公共放送の近い将来 〜消滅?縮小?新しい形?
2020-03-15
公共放送に未来はあるのか?
前回(「ヨーロッパの公共放送の今 〜世界的に共通する状況とローカルな政界との関係」)では、公共放送をめぐる現状についてメディア環境の変化と、政治との関係からみてみましたが、今回は、今後の公共放送の存続の可能性について、具体的に少し考えてみたいと思います。
国の公共放送という枠組みを超える?
ところで、前回に言及したイギリスのBBCの一連の話をきいた際、一瞬、奇妙な感覚を覚えました。BBCの運命が、たった一国、イギリスの政権が握っているという事実にです。考えてみれば当たり前のことであるのに、それに違和感を感じるほど、BBCは、イギリス一国だけでなく、ほかの国々に親しまれている放送局なのだと思います。
そこで逆に考えてみます。公共放送は、どこの国でも、現在、そこの国民の受信料や税金でまかなわれるしくみですが、このような経済的な基盤やしくみを、現代に適応させて改変していくことはできないのでしょうか。
もちろん、第一に、自国の人々が必要とする情報を報道する義務をもつ報道機関であるという位置付けに、全く異論はありません。しかし、知名度と信頼をほこる高品質のメディアの代名詞であるBBCのようなであれば、それこそ、それを享受したいとするほかの国の人々からも経済的な支援を期待することはできないのでしょうか。
例えば、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』といったアメリカの新聞は、ニューヨークやワシントンの住民の購読料だけでもっているわけではなく、今日、アメリカ国内のほかの州や、また国外にも多くの購読者をもっています。これらの新聞は、アメリカ社会や、国際社会でのアメリカのポジションを理解したいと思う人、また、国際社会に通じる最先端の動向をアメリカのなかに読み取りたいとする人など、世界中の別の国の人たちから購読されています。
ドイツ語圏の新聞でも、国内だけでなく国外の人によく読まれているものがあります。ドイツの週間新聞『ディ・ツァイト Die Zeit』やスイスの日刊紙『ノイエ・チュリヒャー・ツァイトゥンクNeue Zürcher Zeitung』はその代表的なもので、ドイツ語圏の国々に共通する問題意識をもち、かつ相対的な見地で論評することができること、また、当国の経済や産業との利害関係が希薄な立ち位置であることなどを強みにして、国内のメディアとはまた違う立ち位置から問題に鋭く切り込むことを売りにし、国外購読者層を獲得しています。
『ニューヨークタイムズ』や『ディ・ツァイト』を国外の人で、わざわざ読みたいという人がいるように、イギリス以外の人々、実に世界中の人々で、ぜひ視聴したというのなら、その人たちを、巻き込んで、課金するしくみを新たに作ることはできないのでしょうか。
デジタルメディアの時代は、(国の規制が働かない限り)国境を超えてさまざまなメディアにアクセスできるのが特徴であり、公共放送も、その地の利(国境がないデジタルメディアの環境)を最大限活用し、視聴の代償(視聴料)を求めるしくみに転換することも、ひとつの生き残りの可能性ではないのかと思います。
国外にも視聴者を増やすことは、単なる財源確保の問題にとどまらず、国際社会でのその国の役割を考える上でも大きな貢献を果たすはずです。その国の人や社会への理解者を増やしたり、国際社会での存在感を高めるため、また、共通の新しい議論や理解をつみあげていくために、公共放送のような中立的なソフトパワーは、今度の時代においても、ある一定の有効性を発揮すると考えられます(「カルチュラル・セキュリティ 〜グローバル時代のソフトな安全保障」)。そういう意味では、公共放送が、広義の外交や安全保障のための重要なキャピタルでありツールでもあるという点を、政権も国民も、十分に理解し、改めてそれへの自覚や責任をもつこともまた、重要でしょう。
Museum für Gestaltung Zürich
デジタル武装した公共放送の新しい形
また、これまでの公共放送の在り方から逸脱すること、どこまでこれまでのハードウェアをぬぎ捨て、新たな形、デジタル武装した形に変革できるか、ということは、今後の公共放送の可能性を考える上で、重要なキーになるかもしれません。というのも、テレビやラジオという旧来の公共放送がたよりにしていたメディアツール自体の利用が減っているのは歴然とした事実であるためです。
端的にスイスの例をあげてみます。先述した国民投票の結果は、受信料制度の廃止に反対する人が多数(71.6%)を占め、従来通り受信料をとって公共放送が運営されることに落ち着きはしましたが、同時に、大幅な受信料の減額も実施されることになりました、
予算を削減しなくてはならないし、既存のメディアであるラジオやテレビ離れする人をさらにいかにつなぎとめるという大きな課題もあるというわけで、存続する土台は一応保証されたものの、いまも、ある意味で、変わらず、公共放送は苦境にたっているといえます。そのような状況にあって、これまでの形にこだわらず、内実をとることに徹したストラテジーが、近年、目立ってきました。つまり、つまり視聴の形でなく、視聴のされかた(なるべく多くの人に、なるべく長く多く利用してもらう)に焦点を絞った、コンテンツの配信に精をだしています。
・ユーチューブ・チャンネルの活用
そのひとつが、ユーチューブ・チャンネルのフル活用です。独自のコンテンツが視聴できるホームページもありますが、それと並行して、2007年はじめから、ユーチューブのチャンネルを開設しました。ユーチューブというチャンネルにも配信ツールを拡大することで、若者を中心に、より多くの人にアクセスしようとしています。
2018年のユーチューブでの公共放送ビデオのクリック回数は850万回で、1日に換算すると23万3000回になり、視聴された時間をみると、年間で3億5400万分になりました。これを1日になおすと16160時間公共放送の内容がユーチューブで視聴されたことになります。これは、前年比で22%の増加であり、ユーチューブを通した視聴は好調に伸びてることになります(「若者の目につくところに公共放送あり 〜スイスの公共放送の最新戦略」)。
・「聴く」メディアの重点化
もともとラジオは、西ヨーロッパでは、テレビよりも長い時間利用されるメディアとして親しまれてきました。少し前のデータですが、2014年のシュトゥットガルト新聞によると、ドイツ人の5人に4人がラジオを聞いており、聴取時間は1日平均4時間でした。時間的に長く利用されるだけでなく、ヨーロッパでは、テレビや紙面のコンテンツよりも、ラジオのほうが(なぜか)その内容を信用できるものだと考える人が多くなっています(EBU, 2016)。
このようなヨーロッパ人のラジオ習慣の素地をいかして、公共放送は、無理に、競合相手が多い視覚中心のコンテンツにこだわらず、ラジオに慣れ親しんだ人たちをターゲットにしぼり、コンテンツを使いやすく充実させることは、ひとつの有力な可能性であるかもしれません。
実際に、スイスの公共放送もその可能性をはやくから追求し、ポッドキャストでのコンテンツの普及に力を入れており、いくつかのコンテンツは、安定軌道にのったかのようにみえます。その代表がスイスのラジオのニュース番組「時代のエコー(こだま)」(ドイツ語)で、ポッドキャストで月間25万回ダウンロードされているといいます(「聴覚メディアの最前線 〜ドイツ語圏のラジオ聴取習慣とポッドキャストの可能性」)。
ほかにも、ニュースのコンテンツに、従来型のニュースとは一味違うエッセンス、たとえば、建設的ジャーナリズムのようなアプローチを試すのも、ほかのニュースソースから差異化するためのキーになるかもしれません(建設的ジャーナリズムについては「公共メディアの役割 〜フェイクニュースに強い情報インフラ」)。
話は少しずれますが、紙という媒体の情報の媒介を仕事としていた図書館という施設も、今、デジタル媒体が主となる時代をむかえて、存続の危機的な状況にあります。これまでのように、本の貸し出しだけでは、地域社会で存続する意義が弱くなりつつあるためです。換言すれば、この危機を切り抜けるのに、あくまで、紙という媒体の貸し出し業務というこれまでの業務にこだわるか、それとも、違う可能性を模索するのか、岐路にたっているといえるかもしれません。
一概にどちらが正しいというような話ではなく、それぞれの図書館が地域の需要に合わせて新たに取り組んでゆかなければならない課題でしょうが、図書館によっては、本や情報媒体にこだわることをやめ、全く新しい、公共施設の新たな役割を模索するほうに舵をとるところもでてきました。例えばスイスのヴィンタートゥーア市立中央図書館は、人と人をつなげる出会いの場所や、共に学ぶ場としての役割、また住民のデジタルリテラシー全般の向上につとめるサービス業務、あるいは小学校と連携し、教室の拡張のような役割を積極的に受け持つなど、自ら新しい機能を付加させようと模索している、スイスでもパイオニア的な存在です(「デジタル・リテラシーと図書館 〜スイスの公立図書館最新事情」)
公共放送にとっても、過去の慣例や組織としてのしがらみにとわれず、またほかのメディア環境と共存しうる新しい在り方、ビジョンを模索することは、必要十分条件ではないですが、必須条件であるに違いないでしょう。
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公共放送の強み
2018 年10月、韓国のソウルで開催された国際公共放送会議(PBI)では、このような差し迫った公共放送の問題について、世界の公共放送担当者らが一堂に会し、基調講演でBBCのトニー・ホール会長は、「公共放送の強みとして」以下のような3 つの点を挙げ、「こうした強みを生かしてチャンスをつかもうと呼びかけ」たといいます(田中、2019、99−100頁。以下の内容も、同文献からの引用)。
■健全な民主主義のための公共放送
信用できるニュース・情報はますます見つけにくくなっています。健全な民主主義のために,公共メディアの正確性と独立性の原則がこれまで以上に重要です。
■自国の社会・文化を反映し,地元に貢献する公共放送
公共メディアは,自国の文化を映す責任と能力を持っています。ここ数年,世界市場でコンテンツが爆発的に増加し,視聴者は世界中からコンテンツを得られますが,それらは必ずしも自分のコミュニティー,国,文化を反映したものではありません。
■分断される視聴者をつなぐ公共放送
公共メディアは,人々を結びつける重要な役割を担っています。今年の初め,BBCは世界の人々の4分の3以上が,自国がますます分断されていると思っているとの世論調査結果を発表しました。ソーシャルメディアはその傾向を悪化させています。だからこそ,公共メディアの使命であるユニバーサルサービスの提供がより重要です
ホールは同時に、「ヨーロッパの公共放送はアメリカのメディア企業に対抗するため,協力を始めて」いることをあげ、「新しいコラボレーション」が新たな時代を切り開くことへの期待を示します(田中、2019年、100頁)。
公共放送がもしもなくなるあるいは大幅に縮小したら?
確かに、ここで指摘されているように、いつもは、当たり前の空気のような存在になって意識しませんが、公共放送は、良質の情報を通して、計り知れないほど、間接的に社会で役割を果たしていることでしょう。それが実際になくなったり、大幅に縮小されたら、状況がどんな風になるのでしょう。少し具体的に考えてみます。
中立的で、公益を重視するメディアが確保されなくなったり、貧弱になったり、入手が困難になれば、適切で十分な情報を得るため、人々は、日々、自分たちでさがし、選択しなくてはならなくなります。それは、どんな感じなのでしょう。
端的に言えば、ほかの商品と同じような選択と消費のプロセスに似てくるでしょう。本でも電気危機でも自転車でも、今日商品として手に入る商品は、非常に多様です。ニュース情報の入手先も、多様な選択肢のなかから、それらのラインアップや広告や影響力をみながら、自分たちで選んでいくことになります。その作業は、ほかの商品を選択する時と同様に、良質なものを選ぼうとしても選べている保証は限りません。特にフリーでアクセスできるものや、検索で単に上位にあがってくるもの、社会の一部の人だけでなりたっているコミュニティのものだけをみていたり、あるいは特定のサイトや人の情報だけをみているのでは、(ジャーナリストや専門家の目が全く行き届かない情報である場合があり)、限定的な視点や、非常に偏った内容、偽情報がまぎれているものを入手してしまう危険があります。
このような状況が日々つもりつもっていき、数年がたつと、どのメディアに依拠して情報を得ているかによって、今以上に、異なる対立的な世論が乱立していくのかもしれません。そして、正当性を主張するそれぞれの世論や意見の、どちらがどれくらい正しいかを図る物差しや基準を成立させること自体も、公共放送の情報がなければ、難しくなるのかもしれません。そうなると、今後は、民主主義的な社会の基盤すらゆるがすことになるかもしれません。民主主義的で均整のとれた判断の前提として、良質の情報は不可欠であるためです。
また、公共放送がなくなれば、世界のどこかの場所の話題やテーマには詳しくなるかもしれません。その一方、経済的にだれの採算にもひっかからない地域や自国の地味な情報は切り捨てられ、まったく、手に入らなくなるかもしれません。そうなると、国民が同じ情報を共有することで自然にうまれるゆるやかな連帯意識や共通の価値観も、保つことが難しくなるでしょう。また、自分が住む地域や国の情報が断片的にしか得られず、それを知る専門家もおらず、自分の体験と印象と直感だけで人々が判断している社会とは、どんな社会なるでしょう。
公共放送についての議論で不可欠なもの
このように考えると、公共放送の今後についての議論で、ひとつ大事な論点が浮かびあがってくる気がします。
それは、このような公共放送をなくすか、あるいは(受信料という経済基盤をとりあげるなどして)大幅に削減する、と決定する際に発生する、具体的な弊害や損失を、なにでどのように補完できるのか、それとも補完しなくてもいいのか、という具体的な問題の詰めの部分です。そこを、綿密に検証・協議しない限り、いくら公共放送について議論しても、内実を伴わない単なるイデオロギー論争にすぎず、いざ実施された時、ただちに「こんなはずじゃなかった」という数々の(想定しない)問題に直面してしまうかもしれません。
例えば、公共放送をサブスクリプション制にすべきかという議論は最近ヨーロッパ各地でよく話題となりますが、メディアの競争原理や経済的側面だけが強調され、具体的な(サブスクリプション制にして公共放送が今と同じようなことが提供できなくなった際にだれがなにをどこまで補完するのかすべきか、という)点は、ほとんど具体的に触れられておらず、うわすべりの議論にとどまっているようにみえます。
スイスの国民投票で問われたのも、公共放送の受信料を廃止し(ほかの課金制度に移行させる)か否かという点だけで、受信料の高さや、その制度がどう民間メディアを圧迫しているかということが大きな問題であり、受信料を廃止した際に実際に公共放送は、内容的にどれだけの損失があり、その社会的影響をどうカバーするのか、あるいはほかのメディアがどう補完するか、という具体的な詰めの部分については、最後まで、廃止賛成論者の話を聞いていても、よくみえてきませんでした。
つまり、公共放送が現在提供するサービスのなにがどのくらい必要か、それを公共放送以外のものが代替できるのかというところをまず考え、そこから、公共放送が必要か否か、サブスクリプションが適切かいなかというのを先に決める、というのが、もっとも議論の順序として妥当であるように思われます。そして、それを議論する際、それぞれの国のなかで、政府やその審議会だけでなく、国民やほかのメディア関係者をまきこんで、具体的に手段や内容を吟味・検討していくのが、一番のぞましい形でしょう。
デジタルテクノロジーやメディア環境はこれからも数年で急激に変化しつづけるのでしょうから、見通しをたてることも、具体的に議論をするということも難しいでしょうが、公共放送が、数年後に、多数の国民が全くのぞんでいなかったような状況になってしまった、ということにならないですむことを祈りたいです。
公共放送はどこにむかっているのでしょう。公共放送の運命はいかに。
Sara. H., Venilia. Montreux biennale 2019 (sarah.ch)
参考文献
「BBC受信料について与党有力議員、首相官邸に警告」BBC News Japan、2020年02月18日
Cueni, Philipp, Der wahre Geist hinter «No Billag», infosperber, 09. Feb 2018
小林恭子「BBCの「受信料廃止」はどこまで現実的なのか。問われ始めた有料「公共放送」の存在価値」2020年2月21日
Köppel, Roger, Entwicklung der Schweizer Medienlandschaft, SVP, 27. Januar 2018
中村美子「ヨーロッパの公共放送 ~進む財源制度改革と不透明な未来~」、第27回 JAMCOオンライン国際シンポジウム、2018年12月~2019年3月
中村美子「受信料廃止を決めたデンマーク~新メディア政策協定と公共放送の課題~」『放送研究と調査』Sept, 2018.
Stadler, Rainer, Öffentliche Medien stärken auch die Privaten, NZZ online, 17.11.2016, 12.00 Uhr
Studien zu Medienvertrauen und Glaubwürdigkeit der ARD, ARD, Stand: 06.03.2018, 00.00 Uhr
田中孝宜「BBC ホール会長の基調講演に見るヨーロッパの公共放送の現況。国際公共放送会議(PBI)報告」
450 Stellen weniger bei der BBC. Aus Randez-Vous, 30.1.2020, SRF, News
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
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