ヨーロッパの広告にみえる社会の関心と無関心 〜スイス公正委員会による広告自主規制を例に
2017-06-07
街角や新聞、インターネット上の広告で、不適切あるいは誤解を招く内容だと感じるものがあった場合、日本でもスイスでも広告審査機関に苦情を寄せたり、問い合わせをすることができます。企業の多国籍化や、ネットショッピングのグローバル化が進む現代においては、広告も各国似通ってきて、企業広告やそれへの苦情もまた、各国で類似してきているのでしょうか。
スイスの代表的な広告審査機関である「スイス公正委員会 Schweizer Lauterkeitskommission」によると、近年分野を問わず広告界で横断的に増えているのが、性差別に関する苦情だといいます。一方、日本では、インターネット上のバナー広告表現などが低俗だという苦情はたびたびあるものの、苦情自体も、また苦情へ下す審査機構の判断基準においても、「性差別的」かどうかが争点になるケースは、(少なくとも日本広告審査機構がインターネットで公表している報告を、今回調べた限りでは)みあたりません。
広告が、単にモノを売るための情報であるだけでなく、社会や時代を映すひとつの鏡でもあるように、寄せられる苦情の内容や、委員会の判断もまた、それぞれの時代の関心や価値観、感性などを強く反映しているのだと考えると、日本とスイスの間の現在の苦情の差異は、社会での関心や問題意識の差異そのものをあらわしていると言えるでしょう。
ただし、これから先も関心や問題意識や理解が、違ったままであるとは限りません。日本でも、次第にスイスの今の状況のように、「性差別的」な表現か否かが、近い将来、広告業界において大きな争点になることも十分考えられます。また現在、日本人の間では問題意識にのぼっていなくても、スイスやほかのヨーロッパから日本にやってくる人たちが、どんな視線で、現在の日本の広告を眺めているかを知る上でも、ヨーロッパの広告に対する関心のなかでも今日、大きな比重が置かれている「性差別的」 という概念と、それが広告の表現として具体的にどんなことを意味するのかを、把握しておくことは有益でしょう。
このため、今回は、現在のスイスにおいて広告における「性差別」的な広告表現とはどう定義・理解されており、そう判断されたものは、社会においてどう処理されているのかについて、広告の管理・点検・審査を目的として1966年から活動している中立的な独立機関であるスイス公正委員会の活動を中心にご紹介してみたいと思います。後半は、そのような「性差別」への厳しい監視の目をくぐり、あるいはそのような厳しい環境を逆に追い風にして、逆に増えている新しい広告の傾向についても注目し、今後、広告がさらにどのように変化していく可能性があるかについても一考を加えてみたいと思います。
「性差別的」な表現とは
繰り返しになりますが、現代の広告界で苦情が頻繁にでているのが、「性差別(セクシズム)」というテーマです。特に2012年以降に増加傾向が強まり、毎年平均12%、苦情や相談件数が増えています。昨年は、スイス公正委員会によせられた広告に対する全苦情296件のうちの約10%が、 そのような性差別的(セクシズム)に関する苦情でした。
性差別的な表現とは、暴力的なシーンや公共空間で不快感を与える女性の姿や服装など端的な表現にとどまりません。女性や家事、男性は仕事といったステレオタイプ的な性別の役割分担を強調・助長するものや、特定の性別イメージを植え付ける表象の仕方も問題になります。
具体的にどのようなことかを、チューリッヒ市の同等課に所属する男女同権の専門家で、スイス公正委員会の顧問でもあるデルングス氏Anja Derungsのあげる端的な例からみてみましょう。デルングス氏は、こどもたちを対象にした中世の騎士の服の展示や販売において、男の子だけを対象にするのは、女の子が騎士(やその服)に関心がないと決めつけていることになり、男女の役割のステレオタイプを「セメント化」するものとして不適切ということになるといいます(今年5月のラジオ番組「トレンド」でのインタビュー)。
このたった一例からもわかるように、性差別に対する意識・関心は、大人の男女間の問題に限ったものではなく、老若男女の広い領域に及んでおり、将来、社会で活躍する若者や子どもたちが、性差別的な偏見や限定的な思考に縛られず、職業や生き方を選択できるようにするための道筋を示すことにも、大きな注意が払われていることがわかります。個人的には、史実(実際に存在した騎士の性別を含めた特徴)が、男女同権の配慮に比べると、過少に評価されていて、あまりよい例とは思いませんが、このような男女同権擁護の姿勢が、現在のヨーロッパにおいて、公式に全面に押し出されていることは事実です 。
ただし、総論として男女同権に誰も異論がないとしても、ほかにも問題があります。具体的な表現において、なにをどこまで表象することで差別になるのかという各論、詳細の問題です。実際に表現として可能か不可能かの線引きは難しく、判断は人(の世代、社会・文化背景、地域など)によって異なる部分が大きく、たびたび物議をかもします。特に挑発的なビジュアル表現でインパクトをねらうファッション部門の広告については、「性差別的(セクシズム)」なのか、単なる「セクシーな」表象(で無害)なのかで、よく意見が分かれます。
このため公正委員会では、性差別の専門家も、広告審議委員会に顧問に迎えることで、性差別の苦情がでた広告に対して、迅速に適切な対応をとるための体制を整えています。
スイスの公正委員会とメディアの公共圏の抑制力
次に、問題があると思われる広告は、具体的にどのように処理されるのかについてみてみましょう。まず、スイスの公共圏にある広告について(海外の企業の広告でも、スイス国内で広告されているものであればこれに該当します)疑問をもつ場合、誰でも原則として無料で、スイス公正委員会に苦情や相談の申し立てをすることができます。
受理された案件は、広告主である産業界、メディア界だけでなく、消費者からも代表者が加わった委員会で審議されます。そして苦情がでた広告が、不適切と判断された場合、委員会はその見解を広告主に伝えます。見解を受けた広告主が、そのあと広告をとりやめたり改善する場合は、それで話がすみますが、その後も、広告主が広告を取り下げない場合は、委員会は、その広告主(会社の名前)を、メディアで公表することになります。
委員会はあくまで自主的な審査機関であり、法的な強制力は一切もっていません。もともと企業が自由な経済活動の一環として広告をするなかで、問題に巻き込まれることを最小限にとどめることが委員会の意図であり、検閲のように自由な広告表現に直接圧力を加えるものではありません。しかし、「公表する」という手段は、実際には、社会的な圧力(影響力)としてかなりの有効な手段のようです。
というのも、「不適切な広告」の広告主として公表されることは、企業側にとって大きなマイナスのダメージを与えると恐れられているためです。このため、ほとんどの広告主は、 委員会から見解が伝えられた時点で、委員会の見解を重く受け止め、広告を取り下げたり、改善の努力をするといいます。
スイスでは、公正委員会以外にも、公共性を味方につけて影響力(圧力)を保っているメディアがいくつかあり、これらが多様な広告を網羅し、望ましくない広告を排除する有効なフィルターとして機能しています。代表的なものとして、まず、国営放送で消費者と企業の間のトラブルや問題について専門に扱う番組があります。毎週ドイツ語とフランス語の放送局で放送されるものや、毎朝ドイツ語圏放送されている番組があり、どちらも定評があり、長寿番組としてスイスで広く視聴されています。これらの番組の調査結果とリンクした形で隔週で発行される消費者雑誌「 K-Tipp」も、発行部数25万部、購読者数92万人以上の大きな影響力をもつメディアです。これらの消費者の立場にたった公正なメディアのおかげで、性差別的なものや名誉毀損になる広告が公共の場にたとえでてきたとしても、これら様々な次元の監視機能の網にかかり、99%はただちに除去されるしくみになっているといいます(Jakrlin, 2017)。
広告のなかに現れる男性像
このように現代のスイスでは、常に目を光らせて、広告が、性差別がない公平な広告であるかをチェックしているのですが、興味深いことに、このチェック体制で死角に入っている人たちがいます。これらの人たちは、広告のなかで、視聴者の笑いの対象となるような、粗野だったり不器用な役回りを頻繁に果たしているにもかかわらず、少なくともヨーロッパの現状では特に問題視されずに、広告として流され続けています。
それは、一体、どんな人たちでしょう。ほかでもない、白人の男性です。昨年の雑誌『ワトソン』に掲載された「女性が広告で愚かしく表現されると、性差別的だ。では、男性ではいいのか?」という記事もこのことを扱っていました。この記事によると、情けない役回りの白人男性の広告が、なぜ性差別的な広告として自粛対象にならないのかついては、諸説あるようですが、重要なのは、白人男性は(広告される社会において)社会的弱者でもマイノリティーでもないという事実のようです。このため、男性がコミカルな役になっていても、それを視聴する側は、社会的な差別を助長するものとはとらえず、他愛ないコメディのように受けいれられるというしくみになっているようです。(Ramazani, 2016)
確かに、広告で苦情の的になるのは、通常、社会で弱い立場にいる人(あるいはそう思われている人)がばかにされるような表象や、その人たちの社会的に不公平な立場をより助長したり凝り固めるような表象する場合です。今日の欧米社会において、一般的にこのような立場から一番遠い(、と少なくとも社会で思われている)人たちが白人男性であり、逆に言えば、コミカルな役回りが広告で演じられていることは、一番社会的地位も権力もある地位にいることの証であるといえるのかもしれません。
ただし、スイスのこのような白人男性のコミカルな広告スタイルも、広告界が差別に敏感に反応するようになった今という時代の産物であるにすぎず、近い将来には消失する運命かもしれません。消失するパターンは、いくつが考えられるでしょう。そのようなステレオタイプ像が広告で増えることで、次第にあきられるということからかもしれませんし、性差別の対象を男性にも拡大して、男性を広告の笑いものにしてはいけないという配慮や圧力が社会に大きくなるからかもしれません。
あるいは、もっと大きな社会の根底からの変化からかもしれません。 今後、男女同権が叫ばれ、それに追随する政策や文化が定着していく、数十年という時間的なタームを経て、男性をどうみるか、あるいは男性自身が自分たちをどうみるかが、根幹的に変わっていくことは、十分予想されます。そうなると、今の広告に表象されるような男性の広告は、違和感を覚えるだけで、意味がなくなるでしょう。
おわりに
このように現代のスイスの広告をみていくと、単に、その社会で「映し出していいもの」を映し出しているだけでなく、「映し出してはいけないもの(差別となるもの)」が何であるかも暗に示しているようであることがわかります。時代で望ましくないというものを覆い隠し、見せてもいい「美しいもの」だけをみせようとしているのだとすれば、広告は、単なる時代を映す鏡というよりは、白雪姫の継母がもっていた魔法の鏡に近いのかもしれません。
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<参考サイト>
——広告における「性差別」的表現について
Sex und Sexismus: Die verrückte Welt der Werbung, Solothurner Zeitung, 17.11.2010.
Sexistische oder «sexy» Werbung?(スイス公正委員会のサイトの一部)
Sexistische Werbung, Stadt Zürich (2017年6月3日)
Christoph Bernet, «Body Shaming:» SBB sollen auf sexistische Werbung verzichten, Schweiz am Wochenende, 18.6.2016
Anja Derungs, Gerechtigkeit - auch für Männer, Von Blog-Redaktion, Tagesanzeiger, 20. März 2017
——スイスの広告を監視する監視機関やメディアについて
スイス公正委員会公式サイト Lauterkaitskommission
50 Jahre unlautere Werbung, Trend, SRF, 13.5.2017. (性差別的な広告については特に15分40秒ごろから)
Olivia Müller, «Stark sexualisierte Werbung wird von einem Grossteil der Bevölkerung nicht goutiert», Dore Heim, Expertin der Lauterkeitskommission, im Gespräch mit Bernerzeitung.ch/Newsnet, 19.4.2012.
Lahor Jakrlin, Wer kontrolliert die Werbung?, kf-NEWS, Medien, 5.4.2017.
——男性の広告での表象のされ方について
Kian Ramezani, Frauen in der Werbung als blöd hinzustellen, ist sexistisch. Und bei Männern ist es ok?, Watson, 15.11.2016.
Gardener, lawyer, Why are men being portrayed as idiots in TV commercials?, Quora, 6 Answers(2017年5月30日閲覧)
Chanchal Biswas, Den Mann als Trottel hinzustellen, hilft euch Frauen auch nicht, NZZ, 25.3.2017.
——その他
公益社団法人日本広告審査機構公式サイト(2017年5月末閲覧)
野崎 佳奈子、「特集1 ネット広告の相談と問題点」『国民生活』(2016.8)、5−7頁。
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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