ヨーロッパの信号と未来の交差点 〜ご当地信号から信号いらずの「出会いゾーン」まで
2017-01-06
信号機が照らし出す、止まれや進めといった意味をもつ3色あるいは2色の色は、 世界にある様々なシンボルや標識のなかでも、人々に最もよく意味が知られるものの一つと言えるでしょう。一方、信号の色や形、またその認識は、世界各地で若干違っています。信号機が信号としての機能以外に、歴史的な意味や象徴的な意味がこめられている場合もあります。また、従来の信号ではなかなか解決されなかった交通渋滞や混乱を、信号を用いない方法で解決しようという構想や実例もあります。
今回は、いつも目にしていて、一見、不動の地位にあるようにみえる信号の、地域的多様性や最新の交通構想における新たな役割について、ドイツ、オーストリア、スイスを例にして、ご紹介したいと思います。
信号の色の識別に関わる母語や文化
日本では信号といえば、赤、黄、青だと思われていますが、こう答える人は、少なくとも、ドイツ、オーストリア、スイスの三国のヨーロッパの国々ではまず見当たりません。まず、青ではなく緑と捉えます。スイスに移り住んでまもない頃、ほら信号が青になったよ、と言って、スイス人に驚かれることが何度かありました。赤の信号については、「赤」で誰も異議を唱えませんが、黄色になるとまた意見が割れます。黄色という人とオレンジという人がいるためです。
信号の色自体は、日本と大して変わらなくみえるのですが、なぜヨーロッパでは青ではなく緑、また黄色ではなくオレンジなのでしょう。単に、日本人が青や黄だと思い込んでいるように、信号は緑やオレンジだと習慣的に理解しているためと説明することもできますが、それ以外の理由として、青の光に関しては、ほかのところで使われ、違う役割を連想させるものであることが大きいようです。ヨーロッパのドイツ語圏3国では救急車、消防車、警察といったサイレンを鳴らして走る車の上についている光が、蛍光灯の光をさらに青くしたような冷たい感じの青色で、緊急車全般を総称して「青い光」と呼ぶこともあります。緊急車が青色の光りなのかの理由についてスイスの主要日刊紙NZZの昨年の記事では、黄色や赤い光が暖かい印象を与えるのと対照的に、青い光は冷たく感じ、緊張感を高めるためと説明しています。
ちなみに日本が信号を緑でなく青と捉えるのが定着し(結局、日本の正式名も「青信号」となっ)たことの大きな理由として、古代の日本では、現在の緑色を指す概念がなく、広く「青」ととらえる色の語感が影響している、とよく説明されますが、緑と青を区別しない言語は、 日本の古語に限ったものではなく、世界的にみると意外に多いようです。
また最近の研究では、色を識別する語彙そのものが母語にないと、名称として色を区別しないだけでなく、実際の色の識別にも支障がでてくることがわかってきました。これについては、南西アフリカのヒンバ族を対象にして実験が有名です。日本の古語同様に、青と緑を区別しない言語体系をもつ南西アフリカのヒンバ族の人たちは、緑色のカードのなかに一枚混ざっている青色のカードを見つけることがなかなかできませんでした。緑と青を単に言語的に区別しないだけでなく、(私たちには容易な)違う色としての区別が難しかったためと考えられます。一方、同じヒンバ族の言語では、青緑系の色を、色調(明暗)によって、細かく区別します。別の実験で、色調がわずかに違うだけの12枚の緑色カードを並べ、そのうちの一枚と同一の色調のカードが、12枚のカードのどれと全く同じ色かを選んでもらうという問題を出すと、ヒンバ族はすぐに正しく選ぶことができました。
信号機は世界中に同じように立っていますが、それを見上げる人たちは、地域やなにを母語とするかによって、そのなかに照らし出される色をそれぞれ違った色として感じとって、判断しているということのようです。
信号にこめられたメッセージ
話は少しずれますが、ヨーロッパでは毎年初夏に国対抗の歌唱大会「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」が1956年より開催されています。テレビ放送を通して毎年2億人以上が視聴するという、ヨーロッパでは、さながら音楽版オリンピックといった感じの歌の祭典です。優勝した歌手の国が次回のコンテストの開催地となるというルールがあり、2014年はオーストリアの歌手Conchita Wurstが優勝したことをうけて、翌年2015年はウィーンで開催されました。その際コンクール開催の記念として、ウィーンの街なかで一部新しく設置されたものがありました。歩行者用の信号機です。
この信号のなかに現れた人物は、これまでの歩行者用信号ではみたこともないユニークなものです。赤信号も青信号も、一人ではなく二人組で、しかも男女、男同士、女同士と3種類のパターンがあります。緑の信号で表示されるそれぞれの二人は、手をつないで仲良く渡るポーズで、二人の間にはハートのマークまでついています。コンテストのあとも 、ウィーンの 120ヶ所に設置されているこのような信号は、ウィーンの都市の新しいシンボルとして定着し、 歩行者用信号機前が街の人気スポットの一つとなって観光客が写真をとるほどの盛況ぶりです 。
ウィーン市によると、この信号は、単に斬新なデザインを意図したのではなく、いくつかの重要なメッセージが込められているといいます。まず、世界に開かれた、また広く人権を擁護する都市ウィーンのイメージをアピールするものだそうです。コンテストで優勝した歌手自身もゲイであり、そのような人権的な主張が信号にこめられるというのが、いかにも現代的、ヨーロッパ的です。
また、安全な交通のために、信号をもっとよくみてもらうことも大きなねらいだったとされします。2014年、22人の子どもがウィーンの信号の横断歩道で事故にあっており、そのうちの3分の1が、信号を見ないなどの不注意によるものでした。このため、もっと信号をみてもらえるよう、新しい信号で色が照らし出される部分ずっと大きくなっています。これにより、従来のものに比べ、二人のペアだと照らされている色の面積は40パーセント増加しました。結果、この新しい信号では従来型のものより、2割弱、赤信号で渡る人が減ったといいます。
ご当地信号
ドイツにも、いくつかユニークな信号機があります。最も有名なのは、ベルリンの旧東ドイツ地区のもので、 体のわりに頭が大きくコミカルな風情の男性像の歩行者用信号です。ドイツ東西統一直後は、旧西ドイツ側のものと同一にするため撤去されはじめましたが、抗議が殺到し、今では東ドイツ時代の歴史をしのぶ一つの象徴的な存在として、親しまれています。またそのモデルが男性 だったので、それの女性版とも呼べる女性のモデルの信号機を取り入れた都市も各地にでてきています。昨年は、街にゆかりのあるキャラクター(1960年代以降国営放送で使われているアニメのキャラクターMainzelmännchenで、街にはこの国営放送の本社があります)を信号に使った信号機も、登場しました(マインツ市)。
これらの信号は、全国的にもまだめずらしいため話題性も高く、地域の観光資源の一つとしてもてはやされ、関連グッズは、観光みやげとして不可欠のアイテムになっています。交通安全にも貢献し、観光資源ともなるこのような、ご当地キャラならぬご当地信号が今後、ますます増えていくのかもしれません。
また、常設されているものではありませんが、ポルトガルのリサボンでも数年前に、世にも変わった歩行者用信号が試験的にあらわれ注目を浴びました。信号近くのブース内で踊る人の姿を、ライブで赤信号の時にシルエットにして 映し出すというものです。 赤信号の間中、小さな信号のなかで踊る小人の姿を見るのは楽しく、赤信号を眺める人が増えた結果、信号無視が8割減るという画期的な効果があったといいます。
このような歩行者信号の最近の展開をみると、青信号よりも長い時間見つめられ続ける赤信号には、まだまだ工夫のしがいがあるということかもしれません。
交通を制御する信号から、信号を制御する交通へ
このように信号機を巡って新たな地域性が育まれてきているようにみえる一方、長らく交通を司っていた従来の信号の機能よりも効果的な交通制御方法がないかと考える人たちもいます。
2012年にGolden Idea Award という賞(1987年から毎年、実現可能なイノベーティブなアイデアで、環境問題や社会全体に貢献するようなものにおくられているスイスの賞)を受賞したチューリッヒ工科大学のヘブリンクDirk Hebling教授は、その分野のフロンティア的な存在です。人や交通の流れを物理的モデルで再現する研究で知られる教授によると、従来、信号が交通の流れを制御していましたが、今日はむしろ逆の方向に向かっている、と言います。つまり、交通の流れ自体が信号を制御するという方向です。教授が考案し、従来の信号や交通のパラダイムを一転させる画期的な発想として受賞につながった「自己制御する信号self controlling traffig lights」は、文字通り自分で制御、統括する信号というものです。信号とほかの道路上にある車両、また信号同士が交信するという方法で、 「緑の波”Grünen Welle”(スムーズな交通)」を導き、渋滞や事故の際にも時間とエネルギーを減らすことで環境にも貢献できるという構想です。ザクセン州のドレスデンで試験期間を経て、うまく機能することが確認されました。
教授によると、信号が交通の流れを制御するのではなく、交通するものが制御することによって、交差点容量(交差点のなかを通行する車両の量)や利用度を格段高めることができるのだそうです。現在は構想をさらに進め、交通手段がIoT 技術の発達によってお互いに協調することで、信号を全く使わないようにすることが可能かを、マサチューセッツ工科大学と共同研究中であるとワトソンの2015年のインタビューで、明かしています。(Watson, 20.05.15)
信号を一切使わない交通要所「出会いゾーン」
一方、最先端の科学に頼らずに、 信号なしに多様な車両と歩行者を交通させる方法が、ヨーロッパの一部で、実はすでに存在しています。
スイスの首都ベルン郊外のブルクドルフ Burgdorf市という小都市で、1996年から取り入れられはじめた「出会いゾーン Begenungszone」と呼ばれるゾーンの設置です。これは、駅前や市の中心部、学校付近、居住あるいは商工業地帯など、様々な車両同様多くの歩行者が利用する交通地帯において、車道、歩行者道と区分けしたり、その交通整理に信号などを設置するかわりに、横断歩道も信号もすべて取っ払い、すべての移動者が同時並行して横断・交通できる地帯とするものです 。すべてが進入を許され、信号や横断歩道がないかわりに、ここでは安全性を担保するため二つのルールが徹底されます。一つは、歩行者の優先(車両は一時停止して歩行者が行き交うのを待ちます)、もう一つは車両の時速20キロ制限です。 これにより出会いゾーンでは、車両と歩行者が共同で道路を利用しますが、交通は混乱せず、むしろ渋滞がなくスムーズに流れるようになります。
ドイツにも住宅街などの交通量が少ない地域に、歩行者を優先させる道路があり、類似するゾーンが設けられていますが、このようなゾーンはもっぱら交通量が少ない地域にのみ設定されており、人とほかの交通手段ともに多い、駅前などには設定されていません。これに対し、スイスの「出会いゾーン」は駅前のように人と様々な車両がごったがえす交通量が多いゾーンに設置されています。
20年前に、前代未聞のこのようなゾーンをはじめて作られた時は、スイス連邦交通庁はかなりこの案に猜疑的だったそうです。このため、ブルクドルフでの4年間の試験期間中に重大な事故が発生していたら、「出会いゾーン」の誕生はありえなかっただろうと、当時のこのゾーンの設置責任者は回想しています。さいわい深刻な事故は起こらず、2002年からはスイスの交通法でも正式に認められ、現在は、スイスで全国的に設置されています。最も多いベルン市内には、すでに90カ所以上あるといいます。また、スイスだけでなく、フランスやオーストリア、ベルギーなど、ヨーロッパで採用する国も年々増えてきています。
前述のヘブリンク教授は、Golden Idea Award受賞スピーチで、交通の「多様性への答えは、柔軟性」だとしていますが、最も簡単な手法で、様々な移動者が互いに譲り合いながら交通する「出会いゾーン」という構想は、まさに多様性を柔軟性でカバーした交通の形を示しているといえるでしょう。
おわりに
将来、交通の流れは、どう変化していくのでしょうか。赤い信号を眺める時間が減っていくのでしょうか。あるいは、信号自体が不要となるほど、交通がスムーズに流れることになるのでしょうか。それとも、延々と人々を退屈させまいように工夫をこらした赤信号を延々と眺めるのでしょうか。
なにはともあれ、新しい1年を、晴れやかな青信号の気分で、まずはスタートしたいところです。
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参考文献
——非常車両の「青い光」について
Alexandra Kohler, Marie-José Kolly, Licht mit Schattenseiten, NZZ, 9.12.2016.
——言語と色やほかの認識能力について
Holden Härtl, Bestimmt unsere Muttersprache, wie wir Farben wahrnehmen? Eine Betrachtung des Verhältnisses zwischen Sprache und Denken. (2016 年12月16日閲覧)
今井むつみ『ことばと思考』岩波新書、2010年。
Wie Computer unser Denken übernehmen, Wissen, Leschs Kosmos, ZDF, 04.10.2016(29 min)
Holden Härtl & Svenja Bepperling, Beeinflusst die Sprache unsere Wahrnehmung von Ereignissen? Einblicke in das Verhältnis zwischen sprachlicher und nicht-sprachlicher Kognition (2016 年12月16日閲覧)
——ご当地信号について
Wiener Ampelpärchen, wien.at (2016年12月16日閲覧)
Ampelmännchen, Wikipedia, Deutsch(2016年12月16日閲覧)
Carsten Linnhoff, Die Ampelfrau soll eine Quote bekommen, Nordrhein-Westpfalen, Dortmund, 18.11.2014 |
Mainz bekommt erste Mainzelmännchen-Ampel, ZDF Heimatstadt, Spiegel Online, 23.11.2016.
リサボンの踊る信号The Dancing Traffic Light Manikin by smart(ビデオ)
Ampelmännchen tanzen für mehr Verkehrssicherheit, Welt, 22.09.2014
——渋滞の少ない交通システムについて
Golden Idea Award 2012 für selbststeuerndes Verkehrssystem, 28.09.2012.
Dirk Helbing receives Golden Idea Award in Zurich, 15.10.2012.
Golden Idea Award 2012 für selbststeuerndes Verkehrssystem
28.09.2012 13:11
Phillip Löpfe, «Das Auto der Zukunft wird eine Mischung aus Büro und Wohnzimmer sein», Watson, (Interview mit Dirk Helbing), 20.05.15,
Golden Idea Award 2012 für selbststeuerndes Verkehrssystem, 28.09.2012.
Dirk Helbing receives Golden Idea Award in Zurich, 15.10.2012.
——出会いゾーンについて
Thomas Schweizer, Begegnungszonen in der Schweiz - ein Erfolgsmodell, Fussverkehr Schweiz(2016年12月15日閲覧)
Begegnungszone (vormals Flanierzone) (2016年12月15日閲覧)
Philippe Müller, Erste «langsame» Stadt der Schweiz, Berner Zeitung, 1.12.2016.
Begegnungszone, Wikipedia (Deutsch)
Neun neue Begegnungszonen in der Stadt Bern, Der Bund, 31.3.2016.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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