現代ヨーロッパの祖父母たち 〜スイスを中心にした新しい高齢者像
2016-04-08
2014年の8月、スイスで一つの新しい雑誌が誕生しました。50才から75才のスイスドイツ語圏の孫がいる高齢者層を対象にした雑誌で、雑誌名はずばり『祖父母 Grosseltern』です。子供をとり囲む社会の諸問題から、孫との旅行に行く時や預かる時のポイント、簡単な孫との工作や料理レシピ、遊びのアイデア、さらにスターウォーズやピストル型の新型シューティング玩具など子供の間で流行っているものの解説まで、孫との交流・関係を良好に保っていくための多種多様なテーマを扱っています。年に10回発行される雑誌は 一部9スイスフラン50ラッペン(日本円で約千円)で決して安くはありませんが、当初目標としていた最低3千人の年間購読者を、発行からわずか8ヶ月で達成しました。2016年の現在は、発行部数は2万部、読者は5万人と概算され、わずかな予算で新しい規模の小さな出版社からスタートした雑誌としては、予想以上に堅調な成長ぶりです。
この雑誌、ドイツ語圏初の祖父母に特化した専門雑誌として、発刊当初からメディアでも高い関心が向けられ、これまでスイスだけでなくドイツの主要メディアでも、たびたび紹介や引用されてきました。雑誌の知名度は一般の高齢者の間でもかなり高まってきたようで、知人の高齢者の何人かに聞いてみても、雑誌を手にしたことがある人や、手にしたことはないけれど雑誌の存在を知っている人が結構いました。メディアや高齢者の間で新規の雑誌が注目され、堅調に部数も伸ばしているという事実は、 一重に「祖父母」というもの自体への関心や様々な需要の高まりを示していると考えられます。しかしなぜ、今改めて「祖父母」という、これまでもずっと存在してきた社会層が注目されるのでしょう?雑誌や出版業界全体が低迷する中、雑誌の単独テーマとして成立し、経済的に軌道にのるほど、祖父母の話題に関心や人気が集まるのでしょう?
心理学者ペリック・ヒエロ教授は、昨年スイス、ヴィンタートゥアで開催された「高齢化フォーラム」の講演で、高齢者を「若い高齢者」と「従来の高齢者」に分類していました。現在80代・90代のいわゆる従来の高齢者 -わたしたちがこれまで高齢者として接してきた人々- は、1930年代40年代の戦争と混乱の大変な時代を生き抜いてきた世代で、女性の教育レベルは男性のそれに比べて圧倒的に低く、男女ともに「なにができるか (英語のcan)」ということよりも、「何をしていいのか (may)」を軸にして生きてきた世代だとします。倹約などの社会規範や宗教観も強い世代です。
一方、「若い高齢者」は、発想も行動形態、健康状態も、これまでの高齢者と大きく異なるとします。雑誌『祖父母』の購読主要対象者は、まさにこの「若い高齢者」に当たります。それでは、具体的にどんな風にこれまでの高齢者と違うのでしょうか。以下、社会学者ヘプフィンガー教授の特に孫との関係に焦点を当てた研究や報告書から、この新しいヨーロッパの「祖父母」像を、スイスを中心にみていきたいと思います。
1900年までスイスでは60才以上の人の人口比は1割以下だったのに対し、20世紀半ばに13%、2000年は20%、2020年には23%、2050年は33%まで増加すると予想されています。2004年のスイスの調査では、 65才以上の人の3分の1に孫がおり、12才から16才の都市に住む685人の子供たちの調査では、祖母と祖父の大半の年齢はそれぞれ 55から60才、 60から63才でした。質問したこれらのこどものうち96%が少なくとも 2000年前半の調査では、祖父母のうちの一人がいました。
ほかの文化圏とヨーロッパの高齢者を比較した際の大きな特徴の一つに、世代が別に住み、生計をたてていることがあります。2000年前半、スイスでは65才から79才までの人で孫と暮らしているのは2%のみで、80才以上でも3%にすぎません。ドイツでも同様で、70から85才で3%にもなりません。3世代が同居しているケースは、1%未満です。
同居はしていなくても、祖父母による孫の保育は、ヨーロッパどこでも一般的です。ただし祖父母の孫の育児への関わりかたは、保育施設の状況や人口学的な条件、また女性の働き方や割合の違いなどによって大きく異なります。なかでも決定的に重要なのは保育施設の普及状況です。全体として、保育所が整ってくると、祖父母の保育は減る傾向にあります。女性の社会進出をすすめ、出生率もあげるため、加盟国にこどもの保育施設の充実化をEU全体として目指していますが、実情は各国によって大きく異なっており、ヨーロッパ南北で大きな差がみられます。全般に北欧は公共の保育施設が発達していますが、南欧は遅れており、南欧の祖父母の約3割が、週に40時間子供をみているといいます。
一方、祖父母の孫の保育は、単に施設の有無の問題ではなく、伝統的な保育に対する規範の違いによるところも大きいとされます。イタリア、スペイン、ギリシアなどの南欧では家族主義が強く、育児に協力すべきという見方が強いのに対し、スウェーデンやデンマークでは、個人主義が強く、祖父母が見るべきだというような社会規範はありません。つまり、南欧では保育施設の不足に伝統的社会規範が拍車をかけて、親世代の強い需要にこたえてやらざるをえないといった状況のようです。一方北欧でも祖父母の育児協力や頻度は多くみられますが、これは必要にせまられているのではなく、保育施設の有無に関係なく、一種の(孫を保育できるという)「特権」として自発的に祖父母が保育に関わっているというふうにとらえられます。
スイスの保育をめぐる状況は、北欧というよりイタリアなどの南欧に近いとされます。保育所は徐々に増えていますが、金銭的な公的補助が少ないため、子供二人を週2回保育園にあずけると月に2000スイスフランにもなり、保育園の敷居はかなり高いというのが実情です。このためスイスの祖父母の保育の出番が多くなることとなり、現在、親以外の人に子供が保育されている場合の実に5割以上が、祖父母によるものです。総計すると年間、祖父母が費やす孫のための保育時間は総合で9960万時間にも達し、貨幣評価額は30億フランに相当します。
これほど祖父母が保育に関わることができるということは、体力や良好な健康状態を祖父母が維持しているということを示しているともいえます。実際、現在の祖父母の健康状態は、これまでの時代の同世代の高齢者に比べ、健康や体力面からみると、これまでの高齢者よりも平均10余年若いといいます。(スイスの高齢者全般の暮らし方と世界各国との比較評価については、「スイスのお年寄りの元気の秘訣? 」をご参照ください。)
健康状態が良くなったことは、家族関係にも非常に大きな影響を与えることになりました。子供や孫、ひ孫とともに過す時間が長くなり、保育においても密度や関わり方、充実度が増します。 また健康であることで、活動的になり、家族だけでなく高齢者同士の交友も以前よりさかんになりました。スポーツに興じる時間も頻度も増えています。特に1980年以降、運動する高齢者が急増しました。それまで高齢者の運動といえば、散歩がほとんどだったのに、体操やスポーツなど運動の種類も増えていきます。2012年のスイスの調査では、65才から74才の人で、週に少なくとも150分運動するかあるいは週に2回集中的な体の運動する人が、男性では8割強、女性は7割おり、75才以上でも男性の6割、女性の5割を占めています。
人口比率や健康・活動範囲だけでなく、メンタルな面でも、新しい高齢者には、これまでの高齢者との大きな違いがあります。もともとヨーロッパでは、19世紀以降、市民的な家族像が定着するなかで、 祖父母のイメージも市民的家族像に合うように理想化されてきましたが、祖父母の役割は定型化されてきませんでした。つまり祖父母の権利や義務がはっきりしないことが一種の伝統となり、 孫と祖父母の関係は、その密度や内容を当人たちが自分の裁量で比較的自由に決められる関係として存続することになりました。このことは、ヨーロッパの現在の祖父母たちのほかの文化圏と大きく異なる、二つ目の特徴でもあります。
さらに新しい高齢者層は、時代をリベラルに改革していったこを自負する68年世代であり、従来の高齢者に比べると、女性の学歴も高く、価値観や教育についてもかなり柔軟な発想をもっており、変化する社会の動向や技術にも積極的に対応、順応する姿が顕著です。スカイプ、フェイスブック、ワッツアップなどを使いこなすようになったことで、親の代を介さず孫とじかにコミュニケーションもできるようになりました。中学生以上の孫には、1年に2、3回しか会わないというのが半数で、毎週会うというのは3分の1以下ですが、頻繁に会えなくなってもこれらのデジタルツールを通して交流が補充されるようになっているといいます。これまでの高齢者が、新しいものから全般的に距離をおいていたのとは対照的です。
これらの結果、現代のヨーロッパでは、歴史上これまでないほど、異なる世代間の関係が良好だといいます。スイスとドイツの孫と祖父母の双方を対照にした調査では、両者とも90%以上が、お互いの関係(孫と祖父母の関係)を重視していました。孫がいる高齢者は、ほかの年齢の孫のいない人より幸福感が強く、若々しく感じている人が多く、孫にとっても、ティーンエイジャーになってからも親以外の重要な信頼できる人物として代替し難い重要な役割を担っています。まさに孫と祖父母両者にとって現在の両者の関係はウィンウィンの関係であるようです。
さらに近年では、社会に積極的に働きかけあるいは挑戦するような新たな高齢者の動きもみられます。中心となっているのは、数年前から大手生協の文化支援プロジェクトとしてはじめった高齢者女性たちのネットワークや集会活動に起源にした通称「おばあちゃん革命」と呼ばれる若い女性高齢者が中心となっているプラットフォームで、かつて女性参政権で戦い今は祖母となった女性たちが、持ち前の若々しいエネルギーを全開に、自分たちの立場や主張を社会にアピールするようになりました。そして現在千人に達した会員たちは、具体的に高齢者をめぐる従来の状況に異議を訴えたり、多種多様な世代や移民出身者が混在する今日のスイスの社会を連帯させるために、様々な提言や活動を各地で活発に行っています。祖母に孫がいるからといって、保育を引き受けることを自明のことのように考える世の中の風潮にも疑問を抱き、孫の保育を含め、高齢者が自分たちの生き方を、自由に選び取ることの大切さも訴えています。
さて、ここまで読まれてきて、どんなことをお感じになったでしょうか。これまでもってきた高齢者のイメージや理解と、最近の実際の高齢者たちの様子がずいぶん違うと感じられた方が多いのではないかと思います。新参高齢者も、社会が期待する高齢者イメージと自分たちとの間にギャップを感じ、暗に一定の型に押し込められているような息苦しさを感じることも多いようです。『祖父母』3号目の雑誌の白髪にエプロン姿の女性の表紙の写真に、読者から自分たちはこんな古めかしい祖母ではない、と多くのクレームがあったというのも、世の中からおしつけられる役割やイメージに反発する威勢のいい気概をよく表しているといえるでしょう(Nr. 9.Sept.2015, S.17)。一方、孫世代の間では、この新しい高齢者しか知りませんから、偏見や戸惑いもなく、そのままの祖父母の姿が受け入れられているようです。自分たちのこの若い祖父母について、話がわかって気前のいいという肯定的な評価が圧倒的で、古めかしく流行おくれだとは思っている人はほとんどいませんでした。
先述の講演会でペリック・ヒエロ教授は、80代以上のなにをしてもいいかを考える世代とは対照的に、新しい高齢者たちは、どこまでなにができるかを追求する世代だ、と表現していました。新しい高齢者たちは、これまでの形式や高齢者の慣例的なライフスタイルにこだわらず、どこまで何ができるか今後の社会で挑戦してゆき、人類史上これまで経験したことのない4世代が共存する新しい社会の地平線を、力強く切り開いていってくれるのかもしれません。
参考サイト、文献、講演
Das volle Leben der Grosseltern, tagesanzeiger, 27.8.2014.
Neues Magazin für Grosseltern, NZZ, 27.8.2014.
Ein Schweizer Verlag hat ein Magazin für Grosseltern realisiert.
Badener Grosseltern-Magazin ist auf Kurs, SRF, 4.5.2015.
Georg Gindely, Grosssltern. Ganz schön intensive, zeitonline, 7.3.2016.
Badener Grosseltern-Magazin ist auf Kurs,SRF Regional,4.5.2015.
—-講演会「新しい世代間関係。新しいチャンス?」について
Pasqualina Perrig-Chiello, Neue Generationenbeziehungen - neue Chancen?, Altersforum Winterthur. Fachtagung, 5.3.2105.
—-ヘプフリンガー教授の祖父母と孫の関係についての研究
François Höpflinger, Beziehungen zwischen Großeltern und Enkelkindern - aus der Perspektive beider Generationen. Erscheint in K. Lenz / F. Nestmann (Hg.), Handbuch Persönliche Beziehungen. Weinheim 2009.
Lukas Scherrer, Die zweiten Eltern, Schweiz am Sonntag Nr.9, 6.5.2016.
François Höpflinger, Kinder, Grosseltern Beziehung, 15.10. 2010
—-「おばあちゃん革命」について
Grossmütterrevolution
—-その他
Madeleine Hofmann, Alles für das Enkelkind, The Europian. Das Debatten-Magazin, 12.1.2015.
Zwischen Last und Liebe - Die neuen Grosseltern, SRF, 2. 7. 2015.
Elisabeth Sticker, Über das Verhältnis der Generationen. Die Rolle der Großeltern. No.469, 12.2008.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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