肉なしソーセージ 〜ヴィーガン向け食品とヨーロッパの菜食ブーム
2016-03-15
今年の初め、寒くて暗い夕方6時前に、スイスのある菜食レストランを訪れました。夕食にはまだ早い時間なのに80席ほどもあると思われる席は、ほぼいっぱいという、ほかの店がみたらうらやましい限りの盛況ぶりで、店内は、見渡すかぎり女性でした。この光景、その時は尋常でないように思えたのですが、今から考えれば、スイスやドイツの今日の食事情をよく映し出していたようです。
肉を食べることは、豊かさの証であり、一種のステイタス・シンボルのように社会で捉えられていた時代が、ヨーロッパでも日本でもありました。しかし、スイスやドイツでは、少なくともそのような連想は、すぎさって久しいように思われます。かわって近年人気を博しているのが、肉をさける菜食志向(菜食主義)です。これに伴って、菜食主義者向けの食品の売り上げも急速に伸びています。ドイツでは2015年、菜食主義者向けの食品の総売り上げは、4億5400ユーロを記録しました。菜食への関心の高まりは、菜食の調理法への関心にもつながっており、著名なコックAlfred Biolek とEckart Witzigmannの菜食の料理の本「我々の料理本」は、これまでに30万部以上が売れています。料理教室でも、菜食専門コースが定番コースとして設けられ、人気を博しています。
菜食食品産業のなかでも、特に最近急成長している分野があります。ヴィーガンという新しい菜食主義の人に合わせた食品類です。ヴィーガン(ドイツ語では「ヴェガンVegan」と発音されます)とは、菜食主義協会から分離して1944年にイギリスで設立された「ヴィーガン協会」に由来し、乳製品は摂取する従来のベジタリアンと異なり、肉だけでなく、動物からつくられるすべてのもの、乳製品から卵、はちみつまで控え、皮革や羽毛なども使わない、あるいは使用をなるべく最小限に止留めようとする人たちのことです。
2015年2月の『ジュートドイチャー・ツァイトゥング』新聞の記事によると、ドイツでは食品から、化粧品、服飾品、花壇用の土にまでいたるヴィーガン関連商品市場は、2010年から毎年平均17%の成長しており、7億ユーロの市場規模とされています。2011年にドイツのベルリンで開店した「ヴェガンツ」というヴィーガンのための初の総合スーパーマーケットは、開店の翌年2012年にはすでに4店舗となり、売り上げも160万から600万ユーロまで増やしました。そして現在は、6000以上の商品の品揃えで、チェコ、オーストリア3カ国を中心に、多くの店舗とも提携しながら、さらに事業を拡大する勢いです。スイスにはまだ総合スーパーのようなものはありませんが、 環境意識が高い人に支持が高い生協で、全国的な小売販売網をもつ「コープ」では、150商品をヴィーガン向けに販売しており、売り上げは毎年2桁で拡大しているといいます(コープの環境負荷の少ない社会を目指した取り組みについては、「バナナでつながっている世界 〜フェアートレードとバナナ危機 」もご参照ください。
値段だけをみると、ヴィーガンの商品は一般商品の2倍以上もすることも多く、かなり高額です。それでも市場が急成長しているのは、やはり割高でも堅調に売り上げを伸ばしてきた有機農業食品や商品と類似したところがあるように思います。それは、顧客の姿勢といえるようなもので、欲しいものであれば、多少高額であっても買い求める、という値段よりも商品の質にこだわる一貫したものです。ヴィーガン向け商品が、 今後、有機農業商品に匹敵するほどの市場にまで拡大するのではないか、という予測もあります。ちなみに、2014年、ドイツでは有機農業関連商品は、前年比で5%増の80億ユーロの売り上げがありました。
ケルンの商業研究所の今年初めのプレスリリースによると、ヴィーガン向け商品として特に売上が伸びているのは、肉の代替食品、朝食関連食品、乳製品の代替食品の3分野です。
<肉の代替食品>
肉の代替食品とは、その名の通り、肉ではないのに肉のような食感が味わえるものです。 ウィンナー類はその典型で、大豆を主原料としたもの、小麦粉のプロテインを入れるなど各種あり、一般のスーパーでも売られています。2015年肉なしソーセージ7種の販売をはじめたソーセージ会社リューゲンヴァルダーでは、同年末の総売り上げの総計が、肉なしソーセージが全売り上げの3分の1を占めました。ナゲットやとんかつ、肉団子のようなものも、一般のスーパーの冷蔵・冷凍食品売り場で、頻繁にみけかるようになりました。マクドナルドでも、2010年2月からドイツでは菜食「ヴェギバーガー」を販売するようになり、毎月220万個が売れている状況です。
<朝食関連食品>
ヨーロッパで朝食と言えば、パンやミューズリー、コンフレークなどが一般的です。パン食では、牛乳や卵といった動物由来のものが入っているだけでなく、 チーズやバター、はちみつなど動物由来のものを合わせて食べるのが恒例です。これらの成分を除いたり、代替した食品が増えてきています。もともとグルテンアレルギーをもつ人のために開発されてきた パンやクッキー、パスタやスナック、お菓子類などを広く販売している南チロルの会社 Schär も、このこの10年で売り上げが5倍に伸びたといいます。
ミューズリーは、燕麦(えんばく)の押し麦にナッツ類や果物を加え、さらに牛乳やヨーグルトをかけてふやかしながら食べる、コーンフレークなどのシリアル食品の元祖といえる食品です。1900 年に健康な食事療法としてスイスの医師によってもともと考案されたミューズリーは、健康的でしかも簡単に用意できることから、スイスでは20世紀を通して次第に家庭の食卓に浸透していきました。戦中戦後の時期は、スイスのドイツ語圏では、夕飯の定番として食されるようになり、家庭以外にも、刑務所やホーム、修道院、軍隊のメニューにでてくるようになります。1970年代以降は、健康志向の強まりを受けて、世界的にもとりわけ朝食の定番の一つとなっています。ドイツやスイスでは、ごはんを作る時間がない忙しい人や学生の間では、朝食以外の軽食としてもよく食べられています。
<乳製品の代替食品>
元来のヨーロッパには、乳製品が比重を占める食文化があります。このため、乳製品の代替食品の需要も大きいようで、豆乳などやライスミルク(米からつくるミルク)は、一般のスーパでも販売されている最も定番の代替食品です。さらに、ケーキの装飾様に泡立てられる植物性の生クリームやココナッツミルクのヨーグルト、また乳製品の代用品を使ったパイ生地など、これまで想像していなかったような新たな代替食品も次々と開発、改良されて毎年、新しく市場にでてきています。
世界的にみると、菜食主義が圧倒的に多いのはインドで、2億人もいます。しかし、近年の欧米でみられる菜食志向、菜食主義者たちは、インドの伝統的で宗教的な菜食主義者とは、動機も社会的背景も異なっています 。
まず、その動きを特に牽引しているのが、圧倒的に女性であることが特徴です。Friedrich-Schiller-Universität Jena の4000人の菜食主義者を調べた調査では、7割が女性と圧倒的多数を占めましたが、同様の傾向は欧米諸国でもみられます。菜食主義になる動機は、道徳倫理的な理由がもっとも多く、63%でした。それを詳しくみると、動物の大量飼育方式への猜疑心や、環境意識などが多く、個人的な健康志向(肉食が体に悪いという現代医学の総合的な判断を背景にして)を理由にあげる人も2割いました。ほかにも菜食主義者は、20代以下の若い女性が多く、平均的な学歴よりも高く、5割以上が特に特定に宗教に帰属しておらず、大きな都市にすんでいるという特徴がみられます。
女性の菜食化が進む一方、男性の肉食依存傾向は依然として強いようです 。ドイツの調査では、量も女性の2倍を食べているというデータもあります。それでも倫理的観念から従来の肉食に対してやはりためらいを感じる人は増えてきており、ステーキを食べるなら有機飼育にものにするなど、飼育方法や肉の質を考慮して選択する人は増えているようです。
ところで誤解してはいけないのは、菜食志向が強まり、ヴィーガン向け食品が急展開しているといっても、実際のヴィーガンの数は欧米で、未だ決して多くはないことです。2013年のドイツの調査では、ヴィーガンは、全人口のわずか0.5 %で40万人にすぎません。スイスでも、菜食主義者が全人口の3%、ヴィーガンは0.3%とされます。つまり、徹底した菜食主義者やヴィーガンが急増しているというのではなく、倫理的な理由や環境への配慮、また自己の健康改善・維持を理由に、肉の消費をこれまでより減らし、かわりに菜食やヴィーガン用の食品をたびたび購買する、という普通の人が顕著に増えているようです。前述のドイツのヴェガンツというヴィーガンのためのスーパーでも 顧客の6割は、菜食でもヴィーガンでもなく、環境や健康意識の高い普通の人だといいます。肉の代替食品や菜食料理は、毎日肉を消費したくない普通の人にとって、新しい食事摂取の方法として、目新しく、好感をもって受け取られているのでしょう。このような消費行動は、健康を重視する風潮でやはり高い人気がある寿司食とも、通底するものがあるように思われます 。
これだけ人気と期待が集まっているヴィーガン向け食品ですが、本当に体にいいのかという点では、疑問視する人もいます。特に代替食品に関しては、確かに植物性の油分を凝固させたり、味を整え、賞味期限をのばすために、多くの添加物が使われており、実際に、肉なしミートボールの原材料欄をみても、そのリストの長さと添加物の多さに戸惑います。ただし、現状がそうであるというだけであり、今後も食品の開発や改良がすすむことで、より添加物の少ない良質の食品が確立されていくのかもしれません。そして、ヴィーガン向けという新たな 食品や調理法が発展していくことで、 近い将来、ヨーロッパの食文化全体が刺激され、より豊かな食文化が、新たに生まれてくるのかもしれません。
さて今回、菜食やヴィーガン向けの食品について注目してみましたが、本物の肉や乳製品入りの食品を手本に、代替食品が次々に現れてきたことが、 わたしにとって強く 印象に残りました。ヨーロッパが海外から取り入れてきた食文化は多々ありますが、代替食品は、寿司やタイカレーのように、オリジナルの食材や調理方法をそのまま踏襲・取り入れる輸入食文化とは、 全く異なるものです。ヨーロッパの伝統的な食品や食文化、ウィンナーやミートボール、牛乳やパイ菓子といったものを、全面拒否するのではなくむしろ逆で、一応形や食感は残し、中身を自分たちの望ましいと思うものに代替しようという、一見むちゃくちゃにみえる「換骨奪胎」型の、 折衷的な食文化なのです。少なくとも今の段階ではそういうことができます。だからこそ、あまり抵抗感がなく購買する人が増え、人気が高まっていると言えるかもしれませんが、裏返して考えると、幼いころから培ってきた食習慣は、想像以上に根深く体になじんだものであって、倫理や環境への配慮などの理性的な思いだけで簡単に破棄することがいかに難しいものであるかを、改めて示しているように思います。
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参考リンク・文献
—-ドイツの菜食ブーム全般について
Carsten Holm, Eine Welt ohne Wurst, Der Spiegel, ERNÄHRUNG, 17.1.2017.
Anne Waak, So gut und teuer ist die Rettung der Welt, Die Welt, 2.12.2011.
—-ヴィーガニズム、ヴィーガン向けの食品・商品について
Franziska Pfister, Vegan ist das neue Bio, Wirtschaft, NZZ am Sonntag, 21.2.2016.
Vegan-Boom: Kernmarkt der vegetarischen und veganen Lebensmittel wächst auf 454 Millionen Euro, IFH Köln, Institut für Handelsforschung, Pressemitteilung, 22.02.2016.
Silvia Liebrich, Das neue Bio, Süddeutsche Zeitung, 11.2.2015.
Veganismus, Wikipedia (Deutsch)
ヴィーガニズム、ウィキペディア 日本語
Tiere? Nein Danke! - Veganer erobern die Schweiz, SRF, 10.8.2013.
—-ミューズリーについて
Müsli, Wikipedia (Deutsch)
Birchermüesli: Weltweit bekannte Schweizer Spezialität, Betty Bossi.
—-菜食志向の人の特徴について
Christina Jung, Weiblich, jung und fleischlos, Weltvegetariertag 2013, 1.10.2013. Eco Woman,
Frank Ufen, Weitaus mehr Frauen als Männer essen vegetarisch, Wiener Zeitung, 14.2.2013.
Sebastian Herrmann, Der typische Vegetarier Weiblich, jung, fleischlos, Süddeutsche Zeitung, 13.3.2014.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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