工場地帯が活気ある街区へ 〜歴史建造物という都市資源を活用した再開発

工場地帯が活気ある街区へ 〜歴史建造物という都市資源を活用した再開発

2019-11-30

再開発に新しい道を示したとして都市計画界で評価を受けているヴィンタートゥーアのラーガープラッツの概要について、前回ご紹介しました(「「開発」しない再開発 〜都市デザインに新風を吹き込んだテンポラリーユースと年金基金」)。今回の記事では、まず、なぜ新しい再開発の在り方が、ここで可能となったのかを、鍵となる人たちにスポットをあてながら考えていきます。後半は、この事例に対する社会的な評価をみていきながら、これからの再開発におけるラーガープラッツの意義や展望について、考えてみます。


工場建屋をそのまま利用したリサイクルショップ店内

再開発の協働的パートナーとしてのアレアルの役割

この再開発の立役者の一人ブーザーは、アレアルとアーベントロートの「両方からの働きかけがうまくいったのであろう。アレアルからのアーベントロートの購入へのイニシアティブはとても重要だった。もし賃借人たちが、ただなにかが起こるのを待っていただけだったら、わたしたちも働きかけなかったし、アーベントロートも購入に向かわなかっただろう」(Stiftung 2015, S.46)とのちに回想しています。つまり、ブーザーは、このプロジェクトの成功には、購入を決断したアーベントロートだけでなく、賃借人協会アレアルの行動が非常に大きかったといっています。

都市計画賞「都市の眺め」の受賞理由では、「協働が賃借人と地主の間でプロフェッショナルに組織され、参画という「技法Kunst」に基づいて、うまく始動した」と評価されていました(Neuhaus, 2012, S.21)。

つまり、結論から先に言うと、実現が難しいと思える再開発がヴィンタートゥーアで実現できたのは、賃借人の協会アレアルとアーベントロートの協働がうまくいっていたからであり、賃借人自らの貢献もかなり大きかったということのようです。

地域協会アレアルの今日までのあゆみを改めてふりかえってみます。賃借人たちの再開発の希望構想を実現するために結成されたアレアルは、まず、自分たちの要求をのんでくれる最適の購入者をみつけるため、ヴィンタートゥーアに類似する再開発計画を手がけた実績をもつブーザーらに適切な購入者さがしを依頼します。

これに並行して、購買に関心をもつ投資家に自分たちの要望を伝え、ラーガープラッツを適切に評価してもらうための資料文書を、建造物の測定や、賃借料から土地の価値を概算するなど多くの労力を費やし、作成します。資料冒頭にはヴィンタートゥーア市長に前書きを寄せてもらうことにも成功し、資料としての一般的な信ぴょう性も高めることができました。

購買が成立すると、アーベントロートとアレアルの協働が本格的に始動します。未来会議や促進チームの話し合いに積極的に参加し、そこでの利用構想を下敷きに再開発事業が行われている間は、常に促進チームの協働パートナーとして、一貫して関わってきました(Stiftung 2015, S.46, 47, Neuhaus, S.17)。

現在もアレアルは、アーベントロートと賃借人の間、または賃借人どうしの間のコミュニケーションの仲介やコーディネイトの役割を担い、フリマのような共同のオープンスペースを使った文化活動や訪問希望者のガイドツアーを定期的に行っています。

ただし、地主アーベントロートと賃借人アレアルの関係は、常に良好であったわけでなく、一度、ひびが入りかけたこともありました。新しく地主となったアーベントロートと新たに賃借契約を結ぶことになった際、契約内容について双方の意向が異なったためです。アレアル側は、建築権つきの賃借契約を希望していました。建築権を伴う賃借契約では、賃借者は、借りている土地に自分で建造物を建てたり改装することが可能あるいは容易となり、事業運営の上で裁量がより自由になります。バーゼルの場合もそうであっため、アレアル側は、自分たちにもそれが妥当だと考えていました。しかし、アーベントロートはそれを拒否し、建築権なしの賃借契約が結ばれることになります。

これについて、当初自身も建設権を伴う賃貸を推奨していたブーザーは、あとでこうコメントをしています。「年金基金からみると、アレアルフェアインは、このような大規模のプロジェクトのパートナーとしては、信頼にいささか欠けていた。それに、環境汚染の危険のある廃棄物の問題があることがわかって、土地の建設権をわたさないというのは、むしろ(責任を丸投げにしない 筆者補足)立派な尊敬に値すべきことだと思う」(Neuhaut, S.17)。

アーベントロート側の担当者クロイスラーも、産業の公害物などを正しく扱うことが、自分たち、持続可能な社会をうたう基金としては重要であったこと、またアーベントロートにとっても、バーゼルの再開発の4倍という最大のプロジェクトであったため慎重にならざるをえなかったと、後で説明しています(Stiftung 2015, S.46)。

結局、この賃借契約を不服とするアレアル中心人物数人はラーガープラッツを去ることになりますが、大方の賃借人たちは、新しい地主がみつかり、無期限の賃借契約をようやく結ぶことができたことでおおむね満足しているといいます (Stiftung 2015, S.46)。

市長と市の動き

この再開発プロジェクトには、もう一人言及すべき、重要なプレイヤーがいました。

それは、当時の市長のヴォールヴェントErnst Wohlwendです。市長はもともとこの地域の歴史として工場建造物の保存に強い関心をもっており、いかにしてそれを実現できるかを、工場が閉鎖以降、模索していました。そのような市長のところに、ブーザーの元同僚でヴィンタートゥーアに拠点を移したシュミットLorenz Schmidから連絡があり、バーゼルのプロジェクトが紹介されます (Stiftung 2015, S.44)。これは、アレアルが土地購入者探しをはじめたころとほぼ平行する時期でした。

バーゼルの事例に強い興味をもった市長は、早速、ブーザーをヴィンタートゥーアに招き、暫定的な賃借が続いているヴィンタートゥーアでも、バーゼルに類似するプロジェクトが可能か、地域一帯の建造物を保存するのに市長としてなにをすべきか、など具体的に相談します。ブーザーは、大型開発をしないでも経済的に可能であること、またなるべく手をくわえない状態で残すことの重要性を力説し、そのために、できるだけ全体の延べ床面積を増やすような追加建設を認可しないことも、強く市長にすすめました(Stiftung 2015, S.44, 104)。

当時ズルツアーは、できるだけ高い地価で売却するため、工場建屋などの保存は最低限にし、土地に新築や増設する新たな形態計画(造形計画)Gestaltungsplan(この地域に新築するに義務付けられている地区計画)を作成しようとしていました(Stiftung 2015, S.44)。

スイスの形態計画(造形計画)とは、「個別の計画地に対して計画段階で土地利用、建築の規模、具体的な形態、配置等について、総合的な観点から計画内容を決定している」という特徴をもつ都市空間デザインの手法です(會澤、2018、359頁)。「行政が公共の利益に資するような都市空間デザインを行うことは容易なことではない」「個人の土地所有に対する意識が強いスイスにおいて」、「施主、行政、設計者が三位一体となって取り組」み、「施主を巻き込み、行政部局の横断的な連携を可能にするシステム」(同上373頁)として構築されたもので、「質の高い都市デザインを実践」(同上373頁)と評価されるものです。ちなみにこれはドイツでの地区計画に相当します(千葉大学、2008、7頁)。

市長は、ブーザーと話し合い、アーベントロートが一帯を一括購入することが理想と確信します。そして、市参事会(市の行政機関で、市長を含む7人で構成され、それぞれ専門の担当業務分野をもっている。市評議会とも訳される。)全員を連れてバーゼルを視察し、アーベントロートが地主となることが最良の策である全会一致で決定します。この決定に基づき土地購入希望者の購買希望価格が同じなら、アーベントロートを優先してほしいという、都市としての希望を(市からの一度だけの土地購入に関する介入措置として)ズルツアーとスイスポストに伝えます(Stiftung 2015, S.104-5.)。

また、さまざまな立場の代表者との妥協を図りつつ、ズルツアーが計画していた形態計画(造形計画)で地価が上がらないようできるだけ配慮しました。すでに生産部門がなくなってこの時点で20年がたっており、このような市の意向に強く反対する勢力もなくなっていたため、大きな摩擦もなく、無事にアーベントロートの購入が決まります(ebd., S.44, 104, 105).

再開発が決まったあとのインタビューによると、市長は、都市の今後の発展に市長として重い責任を感じ、そこに高層ビルが立ち並ぶ光景はいくらでも想像することはできたが(そうなることは容易に予想できたが)、それではこの地域が個性も活気もない場所になることが避けられないため、ラーガープラッツを街にとって歴史を知る場所として残すことが必要だ、と確信していたといいます (Stiftung 2015, S.103)。このような市長の信念は、「わたしたちは、歴史的に発展してきた「足跡」を保存することに重きを置く」(Stiftung 2015, S.44)というブーザーの意向や、アレアルの希望と、ぴったり一致するものでした。

まとめると、テンポラリーユースで地域が活性化したのち、よいタイミングで、アレアル、ブーザーら、アーベントロート、市長が同じ目標のもとに結束し、それぞれが自分の持ち場で的確に動いたことが、開発なき再開発という実を結んだということになったと言えそうです。

受賞と反響

ラーガープラッツの再開発は、その後、各方面から評価や注目を受けるようになります。

まず、前回冒頭で述べたとおり、2012年「都市の眺めStadtlandschau」賞(2位)を受賞しましたが、2014年には、誉れ高いスイスの建築部門の金賞「ハーゼ・イン・ゴールト」が、工場建屋Halle 181 の改築および増築プロジェクト(事務所などの複合施設として)に贈られました。更地にして新築するのでなく過去のものをうまく利用し、修復したことが高く評価されたためでした。

賞ではありませんが、アーベントロートは、2013年のスイスの主要な新聞『ゾンターグスツァイトゥング』による年金基金の評価では、最も高いサービスの質を提供しているという評価を受けました。バーゼルとヴィンタートゥーアで産業地帯の持続可能な再開発を擁護・促進し、環境や社会に貢献した実績が高く評価されたためと考えられます。

今日、ラーガープラッツはとりわけ、(工場操業時一般人が立ち入りできなかった)「閉ざされた市域」から逆に人々が各地からわざわざ訪れるような魅力的な新しい街区として生まれ変わった成功例として、産業地帯の再開発専門家の間で広く知られています。同じように、工場として長らくほかの街区から切り離されてきた工場地帯(スイス内に現在4、5箇所あり、ヨーロッパ全体では、相当数あるとされます)にとって、「模範的な事例」(Stiftung 2015, S.50.)とされます。

実際に、ラーガープラッツについて研究や調査をしたいという建築関連分野の国内外の研究者や学生の数も後を絶たず、要望が多いことから、アレアルと都市観光局はそれぞれ、ラーガープラッツのガイドツアーを定期的に開催しています(Stiftung 2015, S.48)。

経緯が異なるのに類似してくる、という意外な結末

ところで、アレアル会員とアーベントロートの担当者、そしてブーザーとホーネッガーの五人が、ラーガープラッツ再開発の経緯について回想する会談で、バーゼルのグンデエルディンガーフェルトの事例と比較し、彼らにとっても意外であったという点について言及しています(Stiftung 2015, S.43)。

ラーガープラッツとバーゼルの事例は、ほぼ同時期に、工場が閉鎖し賃借利用がはじまりましたが(ヴィンタートゥーアのほうが5年ほどはやい)、いくつかその後の再開発の手法で決定的に異なる点がありました。まず、バーゼルの場合は、ブーザーらが当初から再開発構想に大きく関わり、持続可能なまちづくりが掲げられて、変容をとげていきました。一方、ラーガープラッツでは、ズルツアー不動産には全体の構想など一切なく、賃借が場当たり的にテンポラリーユースという形でスタートしました。またバーゼルでは当初から、建築権を伴う特に期限のない賃借契約でしたが、ラーガープラッツでは建築権がつかないどころか、暫定的な賃借契約のみで、テンポラリーユースという形が20年続きました。

このような非常に異なる条件で、二つの事例は展開したわけですが、2010年ごろには、どちらも同じように活気を帯び、ほかの市街区からも大勢の人がレジャーなどにおとずれる重要な新しい街区となっていました。つまり、全く違う条件でスタートしたものが、最終的に、類似する発展につながったということになります。このような事態は、ブーザーらも想像しておらず、感慨深かったようです。

これについてホーネッガーは、「時代の精神があったということかもしれない。そしてそれが、我々が計画したことには実はそれほど強い関係なかったということなのかもしれない。このような大きい場所が自由に利用できるようになると、おのずと人は魅了され、そこになにかを求めた。そして、その人々には似たようなタイプの人たちがわりと多かった」ということなのでは、と推測しています(Stiftung 2015, S.43)。

産業建造物への愛着

ホーネッガーは「時代の精神」という表現で、可視化されにくい同時代に共通するなにかを捉えようとしましたが、1980年代まで現役だった戦後の経済発展を象徴する重工業や機械工業の産業建造物に対し高まってきた愛着や評価もまた、時代的な精神の賜物といえるでしょう。

一般に、時代がすすみ、工場が栄えた時代から離れていくほど、かつて当たり前のようにあったものも貴重なもの、珍しいものとなり、一部には「古色蒼然」の価値が高まります。つまり、歳月がすぎる間に、建造物自体は変わらないのに、評価する側の人々の状況や立ち位置が変わり、評価も変わっていきます。とりわけ、ラーガープラッツに隣接するズルツアー工業地帯の大きな一角では、現在、ほかの地主によりスクラップアンドビルドの再開発の最中であり、高密度の建築群が近年建ちならぶ予定です。このような(当たり前なほど長く存在していた工場一帯を占めていた建造物が失われていく)状況では、現存する旧態然のモノの価値は、高まりやすくなると考えられます。

その結果、ドイツ語の言い習わしで、「貧しさこそが、記念物の保存の最良の策」というものがありますが、この言葉がぴったりあてはまるような現象が、ラーガープラッツをめぐっても生じたのだと思われます。つまり、ヴィンタートゥーアは大規模な工場閉鎖で一気に活力を失いしばらく、大規模再開発にあえて挑もうとする投資家もあらわれず、一方で建造物はとり壊されずにすみました。他方で投資家不在の20年の歳月の間に「ラーガープラッツはたったひとつの、当時のおもかげを感じることができる魅力的な場所」(Stiftung 2015, S.48)という感覚が強まり、歴史建造物の保存が、大きな社会の対立や葛藤もないまま、成し遂げられるという結果に至ったといえます。

歴史的な建造物と住民の生活

最近ではさらに、建造物への評価が高じて、ヴィンタートゥーアを世界遺産に、と訴える政治家もでてきました。ただし、世界遺産登録されているスイスのレーティッシュ鉄道の審査にも関わり、世界遺産に詳しい産業史専門家のベルチHans-Peter Bärtschiは、世界遺産への登録には今は「おそすぎる」(Gurtner, 2015)といいます。ベルチは、ヴィンタートゥーアの一連の工場建造物は、質としては世界遺産に匹敵する内容をそなえているものの、すでにスイスは多くの世界遺産登録があるため、ユネスコのスイスの新たな登録についての関心は低く、ヴィンタートゥーアが登録されるチャンスは少ないとします。

しかし、たとえ世界遺産になる可能性が高かったとしても、世界遺産になることが、果たして、本当にヴィンタートゥーアの住民にとって最良の策であるかは別問題かもしれません。もちろん、自分の街に世界遺産があれば、人々のほこりになるでしょうし、今より観光業が盛んになり、うるおう産業分野が増えることも確かでしょう。他方、一旦「オーバーツーリズム」化すると、一自治体ではもはやコントロールできず、住民の地域生活に深刻な負のインパクトが生じている状況が、最近ヨーロッパのあちこちでみられます(「観光ビジネスと住民の生活 〜アムステルダムではじまった「バランスのとれた都市」」への挑戦)。

歴史建造物に即して具体的にみると、例えば、都市の歴史遺産が集まる名所が常に渋滞や人の混雑し、同時に、店舗は観光客向けのものが増え、住民の生活必要品や需要が高いサービスを提供する店や飲食店が減り、教会のような静粛さがのぞまれる場所でもそれが不可能となります。つまり、実質上、歴史遺産が集中する都市の名所を、住民たちは、観光客に明け渡すことになります。

それを考えると、世界遺産級の歴史的な建物に、レジャーや文化・商業の複合的な機能が吹き込まれ、住民の憩いや活動の拠点として利用されている、オーバーツーリズムとは無縁な、ラーガープラッツの今の状況は、住民にとって、なににも代えがたい高い生活の質を提供しているようにも思えます。


工場が操業していた頃の守衛室で、現在はカフェ。
工場の様々な部品を再利用した店内は独特の趣を放っている

おわりに

ラーガープラッツをめぐる経緯に含まれていた、多くの都市と共通するテーマや具体的なヒントと思われるものを、ざっとまとめてみます。

・複数ある再開発のアプローチ。膨大な初期投資をかける更地・刷新型再開発と、事業や活動の存続・支援する形の再開発
・地域開発をすすめ、またそれを維持・推進するのは誰か。立場の違う人たちが都市開発の目的で協働する時の役割分担
・再開発に関わる投資家としての姿勢
・地域開発で持続可能性をどう実現・追求するか。経済効果と文化・社会・環境面への配慮のバランス
・古い建造物をどう活かして、街の活性化につなげるか
・旧産業地帯を、魅力ある街区としての、市域への統合

しかし、ラーガープラッツのようなことは実際にはなかなか難しいよ、思われた方もおられるかもしれません。でも考え方を変えれば、これから開発なき再開発をゴールにしようとする地域は、その際ラーガープラッツの事例が参考にできるという意味で、当時のラーガープラッツの関係者たちよりも、ゴールにより近い地点からスタートできる、ということかもしれません。これから、各地でどれだけ、どのような開発なき再開発が新たに展開していくのか、期待を胸に、観察を続けていきたいと思います。

参考文献

Abendrot schätzt Industriebrachen (2019年11月25日閲覧)

Anlagebeispiel: Gundeldinger Feld, BaselEhemalige Maschinenfabrik Sulzer Burckhardt AG(2019年11月25日閲覧)

Gundeldinger Feld (バーゼルのグンデルディンガー・フェルトのホームページ)(2019年11月25日閲覧)

Gurtner, Christian /Graf, Michael, Politiker will Winterthur ins Weltkulturerbe aufnehmen lassen. In: Landbote, 25.09.2015

Honegger, Urs, Das sind ‹Die Besten 2014›. In: Hochparterre, 02.12.2014

Lagerplatz (ラーガープラッツのホームページ) (2019年11月25日閲覧)

Lagerplatz – vom Industriearealzum lebendigen Quartier (Kaufdokumentation) (購入関係書類)(2019年11月25日閲覧)

Neuhaus, Gabriela, Win-Win in Winterthur. Als der Lagerplatz auf dem Sulzerareal zum Verkauf stand, brachten die Zwischennutzer selbst eine Investorin ins Spiel. Ein Glücksfall. In: Hochparterre : Zeitschrift für Architektur und Design, Band (Jahr): 25 (2012), S.16-21.

Schmid, Michael D., Die glorreichen sieben noch-nicht-UNESCO-Stätten in der Schweiz, etü, Juli 10, 2018.

Stadtlandschau entschieden, Immoinfo24.ch: Das Immobilien-Informations-Portal der Schweiz(2019年11月25日閲覧)

Stiftung Abendrot, Nutzungskonzept Lagerplatz Winterthur, Winterthur 2010.(ラーガープラッツ利用構想)

Stiftung Abendrot / Projektsteuerung Lagerplatz (hg.), Lagerplatz Winterthur. Ein Industriequartier im Wandel, Basel 2015.

會澤拓磨他「スイス・チューリッヒ市における Gestaltungsplan を用いた都市空間デザイン手法の特徴」『日本建築学会計画系論文集』第83巻 第744号,365-374, 2018年2月

千葉大学大学院園芸学研究科、環境モデル都市の構築を目指して。スイスの事例から(シンポジウム資料)2008年8月20日

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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