「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ
2018-03-09
今月初め、チューリヒである異文化間コミュニケーションについてのワークショップに参加しました。ワークショップの担当者は、対話を通じ異なる意見や文化の人々を橋渡ししようとする地道な活動が注目され、昨年からドイツや世界のメディアにたびたび登場しているクルド系ドイツ人のアリ・ジャンAli Can という人物です。ワークショップで紹介されたジャン氏のこれまでの歩みや手法、また話し合いの内容は、日本のこれからの時代においても、示唆に富む内容だと思いましたので、今回抜粋して紹介してみたいと思います。
※ワークショップは、チューリヒにある宗教改革者ツヴィングリの住宅を改装してつくられた文化センター「クンストハウス・ヘルフェレイ」で月一度行われているSchule des Handelns の催しの一部として開催されたものです。
旧東ドイツへの旅
ジャン氏をとりわけ世界的に有名にしたのは「悩める人たちのためのホットライン
」という、匿名で誰でも無料で電話できるホットラインの設置です。まずこれがはじまった経緯が説明されました。
2015年ごろからシリアの内戦が激しくなり、ドイツに大勢の難民申請者が入ってくると、難民を助けようとする個人や組織の活動が活発になった反面、難民受け入れを強く反対するデモや深刻な個人への攻撃も多発しました。強い嫌悪感をあからさまに示すドイツ人の姿をみて、どうしてこれほど強い嫌悪感があるのか。同じドイツ社会に生きていく者として、このような人たちとどうやっていけばいいか、なにか道はあるのか、自分には一体なにができるのか、とジャン氏は自問します。
周囲の友人や家族にそのことを相談しても、どうせそういう人たちはいるし、状況も変わらないと、一般化されたステレオタイプ的な意見ばかりでした。しかし、批判したり、悪態をつくだけでは、なにも役に立たないと考え、なにか違う道がないか模索を続け、まずは、メディアやほかの人の意見からではなく、自分自身で、外国出身者への嫌悪感が強い人々について知ろうと思いたちます。そして1週間ひとり旧東ドイツへ旅にでかけます。
反外国人勢力が強いとメディアで報道される地域を集中して訪ね歩き、反イスラム・難民を訴える「西洋のイスラム化に反対する愛国的な欧州人」(略称「ペギーダ」)の集会にも参加し、その場にいる人たちとの対話をこころみます。典型的なドイツ人の風貌とはかけ離れ、東ドイツの方言をしゃべることもできない若い一学生のジャン氏は、どこにいっても最初は猜疑的な視線を感じましたが、人々や地元の文化について敬意や興味を示し、丁寧な態度で話しかけると、返答してくれる人にも出会うようになります。
旅で得た二つの知見
試行錯誤でひとり旅の場を踏んでいくうちに、ふたつのことが強く実感されるようになります。
ひとつは、イスラム教徒や難民について危惧していて人のなかで、実際にそれらの人と接触したことがない人が多いこと。そしてもう一つは、おたがい攻撃的な態度でなく、心から(個人的に心を開いて、相手に興味と敬意をもって)対話ができれば、なにか共通の信頼関係がつくりだせるという実感です。
ホットラインの誕生
旅を終えたあとに、旅で知り合った女性から電話がありました。先日、外国人に道をたずねられ、教えたら何度もお礼を言われ、好感が持てた、とうれしそうに報告する電話でした。
この電話と旅の実感が織り交ざり、ジャン氏はあることを思いつきます。世の中には外国出身者やイスラム教徒にまつわるテーマで心配をしている人が少なからずいる。しかも心配ごとがあっても、心配についてまわりにそれを公平に、また真摯に聞いてくれる人がいなく、心配が高じて、閉鎖的、あるいは攻撃的な態度に転じることもある。ならば、心配な人が気軽に自分の心配や問題と感じるものを話し、不安を解消できるような機会をつくれないか、と。そうして設置されたのが「悩める人たちのためのホットライン」でした。
早速ホットラインをスタートさせると、次第にメディアで注目されるようになります。昨年は、これまでの数百人との対話の体験をテーマごとにまとめて、『悩める人たちのためのホットライン。あなたに信頼される難民申請者からの回答』と題する本も出版されました。実際のホットラインでの数百人と交わした対話の内容を、戯曲風に四つのテーマでまとめたものです。電話機の背後にいる人々の一筋縄ではとらえられない複雑な感情(怒り、戸惑い、大切に思うものを失うのではないかという危惧など)がわかりやすく描き出されているだけでなく、電話のやりとりをしていくうちに、信頼関係がうまれ、電話口にいる人が質問に答えながら、自分のなかの感情や問題を整理して理解していく様子を、読者も追体験できるような構成になっています。
評判や知名度が高まったおかげで、ホットラインが寄付でまかなえるようになっただけでなく、ジャンさん以外に、ドイツ人2名、オーストリア人、ヨルダン出身のアラビア語もできる女性もホットラインに加わって、毎晩電話を受けられるようになりました。現在、グーグルの検索マシーンで「ホットライン」とドイツ語で検索するとどこでも上位にでてくるほど、この「悩める人たちのためのホットライン」は、ホットラインとしても知名度が高くなっているそうです。
ただし、心配な人がかなり多いと推測される東ドイツからの電話は、相対的に少ないそうです。旧東ドイツ側からが少ないのには様々な理由が考えられますが、ひとつは方言や文化的な違いが大きいのではと、ジャン氏は推測します。もちろん標準ドイツ語でも話は通じますが、そこで育ったわけでもないジャン氏が、文化的な差異や方言のニュアンスを汲み取ることは簡単ではないでしょうし、不信感が強い旧東ドイツの住人も多いのかもしれません。それ故、今年、東ドイツのザクセン州が同様のホットラインを独自に開設することになったことは、ジャン氏は大きな進展として高く評価しています。
対話をみて感じたこと
ワークショップでは、異文化間のコミュニケーションについて様々な角度から話し合われましたが、わたしにとってとりわけ強く印象に強く残ったのは、後半にジャン氏の短いビデオをみて(本文下の参考サイトに掲載してあります)、具体的な対話の方法ややりとりの背景について話し合ったことでした。
ビデオは、昨年のクリスマスがせまるドレスデンの街頭や「ペギーダ」の集会会場で、ジャン氏と会話する人々のやりとりを、国営放送の放送用に3分に編集したものです。カメラが回っているなかでの応答であり、しかも短く編集したビデオなので、前後や背景などはわかりませんが、難民や移民にノーの意思をあらわに示す集会に参加している人たちが、ジャン氏と実際にやりとりしている様子をかいまみることができます。
そのなかで、ペギーダの集会にいるところをみると難民や移民に不満をもつ人なのかと思いきや、突如自分の住居には空いている部屋があるから二人のシリアからの難民に貸せると発言する若者がいました。話を聞いていたジャン氏自身もこの若者から、こんな発言が飛び出すとはおもわず内心驚いたそうですが、どうしてこんな発言があったのだろう、とワークショップ参加者に問いかけました。
まず、わたしには、人の考えや意見は複雑だし矛盾も多く含んでいて簡単にステレオタイプ化できないことを、よく示しているように思えました。ペギーダのデモに出ているからといって、こういう人間だと決めつけることが、いかに薄氷を踏むような危ないうすっぺらな判断であるかを、ビデオは、なにより雄弁に物語っているように思えました。
同時に、対話をしているうちに自分でも気付かなかった心のなかのもうひとつの声が飛び出してくることがたびたびありますが、今回もそのような感じで、言っている本人も内心は自分の発言に驚いたかもしれないとも考えました。ジャン氏は対話のなかで、相手への敬意を示しながら、たびたび中立的な質問することが上手なのですが(詳細についてはぜひ彼の本を実際にみていただきたいのですが、残念ながらまだ邦訳はでていません)、質問されることで対話者が自分の考えや意見に対して、これまでと違う視点から話しがみえてきたり、ジャン氏との間に共通の理解をみつけることが、たびたびあるようです。
考えてゆけばゆくほど、ビデオのなかの若者が、どこにでもいそうな身近な存在に思え、異質というより親しみの方が強くなります。このようなことが、ジャン氏が言う、同じ目の高さでお互いに敬意をもって対話するときに自然に生じてくる相手への信頼感なのかなと思いました。
(ビデオには出てきませんが)ジャン氏との対話のあと、一人の男性は、その人自身非常に経済的に厳しい状況にあるにも関わらず、難民のためにといって10ユーロ寄付したといいます。その男性も、話している間に硬直した感情や問題意識がゆるみ、これまでとは違うパースペクティブがみえたのかもしれません。
一方、短く編集され、そつなく仕上げた国営放送局のビデオは、一種のいいとこ取りのそつないクリスマスの「いい話」にされているような印象も受けました。クリスマス前のヨーロッパは「許し」や「慈愛」が、教会だけでなくメディアでも強調される季節です。このため、ジャン氏になくても、すくなくとも放送局側は、年末の平和なきもちを楽しみたい視聴者への期待を裏切らない、旧東ドイツ地方からの希望を伝えるメッセージにしたいという意図を少なからず、このビデオにこめていたのではないかと推測しました。そういう簡単で安っぽい物語にされてしまうことは、本来ジャン氏の目指す意図をかえって伝わりにくくし、危険であるとも感じました。
敵対するのではなく共通の目的のために
ワークショップの参加者から、ジャン氏がこれまで、幾度も直接デモや右翼の集合場所に出没し、現在ではメディアで大きく報道されるようになって、身の危険を感じることはあるか、という質問も出されました。
ジャン氏は深刻なものはこれまでなかったと返答し、その理由として、自分の行動は、誰かに対し敵対しようとするものではなかったからではないか、と答えました。そして、常にこころがけているのが、相手を蚊帳の外において、あいつらはこうだ、と論じることではなくübereinaner、相手とともにnebeneinander 話し合うことであり、誰かを批判したり文句や愚痴をいうのではなく、なにか共通の目標や目的を考えるようにしてきた、と補足しました。
もちろん自分の意向を他者がいつもその通り理解してくれるわけではありませんし、たとえこの動きに警戒する人がいることも十分考えられます。しかし、対立や相手の怒りをあおるものでない以上、たとえ、ジャン氏が気に入らなかったとしても、批判の矛先をジャン氏にあからさまに向けることも難しいのかもしれません。
対話という手法
ワークショップにはひとつの目標や解答があるわけではなく、参加者それぞれが議論しながら何かを感じ、それをメモして持ち帰るという形で終了しましたが、著作を読んだり、ワークショップ前日に個人的にインタビューさせてもらい、ジャン氏の対話手法について自分なりにもう少し考えてみました。
ジャン氏がドイツで始めた対話による社会の融和への取り組みは、まだ始まったばかりであり、どのような局面と規模でどれだけ社会や人々に浸透するのか未知数です。このため、取り組みがはじまったばかりのこのような手法に対して、単なる理想論を語っているにすぎず、現実的な問題の解決にはならないと一蹴し、切り捨てることは、いとも簡単です。
しかし、どうなのでしょう。ほかのこれまでのやり方のどれが、ドイツの難民や移民問題や(あるいは世界どこにおいても社会で対立する問題において)実際に、このような方法より生産的で有力だったと言えるでしょうか。意見の対立が大きな溝をつくっている社会において、その対立を緩和しようとする時、お互い意見を戦わせ、どちらも議論で相手を負かそうと息巻いても、結局平行線に終わり、相手を批判したり罵倒することや、暴力にものを言わせることと同じくらい、解決はおろか対立の深化しか生み出していないのが現実のように思われます。
一方、対話という手法はどうでしょう。強い信頼関係を築いたり、まして安定した合意にたどりつくことはもちろん簡単ではありませんが、相手を打ち負かすための否定や批判は目標にはなく、感情に身をまかせた攻撃的態度もしりぞけられることが大きな特徴です。その代わりに、お互いに聞く耳をもち、お互いを尊重する基本的な態度をもつことを重視し、まずは人が出会う場、人がお互いに敬意をもって出会える機会や場所、それを作ることをつくることからはじめます。このような、解決や正誤を求める視座から全くはずれたアプローチには、ほかの手法とは違う手応え、進展の可能性があるように感じています。
これからの展望
わたしの所感はさておき、一人の学生が模索しはじめた対話という社会の融和のためのアプローチは、現在、社会の期待の渦の最中にあるようです。
特に昨年秋に「憎悪と人種主義への抗議」デモをベルリンでジャン氏が主催して以降は、BBCや、ニューヨークタイムズやアルジャジーラなど世界的なメディアでも注目されるようになり、現在は、ヨーロッパを中心に世界中から400件以上の問い合わせに追われているといいます。ジャン氏によると、日本のNHKも昨年秋にはジャン氏の密着取材を行い、その内容は4分半のドキュメントとして、日本国内で報道されたといいます(残念ながらNHKの放送内容は国外からのアクセスが厳しく制限されているため、わたし自身はその内容を確認することができていませんでした)。
ジャン氏自身の活動自体も、さらなる発展の途上にあります。これまでのホットラインや各地でのワークショップの活動に加え、社会企業家から委託されて、北ドイツ・ルール地方の都市エッセンの都心部に平和のための対話センター(仮称)を今年5月からオープンさせる予定だといいます。建物内には、宗教や若者組織など様々な組織の拠点や、平和的な対話のためなどの研修ルーム、また共同して利用できる出会いの場所をつくり、様々な人々が対話するための物理的な場所を提供することを目標としているそうです。
おわりに
ジャン氏は、1995年にトルコからの難民家族の長男として2歳半でドイツに渡ってきて、2007年までは暫時滞留許可しか持たずドイツ国内の移動も制限されていました。その後教育学部の大学生となり、ひとりではじめた活動が、1年半もしないのに、これほど支持者を広げるまでに急発展しました。なんの後ろ盾もなかったジャン氏のこのような飛躍的な活動の展開自体に、移民や難民にも開かれたドイツ社会のこれからの可能性を感じます。
また今後、お互いを尊重する対話がドイツだけでなく世界中に広がることを期待したいと思います。
<参考文献・サイト>
Can, Ali, Hotline für besorgte Bürger. Antworten vom Asylbewerber Ihres Vertrauens, 2017.
「悩める人たちのためのホットライン」のホームページ
ビデオ 「PEGIDA Adventssingen Friedlich mit ALI CAN」
Schule des Handels のホームページ
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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