「体験」をもとめる社会心理と市場経済 〜「体験」をキーワードに再構成される産業と文化施設
2019-02-06
前回、文化施設や小売業界など多岐にわたる分野でみられる「体験」志向について概観してみました(「すべては「体験」を目指す 〜ショッピング、博物館、ツーリズムにみえる「体験」志向」)。今回は「体験」志向に読み取ることができる社会心理や、関係する消費パターンに注目し、分析してみたいと思います。
なぜ、今、体験なのか。背景の社会心理
ところで、今、なぜ「体験」がそれほどもてはやされるのでしょうか。
一言で言えば、「体験」を介さないで済まされることが、今日あまりにも多くなり、そのような時勢が、逆に「体験」への関心や需要を刺激している、と言えるのではないかと思います。例えば、オンラインで視覚を中心にした様々な情報を入手・視聴したり、買い求めることが簡単にできますし、フェイクニュースやディープニュースのような本物まがいの偽物が横行しています。このような時代だからこそ、現場にいくこと、本物を体験することの価値を相対的に高め、「体験」重視の風潮を押し上げているのでしょう。
このような時代の波は、旧態然の博物館のあり方にも影響を与えるようになりました。従来型の視覚的な情報に依存する展示だけでは、物理的な博物館という「現場」に行く意義を、人々にアピールすることが難しくなるためです。結果として、前回みたように、博物館もまた、視覚的展示から「体験」的な展示にしたり、ワークショップのような「体験」を付加するという「体験」重視のあり方を模索しています。
あえて本物をみにいくことの価値が高まったことで、同様に、ツーリズムも、これまでにないほど需要の高まりをみせています(「ツーリズムの未来 〜オーストリアのアルプス・ツーリズムの場合」「観光ビジネスと住民の生活 〜アムステルダムではじまった「バランスのとれた都市」への挑戦」)。
一方、ツーリズムの中身をよくみると、これまでとは違う部分、変化も観察されます。かつてカメラが普及したてのころは、観光客はこぞって、カメラをもって、世界中の景色をカメラに収めることで満足できたのに、今日は、そのような視覚情報を入手するだけの旅行でも物足りなくなる傾向がまっています。
ビデオや画像として記録するという受動的な行為よりも、なにかもう少し能動的なことがしたい。そこでしかできないことをして、自分が確かにそこにいた実感をもちたい。そんな人たちのために本物に触れる「体験」が、旅行の中心的な目的となってきました。これは、これまでの「そこに行ったことを示す」記録のアリバイにかわり、体験というディープなアリバイが重視されるようになった、という言い方ができるかもしれません。
「体験」が新たな消費の正当な理由を生む?
ところで、現代は全般に、所有ではなくシェアの時代であるともよく言われます(「シェアリング・エコノミーを支持する人とその社会的背景 〜ドイツの調査結果からみえるもの」)。このようなライフスタイルが流行る背景には、環境不可の少ない生活を目指そうという意向ももちろんありますが、社会にものが溢れるようになって久しく、顕示的な消費(それを消費・所有していることを人に見てもらうことが、とりわけ重要な目的であるような消費)や消費全般の意欲が社会で全般に薄らいでいることも大きいでしょう(Meier, 2018)。
ただし、顕示的消費や消費全般の意欲が減っていることが、ただちに、潜在的な消費意欲がないことを意味するとは限りません。適切な場所と適切なコンテクスト(流れや状況)ができることで、潜在的な消費意欲が再び高まることは十分考えられます。
その端的な例と思われるものを、前回あげたチョコレート工場に付随する大きなチョコレート販売店で観察しました。広い店頭には、ほとんどチョコレートしか売っていませんが、レジの行列に並ぶ人たちのかごのなかは、どれも、チョコレートでいっぱいだったのです。普段スーパーの店内で、こんなに多くのチョコレートをかごにいれて、いっぺんに購入しようとする人を、まずみかけることはありません。ではなぜ、ここでは、こんなにチョコレートばかり大量に買う人が続出したのでしょう。
それは、チョコレート工場に付設する店頭で売られているチョコレートには、たとえそれらが普通のスーパーでも購入できるものであったとしても、特別の(客観的にははかることができない、純粋に主観的な)付加価値がついたからだと思われます。わざわざ自ら訪問した、ということでついた付加価値や、そこを訪問したことの思い出としての付加価値、と説明できるでしょう。そのような特別な価値をもったチョコレートは、ほかのものとは違い、自分や家族へ買ってかえるに値する「質」があるものとなり、(普通ならちょっと買いすぎなのでは、と思うような躊躇がなくなり)大量に購入することになったのでしょう。
つまり、「体験」は、特別の付加価値を商品にも与えることになり、それに起因して、購買意欲を一気に高まらせる効果をうむことがある、ということになります。無論、「体験」する機会があまりに増えて、ありきたりになれば、状況は変わるでしょうが、現状、少なくともしばらくは、新たな購買意欲が「体験」から派生し、消費を押し上げるパターンは、重要な購買・消費ルートになる可能性があります。
まとめてみると、「体験」志向を市場調査の観点からとらえると、二つの重視すべきポイントがあるといえるでしょう。ひとつは、臨場感などを演出し、それが強い「体験」だと感じられるようにするなど、体験自体の中身を充実させること。今まで体験したことのない「体験」をできることが、買い物から博物館まで、これまでにないほど広範囲の分野でもとめられているためです。同時に、その「体験」の好感がさめやらない時にタイミングよく、体験に関連して付加価値がついた商品が購入できるような適切な場所をつくることです。
店舗、博物館と生産拠点の間で消えていく境界
店頭販売で「本物により近づける」演出や実演が重視され、博物館もまた、本来の視覚的な展示を突き抜けた、よりリアルな展示や「体験」の場を提供するように努め、工場が逆に展示や見学を意識して本物をみせる場としての存在感を強めようとする。
このように、店頭と博物館と生産拠点、それぞれが、同じ「体験」を重視するアプローチに比重を移しつつあるということは、三者の境界が、あいまいになっていくことを意味します。これまで棲み分けることで、共存していたのだとすれば、これからは、お互いが部分的に競争相手となる、という側面が新たに強くなっていくということなのかもしれません。
産業と観光業がつながる時代
一方、店舗、博物館、生産拠点の間に新たな競合関係が現れる一方、これまでと違う形の協調関係を通して、違う分野がお互いに、恩恵にあずかるという構図もでてくるかもしれません。
例えば、「体験」を提供する生産拠点は、観光という新たなルートで人を地域に運びいれ、新しい観光の流れをつくり、地域社会全体の経済が飲食や宿泊によって活性化される可能性もあります。
今年、地場産業との絆が強い協同組合系のライファイゼン銀行が立ち上げた企画は、その好例としてあげられます。もともとライファイゼン銀行は、特定の口座保有者への特典として、これまで全国の400箇所以上の博物館に無料で入館できる「ミュージアム・パス」など、様々なサービスを提供してきました(「ミュージアム・パス 〜スイスで好評の全国博物館フリー・パス制度」)。
これに加えて、今年新たに加わったのが、「ブランド体験 Markenerlebnisse」という顧客への特典サービスです。これは、スイス全国にある、工業、農業、食料、医薬品、メディア、など多岐にわたる産業分野のスイスの企業や生産拠点58箇所を、4月から11月までの8ヶ月間の間、無料あるいは格安の値段で見学できるというものです。さらに、その際、国鉄を使うのであれば電車費用が40%、提携するホテルへの宿泊は50%の割引になるという特典もついており、いわば、「工場見学ツーリズム」とでも名付けたくなる、新しい社会(あるいは工場)見学型のパッケージツアーでした。
おわりに 〜「体験」のその先は
観光、博物館、店舗、生産拠点、どこにおいても、求められるようになった「体験」。もっとリアルなもの、もっと「本物」らしいものをもとめる志向は、この先、どのように続くのでしょうか。
前回と今回にわたって、今のトレンドとしてとりあげてきたことと一見矛盾するように映るかもしれませんが、わたしには、「体験」や「本物」を追求していくトレンドが一定の期間すぎると、「体験」や「本物」がありきたいでめずらしくなくなり、その志向が薄れていく、あるいは、「体験」や「本物」自体の意味するものが変化してくるかもしれない、という気がします。
図書館を例にあげてみましょう。本論では言及しませんでしたが、ヨーロッパでは公立や学校図書館においても、やはり「体験」が現在キーワードになっており、閲覧できる書棚や本の数を減らし、閲覧スペースやグループで使えるスペース、団欒できるカフェスペースなど、ほかのスペースを拡大する傾向がみられます。
しかし、現在、図書館において定義される「体験」が、絶対の必然的な「体験」の帰結ではないでしょう。むしろ、「本」に「出会う」ことなんだ、つまりあふれんばかりの書籍が並ぶ本棚があることが、まさに図書館らしい「体験の場」だ、というふうに、数十年たったとあとに、「体験」の解釈が再び動くことも十分ありえます。そうなれば、再びわたしたちがこれまでイメージしていたような、本が平然と並ぶ図書館が、再び流行するかもしれません。
ただし、そのころには、ますます電子書籍化が進んでおり、最新の雑誌や書籍類は紙媒体のものでないものも少なくないかもしれません。そうなると、古びた書籍や本棚があふれる図書館は、(これまでのわたしたちがイメージしていた)歴史的な陳列型の「博物館」的な場所になっているかもしれません。
あるいは、図書館が現在提供しはじめるようになった「体験」の意味や意義が、このまま追求されることにより、図書館の「体験」の意味は、図書館の本来の役割(紙媒体の書籍を閲覧、貸し出しするという)からどんどん切り離されていくかもしれません。そうなれば、図書館という名目の施設自体の存在意義が実質的になくなり、ほかの公共の多目的スペースと差異のない、one of themの「体験」の場所にすぎくなっていくのかもしれません。
まとめると、「体験」流行の真っ只中の今だからこそ、「体験」という言葉におどらされず、その中身と賞味期限を吟味し、汎用範囲を検証する。そのことが、あらためて重要になってくる、ということかもしれません。
主要参考文献・サイト
Das GDI ist der Zukunft auf der Spur. In: Migros Magazin, 10. November 2018
«Shopping ist nicht mehr cool» – GDI-Podcast, 15.11.2018
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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