スイスで制定されたトリアージに関する医療倫理ガイドライン 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(2)

スイスで制定されたトリアージに関する医療倫理ガイドライン 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(2)

2020-04-02

あえてこのような扱いにくい話題を扱う理由

前回(「突如はじまった、学校の遠隔授業 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(1)」)に引き続きコロナ危機に関するテーマを、ヨーロッパからお伝えします。

ヨーロッパ各国は、ここ数週間、新型コロナウィルスの感染が拡大しているだけでなく死亡者が多いイタリアの状況を、自分たちに重ねて、固唾をのんで観察する緊張した日々を過ごしています。もちろん、ただ傍観しているのではなく、イタリアと同じような状況になってもおかしくないと想定し、それまでにまだ残されている時間で、少しでも対策を強化しようと必死になっています。

イタリアでは、重篤な患者が医療機関に殺到し、(通常の医療機関であれば助かったかもしれない方も多く命を失うような)医療破綻にいたったことが、死亡者を増やした主要な原因とされていますが、ほかの国がイタリアを反面教師にして、同じ道を歩まないためには、なにができるでしょう。

真っ先に思いつくのは、重症患者の受け入れ体制を強化することでしょう。ドイツでは、早々にベルリンのメッセ会場を1000人収容できる新型コロナ感染者専用の病院に改造しました。人工呼吸器などの医療器具や、マスクや防護服などのスタッフを感染から守る医療品も増産も急ピッチですすめられています。感染症患者を扱う医療スタッフの増員も大きな課題です。もともと医療分野全般に人材が不足しているヨーロッパ各国では(「ドイツの介護現場のホープ 〜ベトナム人を対象としたドイツの介護人材採用モデル」「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)、医療人材確保こそが一番の難題になるともいわれます。スイスでは、医療関係の専門家はもちろん、ほかにも軍隊の衛生部門の人材や、(まだ医師国家試験を合格していない)医学部の学生にも協力を求め、医療スタッフの強化をはかっています。

ところでスイスでは、このほかにも、医療破綻を防ぐ対策の一環として、二つのことが注目されています。一つは、集中治療が必要な患者が増大した際のトリアージ(診療する患者の優先順位の決定)に関する医療倫理ガイドライン。そしてもう一つは、患者自身が重篤な症状になった時にどんな治療を望むか望まないかを示す「医療上の事前指示(書)Patientverfügung」です(これらが医療破綻とどのくらい深く関わっているのかは、本文で詳しく説明していきます)。

3月中旬スイスでロックダウンが始まって早々、医療関連団体からこれらについての発表がなされ、主要なメディアで連日のように、報道されるようになったのですが、最初にこれらを聞いた時は、正直びっくりしました。危機的な状況であることは抽象的に頭で理解していたつもりでも、具体的にそれがどういうことなのかピンときていなかったため、これらをきいて、いきなり「安全」で「きれいな」スイスから、突如として、負傷者があふれるどこかの戦場の野戦病院につれていかれたかのような、緊張感を覚えました。

今回と次回の二回の記事では、この二つの、現在、スイス人に身近となっているテーマについて、紹介していきます。人の生死に関わるとてもセンシティブなテーマ、多くの人にとっては、タブーのストライクゾーンに入りそうなこれらのテーマを、あえてこのコラムで、扱いたいと思ったのには、二つの理由があります。

まず、これらの動きの本質的なテーマが、スイス特有の問題ではなく、コロナ危機という、前例のないリスクをかかえる、すべての国でも、遅かれ早かれ、浮上してくる問題・テーマであると考えるためです。もちろん、誰にとっても避けたくなるテーマですが、近い将来、現実的な問題となるなら、スイスの事例から情報を得ながら、あえて、覚悟を決めて真っ向からとらえ考える機会があるほうがいいと思いました。

二つ目として、このように社会に忌避されがちなテーマを、早々にオープンに国民に提示し、理解をもとめようとする、スイス社会での医師や倫理専門家たちの行動・発言力と、それを淡々と受け止め、処理・消化しようとしている(ようにとらえられる)メディアの報道やスイスの人々の姿自体も、参考になり、一見の価値があるとも思われたためです。

各国が、様々なほかの国での試みや手法に参考にしながら、自分たちのある医療資源を用いて最大限効果的に、被害の最小化や短期化につなげられることを願ってやみません。今回のスイスの事例が、その一環として、貢献できるところがあればさいわいです。

医師たちの迅速な動き

スイス全土のロックダウンを政府が決定した3月16日からわずか四日後の3月20日、スイス医学アカデミーとスイス集中治療医学会は共同で、医療ガイドラインを、発表しました(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020)。

これは、医療資源が窮乏し、医師たち医療スタッフが、患者の生死にまつわる、医療行為の優先順位を決めなくてはならなくなった場合に、迅速かつ公平に決定できるようにするためのガイドラインです。

ちなみに、スイス医学アカデミーが定めた医療倫理ガイドラインは、(スイスで就業するすべての医師が入会いている)スイス医師会FMHの職業規定として取り入れられ、スイスの医療関係者すべてに遵守されます。

医療ガイドラインの概要

ガイドラインの主要な点をまとめると以下のようになります。(ここでは、最初のガイドラインではなく、四日後に出された改訂版を参考にしました。なお、以下の要旨は、ガイドラインの内容をわかりやすく紹介するため、今回のガイドライン制定の中心的人物シャイデッガーDaniel Scheidegger(集中治療の専門医として長年働いてきた医学部教授で倫理専門家)と、公法専門の法学者リュッツエBernhard Rütscheの解説や補足もふまえながら、まとめているため、項目の順序も、原文に従ったものではありませんSchöpfer et al., 18.3.2020. Gerny, 19.3.2020)

●まず、患者の緊急時および集中治療についての意志を早くに明確にすることが重要である。とりわけ、危険グループ(慢性的な疾患をもつ患者や高齢者 筆者註)に属する人たちにおいてそれが重要となる。限られた医療資源を、患者が要求しない治療に使うことは決してないようにしなくてはいけない(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020 , S.2)。

(筆者の補足説明 スイスでは4月はじめ現在、集中治療ができる施設は82箇所で1200人病床あり、そのうち約285病床が、利用されています。新型コロナウィルスにはまだ治療法がないため、自分での呼吸が困難となった際、気管内挿管し人工呼吸器で管理するなどによる集中治療が、最後の症状回復手段と期待されますが、人工呼吸器がついている病床数は800から850、ECMOと呼ばれる重症呼吸不全の際に用いられる体外式膜型人工肺の装置があるのは45病床です。SGI, Stellungnahme, 2020)

●医療資源が限られた緊急状況では、基本理念として、以下の三つのことが重視される。

1)公平であること
判断過程は、事実にもとづき、公平で明瞭でなくてはならない。年齢や性別、住んでいるところ、国籍、宗教、社会的地位、加入している保険の種類、あるいは恒常的な障害などで差別されない。コロナウィルス感染者だけでなくほかの集中治療が必要な患者も、同様にこの基準にしたがって判断される。

これは、スイス全国共通で、すべての病院(公立私立関係なく)に有効である。私立病院も公共の医療供給の一部であり、おなじサービスを提供することが義務付けられているため、これに従う。

2)できるだけ多くの人命を助けること
目標は、それぞれの患者と患者全体の利便を最大化することであり、それは、最も多くの人命を助ける決断をすることである。換言すると、すべての措置は、重篤な病気になる人や亡くなる人を最小限化する目的にそって行われなくてはならない。

3)関連する専門家の保護
患者に接する医療スタッフは、感染の危険にさらされている。医療スタッフが感染し医療に従事できなくなれば、さらに亡くなる人が増える。このため、とりわけ感染から守る必要がある。単に感染を防ぐたけでなく、物理的・心理的な過剰な負担からも医療スタッフを守らなくてはならない。

医療資源が不足した場合(ガイドラインの続き)

全国の医療施設は、ほかの医療施設と協力しあい、限られた医療資源を最大限活用する。このような理由で、医療インフラのための報告義務を、政府は義務付けている。このため例えば、ほかの病院の別の集中治療室に空きがある場合、症状が比較的よいと診断された若い人は、外部の集中治療室に運ぶ。

国は、私立病院に新型コロナ感染症の人の受け入れを増やすよう要請できる(筆者註: 現在、すべての病院は、緊急でない診療や手術を延期する要請が出されていますGerny, 2020)。

このような、できるすべての可能性を尽くしても、医療資源が不足し、すべての生死にかかわる人を診療できない場合、患者のなかで集中治療の優先順位を決めることになる。そこで決定的に重要なのは、短期的な病気の診断である。集中治療で短期的に生き延びられる見込みの高さであり、中期、長期的な余命の見込みではない。

つまり、集中治療をおえて病院をでた際、もっとも生き延びるチャンスが高い患者が、その際、優先的に扱われる。医療行為は、できるかぎり、まだ助けられる人をたすけるのに利用されるべきであり、年齢が高い人が、若い人に比べ価値が低く測られるということはない。そのようなことは、憲法で保障されている差別の禁止に反する。

例えば、高齢のコロナウィルス感染者で比較的いい状態にあり今後もよくなると診断されれば、交通事故で非常に重度な怪我をしている若い患者よりも、集中治療を優先的にうける。

とはいえ、年齢は、間接的に中心的な基準の枠「短期的な診断」において考慮される。なぜなら、年齢が高い人のほうが、合併症が引き起こされることが頻繁なためである。新型コロナウィルスとの関係でいうと、年齢は、死にいたる危険要素のひとつであり、このためこれを配慮しなくてはならない。

世話をしなくてはいけないこどもの有無などの家族関係、社会の利便性、これまでの態度などの社会的なファクターは、判断に配慮すると差別となるため、配慮しない。「最初に来た人が優先的に治療を受ける」だとか、社会的な高い地位などが優先で治療をうけるといったことも、基準にはならない。

●(終末期)緩和ケアの充実
医療資源が不足する非常時に、「不利な(厳しい、その人にとって不利益となるような)診断」(生き延びるチャンスが少ないという診断)を受けた患者は、(通常なら、集中治療で治療をうけるような場合でも)、集中治療室以外のところで診療をうける。早期に、不利な診断の患者をほかの課に移動させることで、集中治療のキャパシティを広げる。なお、集中治療が行われない場合、総合的な緩和ケアがなされなければならない(SAMW, Covid-19-Pandemie, 2020, 3)。

緊急事態の医療関係者をバックアップするものとしてのガイドライン

以上が、ガイドラインの概要です。ところで、スイスの医療倫理ガイドラインで、トリアージについて定めたのは、これが最初ではありません。2013年に、一度定められました。しかし、そこでは、医療資源が不足する時のはっきりした基準が示されていなかったため、今回、2013年のガイドラインの補記という位置付けで、より具体的、明確に定義されました。

より明確になった新しいガイドラインは、医療関係者に高く評価されています。例えば、生命倫理専門家のバウマン=ヘルツレRuth Baumann-Hölzleは、このようなガイドラインが性急に必要だったとし (Was tun, 2020.)、スイス連邦保健局のコッホDaniel Koch感染症対策課長も、歓迎の意を示しています。

厳しい決断をせまられる医療スタッフの精神的な負担が減っただけでなく、ガイドラインがより明確になったことで医療関係者が法的に訴えられる危険も減りました。公法専門家のリュッシェBernhard Rütscheによると、医療関係者が、このガイドラインにそって患者や関係者に、決定を説明し、理由も明らかにすることで、判断の透明性が高くなり、たとえほかの患者を助けるためにその患者を助けることができず、その結果死亡することになったとしても、医療関係者が処罰の対象になることはないといいます。それを、不服として裁判にもちこんでも、訴えがききいれられることはまずないとも言っています (Vorrangig, 2020)。

次回につづく

トリアージについて新しいガイドラインができたことは歓迎されますが、それでもトリアージは、それを回避することのほうがより重要な課題であると、医療関係者たちは強調します。次回(「患者の医療上の事前指示(書)は、医療崩壊回避の強力な切り札?」)は、そのトリアージ自体を回避するための、有力な手段と期待され、現在積極的に推奨されている患者自身の医療上の事前指示(書)についてみていきます。またこれらの動きをスイスの人たちはどのように受け止めているのか、また、そこには、どのような疑問や問題がありうるのか、などについてもみていきたいと思います。

※参考文献は、次回の記事の下部に一括して掲載します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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