異質さと親近感 〜スイス人の目に映る今の「日本」の姿とは

異質さと親近感 〜スイス人の目に映る今の「日本」の姿とは

2018-12-03

1990年代半ばごろまで、日本からの観光客は、ヨーロッパのいたるところでみかけられ、カメラをぶらさげて急ぎ足で各国を横断する観光客の代名詞にまでなっていました。しかし、そのようなヨーロッパ観光地で名物だった「日本人観光客」の姿は、バブル経済がはじけて以降、一気に影をひそめます。今日、ヨーロッパの観光地で、博物館の多言語の音声ガイドで日本語サービスがなかったり、観光地の入り口に、観光客への歓迎の意を示すために並んで飾ってある国旗に日の丸がないのをみると、日本からの観光客の存在感が小さくなったことが実感されます。

一方、世界への観光客の輩出の勢いが衰えたのとはうらはらに、日本という地理的な国土は、海外からの観光客が大勢訪れる、一大観光地へと、急激に変貌しつつあります。福島の原発事故や、大地震、大型台風など、毎年のように大きな自然災害や惨事に見舞われ、一時的に客足が大きく落ち込む時期はあったものの、ここ10年間、観光客の数は、順調に伸びてきました。2007年に800万人を超えた外国からの訪問者数は、2016年にはその約3倍の2400万人、2017年には2870万人になっています。

ヨーロッパからの観光客も増加の一途をたどっていますが、どんな経緯で、なぜ今、日本に大挙して来るようになったのでしょうか。もちろん観光キャンペーンが功を奏しているなど、直接的な要因も大きいですが、その背景で、ほかにどんなことが起こっているのでしょう。例えば、日本はどんな国として、近年、ヨーロッパ人の間では映っているのでしょう。

先日、それ(ヨーロッパの人の日本への関心や日本へ渡航するモチベーション)を、かいまみたように感じる出来事がありました。2年に一度開催されるスイスのデザイン展示会Designers Saturdayに、今年新潟県の燕三条の地場産業の公開行事「工場の祭典」が招待されたのですが、そこで通訳として関わらせてもらった時のことです。展示会場で老若男女の来訪客とやりとりするなかで、スイス人たちが、現在、日本についてどんな風に感じているのかが、透けてみえてきたように感じました。

今回と次回の記事では、その時に得た印象や気づきをもとに、現在のスイス人が日本についてどんな思いを抱いているのか、また、実際に日本に行く人たちの観光客の心理について、ほかの事象や統計にも照らし合わせながら、考えてみたいと思います(ちなみに、今回会場で直接対話した方の圧倒的多数が、スイス人であったため、スイス人について語るという形式をとりますが、ここで「スイス人」について書いたことの少なからぬ部分は、ヨーロッパ人全般にも該当するかもしれない、と推測します。)

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異質な国 日本

スイス人にとって、日本について思う時、最初にくる印象とは、ずばりどんなものでしょう。誤解を恐れず一言で言うと、ヨーロッパとは別の文化、歴史的なルーツをもつ国、よくも悪くも自分たちとは「異質な国」、といった感じではないかと思います。ただし、面と向かってこうスイス人に聞いたとしても(相手への配慮に重きを置き、単刀直入に回答するとは限らない)スイス人のメンタリティを考慮すると、即答で同じような回答を得ることはまずないと予想されますが。

日本は、G7のメンバーであり、民主主義的な国家運営をし、国際社会への協力的な姿勢も戦後一貫してみせてきた(スイスや西側諸国の)「仲間」です。他方、いまだに、独特の伝統や慣習がさまざまな形で強く残っており、独自の秩序が成立している国というイメージが、スイス人の間に、強くあるのではないかと思われるためです。

ただし、異質である感じが強いとはいえ、「異質であるから」ということだけで、侮蔑や見下げる対象とはほとんどなっていないようです。ヨーロッパでは、19世紀以降、帝国主義や植民地化や二つの大きな戦争、共産社会主義体制との対立と冷戦状態など、さまざまなことを経験しながら、150年前には当たり前のようにとられられていた、直線的な文化経済発展論や、単純な西欧人優位論を繰り返し吟味、検証してきました。そして、今日、文化相対主義や、多文化主義を唱えてみたり、それぞれの文化の位置づけを考えるよりそれぞれの異文化間の間での円滑なコミュニケーションの手段や方法について重心をシフトさせて考える時代になってきたように思います。

このような時代には、ある文化圏の人々が、自分たちが有するもの、ヨーロッパ的なものと違っているからといって、すぐさま劣っている、と即断することは、愚かで「進歩的」ではない、という考えが(少なくとも表向きには)広範に定着しています。日本は、なかでも、西側諸国の仲間としてつきあいの長い国であるだけに、異質性がみられるというだけで、安直に評価を目減りさせるというような考え方は、まず一般的な支持が得られなくなっているように思われます。

言ってみればスイス人にとって日本とは、近所づきあいを長らくする仲になってはいるけれど、いまだに、いろいろと勝手が違うところがあり、家族や友人のように打ち解けるような仲にはなっていない、といったところでしょうか。

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日本のロボット観への理解、そのような日本人へのまなざし

では、具体的にどんなことが「異質な感じ」を抱かせるのでしょう。それを細かく言及しはじめると、日本の歴史や文化、メンタリティまで実に多岐の分野にわたり、それだけで膨大なテーマになってしまいそうです。しかし、「異質性」自体がこの記事の本題ではないので、ここでは最近顕著にみられる「異質性」を感じる例として、一つの分野に限定して話をすすめてみます。

それは、数年来繰り返し、メディアと通じスイスで紹介・注目されてきた、日本人のつくるロボットや日本人のロボットへの思い(ロボット観)、といったロボットにまつわるテーマです。

いくつか、今年、日本のロボットについてとりあげたメディアを例として紹介してみましょう。スイスの公共放送の主要な科学番組である「アインシュタイン」では、5月にロボットについての90分の特番が組まれ、様々な種類の最先端の世界の多様なロボット技術が紹介されていましたが、そのなかで、ホンダの二足歩行ロボットのアシモ、石黒浩教授のアンドロイド、初音ミクなどが紹介されていました。

ヴィンタートゥアの産業博物館では今年5月末から11月はじめまで、「Hello, Robot」というタイトルで多種多様なロボットにまつわるものやアイデアを展示していましたが、冒頭のロボットのイメージというコーナーでは、ガンダムの模型とマンガ『攻殻機動隊』が展示され、展示内部には、犬型ロボット「アイボ」やあざらし型のセラピーロボット「パロ」、また石黒浩教授とそのそっくりアンドロイドが並んだ大判の写真などが展示されていました。

また、今秋、ロボット映画特集を組んだ映画館では、「攻殻機動隊」が数回上映されていました。

このようなテーマが、近年スイスで繰り返しとりあげられてきたのは、そのロボット構想や思想自体が、世界的にみても時代を先取って優れてユニークなものと位置付けられているため、ということももちろんありますが、それだけでないように思われます。それらを生み出し、それらと関わる日本人の姿が、非常に独特に映り、関心をそそられたからではないかと思われます。

例えば、日本人が、ロボットを仲間のように扱い、ラジオ体操を朝から会社でしていたり(させるようにプログラミングしていたり)、介護施設のセラピーにぬいぐるみのようなやさしい動きをするセラピーロボットを利用するというのが、「日本の典型的なロボットとの関わり方」であるかのように、スイスでは紹介されます。これらを見れば、日本人はロボットを強く信頼し、人に対するような感情を抱いて接していると思うでしょう。

このような(スイス人の目に映る日本人の)「態度」は、スイスでは、異質な感じを抱かせます。スイスやヨーロッパでは、生き物でもないものに生き物のような愛情をかけることが、非人間的に思え、抵抗を強く覚えるためです。一概に悪いと思わなくても、生理的に受け難いようです。

ただしそのような倫理的なタブーを乗り越えて、もっともロボットを介護分野などでも多用すべきだという主張は、ヨーロッパでも最近、少しずつでてきています。昨年コラムで取り上げた、2016年にアウトソーシングの仕事に従事する人々の問題を告発し、昨年話題となった『奉公人』の著者バルトマンも、介護分野などにもっとケア・ロボットを導入し代行させることを提案する一人でした(「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」)。

そして、バルトマンもそうですが、ロボットを人の代替として未来において奨励すべきだという主張がヨーロッパで出る時、必ずといっていいほど、引き合いにだされるのが、(ヨーロッパ人がイメージする)日本人のロボット観やロボットとの付き合い方です。

違和感と共感の併存がカギ

他方、異質に思うだけでなく、同じ日本人に対して、親近感を抱いている人も、スイス人の中には増えてきているように思います。日本に、洗練された様々な文化や産業、伝統があると認めたり、まじめで、協調性があって、ひかえめな性格、といった日本人の一般的なイメージが、主体性や個性がないというネガティブな評価ではなく、好感をもって評価されている場面をたびたびみかけます。

そのように好感がもたれやすいのは、日本人の美徳や態度が、スイス人の美徳や性格に相通じるところがあるから、といえるかもしれません。例えば、日本の製造業での高い品質や正確にすすむ電車などは、スイス自身が自国において評価したり、ほこりにしているところとも重なっています(例えば「スイス人と鉄道 〜国際競争力としての時間に正確な習慣)。

まとめてみると、日本に対して、異質感と親近感、両者が共存している、というのが、現在の日本への見方の特徴であるように思われます。今日、スイス人のなかで日本人や日本に違和感や不思議な感じをもち、好奇心を駆り立てられる人の割合は、その逆、つまり日本人でスイスやスイス人に違和感や不思議さや好奇心を抱く人の割合よりも、ずっと高いと言えるでしょう。

これは、少し冷めた捉え方をすれば、メディアが率先して、ポジティブなイメージと異質感がドッキングし、そのギャップがあるから余計おもしろい、と演出することが多く、日本が、なにか特別にセンセーショナルなものであるかのように仕立てあげられている、ということであるのかもしれません。

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次回に続く

不思議さと親しみやすさ、異質だけど信頼ができそう、といった、相反する二つの面が共存しているのが、今のスイス人の日本のイメージだとすると、そんなイメージを抱いたスイス人たちは、その先どうするのでしょう。このようなギャップに好奇心を駆り立てられ、そんな国にあえて行ってみたくなる人がでてくるのも不思議はありません。

次回は、そんな、日本に行ってみたいと思うスイス人に注目し、その人たちの心理や、日本側のこれからの課題について、考えてみたいと思います。

参考サイト

bei den Robotern. In: Einstein, SRF, 03.05.2018, 20:11 Uhr

«Hello Robot», Gewerbemuseum Winterthur,

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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