「スイス・メイド」や「メイド・イン・ジャーマニー」の復活 〜ヨーロッパの街角に現れるハイテク工場

「スイス・メイド」や「メイド・イン・ジャーマニー」の復活 〜ヨーロッパの街角に現れるハイテク工場

2017-01-20

元旦の新聞と言えば、新年がどんな年になるのかを予想する特集が組まれるのが日本でも恒例ですが、今年最初のスイスの主要日刊新聞『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥンク(NZZ)』紙面でも、未来の展望が特集記事として掲載されていました 。そこで取り上げられたトレンドの一つで、一面の見出しにもなっていたものに、スイスに再び産業の生産拠点が戻るという予想がありました。同様の国内への製造業回帰の予想はドイツのメディアでも、昨年からたびたびでてきています。一体なにが根拠となって、このような予想になるのでしょう。今回は、近年のスイスとドイツのメディアの記事を参考にしながら、この予想の背景と具体的な動向についてまとめてみたいと思います。誤解がないように念のため最初にお伝えしておきますが、ここで取り上げるのは、技術革新による生産効率や採算性、また近年の先進国での消費スタイルや、企業の人材確保の思惑など、様々な要素を配慮して導かれた見解であって、自国の産業や雇用を守ろうとするがために政府が市場や産業界に介入するといったたぐいの話ではありません。
ハイテクの新型工場
1990年代始めにスイス国内に80万人ほどいた製造業の就業者は、四半世紀をすぎた今日では、その頃の4分の3にまで減少しています。1980年代以降アジアを中心に海外移転をする製造業社が増えたためです。しかし予想では、減少傾向はピークを迎え、今後は、むしろ海外から生産拠点を再びスイスにもどす製造業者が増えてくるといいます。
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昔の紡績工場風景

ただし、製造業が戻ってくるといってもここで想定されているのは、かつての工場とはかなり異なる形態のものです。新しい工場には、ロボットや3DプリンターなどIoT技術を駆使したハイテク機械や装置がならび、生産工程はほぼ完全自動化され、いわゆるブルーカラーの従業員はいません。このような未来型工場のモデルとしてよく引き合いにだされるのが、隣国ドイツのスポーツ用品メーカーの大手アディダスが作った「スピードファクトリーSpeedfactory」と呼ばれる工場です。
途上国の労働集約型の工場からドイツのハイテク工場「スピードファクトリー」へ
これまでアディダスは、もっぱら中国などのアジアの途上国で靴を生産してきました。 手作業の工程が多い労働集約型の産業であるため 、人件費が安い国々で生産されるのが、理にかなっているようにみえました。しかし、人件費が抑えられる一方、いくつかの問題もありました。まず、生産から販売までのタイムラグです。商品は海上輸送のため、アジアで靴が仕上がってから、ヨーロッパの店に着くまで、 6−8週間もかかっていました。また、これは途上国に限った問題ではありませんが、靴は天然皮革や合成ゴムなど様々な原料からなる100以上のパーツでできているため、まず別々の場所でそれぞれのパーツを生産し、それらを工場まで運びこむという工程が製造前にあり、それぞれ手間や輸送コストがかかり、経費や時間的なロスになっていました。
しかし、数年前まで不可能と思われていた、やわらかい生地や皮の縫製や加工作業を全自動でする技術が数年前に開発され、さらに3Dプリンター技術が向上したことなどから、多様なパーツが一つの工場で生産できるようになり、突如、デザインを決めてからたった5時間で一つの工場で靴を製造することが可能になりました。しかも完全自動化した工場でロボットが作業を行うおかげで、週7日、24時間生産できます。
ドイツを本社とするアディダスは、このような靴づくりの環境や条件の急変にいちはやく反応し、新型工場「スピードファクトリー」を建設しました。4600㎡の工場は2017年の今年から製造を開始し、年間50万足を製造する予定です。アディダスにとっては、自国ドイツでの靴の生産は実に30年ぶりにとなるといいます。同様の工場は、すでに北米アトランタにおいても建設中で、二つの工場を合わせて、年間100万足が生産される予定です。さらに、ほかの西側諸国での同様の工場の建設も計画中だそうです 。
デザイン、製造、顧客との関係における新たな可能性
このようにしてできあがる新たなメイド・イン・ジャーマニーの靴は今のところ、一足180ユーロほどする、かなり高価なものが想定されていますが、このような生産体制をとることで、生産の時間短縮だけでなく、デザインや製造方法、また顧客への対応や関係において、これまでの靴の生産では考えられなかったような様々な新たな可能性がでできました。
まず、デザインから生産までの大幅な時間短縮によって、刻々と変わる人気や流行を敏感にとらえてデザインや生産量を調整できます。またすべてデジタル化した工程は、様々な新しい商品やビジネス・モデルをつくりだせる可能性があります。パーツの材質や色などのデザインを、顧客自身が自ら行い、自分のオリジナルでオンリーワンの靴を注目・生産することも可能でしょうし、それらの個々の顧客の趣向をデータ化することで、企業にとっても将来の商品の改良や開発のための貴重な分析資料として活用できます。
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また、大量消費よりもこだわりや愛着をもって長く保持することをよしとする、レス・イズ・モアのライフスタイルは、今日先進国でかなり支持者をもつようになってきていますが、このような消費行動や生活スタイルをモットーとする人々にとって、量産型でない生産のあり方自体が、好意的に受け入れられる可能性があります。輸送距離が短くなることで環境負荷も減り、地域経済振興にもつながることも、社会で全面的に高く評価されるでしょう。
これらをトータルして、新型工場のモデルは、近い将来、製造業の主流とはならないにせよ、先進国の人々の間に、これまでの生産販売ルートのオータナティブとして定着してい という予想が導きだされます。
街角に現れる工場
ところで新しい工場は、大量生産を前提としたものでないため、従来の工場よりコンパクトになります。スイス最大の家電メーカーV-Zugも2018年からハイテク工場を始動させる予定ですが、新しい工場面積はこれまでの工場面積の33%にとどまります。工場が小規模になることは、市街地の一角にも工場ができやすくなることを意味します。
名高いドイツのフラウンホーファー経済研究所のデジタル・エンジニアリング専門家のレンテス氏Joachim Lentesは、都市に生産拠点ができることは、企業、都市、従業員、また都市住民それぞれに利点があり、相乗的な効果が期待できるといいます。
まず、企業にとっては、生産拠点がドイツの都市部にあることで、市場や顧客との距離がぐっと近くなります。顧客がみずから工場に試作品を試しに行ったり、完成品を取りに行ったりすることもでき、製造業者が顧客と直接的な接点をもつこともできます。雇用面からみると、工場はオートメーション化が徹底されることでブルーカラーの従業員はほとんど雇用されませんが、エンジニアや総括責任者などの従業員の雇用はすすみます。アディダスの最新工場でも、 160人の従業員が働く工場となる見通しです。そこで働く従業員にとっては、街中に職場があることで、職住が近くなり、よりフレキシブルに働くことも可能となります。
都市の行政や都市住民全般にも大きな恩恵があります。企業や従業員たちがもちこむ様々な要素や新たな需要で町は活性化され、会社や従業員が支払う税金で都市の財政も潤います。
優秀な人材の確保
これらの点に加えて、企業にとっては、優秀な人材を確保しやすくなるという点も都市に拠点を持つことの大きな利点の一つとなります。
近年、外国に働きに行きたがらないスイス人やヨーロッパ人が増えてきているとたびたび報道されます。詳細な理由は不明ですが、パートナーや子供などの家族への配慮が大きいためと考えられます。パートナーの仕事や、子供の教育環境、また家族が安全で健康に生活できるかといった居住環境をトータルで考え、海外でキャリアを積むチャンスよりも、あえて自国(あるいは類似した環境をもつ先進国)に留まって仕事と私生活を堅実に両立・充実させたいと考える人が増えているようです。特に優秀な技術者や研究者、高いポジションにある人ほど、海外を避ける傾向が強いといいます。
このような現象を逆に解釈すると、海外に拠点を移さなければ、豊富な人材をより容易に確保できることになります。特に、国内でも特に産業だけでなく教育や生活空間としての機能もあわせもつ都市では、仕事と私生活の両立をさせやすい環境が整っているため、より人材の確保が容易になります。
スイスのチューリッヒにあるグーグル社は、会社の立地場所の選択に人材確保を意識している企業の好例です。2004年に設立されたチューリッヒのグーグル社には現在2000人が就業しており、すでに北米以外で最大の会社規模ですが、今後さらにチューリッヒに二つ目のオフィスをつくり、世界から優秀な学生が集まってくるチューリッヒ工科大学からの卒業生を中心に毎年200人規模で新しい人材を入れ、2021年までに5千人にスタッフを増やす計画であるといいます。
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チューリッヒの町並み

研究機関との共同研究や開発も、都市では実現しやすくなります。スイスはこれまで6年間連続で世界のイノベーション度を評価する世界ランキング「グローバル・イノベーション・インデックス(GII)」で1位の座を占めていますが、企業と研究機関の連携は、そのイノベーションの主要なエンジンです。高度な技術を追求する企業にとっては、今後一層、各研究機関との連携の重要性が増すことでしょう (詳しくは、「スイスのイノベーション環境 〜グローバル・イノベーション・インデックス (GII)一位の国の実像」をご参照ください)。
途上国の課題
さて、ここまで新しく生産拠点がつくられる側の話だけをみてきましたが 、 現在多くの製造工場が置かれている途上国からみれば、このような変化は、少なからぬ打撃となったり、いつ雇用が切られるかという将来の不安の種となる可能性があります。この点については、今回扱うテーマの範囲を超えているため、これ以上議論することは避けますが、これらの国や地域の指導的な立場にある人たちは、今後の先進国の製造業の動向を見守りながら、事態が実際に大きく変化する前から、自国でどのような対応策や検討の余地があるのかを具体的に考えることが大切なのではないかと思います 。
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参考文献
—-途上国から先進国への生産拠点回帰について
Charlotte Jacquemart, Die Industrie kehrt in die Schweiz zurück, NZZ am Sonntag, 1.1.2017.
Charlotte Jacquemart, Die Weltveränderer, NZZ am Sonntag,1.1.2017.
„Swiss made” blühlt wieder, NZZ am Sonntag, 28.8.2016.
—-アディダスの「スピードファクトリー」について
adidas errichtet erste SPEEDFACTORY in Deutschland, adidas group, 09.12 2015.
Joachim Lentes, Mit Industrie 4.0 zur urbanen Produktion. Impulsvortrag zum1. Think Tank - Urbane Produktion, 17.02.2015.
Andreas Menn, Peter Steinkirchner, Unikate vom Fliessband, Wirschaft, 2.9.2016.
—-都市の生産拠点について
Joachim Lentes氏の「アーバン・プロダクション」のサイト
Joachim Lentes, Mit Industrie 4.0 zur urbanen Produktion. Impulsvortrag zum1. Think Tank - Urbane Produktion, 17.02.2015.
—-企業の人材確保問題について
Mobile Schweizer Chefs - verzweifelt gesucht, Multis auf Personalsuche, NZZ, 6.12.2016, 07:10 Uhr
Dominik Feldges, Mobilität von Schweizer Arbeitskräften. Ein Volk von Sesselklebern?, NZZ, 6.12.2016.
Dominik Feldges Keine Lust auf Auslandeinsätze, Rekrutierung von Spezialisten in der Schweiz, NZZ, 6.12.2016.
Kampf um die klügsten Köpfe, NZZ am Sonntag, 16.10.2016.
Nino Maspoli, «Zürich war die beste Idee, die wir je hatten», Zweiter Google-Standort, NZZ, 17.1.2017.
—-その他
Ein Industrieareal öffnet sich, NZZ, 22.1.2014.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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