進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み

進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み

2017-10-17

前回みてきたように(「スイスの受験事情 〜競争しない受験体制とそれを支える社会構造」)スイスの現在の受験をめぐる状況は、日本人の目からみれば過剰には全く思えないのですが、スイス国内では、批判の声もあがっています。特に、チューリッヒ工科大学の学習発達心理学の専門家シュテルンElsbeth Stern教授の主張は、そのなかでも強烈で、受験のあり方というより、ドイツ語圏のエリート教育制度として長い伝統があるギムナジウムという学校制度の根幹を問う問題として、数年前からスイスやドイツで波紋を呼んでいます。今回は、 シュテルン教授の斬新な提案をとりあげながら、スイスや世界全体を覆う受験というシステムを相対化して、考察を続けてみたいと思います。
知能指数が足りない生徒のいばらの道
スイスではギムナジウムとよばれるエリート学校に行く子どもたちの割合は、以前よりは増えてきたとはいえ、現在も全生徒の2割にすぎず、「ギムナジウムに行く生徒」イコール「文句なしの優等生」と、これまで疑われることなく信じられていました。しかし、シュテルン教授が、スイスの各地のギムナジウムで行った知能検査を行うと、衝撃的な結果がでました。検査を受けた3人に一人の生徒が、ギムナジウムの授業についていくために最低必要とされる知能指数(112.6)以下だったのです。この結果から解釈すると、ギムナジウムには、そこに見合う学力をもたない生徒が相当数在籍しているということになります。
この結果を深刻に受け止めたシュテルン氏は数年前から、ギムナジウムに入るために従来の筆記試験のほかに、知能検査も課すべきと主張するようになりました。彼女が知能レベルにこだわる理由は、大きくわけて二つあります。
まず、本来の能力的には在籍に無理がある生徒がギムナジウムにいることで、その当人たちが不利益を受けているためです。本人は、授業に追いつける十分な学力がないため、受験の時だけでなく、ギムナジウム在籍中もずっと、私塾や家庭教師などなんらかの補習授業を受けなければついていけません。そのような補習授業を受けられる経済的環境があるからといって、それで問題が解消されるわけではありません。ギムナジウムを卒業後に進む(ことが一般的な)大学では、さらに高度なレベルの学力が求められるので、卒業後はさらに状況はよくなるどころか悪化します。
もしもギムナジウムに入学しないで、本人の能力に合った職業訓練の道にすすめば、そこで自分の能力と才能に見合うキャリアを着実につんでいくことができますが、ギムナジウムに進み、残存すれば、悪循環から脱する機会が先延ばしになるだけだといいます。
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優秀だが進学に困難な状況にあるこどもたちを救済する道
しかしシュテルン氏は、当人たち自身が抱えるこれらの問題とは別のもうひとつの問題もあり、むしろそちらの方がより深刻だと考えているようです。ギムナジウムに行くのが全生徒の約2割というスイスの割合は妥当であるにせよ(ちなみにドイツでは全体の約半分がギムナジウムに進学します)、2割という社会的「エリート」の枠の一部が不適な子どもによって占められることで、本来ギムナジウムに入ることができる資質をもつ経済・社会的に恵まれない生徒たちのギムナジウム入学をしにくくしているのが問題だとします。シュテルン氏自身はドイツ出身ですが、裕福で教育熱心な家庭とは全く無縁の田舎の農家の家庭に育ち、女の子がギムナジウムに入ることはないという家庭方針の親を説得するのが非常に大変だった経験をもち(Meili, 2016)、資質があってもギムナジウム進学が困難な子ともたちの問題が他人事とは思われず、状況を改善したいという強い社会正義感がとりわけあるのかもしれません。
このため、入学者をより正しく選抜できるように、入学希望者の選考に知能指数も測り、ギムナジウムにふさわしい能力の生徒にその道が開かれるのが望ましいと考えています。ちなみに、知能検査は訓練すればある程度指数をあげることが可能なため(特別にトレーニングをして本来の実力以上に知能指数をあげてギムナジウムに入ってこようとする生徒を阻むため)知能検査だけでなく通常の筆記試験も依然重要だといいます。
現状では、シュテルン教授の主張がたびたびスイスやドイツの主要メディアでとりあげられいるだけで、最終的にどのような形でこの提案が社会に着地するのか、あるいは着地せずに消滅するのか、まだ全くわかりません。ただ、センセーショナルな話であったことは確かなようです。シュテルン氏のこのような主張が紹介されているオンライン日刊紙『ターゲスアンツァイガー』(Reye, 2014)の記事には(2017年9月末現在)、一記事のコメントとしては異例の、387件という多数のコメントが読者からつけられており、主張の是非は別として、反響が大きかったことを物語っています。ちなみに、この記事とあわせて行ったアンケートの質問、「自分の意思に反してギムナジウムに行かされている子どもが多すぎると思うか」に1734人が回答していますが、その圧倒的多数(81.1%)が「そう思う」と答えています。
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受験準備のための補習授業
シュテルン氏の批判の背景には、裕福な家庭の子どもたちが、塾や家庭教師などのプライベートの受験準備授業を受けることができても、経済的に余裕がない家庭の子どもたちにはできないという、受験準備における経済格差の問題があります。これを解決するため、シュテルン氏は知能検査という新たな座標軸を提案しましたが、経済格差に起因する問題を緩和・改善するための別の対策も始まっていますので、これについてもご紹介しておきます。
まず、受験希望者のために学校が無料で生徒に無料で受験準備授業を行うというものです。チューリヒ州では2006年から施行されている教育条例で、すべての公立小中学校で義務化され、例えば、中学校では入学試験の前数ヶ月の間、受験の科目(数学、ドイツ語、フランス語)についてそれぞれ15回にわたって、教師たちが放課後や昼休みなどの時間を使って特別の準備授業を行うことになっています。これは、受験の準備が一通り完了するようなプログラムになっています(授業の対象者は、ギムナジウム受験が可能と見込まれる程度の能力をすでに身につけている生徒ですが、受験を希望する者は原則として誰でも受講できます)。
もちろんこれ以外にプライベートに勉強することもできますが、スイスの塾や家庭教師はかなり高額であることもあり、いまだにそれほど普及しておらず、学校が設定してくれているこの授業を受けるだけで、それ以外は特におおがかりな準備はせず、スポーツやお稽古事なども中断せずに続けながら受験に臨むという生徒が、少なくともわたしの知る限り、圧倒的多数派です。多くの州は過去の入試問題もインターネットで公開しており、それをもとに独学もできます。受験料も日本円で数千円と安く設定されています。また、いざギムナジウムに入学したとしても、教科書や遠足代は自分もちですが、授業料は、自分の住む州内のギムナジウムであれば公立学校と同様に無料です。奨学金を希望する場合は、オンラインで簡単に申請でき、インターアクティブにプロセスが進行できるシステムになっています。
これらの一連の制度は、受験や進学に伴う経済格差を完全に解消するものではないにせよ、補習授業が導入される以前に比べ、ギムナジウムの門戸が格段に社会に広く開かれ、受験準備やギムナジウム入学の機会の平等化に大きく貢献をしているといえるのではないかと思います。
のびしろが期待される場所と時が日本と違う?
さて、これらのスイスの教育や人の能力に対する議論を聞いていて、みなさんはどうお感じになったでしょうか。受験競争がエスカレートしないシステムには全面共感して首をたてにふっていらした方も、知能検査でその人の潜在的な実力をはかり選抜するというようなところまで話がくると、違和感をお感じになったかもしれません。ギムナジウムを卒業した大人たちや現在在籍中の生徒の間ではなおさら、自分には十分な知能指数があったのだろうかと内心ヒヤリとして、冷静に判断できる問題というより個人的な感情が強くでてしまうテーマかもしれません。
スイスのこのような一連の進学についての議論を聞いていて、わたしがそもそも気になるのは、子どもが伸びることに対する評価です。努力をして伸びることへの期待が少なすぎるのでは、といういう気がたびたびします。日本には 「がんばる」という言葉があるほど(ドイツ語にはそれにぴったり合う訳語がありません)、日本ではがんばること、努力することに高い美徳があるように思われますが、そのような日本のガンバリズム文化に育った一個人の感情としては、子ども本人が勉強で努力して伸びるという可能性が、スイスの学校では不当に過少に評価されているような気がして、ちょっと物足りません。ただ、実力重視でやたらにがんばらずにそれぞれの進路をみつけるというモットーと、なんでも努力で到達が可能だと信じてがむしゃらがんばる姿勢は、多くの点で相反してしまい、現実的には学校の現場では両立が難しいようにも思います。このため、競争型のガンバリズムを煽らないために、個人の努力に対しそれほど重きを置かないくらいが、全体としてはちょうどいい落としどころになっているのかなという気もします。
また、スイスで、生徒ののびしろ(実力の伸張)を全面的に過少評価しているというわけでも必ずしもありません。スイスでは職業訓練教育に進んだあとも、大学などの高等教育機関で勉強がしやすいような制度が整っており、実際に職業訓練課程修了者の2割が大学入学資格を取得しています。社会的な地位も収入も高い「マイスター」という、それぞれの専門分野のプロへの道も開かれています。つまり、最終的に自分が進みたい進路・職業に向かっていくつものルートがあり、 ギムナジウムの受験にがんばらなくても、ほかにルート上で自分のキャリアアップの機会も努力する場をいくつもあるということになります。その意味では、スイスのほうが日本より、人ののびしろを、学業や受験の結果だけで測定せず、広義の「能力」と想定し、射程範囲を広くとっているといえるかもしれません。いずれにせよ、受験や進学のために成績を伸ばすことやその努力の価値や意義は、相対的に低いものになっています。
スイスの生徒たちの学校生活
ギムナジウム受験に対する議論を一通りみてきた最後として、このような世界的にもかなり特殊な教育制度下にいるスイスの子どもたちはどんなふうに学校時代を送っているのかを、子どもの視線に立ってみてみたいと思います。参考にするのは、OECD 諸国が、3年ごとに学習到達度調査(通称PISA)を行っているのに付随して行われ、今年公表されたアンケート調査です。(以下は、その調査結果をまとめた記事Schweizer Schüler, 2017からの抜粋です)。
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スイスの15歳の生徒たちの、10段階評価(0から10までで、10が最高)での自分の生活についての満足度は7.72%で、調査したOECDの35カ国のなかで、メキシコ、フィンランド、オランダ、アイスランドの次の5番目に高い満足度を示しています。自分の生活に非常に満足(9−10)していると答えた生徒は、全体の39.6%にのぼっています(OECD の平均は34.1%)。学校の学習結果全般についても、フィンランドやオランダとならび、生徒が高い満足を示しています。
ほかの特徴をいくつか列挙すると、テストの前に非常に緊張すると回答した生徒がOECD諸国の平均では55.5%いるのに対し、スイスでは33.5%とかなり少なめ。自分がクラスで成績ベストのグループに入っていると感じている生徒の割合は、OECDの35カ国では平均6割あるのに対し、スイスでは4割。OECD諸国で平均して44%の生徒が大学を修了したいと回答しているのに対し、スイスでは27%、などがあります。
このアンケート結果と、スイスの学校のあり方を合わせて考えると、スイスの子どもたちは、世界のほかの国々の同世代と比べて、職業訓練課程というオータナティブの選択肢があるため、高いランクの大学を目指すなどの学力の競争に早い時期からあおられることが少なく、このため、テストへのプレッシャーが少ない。結局、クラスで自分がよい成績だと思う人は少ないのに、自分としては、学習結果(学力)を含め全般に自分の人生に満足度が高いということのようです。
おわりに
スイスの受験が、現状のような形で維持されているのには、教育界や産業界、また社会全体の世論との間で合意があり、目指すべき方向性が一致していることが大きいといえるでしょう。もしも社会的な支持や産業界の擁護・受け入れ姿勢が弱くなれば、高校進学と職業教育の2本立てのバランスが崩れ、制度として職業訓練課程が存続するかに関係なく、高学歴化や受験競争のヒートアップ化という世界的な潮流に合流していくのに、それほど時間はかからないのではないかと思います。
日本でも2021年から大学共通テストが大幅に変わり、今後大学や教育現場全体に改革が進んでいくのかと予想されますが、スイス同様に、教育界だけでなく、産業界や社会全体が擁護、支持する形にいかにもっていけるかが、改革を長期的に成功に導く重要な鍵といえるかもしれません。
<参考文献とサイト>
Meili, Matthias, Star der Intelligenzforschung. In: Tagesanzeiger, 14.6.2016.
Reye, Barbara, In Schweizer Gymnasien sind Kinder, die dort nicht hingehören. (Interview mit Elsbeth Stern) In: Tagesanzeiger, 24.10.2014.
Schoenenberger, Michael, «Die Schweiz ist ein Ort der Seligen». (Interview mit Elsbeth Stern) In: NZZ, 29.7.2017.
Schweizer Schüler sind wenig ehrgeizig, aber zufrieden. In: Tagesanzeir, 19.04.2017, 17:43 Uhr.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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