移民の模範生と言われる人々 〜ドイツに移住したベトナム人の半世紀

移民の模範生と言われる人々 〜ドイツに移住したベトナム人の半世紀

2019-04-03

移民をテーマにした4回のシリーズ

日本では、昨年、国内で深刻に不足する労働力を補完するため、出入国管理法を改正し新たな在留資格「特定技能1号・2号」を設けました。これによって今後5年間に海外から約34万人の人材が入ってくることが期待されています。

外国からの移住者が増えると、当然、職場だけでなく、地域社会の様々な場面で、移住者との多くの接点が生まれてきます。ショッピングやレストランなどの消費部門だけでなく、教育現場や医療現場、レジャー活動やボランティア活動領域にも、関係が築かれていき、新しい息吹が吹き込まれるのと同時に、課題や問題も生じてくることでしょう。

今回から4回にわたって、そのような「移民」をテーマとして扱ってみたいと思います。「労働力」という面に偏りがちな移民への視線を少しずらし、生き方や、受け入れ国との関係性、「労働力」としてのリスクなど普段見えにくい側面から、移民について考えていこうと思います。4回のレポートが、今後移民の就労をめぐり新しい局面に入っていく日本の状況を把握したり、将来を予想する時の、ヒントになればと思います。

具体的には、ドイツ語圏の移民に関するいくつかの旬な話題にスポットをあてていきます。まず今回は、西側諸国で共通して移民の模範生と評されることが多いベトナム出身の移民のドイツ社会での歩みについてみていきます。ベトナム人の歩みが、典型的な移民像とかけ離れたものであるため、社会で慣例的、固定的な移民の見方に執着せず、よりリアルな移民の現実やその多様性がとらえやすくなるのではないかと思います。

次回は、そのベトナムからの移民に、改めて強い期待がされているドイツの介護現場の状況と具体的な人材確保のための最新の動きについてレポートします。3回目は、海外からの人材を投入することで国内の人材不足状況が緩和されているような状況であっても、海外からの医療スタッフに依存することでかかえるリスクがあり、将来に向けての新たな課題もでてくることを、スイスの医療分野でのドイツ人の問題をみながら明らかにしていきたいと思います。そして最後の回では、ドイツの最近の事例をとりあげ、移住してきた人々との間のコミュニケーションの際に起こりうるシナリオや問題についてふまえた上で、そこでのコミュニケーションの可能性や、将来の展開の余地について考察してみたいと思います。

ドイツで異彩を放つベトナムからの移民

移民たちが、移住先の新天地で期待することはなんでしょう。平和で安定した生活、そしてできれば社会的な成功をもおさめることでしょう。このような期待感は、世界どこでもどの移民においてもほとんど変わらないと思われますが、それを実際に達成できるかには大きなばらつきがあります。正確に言えば、実現できる人は移民全体の割合では、わずかです。

しかし、世界のどこの移住先においても、ほかの国からの移民に比べ、社会への統合、とりわけ子供たち(二世代目に)の社会的な上昇に多大な資力と情熱を投じ、結果として、「成功したインテグレーションの模範例」(de Swaaf, 2016)と言われるほど、社会的な上昇を果たしている移民集団がいます。

それは、ベトナムからの移住者たちです。1970年代半ば以降、西側諸国各地にベトナムから多くの難民が移住していきましたが、同じ傾向がみられます。

ボートピープルとして入ってきた第一世代

ドイツに、ベトナムからの移民が来たのは1975年以降です。ベトナム戦争の難民としてやってきました。当時、アメリカの要請、68カ国の西側諸国が26万人の難民を受け入れることとなり、ドイツにも5万人近くが移住したといわれます。

このいわゆる「ボートピープル」と呼ばれるベトナムからの難民の受け入れについては、ドイツでは記録も研究もほとんどなく、不明な点が多いのですが、当時、ドイツ社会全体に歓迎する雰囲気が強く、そのことがベトナム人にも心理的に肯定的に働き、ドイツ社会に問題なく着実に根を下ろしていったと、歴史家オルトマーJochen Oltmerは言います(de Swaaf, 2016)。

ちなみに、東ドイツ側にも、1950年代から社会主義国間の連帯や協力関係という名目で、留学や労働目的でベトナム人が移住していきます。

ドイツの教育制度をばねに跳躍する第二世代

ドイツに移住してきたベトナム人たちの軌跡を、多数派の行動様式からまとめると以下のようなものであったようです。

ドイツに来た第一世代の大半は、故郷のベトナムで高い教育課程を受けていなかったにも関わらず、ドイツに来るとすぐ、自分のこどもたちの教育に熱心に取り組みはじめます。これだけ聞くと特別なことに聞こえないかもしれませんが、ほかの移民たちと比べると、それほど当たり前なことではありません。学歴が低い外国からの移民たちは、子どもの教育に熱心とは限らず、まして、貧困家庭では、こどもの学習が最優先されることは決して多くないためです。しかしベトナム人の家庭では、親の学歴が低いにも関わらず、子どもたちを、最初から、職業教育課程ではなくギムナジウムと呼ばれる(大学進学を前提とする)ドイツのエリート教育機関にいれることを目標にすることが多かったようです。

ただし、ドイツ語力の不足や、自分自身が長時間労働をしていたため、親が、直接こどもの面倒をみていたわけではありません。具体的になにをしていたかというと、小さいころから子どもたちに、小さい頃から保育園にあずけるなどしてドイツ人ほど流暢になるようドイツ語の習得をさせる学習環境を整え、必要ならば、低所得であっても、こどものたまに家庭教師を雇うなど、こどもの学習におしまず投資をしました。もちろん同時に、こどもたちに優秀な成績をとるよう、強く要望もします。

そのような親たちの要望を子どもたちは重く受け止め、おおむね、まじめに学業に取り組みます。最初に定住した難民収容施設などの、狭くプライバシーが少なく喧騒が絶えない住居に住んでいる子供たちも、全く同じように、努力する人が多かったようです。

この結果、二世代目以降の学歴は一気にあがっていきます。最終的に、高収入で社会的な地位も高い、医師や技師、研究者になる人も多くでてきました(de Swaaf, 2016)。現在、ギムナジウム(大学進学を前提とした教育課程で、いわゆるエリート校)にいくドイツ在住ベトナム人の割合は64%です。これはドイツ人よりも2割も高い水準です(Beglinger, 2017)。

このようにベトナム人自身が努力したことが、社会的な上昇のもっとも大きな要素でしょうが、ドイツという国が、義務教育から大学まで、基本的に学費が(公立であれば)かからず、優秀でさえあれば、高い学歴に達することができる恵まれた教育環境であったことも、第二世代が高学歴になるのに決定的に大きかったと思われます。

旧東ドイツ側に在住するベトナム人は、1980年代、冷戦締結前後に急激に失業者が増え、貧困に陥ったり、犯罪組織との関係が取りざたされた時期もありましたが、ドイツ統一後の1990年代以降の若者世代の多くは、西側ドイツの第二世代同様に、学業で優秀な成績をおさめ、社会的上昇するというサクセスストーリーを実現していくようになりました(Spiewak, 2009)。

他の国での類似する状況

1970年代半ば以降、西側諸国で主に暮らす海外在住のベトナム人の数は現在約4百万人いると言われます。アメリカ、オーストラリア、フランスなど、移り住んでいった国は多様ですが、共通して、2世代(20年)以内に、どの移民よりも社会的な統合(インテグレーション)がうまくいっていると指摘されます。

例えば、2015年にアメリカでキューバとベトナムからの難民を比較する研究がありましたが、これによると移住したころは、同じくらい英語ができず、教育程度も同じくらい低かったものの、現在は、貧困ラインより下にあるキューバ人が65%であるのに対し、ベトナムは35%のみであり、失業率はベトナム人よりキューバ人のほうがずっと高いという結果がでています。Beglinger, 2017.

アメリカでは今日ベトナム移民的の人が全部で180万人いますが、すでにベトナム系の住人の平均収入は53 000ドルで、アメリカ人の平均収入よりも高い(49 000 ドル)よりも高くなっています(Beglinger, 2017)。

インテグレーション理論が通用しないベトナム人

このようなベトナム人の目覚ましい社会へのインテグレーションは、西側諸国であまりに一般的になっており、特別のことではないようにみえますが、改めて考えると、すごいことに違いありません。

なぜ、ほかの移民では不可能なことが、ベトナム人の間では、しかもたった二世代分の時間で可能となったのでしょうか。そのことについて触れる前に、基本的な社会の見解で、一般的な移民政策の指針ともなっている理解との兼ね合いについて指摘しておきたいと思います。

ヨーロッパでは、先ほども少し触れましたが、教育水準と社会の貧困とを関連して理解されることが一般的です。まず、貧しい家庭であれば、教育に関心が低い。あるいはたとえ親が教育に関心もっていたとしても、貧しい家庭ではこどもの教育レベルをあげるのが難しい。つまりそのような教育機会の「不平等」があるため、それを緩和するために、様々な改革案が思案されたり、実際に導入されてきました(スイスの例は、「急成長中のスイスの補習授業ビジネス 〜塾業界とネットを介した学習支援」)

また、親の学歴とこどもの教育への熱心さが関連あるという見解もよくみかけます。大学卒の親は、自分たちのこどもたちに高い学歴をつけさせようと非常に熱心であり、逆に学歴が低い親は、大学などの高学歴にそれほどの関心や熱意をもたない、というものです。

しかし、この二つの一般的にも学問的にも高い支持を得ている見解は、ベトナム人の事例をみると、ことごとく反証されてしまいます(Spiewak, 2009, Beglinger, 2017)。学歴が低く、貧困層としてドイツでの生活をスタートさせたにも関わらず、二世代の間に、ドイツ人よりも人口比で2割も高いギムナジウム進学率にいたったということは、ベトナム人のこどもたちの進学率をあげるために、貧困を克服することも、学歴の低い親に子供への教育への関心を高めるよう働きかける必要もなかったことになります。

しかし、だからといって、このベトナム人の反証例を、ほかの移民たちの場合にもあてはめようとするとそれもまた、無理があります。貧しい人が多く学歴も低い場合が多い移民たちは、通常、こどもの進学率が低いためです。トルコやイタリア系の移民のギムナジウム進学率は、ベトナム人の5分の1以下です(Beglinger, 2017)。

儒教圏という解釈

つまり、このインテグレーションの理論に照らし合わせると、ベトナム人が、移民のなかでは、例外であり、ベトナム人のドイツ社会での成功を説明するのに、インテグレーションの王道の理論とは別の説明が必要ということになります。

それでは、どのような説が適切なのでしょうか。移民をグループに細分化してそこに説明や解釈をつけようとすることは、ステレオタイプ化を助長し、区分した一方に対し人種差別的な偏見をもつという危険に近づくことにもなります(Beglinger, 2017)。このため、このような説明には慎重さが必要ですが、受け入れ先の社会の在りようや、受け入れ体制に違いがあっても、インテグレーションがうまくいっているため、ベトナム人自身になにか、ほかの移民と異なる特徴があることは確かです。

一つの解釈として、現在、学際的にも広く受け入れられているのは、ベトナムに長く根付いている儒教思想やそれに基いた社会に根付いた実践パターンが大きな役割を果たしているというものです(de Swaaf, 2016, Beglinger, 2017)。

儒教の影響が強いアジアの国々では、ベトナムに限らず、教育が伝統的に重視されます。このため、親が、子どもの教育を親の最大の課題のように考えている場合も多いとされます。ザンクト・ガレン大学の経済教育学者 ドゥブスRolf Dubsによると、教育の在り方も儒教圏では独特だといいます。秩序や、教師などの教え方にのっとった統制された(自由でない)学び方が重んじられます(Beglinger, 2017)(この説にとってみれば、ドイツのほかの東アジアを中心とする国々の移民たちも、勤勉で、ベトナム系移民と同じような社会的上昇の傾向が強いことになりますが、ベトナム以外のアジアの国からの移民がベトナムほど大量にいないことと、比較できる調査も見当たらなかったため、ここではこれ以上、ほかの東アジアの移民については追及しません)。

この結果、よくいえば、どんな子供にもその子の学力が伸びると信じてあきらめず、平等にチャンスをあげようとする、姿勢といえますが、悪く言えば、子供に、成績優秀でなくてはならないというプレッシャーを常に与えることになります。

ちなみにこれは、中学卒業と同時に7割が職業訓練課程に進むスイスとは非常に対照的です。スイスでは、子どもの学業的な能力を子供の能力の一部分としか見ず、中学までの学校の成績でめざましいものがない生徒には、学業の道(ギムナジウム)に進むことをすすめず、むしろ、自分に合った職業教育を受けながら実践的な能力や技術を熟達させることを奨励します(「進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み」)。

一方、社会へのインテグレーションに関して、ベトナム人のなかに、最近、興味深い新しい傾向が認められるようになりました。ドイツのベトナムからの移民について詳しいボイヒリングOlaf Beuchlingによると、数年前から、ベトナム系移民の子どもでも、インテグレーションが進んでいる子どもたちほど(つまりほかのドイツの子どもたちのなかに溶け込んでいる子どもたちほど)、学校の成績が下がるという新しい傾向が観察されるといいます(Beglinger, 2017)。

世代が進んでいくと、移民の故郷の文化や生活、親への期待にどう応えるべきかなどの倫理的な感覚なども、少しずつ変わってくる、という一般的な現象については、ベトナム人とても例外ではないようです。成績の下がり方は顕著なものではないそうですが、子供たちがドイツ社会になじめばなじむほど、逆に学業的には成績が下がりやすいという、この新しい現象は、ドイツ社会での子供たちの社会的な成功をなにより至上課題としている親世代にとっては、少し皮肉なことかもしれません。

おわりに

ベトナム人がドイツやほかの西側諸国に移住した地でそれぞれたどってきた軌跡はかなり特別ですが、同時に、そうであるのに、ほかの国からの移民たちに比べ、「ほとんど耳にすることがないし、見出しにのることもない」(Beglinger, 2017)ほど、社会に目立った存在になっていません。それほど、それぞれの地域で着実にインテグレーションされ(当地でも受け入れられている)てきた、ということなのでしょう。そして、そのこと(社会で注目されることがないほど、イテグレーションが普通にうまくいっていること)が実は、一番注目に値すべきことであるかもしれません。

さて、ここからなにか、学べることはあるのでしょうか。これから移民を受け入れる社会や、将来海外に移住する可能性のある人にとって、有用な教訓として引き出せることはあるのでしょうか。『ノイエチュルヒャーテャイツング』のベトナム人移民の特集記事の最後の文は、この点淡白です。なにかベトナムの事例から教訓が導き出せるのかと期待する読者を、「ベトナム人のインテグレーションの奇跡は説明できるが、簡単に模倣できるものではない」(Beglinger, 2017)、と突き放したまま、筆を置いています。

みなさんには、ベトナム人のドイツ社会での軌跡(奇跡?)が、どのように映るでしょうか。

参考文献

Beglinger, Martin, Warum sich Vietnamesen im Westen so gut zurechtfinden und als Integrationswunder gelten. In: NZZ, 18.8.2017

Burri, Anja, Ferien, Familie oder ein neues Smartphone – warum macht uns das nicht glücklich? In: NZZ am Sonntag, 23.3.2019

de Swaaf, Kurt, Die „Boat People“ und ihre Kinder. In: deutschland.de, 07.12.2016

Lueg, Andrea, SWR2 Wissen Musterschüler aus Vietnam – Aufsteiger im deutschen Bildungssystem, Stand: 11.10.2018, 12.17 Uhr

Spiewak, Marin, Integration: Das vietnamesische Wunder, 22. Januar 2009, 7:00 Uhr Editiert am 7. Februar 2012, 23:26 Uhr Quelle: DIE ZEIT, 22.01.2009 Nr. 05

Zucker, Alain, In der Gymi-Frage zeigt man sich als Vater nicht immer von der besten Seite. In: NZZ am Sonntag, 24.3.2019, S.20.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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