ヨーロッパにおける難民のインテグレーション 〜ドイツ語圏を例に
2016-04-14
ここ数年、シリアやアフガニスタンなどから戦争や内戦を逃れてヨーロッパに向かう人が急増していますが、無事に入国し当事国で滞在許可も得られ後は、どうしているのでしょう? 押し寄せる難民をヨーロッパ各国がどのように、またどれだけ受け入れるか、というヨーロッパの焦眉の課題に、主要メディアの報道はどうしても偏りがちですが、今回はドイツ語圏に滞在する難民申請中の人や、晴れて滞在許可を得てヨーロッパでの定住を本格的に始めた人たちの、インテグレーションの過程について概観してみたいと思います。
インテグレーション Integrationという言葉は、統合や融合を意味する言葉で、日本語では、コンピューターなどのシステムの統合や、障害児が普通学級でいっしょに学ぶ統合教育、という意味でしばしば使われますが、それ以外ではめったに耳にすることはないように思います。しかしヨーロッパにおいて、少なくともドイツ語圏では、移民や難民について語る際の最も重要なキーワードです。(ドイツ語の発音は「インテグラツィオン」ですが、今回の記事では日本語で馴染み深い英語の発音表記「インテグレーション」を使用します。)
インテグレーションとは、簡単に言えば、ある社会において新来者と現地の住民双方が、お互いに閉鎖的にならず共存することです。しかし、具体的にインテグレーションという言葉を口にする時、社会のどちら側か、受け入れ側か新しく入っていく側か、どちらの側の視点に立つかによって、インテグレーションという言葉のニュアンス、強調・意識される点が若干異なります。ヨーロッパ社会側から捉えると、インテグレーションは、移民や難民が背景にもつ文化や風習を無視して土地のルールや文化を強要するかつての「同化」思想とは異なり、新しく入ってくる移民や難民たちの文化やアイデンティティを尊重しながら、彼らと職住環境で協調的に暮らすことを意味しています。一方、新しく入ってくる移民・難民の立場に立つと、インテグレーションは、移り住んできた場所の社会や文化に馴染んで、地域住民との交流を絶やさずに自律的に就労・生活できるようになることを指します。端的に言えば、「社会によくインテグレーションされている」というのは、難民や移民に対して、現地の住民が与える最高の褒め言葉、ということになります。
さて、今回は受け入れ側ではなく、難民の側に限って話をすすめていくことにし、 インテグレーションを、難民が目指す最終目標ととらえてみます。するとそのためには何が必要であり、実際の進捗状況はどうなっているのでしょうか。具体的にインテグレーションを、1)言葉の習得、2)現地の社会・生活のルールの習得・理解、3)就労など主体的な社会活動を通じた社会での成員化、という3段階に分けて、現状を概観してみます。
1.言葉の習得
難民申請をしてどこかの収容施設に住み始めるその日から、必要となるのは言葉です。ヨーロッパ各国は、これまでの歴史的な難民受け入れの経験から、語学学習を早期にスタートさせることが、難民の迅速なインテグレーションのためにいかに重要であるかをよく学んできました。その一方、滞在許可が下りず国外にまた出て行くかもしれない人の語学授業の支援よりも、滞在許可が出た人への集中的な支援の方が重視されるため、正式な滞在許可が下りる前の滞在者に対して、受け入れ先の自治体が、語学学習を用意したり、金銭的に支援をすることは未だにまれです。このような状況を改善すべく、迅速に対応したのがボランティア組織でした。顕著に難民数が増加したここ数年間で、ボランティア組織が中心となり、安価や無料で受けられる語学講座が各地で増えていきました。
幸い、語学を難民にボランティアとして教えることへの関心は一般市民のなかで、かなり高いようです。スイス、チューリッヒ州各地で難民への語学講座を開講している救済組織の一つには、毎日のように難民について大きな報道があった昨年秋には、語学教師のボランティアへの応募、問い合わせが殺到し、多い時には一週間で160件にものぼったといいます。ちなみに問い合わせのメールは、週日ではなくむしろ週末に特に多かったそうで、このことは、いまの普通のヨーロッパの人たちの心境をよく映し出しているように見えます。普段は自分の生活に追われて、難民のことを考える余裕はありませんが、少しゆっくりできる週末の夜などにテレビで難民のニュースをみると、無関心ではいられず、何かをしなければという気持ちにかられる人も続々現れてくるということなのでしょう。ヨーロッパ人において、難民に対する意識はいつも一定というわけではなく、時によってムラがあり、状況への戸惑いと何とかしなきゃと思う義務感が、交錯しているように思われます。
私事になりますが4年前から、わたしもボランティアとしてスイスで移民や難民を対象にした初心者向けドイツ語講座を受け持っています。そこで強く感じるのは、もちろんそこでは語学学習が最重要課題なのですが、それ以外にもたくさんのことを経験し、学ぶ場になっているということです 。特に難民に限ったことではないのですが、内戦や様々な事情でほとんど学校教育を受けてこられなかった人や、教育制度があまり発達していない地域から成人してからスイスにやってきた人たちにとって、学習するということ自体が、たやすいことではありません。質問されたことに答えること、ノートにメモをとること、宿題をすることが習慣化されていないだけでなく、教科書や消しゴム、鉛筆を毎回もってくることさえも自明ではないこともしばしばです。このような人たちには、なにかを学ぶためにノートをとること、復習することといった基礎的なルーティンワーク、またはそれ以前の、語学講座に時間に遅れず毎回参加するということから、「学ぶ」課程がはじまっていると言えます。
2 現地の社会・生活のルールの習得・理解
勉強の仕方だけでなく、もちろん、生活の仕方も、難民の祖国と大きく異なることがあるため、これらについても、徐々に学んでいくことが不可欠です。特に大晦日のケルンで起こった女性への暴行事件をきっかけ後、受け入れ側であるヨーロッパ社会の不安解消のためにも、対外マナーや社会のルールを、丁寧に伝え、難民にきちんと理解してもらうことの重視性が改めて強く認識されるようになってきました。
その結果、挿絵入りの冊子と通訳を介した、社会の基本的なルールについて説明や、法律専門家によるヨーロッパの法制度についてのより専門家による講義や質問会などが、スイスやドイツなどの各地で頻繁に開催されるようになってきました。難民にとって決して自明ではない文化背景が大きく異なるヨーロッパ社会の習慣やルールを、質問しながら難民自分自身で確認をすることができ、さらに母国の制度や習慣と異なる点やドイツでの難民としての立場を客観的に理解し、自らの意見もその場を借りて多少発言できるため、参加する難民にも好評のようです。
難民に的確な手引きをし、社会との摩擦を効率的に減らしていくため、通常のソシアルワーカーではなく難民問題に特化した専門スタッフを増やすことも課題となってきました。オーストリアでは、ソシアルワーカーを養成する通常の大学の学科に、新たに難民のケアや指導に当たる専門員を養成するための大学の専門講座が今年の5月から開設される予定です。3学期(1年半)間、週に数日大学へ通い、難民に関連する法律や制度や具体的な指導・ケアに必要なノウハウを専門に学ぶコースで、新年度は30人弱の定員枠でスタートする見込みです。
3.就労など主体的な社会活動を通じた社会での成員化
インテグレーションの最終段階(目標)は、社会の成員としての就労などの自律的な活動や主体的な社会参加です。もちろんこれに対して長期的で細かな支援ができれば理想的ですが、現実は、断続的で断片的な支援が各地、各方面で、手探りではじまったという段階です。
以前、 「ドイツとスイスの難民 〜支援ではなく労働対策の対象として」で、 介護分野やホテル、飲食業界、クリーニング業務など人手不足が深刻な産業分野では、難民のこれまでの就労経験に関係なく、新たな労働力として期待がかけられていることについて触れましたが、難民のもつ高い専門性やキャリアを評価・尊重し、それを最大限に活かした就労に特化し支援するしくみも、各地でできつつあります。大学研究者たちがイニシアティブをとって、研究者など高い研究技能をもつ難民たちに、キャリアを活かした仕事につくために必要な情報を提供するセミナーや、それぞれの専門分野の研究者や企業と連絡がとれるよう仲介する活動もオーストリアではじまりました。スイスでも同様の問題意識をもって、 難民関連についての抜本的な改革計画があり、夏に国民投票にかけられることになっています。
このような一連の動きは、難民が急増してくるにつれて、受け入れ先、教育先、制度など、これまでほとんど存在しなかったところから、一時しのぎの措置として少しずつ発達してきました。周到に検討する時間も予算もおぼつかないなか、現場で難民も協力スタッフも試行錯誤の経験を積みながら、やっと道すじ(前例や制度)とおぼしきものが、それぞれの地域ででき始めたという感じです。一方、今いる難民が今後どのくらいインテグレーションしていくか、また今後さらにどれくらいの難民が国内に滞在することになるのかなどの、今後の具体的な見通しなども全くたっておらず、難民当事者たちとヨーロッパの現地の人たち双方で不安も強く、あちこちで社会的な緊張関係がみられ、排外的な動きや難民同士の対立や暴行事件などの不穏な動きも噴出しています。
ヨーロッパの難民を取り巻く状況は、このように不穏で先が見えにくいものではありますが、私には忘れられないひとつの体験があります。一個人の体験にすぎませんが、今回のテーマの最後に紹介させていただきたいと思います。2年前、スイスのある老人ホームでボランティアをしている人が年に一度招かれる感謝会に初めて参加した時のことなのですが、隣席する人と話をしてみると、ドイツ人、チェコ人、トルコ人、オーストリア人、イタリア人と座っていたのは偶然にも外国からの移民ばかりだったのです。老人ホームのスタッフたちに、深刻な人員不足の結果、外国出身の人が多いことは知っていましたが、老人ホームでボランティアをしている人にも外国出身者が多いとはそれまで知りませんでした。あとで調べてみると、わたしの住む都市の市営老人ホームのボランティア・スタッフ約250人の出身国は、 現在5大陸にまたがり、言語数は15カ国語になることがわかりました。
それだけといえばそれだけの体験なのですが、これは、自分にとっては忘れられない原体験です。それぞれ異なる時期に何かの理由でスイスという土地に流れ着いてきた外国人たちが、長く住んできたスイスという第二の母国で、スイスの老人達(現在の老人ホームの居住者世代には、外国出身の居住者はほとんどいません)をボランティアとして支えているということ。これはスイス社会が概して、ふところ深く、様々な外国人を受け入れてきたことの証しでしょう。それと同時に、現在スイス全住民の約四人に一人を占めている外国人が、同郷人同士で支えあう扶助組織だけでなく、スイス社会全体に還元されるボランティアの担い手となっていることを目の当たりにしたことで、「移民や難民と共存する社会」がどんなものかを、かいま見られたように思えました。もちろんこの時のこの場面は、社会の一断面にすぎず、長期的に持続するものなのかもわかりませんが、こんな風な移民や難民と共存する場面が、他の社会のあちこちの場所で、年月を重ねるうちに結晶のようにさらに多く社会にあらわれてきて、社会の連帯を新しく構成していくのかもしれない、そんな調和的な社会になったら素敵だな、と思います。少なくともそのような希望を最初から放棄して、悲観的なビジョンにだけ執着しないことが、これからも大切なのではないかと思います。
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参考リンク・文献
—-オーストリアの難民政策としてのインテグレーション
Sebastian Kunz (Bundesminister für Europa, Integration und Äusseres, Gastkommentar) Österreichs Verantwortung in der Flüchtlings- und Asylpolitik, Thema Vorarlberg, 4. 2016, S. 17.
—-難民にヨーロッパの習慣やルールを教えることについて
Knigge für Asylbewerber mit 20 Piktogrammen, Tagblatt, 27.1.2016.
Das ist der Benimm-Flyer für Asylsuchende in Luzern, Tagesanzeiger, 27.1.2016.
Grundregeln für das Zusammenleben. An diese Regeln müssen sich alle halten (Kanton Luzern)
Rechtsstaat in drei Stunden. Integration, der Spiegel, 25.3.2016.(デジタルキオスクBlendle にて閲覧)
—-難民専門家の育成について
Kurzlehrgang „Sozialarbeit mit AsylwerberInnen und Konventionsflüchlingen”
https://www.fhstp.ac.at/de/newsroom/news/neuer-lehrgang-zu-sozialarbeit-mit-fluechtlingen
https://www.fhstp.ac.at/de/studium-weiterbildung/soziales/sozialarbeit-mit-asylwerberinnen-und-konventionsfluechtlingen
—-研究者(難民)支援について
Science in Asylum
http://www.scienceinasylum.org/index.php/home/
http://science.orf.at/stories/1768326/
Migration. alma. Das Alumi-Magatin der Universität St. Gallen, 2/2016, S.4-5.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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