途上国からの「バーチャル移民」と「サービス」を輸出する先進国 〜リモート・インテリジェンスがもたらす新たな地平

途上国からの「バーチャル移民」と「サービス」を輸出する先進国 〜リモート・インテリジェンスがもたらす新たな地平

2018-05-25

「あなたの仕事は離れたところからでもできますか?Can you do your job remotely?」(Neu überschreiten, 2018)
ジュネーブ国際問題高等研究所教授で、2016年に出版された『世界経済 大いなる収斂 ―ITがもたらす新次元のグローバリゼーション』の著者であるボールドウィン Richard Baldwinは、そう私たちに問い、もしそうなら、わたしたちの仕事はなくなる危険があるといいます。自分たちより賃金が安くてすむ国の人に、仕事が奪われる可能性があるためだからだとします。
それが単なる極論や理論上の話ではなく、実際にこれから十分起こりうる話なのだと、ボールドウィンは順序だてて説明します。今回は、ボールドウィンのそのような見解を追いながら、グローバリゼーションの新たな潮流が、わたしたちの就労環境にどんな影響をあるかについて、少し考えてみたいと思います。
グローバリゼーションの第一段階、モノの大量移動
壮大なスケールの地理的・歴史的な分析をベースにしたボールドウィンの就労環境に与えるグローバリゼーションの新たなインパクトについての見解をまとめることは、本来、門外漢のわたしができるようなことではないとは重々承知していますが、どうかご容赦いただき、以下、大筋をご紹介してみます。
ボールドウィンが、グローバリゼーションにおいてとりわけ重視するのは、モノ、アイデア、人がひとつの場所からひとつの場所に移動させるためのコストです。それがどのくらいのコストであるかが、グローバリゼーションの進行を大きく左右すると考えます。
そのような視点でグローバリゼーションを歴史的に観察してみると、これまでのグローバリゼーションの歴史は、最近まで、大きく2段階に分けられます。最初のグローバリゼーションは、モノのグローバリゼーションで、19世紀の産業化時代以降にはじまったものです。鉄道や蒸気船、車など輸送手段の発達から、物流のコストが格段に下がったことからはじまりました。これにより世界のさまざまな場所から場所へモノが移動することができるようになった現象こそ、最初のグローバリゼーションの特徴だといいます。
輸送手段の発達によって、はじめて短時間で長距離をしかも安価で運ぶことができるようになり、海外から輸入したものを飲食したり、装着したりできるようになりましたが、その一方、モノが安く輸送できるようになっても、アイデアやノウハウの伝達は以前、小規模にとどまっていました。
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グローバリゼーションの第二段階(1990年代以降)と新たな最近の展開
グローバリゼーションが決定的な二段階目に突入するのは、1990年代以降、インターネットなどの情報通信技術(ICT)が画期的な進歩を背景にはじまってからで、それは、情報のグローバリゼーションとも呼べるものだといいます。もちろんそれまでも書籍や電波放送などで情報のグローバルな伝達がされてきましたが、インターネット関連のテクノロジーによって、大量の情報が格安でしかも瞬時に世界中に送ることが可能になり、状況が大きく進展しました。遠隔で管理するコミュニケーション手段ができるようになったことで、途上国など生産が安くできる国に工場が移転されるようにもなっていきます。
ただしこの時点でも、人の移動は、モノや情報に比べると、比較的コストがまだ高く、歴史的にみれば移動量は全体としては多くなってきているとはいえ、モノや情報に比べると、量的な規模は飛躍的に多くはなっていませんでした。
しかし、最近はさらにICTが発達したことで、人の移動がいよいよ大規模になり、近い将来、さらに大きなグローバリゼーションの内実の大きな変化が起こるかもしれない、といいます。それは、「バーチャルな移住」とでも表現できるようなものだとします。それは、人が大量にある場所からある場所に移動するのではなく、グローバルなコミュニケーション技術を駆使することで、バーチャルに人が世界中を移動するようなグローバリゼーションの形態だとします。
このような新しいグローバリゼーションの潮流は、従来の就労のあり方を大きく揺るがすものになると、ボールドウィンは考えます。そのインパクトは、人々の雇用先を奪うものとして数年前よりさわがれている人工知能と同じくらい大きいものだとします。
リモート・インテリジェンス(RI)
そのような、その場所にいかなくてもその場に行った時のように作業ができるテクノロジー全般を、ボールドウィンは、人工知能Artificial Intelligenceに対置して、リモート・インテリジェンス(RI)Remote Intelligence、と名付けます。
ボールドウィンが、「リモート・インテリジェンス(RI)」と考えるものは、主に2種類あります。

・遠隔ロボット

作業現場にロボットを配置し、ICTの遠隔操作で、その場にいかずに作業を行う。

・遠隔プレゼンス

ICTを通じて、バーチャルな形で現場に出現し(その場所にいるのと同じように)仕事を処理すること。

前者が、配達物を届けるドローンや原発事故現場で除染作業するロボットのように、実際に作業している部分に人の気配がないのに対し、後者のほうは、インターフェース(末端)に、(遠隔にいる)人自身がバーチャルな形で現れるとします。しかし、この二つの違いよりも、共通する特徴の方が重要です。それは、これまでの技術と常識ではそこにいないとできなかった仕事である、サービス・セクターの仕事が、ほかのところにいる人にもできるようになるという特徴です。
ここで、冒頭の質問がでてきます。「あなたは、自分の仕事を遠隔からでもできますか」。つまり、リモート・インテリジェンスを使ってできる仕事か、ということですが、もしそれがイエスなら、理論的に、ほかの国(賃金が安い国など)でその人と同じことができる能力のいる人がいれば、その人の仕事が、ほかの国の同じ能力を要する人にとられてしまうということになります。
企業が従業員の人件コストを端的に減らそうと考えるのならば、それは十分考えられることだといいます。たとえ先進国の従業員の半分の給料でも、それが当事国の給料として高給であれば、バーチャルな従業員として先進国企業に勤めたがる人材を、企業は十分確保できるでしょう。もちろん最初から、高い質の仕事になるわけではないでしょうが、経験を増やしながら、より現地の従業員並みに仕事の質を向上させていくことは可能だとします。
自分自身が移動しなくても、先進国の魅力的な就労条件の仕事につく可能性が大きく広がったという意味では、途上国にとって、このICTを駆使した遠隔インテリジェンスは、おおきな恩恵になるといいます。
国や当人のスキルによって異なるインテリジェンスのメリットとデメリット
逆に、先進国では、これまでの雇用先を失う人がでてくることになるでしょう。たとえば、安いホテルの受付の人が、本物の人ではなく、貧しい国の人がバーチャル・スタッフとして、端末の画面や、ホログラムに登場し、接客することがありうるとします。
人工知能が本物の受付スタッフを代替することももちろん可能であり、実際にそのようなホテルが少しずつでてきていますが、サービス業という分野では、とりわけヒューマンな融通や機転が重視されるため、少なくとも当面は、人工知能と並行して利用される可能性が十分にあると、ボールドウィンは、考えているようです。
いずれにせよ、それでは、リモート・インテリジェンスは、人工知能脅威論同様、先進国にとってもっぱら不利益の結果を招く「不都合な事実」ということなのでしょうか。ボールドウィンは、そういうわけでもない、むしろ、先進国にとっても飛躍的にビジネスを拡大するチャンスも多くあるといいます。
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「サービス」の輸出という新たなサービス・ビジネス
特に高質のサービス業を誇る国や人々にとっては、メリット、利益が大きいといいます。そして、その一例として、ボールドウィンが教鞭をとるスイスの国、ローザンヌ大学病院のメディカル・サービスをあげます(Baldwin, 2013)
ローザンヌの大学病院は、高い病院のサービスをICT (情報からコミュニケーションテクノロジー)を駆使して世界中に提供しています。スイスの医療費を払うことは世界的には非常に高額です。そうであるにもかかわらず、高い報酬を払っても、高度なスイスの医療サービスを受けたいという人が世界中には実際にいるため、このようなサービスが実施されています。今後は、さらにICTが発達(はやく信頼できるもの)すれば、外科医が遠隔操作で手術すらこともできるかもしれないと言います。有能な外科医は非常に需要が高 いため、それは十分現実味のある話だといいます。
また、ほかの高度な技術のノウハウの伝授や高い教育全般をほこる企業や組織が、世界を相手に、それらを伝授するというビジネスも、これらの蓄積が大きい先進国にとって有望なビジネスになるといいます。
つまり、サービスが輸出の対象となる、言い換えれば、輸出用サービスというのが、新しいサービス業のジャンルとして成立していく、そういう時代がやってくるのではないか、とボールドウィンはいいます。
サービス業務のジャンルと可能な内容の範囲とは?
以上が、ボールドウィンの見解ですが、このようなサービス分野でのリモート・インテリジェンスを利用したサービスの拡大は、実際にどこまで可能となっていくのでしょう。逆に、どこからは画面やホログラムの人ではなく、実際にその場に人がいることが必要なのでしょうか。これらのことについて、もう少し具体的に考えてみます。
例えば、ボールドウィンが具体的に指摘した医療分野では、今後どれくらいリモート・インテリジェンスが通常の医療行為の代替として可能でしょうか。目下、医療分野では、メディカル・ツーリズムという潮流が、全世界的なトレンドとして興隆してきていますが(「ヨーロッパに押し寄せる「医療ツーリズム」と「医療ウェルネス」の波 〜ホテル化する医療施設と医療施設化するホテル」)、このような潮流とリモート・インテリジェンスを駆使した医療は、どう関連、競合していくのでしょうか。一部で競合、一部で補い合いながら、自国の医療とは異なる別の選択肢を発達させていくのかもしれません。
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すこし先の未来をみすえて、発想をラディカルにしてみましょう。現在、リモート・インテリジェンスで代替することなど想像できないような、メンタルケア部門や宗教関連の分野においては、どのくらい利用可能になるのでしょうか。
上の写真は、バチカン大聖堂内に並列する告解室(自分の罪を神から許してもらうために聖職者に告解する小部屋)です。月曜朝7時に聖堂を訪れた時のものですが、聖職者がなかに入って信者の告解のため待機している告解室がいくつもありました。緑のランプがついている告解室が、信者が入って告解できるということのようです。
ミサのある日でもない早朝から信者を迎える準備が整っているこのようなバチカンの状況とは大きく異なり、現在、北ヨーロッパのカトリック教会ではどこも神父不足が深刻に悩んでいます。このため、例えば、カトリック大国オーストリアでは、解決案として、いくつもの村の神父職を一人が兼任したり、修道士による定期的ミサの出張サービスがすでに定着しています。このような状況では、信者にとって信仰上不可欠な機能を果たしてきた告解室も、思うように運営することができません。
このような状況を総合的に考慮すると、告解室という伝統的な宗教上の信者への奉仕(サービス)業務にも、リモート・インテリジェンスが導入される可能性が将来でてくるのかもしれません。
また、ボールドウィンの説明では、対比される形で提示されていましたが、リモート・インテリジェンスと人工知能は、むしろ融合する形になり、さらにサービス内容がさらに飛躍的に拡大、向上していくことも可能かもしれません。例えば、以前自分の記憶を投入したロボットや人工知能が、ほかの人や自分自身に対応するという話を扱いましたが(「自分の分身が時空を超えて誰かと対話する時 〜「人」の記憶をもつロボットと人工知能の応用事例」)、人工知能が、本人の過去の記憶だけでなく、リモート・インテリジェンスを通じて離れた場所の本人の思考や反応も同時に融合させ、より本人の思考に近い思考や決断を、複数の場所で同時に行うことも、可能かもしれません。
デジタルノマドから考える未来の仕事
少し話はずれますが、先日参加したチューリヒ応用大学の講演会で、フリュッゲBarbara Flügge氏は、2035年に、デジタルノマドは10億人規模になると話していました(Flügge, 2018)。
デジタルノマドとは、場所や時間が固定された従来の就労の仕方とは対照的に、インターネットやほかの高い技術を活用して、固定的な仕事環境をもたず移動しながら仕事をする人たち全般をさします。各地を転々と移動しながら仕事をすると人が10億人規模で世界を移動するという未来図は、従来のしがらみにとらわれない自由なライフスタイルが確立した人たちが増えて行くというイメージを同時に、普通抱かせるのではないかと思います。少なくともわたしはそのようなイメージをこれまでもっていました。
しかし、ボールドウィンの話を聞くと、そんなデジタルノマドについての展望も少し変わってきます。リモート・インテリジェンスが発達し、遠隔でできる仕事もそれをできる人も増えるということは、逆に言えば、そのような雇用のされ方しかない仕事の分野も増えるということかもしれません。そうすると、デジタルノマドたちは、ほかの人ができない仕事をしているからどこにでも自由に移動しながらでも仕事を受注できる、という人だけではなく、もしかしたら、仕事を探し移動しながら、とりあえず当面生計を立てるための仕事を、その場その場でこなす人たちも含むことになるのかもしれません。
そして、結果として、果たして10億人という規模にまでなるのかはわかりませんが、自分が希望するかしないかに関係なく、デジタルノマドという就業の仕方になる人たちが、リモート・インテリジェンスの利用の仕方が多様になることに呼応して、確実に増えていくのかもしれません。
もちろん、デジタルノマドという現象は、多彩なリモート・インテリジェンスの社会への影響のほんの一部にすぎませんし、リモート・インテリジェンスには今想像できないような多様な形で発展していくのかもしれません。
リモート・インテリジェンスは、一体これから、わたしたちをどんな新たな就労や生活のある未来に、連れだして行くのでしょうか。
<参考文献・リンク>
Baldwin, Richard E., Globalisierung neu betrachtet. In: NZZ, 17.4.2013, 06:00 Uhr
Baldwin (2016): The Great Convergence- information technology and the new globalization. Zusammenfassung, FERI Cognitive Finance Institute. (2018年5月7日閲覧)
ボールドウィン、リチャード『世界経済 大いなる収斂―ITがもたらす新次元のグローバリゼーション』日本経済新聞出版社2018年(Baldwin, Richard E, The Great Convergence- information technology and the new globalization, Cambridge: Belknap Press of Harvard University Press, 2016.
Flügge, Barbara, Urbane Lebensräume - Die Bedeutung der Vernetzung, Digitale Innovationsmöglichkeiten in der Stadtentwicklung, INUAS-Ringvorlesung «Zukunft urbaner Lebensräume», 17.4.2018.
«Neu überschreiten auch Dienstleistungen die Grenzen» In: Echo der Zeit, 6.4.2018.
Riecke, Torsten, Das neue Gesicht der Weltwirtschaft. In: Handelsblatt, 11.03.2017.
The Great Convergence- information technology and the new globalization. A NEW BOOK BY RICHARD BALDWIN. PROFESSOR OF INTERNATIONAL ECONOMICS. THE GRADUATE INSTITUTE I GENEVA, 28 November 2016

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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