スイス人と鉄道 〜国際競争力としての時間に正確な習慣

スイス人と鉄道 〜国際競争力としての時間に正確な習慣

2016-05-08

時間をきちんと守ることは、スイス人がとても大切にしている習慣の一つです。会議は、各自が時刻前に入室し、他の参加者一人一人を挨拶で一巡したあとに、定刻通りはじまります。私的な集まりでも時間厳守の習慣はほとんど変わらず、もしも5分遅刻でもしてしまったら、すかさず謝ります。スイス人の習慣について書かれた本にも、スイスでは約束の時間に正確に現れることが期待されており、遅れるとしても10分から15分が許される限界だと書いてあります。招待された時刻に「OX時以降」と書いてある場合も、遅れていいのはその時間から15分までで、それ以上遅れるのはホストに対して失礼になるとも書かれてあります。
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子供たちの世界も例外でなく、同じ原則が有効です。例えば、子供の誕生会の招待状に「2時から」と書いておくと、たいてい2時ぴったりに、インターフォンが鳴り、ドアを開ければ、招ばれているのが幼稚園生でも小学生でも、ほとんど全員が玄関に集合しています。お誕生日会だから招ばれた方も相当張り切っているというのもあるでしょうが、招ばれた時間に遅れないようにする、家から送り出す親の時間的な配慮も完璧なのでしょう。スイスでは子どものころから、時間を厳守する習慣が、家庭や社会環境のなかで、しっかり根付いている気がします。
これほどの時間に正確な習慣は、お隣の国々でも見当たりません。オーストリアやドイツ人のスイス人について記述でも、スイス人がいかに時間に正確であるかが強調されており、スイスでビジネスを成功させたければ約束の時間の15分前には来ているのが原則で、会合はあらかじめ設定されていた時間よりも早くはじまることも多い、と書かれています。
国民が時間に正確に行動するならば、国鉄もそれにこたえないわけにはいきません。ヨーロッパの鉄道は国をまたいで横断する長距離路線が多いこともあり、電車が遅れることが結構多いのですが、スイスはその例外で、電車の遅延はほとんどありません。そもそも遅延の感じ方が、ほかのヨーロッパ諸国とも異なっているようです。ヨーロッパの大多数の国では、鉄道の5分以内の遅れは「遅延」とはみなされません。比較的ヨーロッパの鉄道として時間に正確なオーストリア国鉄でも5分29秒、ドイツの国鉄では5分59秒の遅れまでが、「定刻」運行とみなされています。一方スイスでは、2分遅れから、駅構内で「遅延」のアナウンスがあり、正式に「遅延」とみなされるのは、ドイツよりも3分も早い、3分以上、と定義されています。
2014年にスイスで運行した全鉄道路線において、「遅延」がなかったもの(つまり遅れが3分以内だったもの)は、全体の87.7%を占めました。ほかのヨーロッパ諸国のように5分以内の遅れを「定刻」とみなせば、スイスは96.8%の電車が「定刻」運行をしたことになります。このような輝かしい運行実績で、スイスの鉄道は、自他共にみとめるヨーロッパ一、時間に正確な鉄道です。
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時間に正確なスイスの鉄道は、使い勝手もよく、今日においても国民からも強い支持を受けています。 人々の移動の手段として鉄道が使われる割合は、1970年代以降の自家用車の普及によって、一時期20%(1970年の時点)から14%(1984年)まで下がりますが、その後使用率が再び上昇してゆき、2014年には、21%まで増加しました。2007年のデータでは、年間一人当たりの鉄道乗車回数は47回で、年間の鉄道での移動距離は一人平均スイスが2103kmでした。鉄道乗車回数では日本の70回に 劣りましたが、年間平均移動距離では、日本の1976kmを超えて、堂々の世界一位でした。
鉄道網が世界でも最も高密度で、またバスや路面電車などほかの公共交通網の鉄道路線との連絡も充実していることも、鉄道が利用されやすい理由とされています。全公共交通網は、全国合わせる26397kmで、山奥も含めた全国で1kmおきにバス停が一つある計算になります。
遅れるよりもさらに乗客を困らせる、やっかいなストライキも、スイスの公共交通ではありません。1930年代に、スイスの主要な産業はストライキを放棄する代わりに、雇用者のパートナーとして新しい権利と機能を得て、協力的な関係を結ぶ、いわゆる「労使休戦」を雇用者側と結んだため、以後は公共サービスをふくめたほとんどの産業業界で、ストライキがほとんどなくなりました。
この点でも、スイスはヨーロッパで特殊な存在です 。ヨーロッパのほかの国では、今も多くの分野でストライキが認められおり、実際にストライキが強行される例はあとをたちません。ドイツで昨年までの数年間フラッグ・キャリアであるルフトハンザのパイロットと国鉄の運転手のストライキが非常に頻繁であったことを、記憶されている方もおられるかもしれませんが、比較データをみると、そんなドイツをはるかに上回るストライキ大国がヨーロッパにひしめいています。2005年から2012年のヨーロッパ諸国におけるストライキによって失われた1000人の従業員当たりの年間平均労働日数は、例えばフランス139日、デンマーク135日、フィンランド76日、スペイン66日で、ドイツの16日がわずかに思われるほど、ストライキ多発国が並んでいます。(ちなみにここで対象とされているの公共交通だけでなく全産業におけるストライキです。)ちなみにこの統計の下から2番目がオーストリアで2日、スイスは最下位でたった1日でした。
遅延がほとんどなく、ほかの公共交通機関との連絡もよく、ストライキで動きがとれなくなる心配もない鉄道は、自家用車を持たない人たちにとっては不可欠なインフラであり、環境や生活の質など多岐の分野に還元されるアメニティーです。以前紹介しましたが、昨年「ヘルプ・エイジ・インターナショナル」が発表した96カ国を対象高齢者が暮らしやすい国 のランキングで、スイスがトップであったことの理由の一つにも、スイス全土で社会参加をするための手段である公共交通機関へのアクセスが容易であることが、重視されていました。(収入の安定性、健康、雇用・生涯学習、社会参加支援の四つの分野で高齢者の住みやすさが国際比較されたこのランキング・データについての詳細は、「スイスのお年寄りの元気の秘訣?」をご参照ください。)
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時間の正確さに話をもどしましょう。『スイスの凄い競争力(原本タイトルSwiss Made)』(日経BP社、2014年)の著者であるジェイムズ・ブライディング氏は上海の美術館で行われた講演で、スイス人の時間への正確さは、色々な事象とつながっており、単なる習慣の問題ではなく、スイスの国際競争力を高める重要な要素であるといっています。
例えば、時間に正確であることを、決められた日程までに約束したことを成し遂げる能力でもあると理解すれば、期日はある種の契約だということになります。そして、そのような真摯な行為の積み重ねが、大きな信頼につながるとします。また、時間に正確なことは、見方を変えれば、すべての人が平等、公平だと想定する考え方だともします。平気で誰かが誰かを待たせることがまかり通り、それが社会の上下関係が暗示しているような社会は、歴史上も現在も少なくありませんが、すべての人が時間上公平に扱われる、時間厳守という考え方は、公平で民主主義的なスイスの社会や経済発展の根幹をなす合意であるとします。また時間に正確であるためには、 正確な時を知るしかけ、つまり精巧に時を刻む時計が必要となるわけですが、世界一級の洗練されたスイスの時計製作技術をもってこれが可能になりました。総じてブライディング氏は、スイス人の時間の正確さは、信頼 、公平、精密さとつながったスイスの文化的な特徴を示しており、国を経済的な成功を導く過小評価できない気質だと言っています。
ところでこのブライディング氏のスイス人の議論は、日本の鉄道に置き換えてみても一見、通じそうな気がします。スイスの鉄道をさらに上まわる時間の正確さを誇る日本の鉄道の実績は、「信頼」、「公平さ」、「精密さ」といった優れた日本の資質の土壌があってはじめて可能なものであるのでしょうし、同時にこれらの資質は、ほかの分野でも重要な国際競争力として大いに発揮されているに違いないからです。
また、都心部の過剰な乗客量や過密な電車本数、また頻繁に起こる自然災害にもかかわらず、正確さで世界に冠たる地位にある日本の鉄道産業自体が、すでに、スイスにおける精巧な時計のように、文句なしに世界で圧倒的なブランド力をはなつ全国展開の基幹産業であるともいえるでしょう。日本の鉄道の正確さや優秀さは世界的にもよく知られており、海外においても日本の新幹線や地下鉄に詳しい鉄道マニアは少なくなく、スイスで、プラレール(日本の鉄道モデル)を日本からわざわざ取り寄せる子どもに出会ったこともありました。今後日本への海外からの観光客がさらに増えてゆくと、おのずと日本の鉄道の評価と知名度はさらに高まってゆくのではないかと思われます。
しかし、どんな現在は圧倒的なブランド力やトップの座も、未来永劫、無条件で安泰であるわけではありません。ブライディング氏の指摘する因果関係は、別の見方をすれば、こう解釈もできるでしょう。日本やスイスの鉄道が、今後も名声と実績を維持し、国民や海外の人を魅了し続けられるか否かは、国民自身の時間を守るといった、一見地味で直接関係性がみえにくい日常生活で習慣化している優れた資質が、これからも国民の中で維持され続けるかにかかっていると。
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参考リンク・文献
—-スイス人のマナーや習慣について
Christoph Stokar, Der Schweizer Knigge. Was gilt heute?, Zürich, 4. Erweiterte Auflage, 2013 (Original: 2012).
Der Business Knigge für deutsche Unternehmer in der Schweiz, Handelskammerjournal, 17.6.2015.
—-スイスの鉄道の運行状況とそのヨーロッパ各国との比較
Anteil der pünktlichen Züge im Schienenfernverkehr in den EU-Ländern im Jahr 2012
Trotz intensiven Bauarbeiten SBB verkehren 2014 etwas pünktlicher, NZZ, 12.1.2015.
Pünktlichkeit (Bahn) ウィキペディア・ドイツ語版
Stefan Ehrbar, SBB warten verspätete Anschlüsse nicht mehr ab, Schweiz am Sonntag, 24.10.2015.
—-スイスの鉄道路線網について
Schweizer als Weltmeister im Bahnfahren, Swissinf.ch., 1.2.2010.
Öffentlicher Verkehr (inkl. Schienengüterverkehr), Statistik Schweiz, Schweizer Eidgenossenschaft (2016年4月15日閲覧)
Verkehr, Swissinfo, 15.3.2016.
Infrastruktur und Streckenlänge, Statistik Schweiz, Schweizer Eidgenossenschaft
Verkehr und Mobilität, Ansiedlung Schweiz (2016年4月15日閲覧)
—-ヨーロッパのストライキについて
Simon Gemperli, Schweizer Streikkultur. Das Unbehagen am Arbeitsfrieden, NZZ, 19.7.2012.
Die Illusion von der Streikrepublik Deutschland, 4.3.2015, Die Welt.
Michael Rasch, Streik der Lokführer. Auf dem Abstellgleis, NZZ, 19.5.2015.
Kerstin Bund und Kolja Rudzio, Streik. Wir zeigen’s euch!, Zeit Online, 8. 5. 2015.
Die Streikbrecher Europas, Tagesanzeiger, 21.10.2014.
—-ジェイムズ・ブライディング「なぜ我々はこんなに時間に正確なのか?」(上海の美術館での講演の抜粋)
James R. Breiding, Warum sind wir so pünktlich?, Basler Zeitung, 15.6.2012.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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