人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン

人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン

2017-12-18

現在、世界中で共通して、社会でその必要性が広く認められている仕事なのに、慢性的に人出が不足しているという職業があります。子どもの保育・預かり、高齢者の世話、家事代行、荷物の配達業務といった、ケアやデリバリー分野のアウトソーシング(外部委託)化されたサービス業です。
ドイツ人のバルトマンChristoph Bartmannは、これらのアウトソーシングの仕事に従事する人たちに、前近代の階級社会にいた「奉公人Diener」との類似性を認め、今後、「奉公人」のいたような階級社会に再び戻っていくるのではないか、と2016年に刊行した著作で挑発的に問いかけました。『奉公人の再来』というタイトルのこの本は、刊行後、ドイツ語圏のメディアで広く紹介され、そこで提起された問題は、主要メディアの特集番組やルポルタージュでもたびたび注目されてきました。
この本がドイツ語圏で一定の反響をもたらしたのだとすれば、その理由はなんでしょう。一言で言えば、テクノロジーの進歩や新サービスの登場などの表面的な変化の水面下で起きていること、人々の生活や就業の変化や新しく形成されつつある社会的な役割分担システムといった複雑なテーマを、身分制社会を連想させる「奉公人」というインパクトのあるキーワードで、浮き上がらせたからではないかと思います。
今年のスイスやドイツ語圏での報道をふりかえって掘り下げる試みの最終回となる今回は、この本によって喚起された一連のテーマや問題点を整理しながら、グローバルに連鎖している社会格差の問題について少し考えてみたいと思います。
現代社会で需要が高まる職種とその労働力
現在、子どもたちの保育や、高齢者の介護・世話、また荷物の配達業務といった仕事の人手不足は先進国で例外なく共通していますが、人手が不足する直接的な理由もまた各国で共通しています。
まず、働く母親が増加したことで、家事代行や幼少の子どもを預ける需要が増えました。また、高齢者、特に自宅で可能な限り居住しようとする高齢者が増加し、身の廻りの世話や介護のニーズも大幅に増えてきています。また、社会全般に多忙な人が増え、日常生活に不自由を感じたり要望が多くなることで、オンライン・ショッピングの取引も右肩上がりで増加しており、その結果、配達業務も際限なく増大傾向にあるためです。
ケア・サービス分野でアウトソーシングが増えている理由として、そのような家庭内の仕事を第三者に委ねることに、人々の抵抗感が少なくなっているという、人々のメンタルな変化も大きいと指摘されます。特に、年配の人が自分の家の家事代行を依頼するのに根強い抵抗感があるのと反対に、若い世代では、家事代行を外部に委託することへの躊躇感が少なくなっていると、家計経済、家族研究専門家のマイアー=グレーヴェUta Meier-Gräweは言います(Nezik, 2017 )。
現代の「奉公人」
バルトマンは、ゲーテ・インスティテュート(ドイツ国内外でのドイツ語の普及と文化交流の促進を目指して設立された機関)の館長としてニューヨークに滞在した際にこの本の着想を得たといいます。今日のニューヨークでクリック一つで注文できるありとあらゆる分野のアウトソーシングのサービスは、非常に便利である反面、そのサービスの背後の実際に働く人々の就労形態やその業務を考えると、疑問が浮かんできたためでした。
ケアやデリバリー分野のアウトソーシング産業において、どのように人々が働いているのか、バルトマンの指摘やほかの報道を参考にまとめてみます。
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不安定な就労形態と低賃金
ケアやデリバリー分野のアウトソーシング産業の就労形態は、正規の就労からパートタイム、またシェアリング・エコノミーとしてくくられる不定期のミニ・ジョブ就労まであり、非常に様々で一概には言えませんが、賃金相場が低く、社会の下層に位置する人々が多く従事しています(シェアリング・エコノミーの就労に伴う問題については、「シェアリング・エコノミーに投げかけられた疑問 〜法制度、就労環境、持続可能性、生活への影響」もご参照ください)。
就労者のなかでも比較的高い割合を占めているのが、移民たちです。北米では、ラテンアメリカから、ドイツではポーランドやハンガリー、チェコなどの東欧からの移民が多く働いています。そして、そのうちのかなりの人数が、正規の労働(労働許可証なしで働いていたり、労働許可のある人でも社会保険料や税金逃れのために非公式に働くなど)ではないと推計されています。不法労働のため統計がないので推計にすぎませんが、ドイツでは270万から300万人が非公式に家の掃除しており、家事代行市場の9割を占めると推定されています(Nezik, 2017Spiegel, 2017)。
これらの仕事は、教育や資格がなくてもすぐに働けるものが多く、移民がすぐに就ける仕事を提供しているという意味では、いいことであるのですが、不法就労の実態は把握しにくく、労働組合のような連帯の絆もないため、賃上げや就労状況の改善などの交渉ができず、需要が高いのにもかかわらず、ほかの業種に比べ低賃金で、就労条件もなかなか改善されません。
グローバル・ケア・チェーン
就労する人たちの労働条件や環境だけでなく、もっと広くその人たちの出身国や人間関係も視座にいれると、さらに違う問題が浮上してきます。
先進国においては、自宅に住む高齢者の身の周りの世話や、働きに出ている親に代わって、子どものの世話や家事を代行する仕事の需要が非常に増えていますが、これらの仕事を引き受けている人の多くは、出稼ぎの外国人です。長い就労あるいは拘束時間で、住み込みの場合も多く、その割に低賃金のため、これらの仕事にあえて就こうとする人が先進国にはほとんどいないためです。
これら外国からの就労者は主に女性ですが、欧米の人々の生活を支える仕事をしている一方で、職場から遠く離れた故郷に、自分自身の子どもや高齢の親を残して働いている場合がよくあります。言い方を変えれば、それらの家族を養うために、割のいい先進国に出稼ぎにきているという構図です。
これらの女性たちは、欧米での就労を希望してきており、実際に欧米で働くことで自分の子どもの養育費を稼げるなどを考えると、このような就労形態は、ある意味では、途上国女性の社会進出や独立を推進していることになると解釈されます。一方、自分たちの子どもや家族との生活が物理的にできなくなるという大きな欠点があることも確かです。「豊かな国の共働き夫婦のニーズが、結果的に相対的に貧しい国の女性から自分の子どもを育てる機会を剥奪している」(筒井、157頁)という解釈も可能です。
バルトマンは、後者の解釈により重きを置き、豊かな国の人々が豊かさを特権として、ほかの人の家族や家族との時間をうばっていいのかと倫理的な疑問を覚え、先進国の社会の上層や中間層の人々とそこに仕える新しいサービス業就労者たちの関係を、「ネオ(新しい)封建主義」や「コロニアリズム」に陥っていると挑発します。
さらに、このような「他人の子どもを育てたお金を使って、自分の子どもを他人に育ててもら」うという関係は、もっとほかの人も巻き込んで連鎖する傾向があります。豊かな国で稼ぐ女性は、その経済力を駆使して、自分より貧しい女性を自分の子どもの世話をしてもらうために雇うというように、「ケアが二重にも三重にも『移転』」(筒井、154頁)していくためです。社会学者のホックシールドArlie Russell Hochschildは、世界的な共通してみられるこのような状況を捉え、2001年に、経済用語のサプライ・チェーンになぞらえて、世界的に連鎖する社会的現象として、 「グローバル・ケア・チェーン」と名付けました。
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利用者の意識と反響
新しいアウトソーシングのサービス部門が広がってきて、人々は、どんなサービスがあり、そのサービスがいくらか、評価はどうかなど、具体的なサービスには大いに興味を抱いても、荷物を運んでくる配達人や、家事代行を定期的に頼む会社や人自身がどんな社会背景や環境で仕事をしているのかについて関心は極めて低いものでした。換言すれば、単にサービスを享受するためにつながっているだけで、むしろお互いプライバシーに干渉せず、クリック一つでつながるネット特有の匿名性の高い取引関係であることが、このサービスの繁栄につながってきたといえるかもしれません。
自分たちがやっていることは、自由な市場取引の一端にすぎず、奴隷を使ったり、メイドをつかう英国社会は自分たちと、類似点があるとはつゆほども思っていないでしょう。サービスを提供する不法就労者や社会下層の人々を見下ろしたり、差別するつもりでもないでしょうし、奉公人を雇用していた封建的な身分制社会のころのように、一種のステイタスシンボルとして、家事労働者を雇っているという人もほとんどいないでしょう。本人たちは、ただただ必要に迫られてアウトソーシングを注文している、それだけの自覚しかない人がほとんどではないかと思われます。
そう思っていればいただけ、前近代の「奉公人」のような状況に置かれているというバルトマンのテーゼはショッキングに響き、利用者であり恩恵を受ける側にいるドイツ語圏の人々自身にとって、聞き捨てならなかったということが、この本がこれまでドイツ語圏で注目されてきた理由なのではないかと思われます。
いずれにせよ、関心があるないに関わらず、今日、南北の経済格差に由来するこれら、ケアやサービス産業就業者の問題は、特定の地域に限らずグローバルで普遍的な問題となりつつあります。このような問題にいかに取り組むべきなのでしょうか。バルトマンやほかが言及している、いくつかの具合的な提案をご紹介しましょう。
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利用者側として一定の倫理的規範をもつ
まず、近年意識が高くなっている環境への配慮と同じように、アウトソーシングのサービスに従事する就労者の就労の仕方や背景などにも配慮・留意すべきだとします。つまり、利用する側が、アウトソーシングの就業に関する問題に無関係・無関心である体質を改善し、直接関与・影響を与えることができる立場として、選択や考慮の余地があるのでは、とします。
見境なく簡単にアウトソーシングを注文する前に、それが本当に必要か、またこのサービスは適切かなど考えたり、アウトソーシングに依存しすぎないように自制すること、依存しすぎないことも重要とバルトマンはいいます。
ケア・サービス市場を改革する
またバルトマンは、アウトソーシング産業から人的労働力を減らすことが、一つの有効な解決への方向性と考えており、将来、介護などのケア産業にロボットを代行させたり機械化することに、高い期待を寄せています。
しかし、家事代行や幼児、高齢者の世話は、単なる床の掃除のような単調な作業ではなく、多様な技量が必要で、近い将来、機械やロボットで代行されることになはならないという、冷めた意見のほうが、現在のドイツ語圏では主流です。そうなると、当面、どのような方向に進むべきでしょうか。
経済倫理家のBernhard Emundsは、「家事代行や介護を委託することが非難されるべきではない。重要なのは、どんな形なのか、仕事の背後にあること」だとし、国から、代行サービスに助成金を出すべきだと主張します(Nezik, 2017)。ちなみに、ベルギーでは、2004年からすでに半民半官のサービスとして家事代行や介護サービスが始まっています。すべての市民にアウトソーシングの割引券が配布されており、市民は、国が認可する会社のサービスであれば、この券を利用してサービスを受けることができます。例えば家事代行サービスを1時間利用したければ、9〜10ユーロを自分で払えば、残りの費用(一時間につき約13ユーロ)は国が支払うしくみになっています。ベルギーでは、このように合法的なシステムに組み入れたことで、家事代行サービス会社の数が倍増し、不法でなく正規の仕事としての家事代行の雇用先が数千人分で創出されました(Nezik, 2017)。
おわりに
南北格差や社会格差に由来して新たに形成されてきた「階級的」社会においてみてきましたが、興味深いことに、雇う側と雇われる側に共通する傾向がみられるという指摘もあります。どちらの側も、仕事に追われ時間に余裕がなく、自分でこどもや高齢者などの家族の世話をする時間がなくなっているというのです(Stephan, Felix, 2016)。
社会の一方で、会社で業績をあげるように圧力がかかり、家のこともちゃんとこなさなくてはいけないというストレスが、アウトソーシング需要を押し上げています。他方、アウトソーシングに委託し家事を代行してもらい、インターネットでものを購入するなどして、自由な時間を取り戻そうとするしても、さらに新たな別の仕事を増やして、実際には、自由になった時間を、ほかの仕事にあてているだけでいるといえるような状況も多くなっているとバルトマンはいいます。
例えば、家族のために「健康的な」食事あるいは、週末にグルメな食事を作ることを、新たな生活のスタンダードとすると、そのために、これまで以上に料理に時間がかかることになります。また、商品を自分で店に取りに行かなくても済むといってもオンラインショッピングは膨大な選択肢から、値段や内容を比較して選びとろうとして、電気機器も洋服、また飛行機のチケットや宿の予約にも、気づけば、かなりの時間が費やされていることもあります。
社会において、安価な賃金で過剰な仕事量をこなしている人や、アウトソーシングを駆使して自由時間を作っても、やらなくてはいけない(と思われる)ことが多くて、時間に結局追われている人が増えて行くとすると、どんな時代になるのでしょう。ネツィクは、ルポルタージュの最後で「社会が、みんなが働き、誰も、お互いに世話をする機会がなくなるというのでは、進歩とは呼べないのでは」(Nezik, 2017)、と読者に問います。
こう考えると、バルトマンが指摘する階級的な社会構造や分化する就労のあり方といった問題は、実は、もっと根幹のところで、人々の時間の使い方やその捉え方(なにをしていることに価値を置くかといった費やす時間に対する価値規範)という、「時間」をめぐる別の問題にぶつかっているということなのかもしれません。バルトマンの問題提起は示唆に富みますが、結論を急がず、これを議論のスタート地点にして、今後さらに、多様な角度からの観察や、包括的な分析が続いて行くことが期待されます。
<参考文献・リンク>
Bartmann, Christoph: Die Rückkehr der Diener. Das neue Bürgertum und sein Personal. München 2016. Hanser Verlag.
Bitter, Sabine et al., Das Comeback von Concierge und Zugehfrau. In: SRF, Kontext, 9. November 2016, 9:02 Uhr.
Christoph Bartmann: «Die Rückkehr der Diener». In: SRF, Tagesgespräch, Dienstag, 23. August 2016, 13:00 Uhr.
Erleben wir die Rückkehr der Diener? In: NZZ, Leserdebatte, 11.2.2017, 10:00 Uhr.
Nezik, Ann-Kathrin, Die neuen Diener. In: Der Spiegel, 24.11.2017.
Roth, Jenni, «Man vermeidet jedes Gefühl von Nähe». In: NZZ, 10.2.2017, 05:30 Uhr.
Stachura, Elisabeth, Auf dem Rücken der anderen. In: Spektrum, Rezension, 24.3.2017.
Stephan, Felix, “Die Rückkehr der Diener”: Der Kindermädchen-Jetset. In: Zeit Online, 28.10.2016.
筒井淳也『結婚と家族のこれから』光文社、2016年。
Timmler, Virien, Zum Glück gekauft. In: Süddeutsche Zeitung, Donnerstag, 27. Juli 2017.
Unsere neuen Diener. Die neuen Diener sind Putzfrauen, Au- pair-Mädchen, Baby- oder Hunde-Sitter. Essay über Ausbeutung. In: Süddeutsche Zeitung, 26. August 2016, 16:34 Uhr.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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