語>
グリニッジ大学の心理学者Josh Davisが開発した、自分がスーパー・レコグナイザーなのかを調べられるオンラインのテスト
Russell, R., Duchaine, B., & Nakayama, K. (2009) Super-recognizers: People with extraordinary face recognition ability. Psychonomic Bulletin & Review, 16(2): 252-257.
Sarfraz Manzoor, You look familiar: on patrol with the Met’s super-recognisers, The Guardian, Saturday 5 November 2016.
Patrick Radden Keefe, The Detectives Who Never Forget a Face, The New Yorker, August 22, 2016.
Katrin bennhold, London Police ‘Super Recognizer’ Walks Beat With a Facebook of the Mind, The New York Times, Oct. 9, 2015.
<ドイツ語>
Denis Mohr, Wie Super-Recognizer die Köln-Täter jagen, Erkennungs-Künstler,19.04.2016, t-online.de
Ich erkenne dich, “Super Recognizer” ermitteln wegen Silvester, 3sat, 20.07.2016
http://www.3sat.de/mediathek/?mode=play&obj=60504
Nadine Zeller, Ich kenne dich, Süddeutsche Zeitung, 11.7.2016.
Nadine Zeller, Boom der biometrischen Erkennung Lauter bekannte Gesichter, HAZ -Hannoversche Allgemeine Zeitung, 29.7.2016.
Nadine Zeller, Super Recognizer, Scotland-Yard-Spezialisten in Köln im Einsatz, General-Anzeiger, Wissenschaft, 30.10.2016.
Morten Freidel, Die Ermittler, die sich jedes Gesicht merken, Frankfurter Allgemeine, 1.1.2017.
Christina Hucklenbroich, Super-Recognizer Sie nannten ihn „Orakel”, Feuilleton, Frankfuter Allgemeine, 3.3.2016.
Gioia Forster, Super-Recogniser Manche Menschen erinnern sich an alle Gesichter, Die Welt, 27.10.2016.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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