ヨーロッパに押し寄せる「医療ツーリズム」と「医療ウェルネス」の波 〜ホテル化する医療施設と医療施設化するホテル

ヨーロッパに押し寄せる「医療ツーリズム」と「医療ウェルネス」の波 〜ホテル化する医療施設と医療施設化するホテル

2017-06-25

夏季の休暇シーズンが近づいてきました。今回と次回では、ヨーロッパのツーリズム業界での新たな動きについて、ご紹介したいと思います。今回は、「医療ツーリズム medical tourism」と「医療ウェルネスmedical wellness」という世界的なトレンドに注目し、医療と観光が結びついて、どのような新しい展開をとげようとしているのかを、ドイツを中心にみていきたいと思います。
世界的に広がる医療ツーリズム
海外旅行にでるのは、健康な人たちばかりではない、それが最近のツーリズムの常識になってきています。希望する医療行為を受けるために国境をこえて旅行する人たちが、 増えているためです。「医療ツーリズム」と呼ばれるこのような医療目的の海外旅行は、ツーリズム業界でも近年急成長しているジャンルで、今年開催されたベルリン国際ツーリズム・マーケット展でも、医療ツーリズムを専門とする独立専門機関による世界の優良医療機関(病院)のランキングがはじめて発表されました。
このランキングでは、ドイツのハンブルクの病院が一位にランクされたのですが、これは、これまでの医療ツーリズムの発展経緯から考えると、意外な結果であったとも言えます。というのも、これまでの医療ツーリズムの圧倒的多数は、医療経費が安い国へ向かう旅であったためです。ドイツ語圏では、治療費が高い歯科の治療のためにわざわざ東欧の国に行くという人の話をよく聞きますが、世界的にみると、医療ツーリズムの中心はアジアです。世界全体の医療ツーリズムの3分の2がアジアへ向かうものと言われており、インドだけでも、アジアやアフリカの途上国などから年間約50万人が、医療行為を受けるために訪れていると推定されています。実際、ランキング10位以内にはいった病院の国をみると、レバノン、インド、シンガポール、マレーシア、カナダ、ヨルダン、タイ、メキシコ、トルコとなっており、アジアを中心に先進国よりも全般に物価が安い国々に、海外からの患者を受け入れる優秀な医療機関が多いことがわかります。
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先進国でも活発になってきた医療ツーリズム
その一方で、政情や治安が安定しており滞在が快適な先進国で、医療を受けることの魅力も大きいようです。ドイツでは、2015年の1年間で、総計25万5000人 が ドイツの医療サービスを利用するために外国から訪れています。これは前年比で、1.4%の増加、ドイツの全体の医療サービス利用者の0.5%にあたります。
ドイツの医療機関を目指してくる人たちは、世界のどこからくるのでしょう。数年前まで、ロシアと旧ソ連の国ぐにからの来訪が圧倒的多数でしたが、2015年は、自国の経済悪化の影響が大きかったようで、前年比で3割以上もドイツへの来訪者数が減りました。他方、ほかのヨーロッパ諸国やアラビア(ペルシア)湾沿岸の国々からの来訪が増えています。特にアラビア湾岸の国々からの医療ツーリズムの伸長が顕著で、2016年は前年比で17%増で、サウジアラビアだけに限れば34%増、クウェートからは19%増えています。
海外から治療にくる人たちは、治療とその前後、その国に滞在することになります。この結果、ほかのツーリズム同様に、医療施設だけでなくほかの分野にもお金が落とされて、地域への少なからぬ経済効果を生みだします。ハンブルク観光局のアルバートセン氏の、60歳のサウジアラビア人がドイツに腰の手術で来る場合の概算をご紹介してみましょう。病院経費が12万ユーロ、往復の航空機代が1万、ホテルの宿泊とサービス代が7千ユーロ、そのほかの滞在費(娯楽や買い物など)が6000ユーロで、一人の患者が治療するだけで、総計で14万3000ユーロものお金が落とされることになるとしています。逆にみると、ドイツに医療ツーリズムために来訪する人たちは、このような膨大な費用を支払うことが可能な富裕層であるということでもあります。
これだけ聞くと、医療ツーリズムは、先進国にとってもかなり魅力的なビジネスのようにも聞こえます。しかし、安定して患者を呼び込めるかはまた別の問題です。ロシアや旧ソ連圏と同様に、アラビア湾岸地域も、今後の経済や政情が不安定になれば、訪問者数が大きく減少する危険があります。また、世界中に医療ツーリズムに力をいれる病院や地域が散在しているため、医療ツーリズムは、常にボーダーレスの熾烈な競争にさらされいるともいえます。
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医療ツーリズムの未来
医療ツーリズムは今後、世界的にどう展開していくのでしょうか。この点について、ヨーロッパ文化・民俗学研究者ライムグルーバー氏Leimgruberは、スイスの未来研究学会誌『スイスフューチャー』において、2035年のシナリオとして、興味深い未来像を提示していますので、参考までに、以下、抜粋しご紹介します。
まず健康は、仕事や親戚の訪問と並び、将来の旅行の主要な理由・モチベーションであり、このため、今後も自己の健康のため、世界をまたにかけて、専門医や専門ケアを受けにいく人々が一層増えるでしょう。これに伴い、病院や医療機関は、ほかの企業と同様に、個々の国々の枠に収まらないグローバルな団体(企業)として世界的に展開するようになるとも予測されます。同時に、北米は肥満問題、アジアはバーンアウトの治療、ブラジルや中南米は美容整形外科手術といったように、それぞれの地域によって強い専門分野が生まれ、発展していくようになるかもしれません。
もちろん将来においても、地域に根ざした医療がなくなることはないでしょうが、技術や費用面を考慮し、可能なかぎり最適・最高の治療を求めて、医療機会を海外に求める人が、今後途上国、先進国を問わず増えていくのかもしれません。
医療ウェルネス
一方、多様な要望にこたえてくれる医療サービスを求める動きは、国境を越える医療ツーリズムだけの話だけではありません。近年、ヨーロッパでは、病院などの既存の医療機関以外にも医療サービスを提供する業者が増えており、患者や顧客の細かなニーズに対応した医療サービスが新たなビジネスとなりつつあります。
そのような新しい医療サービス分野は、一般に「医療ウェルネス」と言われています。もともと、日本の湯地治療の伝統に匹敵するような、スパの伝統がヨーロッパにも長くあり、その伝統を受け継いで、ウェルネス産業が大きく発展してきました。「ウェルネス」とは、医療機関に頼るのではなく、自分たちが自主的に行う健康を意識したスポーツや食事の摂取などの活動や、それに関するサービス全般を表す概念で、ヨーロッパでは1990年代以降、食事からレジャー、ホテル施設まで様々な場面で、頻繁に使われるようになりました。(詳細についてには、「ウェルネス ヨーロッパの健康志向の現状と将来」をご参照ください)
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ウェルネス人気の世界的な潮流に大きな変化はありませんが、ヨーロッパでは、ウェルネスの分野が、高齢者の要望に対応して拡大し、単なる一般的なウェルネス(マッサージやスパなど、健康を全般に促進するサービスや施設)にとどまらず、医療行為や予防医療をかねた旅行(滞在)が、新たなトレンドとなってきました。それが「医療ウェルネス」です。
医療ウェルネスとは、一般的に医師やほかの医療専門資格を者による正式な医療行為であると理解されており、国家に公式に認定された医療専門家がたずさわるという意味で、一般的なマッサージや美容に関わる諸々のサービスなどの「ウェルネス」領域から差異化されます。具体的には、高齢者を対象とした医療行為がついた滞在や宿泊コースや、通常医療機関や在宅医療(訪問診療)で受ける医療サービスを、ホテルでも受けられるようになっていることを指します。
今後、高齢化が一層進む近い将来に、医療サービスがついた旅行やホテルの滞在の需要はさらに高まることが予想され、ルツェルンの観光経済研究所のルマン氏は、2016年のインタビューで、当時スイスのウェルネス産業全体の1割を占めるにすぎなかった医療ウェルネスが、すでに2020年までに15%まで増えると予測しています(Jankovsky, 2016)。
おわりに
医療ツーリズムの増加によって、病院やクリニックでは、外国からの客の滞在がより快適なものとなるように新たな配慮や細かな対応が迫られるようになってきています。一方、医療ウェルネスの需要をうけ、もともとは医療ではなく健康志向にあうサービスや施設に過ぎなかったウェルネス施設が業務を拡大あるいは医療分野に専化した形態に発展してきています。
将来、医療分野とほかの分野の境が弱まり、あるいはそれらが連結された新しい分野が形成され、これまで以上に、医療にまつわる選択肢が増えていくのかもしれません。一方、このような医療サービスのグローバル化や自由化の反動として、地域住民のための医療のサービスが低下しないように、その間のバランスをいかにとるかが、非常に重要になってくるのかもしれません。
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<参考リンク・文献>
——医療ツーリズムについて
Walter Leimgruber, Stillstand ist Bewegung -Ein Szenario 2035. In: swissfuture. Manazin für Zukunftsmonitoring 01/2015, S.9-12, S.10.
Medizintourismus in der Schweiz. In: SRF, 13.11.2016.
Julia Witte genannt Vedder, Medizintourismus Reicher Saudi mit Hüftschaden gesucht. In: welt.de, 8.11.2016.
Beste Klinik weltweit in Hamburg?. In: Ärzte Zeitung online, 13.03.2017
Die 10 besten Krankenhäuser der Welt für Medizintourismus. In: Travel Book, 09. März 2017.
Medizintourismus in Indien: - Von Ayurveda bis zur Herz-OP. In: SWR, Wissen, 23.5.2017.
Medizintourismus, Wikipedia (Deutsch)(2017年6月12日閲覧)
——医療ウェルネスについて
Davide Scruzzi, Spitäler und Hoteliers kooperieren, Gesundheitstourismus soll noch wichtiger werden. In: NZZ, 10.8.2015.
Peter Jankovsky, Gesundheitstourismus hilft den Randregionen (Kommentar). In: NZZ, 1.11.2016.
Peter Jankovsky, Medical Wellness zum wirtschaftlichen Wohl. In: NZZ, 1.11.2016.
Spitex im Hotel. In: Echo der Zeit, SRF, 16.10.2016.
Fokus: Mehr Massnahmen für ältere Touristen. In: 10 vor 10, SRF, 12.5.2016.
Kucera, Andrea, Spital und Hotel in einem. In Lausanne ist das erste öffentlich-private Patientenhotel der Schweiz in Betrieb. In: NZZ, 18.2.2016.
Medical Wellness, Wikipedia (Deutsch) (2017年6月12日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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