ありがとう、フランス人。ありがとう、日本人。
2014-03-21
はじめまして。
フランスより海外コラムを書かせていただきます辻本(つじもと) 貴(き)幸(さき)です。
このコラムでは、パリのこと、ファッションのこと、ヨーロッパの近隣諸国のこと等様々なことを書いていきたいと思っています。
そして、私のコラムが日本の皆さんのお役に立つと共に、私と日本を繋ぐ貴重なツールとなってくれることを心より願っています。
さて、2月2日の未明、私はパリ留学のため、シャルルドゴール空港に着きました。
私にとってのパリとは、これまで数々の映画で観てきた憧れの舞台そのものです。
私はパリに向かう飛行機の中で、ある映画の主人公が「パリは雨が最も美しい」と言っていたことを思い出しました。
これはニューヨークに生まれ育った脚本家、ウッディ・アレンのパリに対する憧憬が言わせた言葉なのでしょう。
でも、私は少なくとも日本の雨は大嫌いなのです。
私は、朝ベッドの上で目を覚ました時に窓の外から雨の音が聞こえてくると、それだけで一日憂鬱な気分になります。
でも、映画の巨匠はパリに降り注ぐ雨に何かを感じたのでしょう。
「パリの雨は私をも魅了してくれるのだろうか?」
そんなことを考えながら、私はパリに着きました。
ですが、パリに着いてみると残念なことに雨は降っていません。
しかしながら、フランス語はおろか、英語すらまともに話せない私にとって、天気の事等どうでもよい事だとすぐに気づきました。
なぜなら、私にはタクシーで空港からホテルに行くことさえ、大変なミッションだったからです。
しかし、言葉や文化は違えども所詮は同じ人間です。片言の英語とフランス語、それに精一杯のジェスチャーを加えて話せばなんとかなるものなのです。
もっとも、黒人のタクシードライバーには運賃を随分と吹っかけられたようですが、何より無事に着いたのだからよしとしなければならないのでしょう。
私は日本にいた時、「フランス人は冷たい」と聞いていました。
でも、決してそんなことはありません。
むしろ私は、パリに来てフランス人の温かさに感動しているのです。
彼らはどちらかというと優しく、人懐こい人種なのではないかとさえ思うほどです。
というのも、私はパリに来た翌日にパリのど真ん中で迷子になったのです。
私はその日の朝、ホテルからタクシーでパリ市内の自宅に向かい、そこで不動産契約を済ませた後、午後から地下鉄に乗ってLCL銀行に行かなければなりませんでした。
ですが、問題なのは地下鉄ですらなかったのです。
アパルトマンを出て駅に向かおうとしたものの、そもそも駅の場所がわからないではありませんか。
1時間程さまよったのでしょうか・・・。
私は諦めて家に帰ろうとしたところで、さらに重大なことに気づきました。
「家の場所がわからない」のです。
似たような建物が多く立ち並ぶパリの街で、一度タクシーで行っただけの自分の家を探すのは至難の業です。
携帯も日本で解約してきた私には、どこかに連絡を取ろうにもその手段がありません。
でも、私はここでもツイテいました。
たまたま成田の自動販売機で売っていたワールドカードという代物を購入し、しかもそれを持っていたのです。
私は必死で公衆電話を探し、「何かあったら連絡を」と言ってくれていたムッシュ松山と連絡が取れたのです。
ですが「迎えに行く」と言ってくれた彼に、迎えに来てもらおうにも自分のいる場所がわからないのです。
私は一先ず銀行に行くことを諦め、彼のいる場所に向かう他ありませんでした。
道行くフランス人たちに下手くそなフランス語で声をかけると、彼らは足を止め、私の言葉に耳を傾けてくれました。
私は凱旋門、セーヌ河、エッフェル塔と様々な観光名所をさまよいました。
この私の放浪記はまた別の機会に書くとして、簡単には辿り着けなかったということだけは理解しておいていただきましょう。
結局着いたのは、少なく見積もってもその電話から2~3時間が経過した後だったと思います。
彼は私の顔を見ると優しそうな笑顔と握手で迎えてくれました。
関西弁の強い彼の日本語に私はどれほど安堵したことでしょう。
彼はそれから私に地下鉄の切符を買ってくれ、地下鉄の乗り方を教えてくれました。
そして私の曖昧な記憶と地図を頼りに自宅まで送ってくれたのです。
実は私はもう一つ、日本で嫌な話しを耳にしていました。
それは「海外に住んでいる日本人は日本人に冷たい」というものです。
でも、それもまた嘘でした。
彼は私を家まで送ると、近くのスーパーを探し、買い物を手伝ってくれました。
そして私の部屋で簡単な夜食と共にワインを飲むと様々な話しで盛り上がりました。
私が彼にどれほど救われたかは言うまでもないでしょう。
その翌日も、彼はまた私を気遣ってくれました。
一緒に本屋に行き地図を選んでくれ、その翌日には語学学校と銀行に案内してくれました。
でも、いつまでも彼に頼り続ける訳にはいきません。
彼にも仕事があり、私にも失敗と経験をするという大事な仕事があるのです。
これから私が、どれほどの失敗をすることになるのかは想像も及びませんが、私は今日も未知なる経験と共にパリの街をさまよっていることだけは確かです。
『М・松山』私はこの名前を生涯忘れないでしょう。
彼がいなければ、私はパリにすべてを捨てて空港へ行き、成田に帰っていたかもしれないのです。
なにより、今私がこうしてパリでコラムを書けているのは彼とたくさんのフランス人たちのお陰なのです。
それでは、私の最初のコラムを彼らへの心からの感謝と敬意を込めてこう締め括らせていただきましょう。
ありがとう、フランス人。
ありがとう、日本人。
そして、ありがとうМ・松山。
辻本貴幸