教師は情報授業の生命線 〜 良質の教師を大量に養成するというスイスの焦眉の課題
2017-11-06
スイスのドイツ語圏では情報授業が小学校から必修となりましたが、この新しい授業が成功するかの最大のネックは、教材やツールでなく教師だとたびたび言われます。
これまで、一部の州や試験的に実施される場合はあったものの、小学校での情報授業は一般的でなかったため、当然のことながら授業経験をもつ教師もほとんどいません。教えたことがないだけでなく、自分自身が情報に関する授業を人生で受けたこともありません。しかも、国の統計によると、現在の小学校の教師の3分の2が40歳以上で、女性の占める割合は82%であり、一概に年齢や性別でくくることはもちろんできませんが、全般にデジタル媒体に詳しいとは言えない人が多いと言われます。非デジタル世代の現役教師たちが、デジタル世代に情報授業を行う、という複雑で困難な状況において、いかに教師たちを教育するかが、とりわけ大きな問題となります。
前回の記事(「小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために」)で、ホロムコヴィッチ教授が、情報授業について最も重要なのは、成功体験を可能にすることだと述べていましたが、子どもたちをそのような成功体験に導くために、具体的に情報授業はどのように進められていくべきなのでしょうか。また、そのような授業を行う教員をいかに短期で大勢養成していくのでしょうか。現在、各地で焦眉の課題となっている、これら教師と教え方をめぐる問題について、今回も講演と討論会での、引き続きホロムコヴィッチ教授とレペンニング教授という二人の専門家の意見を参考にまとめながら、考えていきたいと思います。
教育大学の情報授業教師養成講座
今秋からいくつかの州で情報教育の教師の養成講座が開講されましたが、どこも定員以上の申し込みがあるという盛況ぶりでした。来年秋から小学校5、6年生で上場授業を必修とすることになったチューリヒ州でも、教育大学の情報教育の講座(90時間)の530人分の定員枠が、小中学校教師の申し込みですぐにいっぱいになったといいます。今後4年間でチューリヒ州では3200人の教師が養成講座をうける予定になっています。
このように情報授業の養成講座を大規模に始動させることは、 デジタル媒体を使った教育についてこれまでほとんど扱ってこなかった教育大学にとっても大きな挑戦であり、課題も山積みのようです(スイスにおいて小学校の情報授業教育者の養成は、いまのところ教育大学のみで行っています)。少なくとも、ホロムコヴィッチ教授は、現在の教育大学の状況における懸念材料をいくつか指摘しています。
まず、教育大学で情報分野を教える教師たちの多くは情報科学の専門家ではなく、メディアの専門家であることです(Das Schweizer ElternMagazin, 2016)。このため、現代のコミュニケーション技術がなにを反映しており、それをどう使いことなすか、あるいは自分がどうそこで表現すべきかなどという点は上手に教えられても、情報についての適切で十分な専門知識を伝達・教授できるのかが、不確かだとします。(Eggli,2017)。
そもそも、2014年にスイスのドイツ語圏に共通する 、情報の授業を必修と決めてモジュールを定めた「 学習計画(Lernplan21)」において、情報の授業は「メディアおよび情報」という枠組みの一分野として位置づけられいるのですが、このことにも問題があるといいます。ネットいじめやフェイスブックに載せていい自分の個人情報などの「メディア」に関わる学習は、「情報」と全く別物であり、それらの問題が重要でないわけではないが、メディア分野に偏った授業になることで、情報の基本理念など情報授業に不可欠な内容に十分な時間が費やされない危険があるといいます。
実際に、いくつかの州ではいまだに情報の名において、メディアについての授業ややデジタルツールの操作方法偏重の授業がされていて、教授が重視するような授業内容とははるかに隔たっているため、今後の展開への疑念はつきないようです(Das Schweizer ElternMagazin, 2016)。
ホロムコヴィッチ教授は、教師が情報を教えることに「不安なのはわかる。それは普通だ。しかし唯一の道は、教師たちからそのような不安をのぞき、示すことだ」とし、建設的に教師をサポートする ために、良質の教材と教師のための指導教材の開発に目下取り組んでいるといいます(Hardegger, 2017)。同時に、教師が不安なく情報授業を行えるように、なおさら(教授にとって)「正しく」科目を教授できる情報専門家が教師たちを養成することが必要だと訴えます。
しかし教育大学のほうでは、ホロムコヴィッチ教授のような情報専門家が、教育大学の情報教師養成講座に関して干渉や強すぎる影響を及ぼすことに対する警戒心が強いようです。このため、ホロムコヴィッチ教授は2005年にチューリッヒ工科大学に「情報教育および相談センターAusbildungs- und Beratungszentrum ABZ für Informatik」を設立し、以後個々の小中学校の生徒と教員を対象にした情報教育で様々な成果やノウハウを積み上げてきたにも関わらず、教育大学との間の直接的な連携・協力関係はこれまでありませでした。ドイツ語圏共通の教育計画「学習プラン(Lehrplan21)」の一環として情報授業の導入を2010年から検討し、2014年に最終決定した審議会にも、2013年7月からホロムコヴィッチ教授が初めて招かれるまでは情報専門家は一切招かれておらず、教育関係者(教育大学、教育関連を専門とする官僚や政治家)だけで審議がされていました。
教師になるための必修科目として
北米コロラド大学を拠点に20年以上にわたり情報の授業と教師の養成に関わってきたレペンニング教授は、2014年から、スイスの北西応用科学大学(アールガウ州,バーゼル州、ソロトゥルン州の3州合同の州立大学)の教育学部の教授としてスイスの情報授業とその教師の養成に直接関わるようになりました。
この教育学部は、2014年にレペンニング教授を招いてスイスではじめての「情報教育学Informatische Bildung 」という専攻分野を設置しただけでなく、今年の9月下旬からさらに、革新的な試みをスタートさせました。 情報教育学を教育学部学生全員の必修科目とするというものです。つまり上記の3州で教鞭をとる未来の教師たちは全員、情報科学を大学時代に学んでいる人たちということになります。情報教育学を教育大学の必修科目にするという教育制度は、スイスはもちろん世界でもまだ例がなく、「この点ではスイスは世界的にも先駆的」とレペニング教授は自負しています。情報教育学は、情報専門の学問と教授法からなるもので、現在この教育学部で800人の学生(25人ずつのクラスで32クラス)が、情報教育学を受講しています。
レペンニング教授は、将来的に、スイスで長年情報授業の普及や教員の養成に独自に取り組んできたホロムコヴィッチ教授のチューリッヒ工科大学やローザンヌ工科大学とも協力しあい、スイスの情報教育を向上させることを目指しています。ホロムコヴィッチ教授も「情報教育および相談センター」の将来的な目標を、個々の教員の養成や学校での指導ではなく、教育大学全般の情報分野の教員養成のための支援と考えているため、今後、教師を対象としたより体系的で高い水準の養成・研修体制が、これらの機関の協力関係のなかで形成されていくことが期待されます。
授業の進め方について
最後に、二人の教授はどんな授業の進め方を情報授業において理想と想定しているのかをご紹介してみます。
まず、教師がまちがいを指摘するのも、解決法を直接伝授するのも、よくないとします。それでは子どもが自分で学習することになっておらず、逆に指摘されることで、自分にはできないと思い込んだり、やる気がそがれることになるためです。生徒たちが自分自身で創造的に作業をし、問題にぶつかれば、自らほかにどんな可能性があるのかをみつけるようにさせるため、教師は、相談役に徹するべきだとします。つまり、ここでは「教えるteaching のでなくコーチング coaching」というのがキーワードとなります。細かな内容やプロセスの正誤確認が必要なのではなく、子どもの試行錯誤のプロセスを全面支援することが、情報授業における教師の最大かつ唯一の使命ということになります。
レペンニング教授の長年の調査では、教師としての経験が豊富で情報科学知識が少ない場合と、その逆の場合(教師としての経験は浅いが情報科学の知識は豊富)をみると、概ね前者のほうが、授業がうまくいくことが多いといいます。これは、情報の授業において、とりわけ、なにかを教えることより、こどもが学ぶのをサポートするのが大事である、という考えと一致しているともいえるでしょう。というのも、子どもたちが情報の基本原理をいかにうまく自分で利用し、自分の考えを発展していけるかというところで、子どもの力を引き出し導く仕事は、教師経験の長い人ほど、得意であるに違いないからです。(ただしこれは、クラスの人数が20人前後でのスイスの場合では可能でも、日本のようにクラスの規模がはるかに大きい場合においては、同様のコーチング体制の導入は難しいかもしれません)
20年後の将来を視野にいれた教育
討論会の最後のほうで、ホロムコヴィッチ教授は、「20年前にインターネットがこれほど社会で重要になることを予測していた未来研究者は一人もいなかった。わたしたちも20年後にどんな仕事があるのか全くわからない。わからないけれど、子ども達に、将来のためになにかを教えなくてはいけない。それでは、一体なにを教えればいいのか。どんな仕事が今のこどもたちが大人になる時代に必要になるのかわからないのなら、クリエイティブに働くことや、考えることができるようにするしかない。そしてそのために、情報科学が役になるのではないかと考える」と発言していました。
現在、すでにスイスでは(パソコンサポーターからウェッブデザイナーまでいれると)約3万人以上の情報専門家が現在不足していると言われますが、現在の情報専門家の人材不足をどう近い将来に填補するかという短いスパンの話ではなく、もっと先の未来、子どもたちの将来の望ましいゴールについてまで展望するという、豊かで刺激的な内容の講義と討論会でした。
<参考文献及びサイト>
——「学習計画21(Lehrplan 21)」の「メディアおよび情報」授業について
Donzé, René, ETH-Professoren warnen vor einer Bildungskatastrophe. In: NZZ, 1.7.2012.
Modul Medien und Informatik
Lehrplan 21
——ホロムコヴィッチ Juraj Hromkovič教授のプロジェクトおよび関連記事(インタビューを含む)
Bettzieche, Jochen, Das ist kein Spiel. In: NZZ am Sonntag, 15.4.2016, 09:07 Uhr.
Carli, Luca De, 20 Jahre lang falsch unterrichtet. In: Tagesanzeiger, 28.10.2017.
Hardegger, Angelika, Schwieriger Wechsel in den digitalen Modus. In; NZZ, 7.4.2017, 05:30 Uhr.
Hromkovič, Juraj, et al., Programmieren mit Logo, Version 3.3, 15. März 2016
Jäggi, Walter, «Jedes Kind muss programmieren lernen». In: Tagesanzeiger, Analyse, 9.7.2013.
Materialien für Schulkinder LOGO
Matter, Bernhard, Projekt „Programmieren in der Primarschule” Beteiligte Institutionen und Personen der ersten Projektphase: Ausbildungs- und Beratungszentrum für Informatikunterricht der ETH Zürich: Prof. Dr. Juraj Hromkovic und Mitarbeitende des Instituts Primarschule Domat/Ems: Pascal Lütscher und Daniela Zanelli, Pädagogische Hochschule Graubünden, Dr. Leci Flepp und Bernhard Matter. Zusammenstellung der Informationsbroschüre: Bernhard Matter 13. August 2010.
Pollim, Tanja, «Informatik macht Spass und schult das Denken». In: wireltern für Mütter und Väter in der Schweiz(2017年10月6日閲覧)
Primalogoについて
Programmieren für Kinder
Ristic, Irena, «Programmieren, so wichtig wie schreiben und lesen» (Interview mit Juraj Hromkovič) In: Friz und Fränzi. Das schweizer ElternMagazin, 3.12.2016.
Weiss, Claudia, Neues Schulfach Informatik? (Interview mit Juraj Hromkovič) In: Migros Zeitung, 24.10.2016.
Zedi, Roger, «Ohne Informatik keine Forschung» (Interview mit Juraj Hromkovič) In: Tagesanzeiger, 6.6.2011.
Zopfi, Emil, Computerbenutzer statt -fachleute. In: NZZ, 6.2.2012.
——レペンニングAlexander Repenning教授のプロジェウトおよび関連記事(インタビューを含む)
AgentCubes Online(ソロトン州の許可で2017年から無料でオンラインで使えるようになった教材ソフト)
Bettzieche, Jochen, Das ist kein Spiel. In: NZZ am Sonntag, 15.4.2016, 09:07 Uhr.
FHNW (Fachhochschule Nordwestschweiz), Kanton Solothurn, Scalable Game Design -Ein Erfolgsmodell Kurzfassung des Schlussberichts, November, 2016.
Professur Informatische Bildung, FHNW(北西スイス応用科学大学教育学部)
Willkommen bei Scalable Game Design Schweiz. In: Scalable Game Design, Fachhochschule Nordwestschweiz, Pädagogische Hochschule
Winkel, Martin, Motiviert: Wenn Kinder spielend lernen, macht das Lernen Spass. In: Coopzeitung, 27.03.2017, 15:00 Uhr
11.09.2017: Preis für Informatische Bildung der PH
——情報授業の教師養成について
Eggli, Marisa, Wie Zürcher Schulen digital aufrüsten. In: Tagesanzeiger, 18.6.2017.
Jacquemart, Charlotte und Koble, Eveline, Riesiger Bedarf an Weiterbildung der Lehrer Montag. In: SRF, News, 14. August 2017, 6:38 Uhr
Miller, Anna, Pflichtfach: Primarschüler sollen programmieren lernen. In: Schweiz am Wochenende, von SaW Redaktion, 18.6.2016 um 23:30 Uhr.
Sieber, Méline, Lehrplan 21 Informatik in der Schule: Umsetzung bereitet Kopfzerbrechen. In: SRF Digital, 22.6.2017, 13:09 Uhr
Wie Informatik Schule macht. In: Luzerner Zeitung, 11.8.2017.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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