男性が「女性の仕事」へ進出する時 〜みえない垣根のはずし方(1)

男性が「女性の仕事」へ進出する時 〜みえない垣根のはずし方(1)

2019-10-02

今日のヨーロッパでは、就労の在り方として、性別により進む専攻や職業選択が制限されるべきでないというだけでなく、なんらかの制限する、構造的な問題や意識上の障害があるのであれば、それをできるだけ取り除くべきだという考え方もかなり定着しています。

このため、例えば、単なる企業の商品やイメージの宣伝だけでなく社会で一定の影響力をもつと考えられる各種の広告においても、女性や家事、男性は仕事といったステレオタイプ的な性別の役割分担を強調・助長するものや、特定の性別イメージを植え付けると思われる表象がないかが配慮されます(穂鷹「ヨーロッパの広告にみえる社会の関心と無関心 〜スイス公正委員会による広告自主規制を例に」)。

その一方、男女同権が進んでいるとされる国では、近年、「(教育上の)男女平等パラドクス」とよばれる現象が観察されています。これは、男女同権が進んでいる国と男女同権が進んでいない国を比べると、前者のほうが理工学分野へ進む女性の数がむしろ少ないという、逆説的にみえる現状をさします。例えば、フィンランドやノルウェー、スウェーデンでは、グローバル・ジェンダー・ギャップ・インデックスで上位に位置し、男女同権が社会で最も進んでいるとされる国々では、大学などの高等教育課程で理工系分野を専攻する全学生のなかの女性の占める割合は25%以下にとどまっています。その一方、同じインデックスで性差による差別が大きいとされる国々のほうが、平均して理工系科目を学ぶ女性が多い傾向にあります。最たる例は、アルジェリア、チュニジア、アラブ首長国連邦で、理工系科目の卒業者の40%が女性です(Stoet and Geary, 2018)。

男女同権が社会で進み機会が均等になればなるほど、女性と男性の専攻(専門)や職業選択における性別の差異はなくなるだろうというこれまで一般的だった楽観的な予想は、根拠に乏しく現実からかけ離れていることが証明されたといえます。

一方、スイスのメガバンクUBS が今夏に発表した労働市場に関する報告書は、これまで女性が占有していた職業や専門に、大きく注目しています(UBS, 2019)。

これらの話を次々耳にすると、女性だけでなく男性にとっても、踏み入れがたい性別に典型とされる職業や専門の傾向が、今日も依然として強く残っている、という印象を受けます。それは、(広告内容を変更することなどで)先入観や事情が近い将来にお大幅に修正・改善されるといった単純に片付かない問題のようです。

では、具体的に現代ヨーロッパにおいて、どんなことが職種や専門のジェンダーフリー化の足かせとなっているのでしょうか。

今回と次回を使い、以前扱った男女平等パラドクスの議論と合わせながら、UBSの新たな報告書の内容をみていき、性別に典型的となっていた職種や専門が、どのような社会的背景と結びついているのかをさぐっていきたいと思います。そして改めてこの問題について、どのようにとらえられる(べきな)のか、少し考えてみたいと思います。

※自然科学や工学系分野の総称として、この記事では、科学・技術・工学・数学の頭文字をとって、英語圏を中心にした一般的な「STEM」という表記を用います。


スイスで50万人が参加した「女性ストライキ」(2019年6月)


世界的に観察される男女平等パラドクス

男女平等パラドクス(ジェンダー平等パラドクス)という一見矛盾に満ちているようにみえる状況について最初に指摘し、こう命名したのは2018年のGijsbert StoetとDavid C. Gearyの論文です(Stoet and Geary, 2018)。論文で調査は、2015年のピサ・テスト(OECD(経済協力開発機構)が進めている国際的な学習到達度に関する調査Programme for International Student Assessmentの頭文字をとって通常PISAと呼ばれているもの)のデータをもとに67の国と経済地域の4475000人の15歳から16歳の若者の成績を分析し、いくつかの意外と思われる点とその相関関係について考察しました。

このことについては以前「謎多き「男女平等パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」で紹介しましたので、詳しくはこちらをご覧いただきたいのですが、そこでの結論だけを抜粋すると、

●STEM科目以外に女子生徒にとって「よりよくできる科目」があり、他方STEM科目には成績の割には自信がもてないでいる。このような状況が、女子生徒が職業選択する時に大きな意味をもつ(職業選択に影響を与えている)のではと推測される。

●男女同権が進んでいる国では、自分がどんな分野が得意だとか好きだとかいう直接的な能力や願望が、職業選択に直接影響する一方、男女同権が進んでいない国では、生徒たちが住む社会的な環境が、進路決定に大きな影響を与える

より具体的に言うと、男女同権が進んでいる国では得意な分野を活かしたいという願望があって、読解のほうがSTEM科目よりも得意な女子生徒たちは、STEM分野ではなく、最終的にそれ以外の分野でのキャリアの道に進む、という方向に進みやすくなるということになります。

一方、社会的な保障が少なく、経済的にも将来への不安が大きく、男女同権が進んでいないような国々では、STEM分野のキャリアを積むことが、女性にとって安定した職や高収入のチャンスを与えてくれる数少ない進路となるため、好むと好まざるとに関わらず、STEM分野に進む女性が、相対的に増える結果になります。

ただし、このような結論(解釈)については、ほかのデータを使うと結論が矛盾することも指摘されており、完全な解釈とはいえないという批判もあり(Gender-equality)、今後さらに多様なデータからも検証されれば解釈がより洗練・緻密になり、修正される部分もでてくる可能性があります。しかしいずれにせよ、男女同権パラドクスが実際に現在観察できることは確かであり、そうなると、これをどう克服するかということは、男女同権化が進行する国々に共通する課題にもなりつつあるのではないかと思われます。

男性の進出をはばむ「女性の仕事」業界

ところで、現在のヨーロッパにおいて、女性だけが不在が目立つ職業や専門分野をもっているわけではなく、男性がほとんどいない職業分野というのもあります。典型的なのが、介護や教師、ソーシャルワーカーなど健康や社会分野での仕事です。例えばスイスでは介護士全体の9割、小学校教師では8割が女性で、州によっては低学年の担当教師の95%までが女性というところもあります。

女性不在の職業分野についてはこれまで問題視され、様々な対策や対応がとられてきた一方、これら男性が不在の職業分野についてはこれまでそれほど気に留められることがありませんでした。しかし今年7月にUBSが発表した労働市場に関する報告書『経済スイス』では、このような男性不在の職場に改めて注目し、その分野に男性が進出することの重要性を示唆しました(UBS, 2019)。

男性に独占されている職業や専門のジェンダーフリー化については、男女平等・同権を推し進めるという目的とリンクして議論されるのが一般的ですが、女性に占有されている職種のジェンダーフリー化を求めるこの報告書は、それとは異なる観点から問題が提起されていることで話題になりました。この報告書で関連する部分を、以下、まとめて紹介してみます(以下、報告書がスイス国内に限ったものであるため、スイスのみを対象としてすすめていきますが、ドイツでも同様の傾向がみられ、以下のような問題は、少なくともドイツ語圏に共通する課題であると考えられます)。

「女性の仕事」業界で期待される男性とその背景

●近年25年のスイスの労働市場の動向をみると、女性の就労が非常に大きくのびているが、その大きな理由の一つが、女性が圧倒的に多い分野の労働市場自体がとりわけ成長してきたことによる。健康や社会分野の職業で、1994年以来これらの分野の4分の3は女性が占めている状況が続いている。そして今後さらに数十年、さらにサービス分野、とりわけ医療や介護分野で市場がさらに拡大することが予測される。

●これまでは、増える労働力需要を主に女性の就労が増えることでなんとか補っていたが、すでに一部その供給は限界に達しており、今後、女性の就労人数が大きく増員されることは期待できない。すでに、教育やケアという社会に不可欠な分野で人手が深刻に不足しており、特にベビーブーマー世代が退職する数年後からは、状況がさらに悪化すると見込まれる(国の教育研究機関によると2025年には2015 年と比べ、スイス全体で12万人義務教育課程の生徒が増えると予想されている 筆者註)。

●これまで必要な労働力としてすでに多くの移民が就労しており、今後も必要な労働力を移民で補うとすると、これまでより3万人多く必要となり年間新たに10万5000人の移民の受け入れが必要となる。

●しかしこのことは、二つの新たな問題につながる恐れがある。一つは、受け入れの規模が大きくなることで政治的また社会的に移民への抵抗が強まり、かえって人の自由な移動や EU 市場が脅かされる危険がでてくること。このため移民によって労働力を増員するという策は、最初にとるべき選択肢ではない。二つ目は、EUの失業率が低くなってきたため、これまでのようにスイスが高い技術をもつ移民を、長期的に労働力として確保できるか自体がうかがわしい。

●このため、とりわけ人材が不足してるこの医療と介護業界は、「男性に魅力的になっていかなくてはならない。過去数十年間、社会は、「クラシックな男性の職業」において女性の割合をあげることに焦点をあてていたが、今後、労働市場の成長には、今後変換をする必要がある。すなわち男性が「女性の職業」に大幅に進出しなくてはならない」

つまり、この労働市場の動向について分析したこの報告書では、女性にこれまで占有されてきた職業・専門分野が広く男性に向かって開かれることの重要性が、労働市場という(これまでの職業のジェンダーフリー議論で)ほとんど重きが置かれてこなかった観点から指摘されたといえます。

おわりに

UBSの報告書は、マスメディアで大々的にとりあげられ、ケア・学校教育分野の人材不足へのこれまでにない新しい提言として、社会に一石を投じたようにみえます。一方、具体的になにをどうすべきかという議論はこれまでほとんどなく、報告から数ヶ月がたちましたが、なにも変化が見られないというのが現状です。

それはどうしてなのか。そして、どのようなことが性別典型の職業をジェンダーフリーにする突破口になるのか。次回は、これらの問題についてより踏み込んでみていきたいと思います。
※参考文献は、こちらの記事の下で一括掲載いたいます。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


PAGE TOP




MENU

CONTACT
HOME