自転車離れするスイスの子どもたち 〜自転車をとりまく現状とこれから
2018-09-04
今日、クリーンな移動手段として、自転車への期待が世界的に高まっています(「カーゴバイクが行き交う日常風景 〜ヨーロッパの「自転車都市」を支えるインフラとイノベーション」)。
しかし、スイスの現状をみると、頻繁に自転車に乗る人は全住民の7〜8%にすぎず、ドイツ(12%)に比べ、大きく下回り、EU 28カ国全体の平均(8.3%)と比較しても若干少ない割合です。特にスイスのフランス語圏にいたっては4%以下、イタリア語圏では2%以下という数字です。若年層(6歳〜20歳)においては、さらに驚く数値に出くわします。主要な移動手段として自転車を利用する若年層の割合が、この20年で半分近くに減っているのです(Sauter, 2014, S.85)。
これらのデータをみると、スイスは、単に、ヨーロッパ全体の潮流に遅れをとっているにとどまらず、むしろ後退・離脱していくかのようにもみえます。
スイスでは一体なにが起こっているのでしょう。今回は、特に若年層の自転車走行をめぐる現状とその背景について注目し、複雑な状況について、読み解いていきたいと思います。後半は、このような状況の建設的な打開策のひとつとして現在各地で取り組まれている、自転車能力試験についてご紹介し、今後の自転車をとりまく状況とその課題について一望してみたいと思います。
減り続けるこどもの自転車走行
スイスの6歳から20歳の間の年代で、主要な移動手段として自転車を利用する人の割合は、1994年から2010年までの約20年の間に、19%から10%と、ほぼ半減しました。例えば、16〜17歳は26%から14%、18〜20歳までは20%から5%までに減っており、自転車を最もよく利用する世代であるとされる13歳〜15歳の年齢層でも、38%から24%と少なくなっています(Sauter, 2014)。
Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014, S.85
スイスで自転車走行する人の割合が最も高いとされるバーゼル市でも、通学などで定期的に自転車を利用しているティーンエイジャー(12歳〜17歳)は、23%にとどまります。
このような最近の若者の自転車離れの理由として、以下のような点が指摘されています。
・公共交通機関を以前より多く利用している
若者の間で以前より公共交通機関が多く利用されるようになっていることが、相対的に、自転車の利用を減らしているとされます。
公共交通機関が多く利用される理由は主に二つ考えられます。まず、公共交通が以前より使いやすくなったことです。1994年から2010年の間で、スイス全体で公共交通機関は、(本数が増えたり、距離が伸びるなどして)3割充実化してました(Sulter, 2014, S.14)。
もう一つは、若者たちの生活環境やライフスタイルの変化です。若者の間でもスマートフォンの保有が当たり前となり(こどもにとって理想的なデジタル機器やメディアの使い方とは(1) 〜スイスのこどもたちのデジタル環境・トラブル・学校の役割)、
SNSを使って友人とやりとりしたり、音楽をきくなど、スマートフォンを使う時間をつくるため、自転車に乗る代わりに公共交通機関を利用する人が増えていると推測されます。
Sauter, Daniel, Mobilität von Kindern und Jugendlichen. Entwicklungen von 1994 bis 2010. Analyse basierend auf den Mikrozensen «Mobilität und Verkehr». Im Auftrag des Bundesamtes für Strassen, ASTRA Bereich Langsamverkehr Bern Juni 2014, S.85
・自転車を躊躇する若者独特の事情
自転車で通学したいと思う生徒の数自体が必ずしも少なくないのではなく(自転車通学を希望すると生徒が半分を占めるという調査結果が出ているケースもあります)、自転車で走行するための前提がネックになり、敬遠されているという説もあります。
端的な例が、ヘルメットです。一方で、ヘルメットを被らないと危険であるという認識があるものの、現在の若者のファッション感覚として、ヘルメットをカッコ悪いとする傾向が強いようで、ヘルメットがかぶりたくないために自転車に乗りたくないという人も意外に少なくないと推測されています。スイスでは、14 歳までのこどもでヘルメットをかぶる子供たちが、2009年には70%いたのに、5年後の2014年には60%にまで落ち込んでいます。(ただし、若者だけでなくヘルメット離れは、スイス社会全般に現在みられます。2014年、いくつかの地域で大人のヘルメット着用を観察したところ、2009年と比べ46%から43%に減っていました。)
また、若者の自転車への感覚も、自転車に対する敷居を高くしているとされます。自転車を必要な交通手段、つまり生活必需品という感覚で捉えるのではなく、生活スタイルのプラスアルファー、つまりファッションの一部になってきているため、乗るなら、ファッショナブルで上等のものに乗りたい、と考えます。しかし、そのような要求をある程度満たす自転車を購入するとすれば、700スイスフランはするため(日本円で約7万5000円)、かなりの高額です。結果として、(安いものを買って「かっこ悪く」乗り回すより)買わずにいる方がいい、という発想になるという人が多いのでは、と言われます。
また、たとえ高い自転車を購入した(できた)としても、そうなるとなおさら壊されたり盗難の危険が高くなり(スイスでは学校のキャンパスが、門や塀などで囲まれていないため、誰もいない自転車置き場は、たびたび盗難や毀損のターゲットにされます)、自転車通学を抑制する傾向につながっているとも言われます。
・親の車の送迎が増えている
親の学校や課外活動への車での送迎が増えたことも、自転車利用が減った直接的な理由としてよく取りざたされます。
直接関連する統計のデータは見当たりませんでしたが、近年、親がこどもたちの通学の送迎をすることが増えている、と教育現場では言われています。スイスでは、基本的に親が同伴せず、一人あるいは友達といっしょに自力で通学することが、小学校はおろか、幼稚園の時から奨励されていますが(「学校のしくみから考えるスイスの社会とスイス人の考え方」)、一部では送迎する親が増えているようです。
理想と現実が乖離する自転車をとりまく環境
このように、スイスでは、クリーンで健康を促進する移動手段と認められ社会全般で評価されている一方で、若者たちの間では自転車離れが進んでおり、自転車をめぐり、理想と現実の乖離が目立ちます。
一方、このような若年層の自転車離れの状況を改善すべく、個別に問題を解決しようとする対策も始まっています。ここからは、そのような対策の具体例として、近年スイス全土で力が入れられ始めた、自転車技能試験に目を向けてみます。
なぜ自転車に乗らない、乗らせないのか
しかし、自転車技能試験が、自転車離れとどう直接関係するのか、と首を傾げておられる方もおられるかもしれません。そこで、もう一度、若年層の自転車離れの理由として最後に挙げられていた項目に触れて見ます。
近年、親たちによる送迎が多くなったのでしょうか。これには色々な理由が考えられますが、その一つとして、自転車が危険、という理解が強まっているからではないかと推測されます。自転車の交通量や全体の交通量は全体として年々増えており、それに平行して、確かに事故が増えています。2013年(こどもが通学に自転車通学すると、自転車通学しない場合(バスや徒歩の通学)の場合よりも、事故にまきこまれる危険が5から7倍高い、という統計もあり(«Sicherheitsreport 2013)、これらのデータや報道を見聞することで、意識するしないに関係なく、子どもたちの自転車運転への不安が高まっているのかもしれません。
実際に、最近の子どもたちの自転車運転技術が未熟で、事故の直接的な原因となっているという意見もあります。子どもたちの運動能力的な問題、例えば、左折右折の時に片方の手をあげてわたる、車線を変える時に後ろをみて車がいないか確認する、あるいは、まっすぐに走るなどが、できない子どもたちが増えていると言います。実際、自転車事故の3分の2が、自分の運転ミスから生じてた事故です。
つまり、これらのデータを合わせて考えると、自転車に乗るのは危険だといって子どもを自転車に乗せずに、親が学校の送迎をする。そうすると、子どもたちは、ますます運転の練習ができないため、当然、運転が下手で、事故を起こしやすい、という悪循環に陥っている可能性があります。
自転車技能試験
いずれにせよ、こどもたちの自転車の事故が増大するようでは、総合的にみて優れた移動手段とはいえないのは確かです。このため、まずは、こどもたちが安全に自転車走行できるようにすることが重要とし、2010年代からそのための有力な対策として、スイス各地で取り入れられるようになってきたのが、自転車技能試験です。
ただし、自転車の技能試験自体は、新しいものではありません。ドイツやオーストリアを含めドイツ語圏の多くの地域では、(自動車が増え交通事故が増加する)1970年前後から数十年間、技能試験が実施されていました。
しかし、試験開催には50人の要員が、1日がかりで関わらなければならず、他方、1970年前半をピークに交通事故件数は減少の一途をたどるようになっていったことを背景として、自転車技能試験を実施する自治体は次第に減っていきました。たとえば、2013年の時点で、チューリヒ州内にある171自治体のうち義務の自転車技能試験を実施しているのは、14自治体のみです。
しかしチューリヒ州警察では、近年こどもたちの自転車走行技術がこれまでより悪化してきているという危機感が強まっており、自転車技能試験を再び自治体で義務化させることを、最終的に実施の権限をもつ自治体に訴えています。近年スイス各地で技能試験が実施されるようになってきた背景にも、同じような危機感があると考えられます。
三部構成の試験概要
試験は具体的にどのような内容なのでしょうか。州によって若干異なりますが、概要をご紹介しましょう。
・対象年齢は小学校4年から6年生(スイスの地域によって若干異なる)
法律上、こどもは6歳になれば自動車道路や自転車専用道路を走ることができまが、車やほかの車両交通と危険なく、走行するのは難しいため、12歳までは、歩行者道を自転車で走行することが認められています。逆に12歳をすぎると(つまり中学生以上)は、一般道路を走行しなくてはいけなくてはならないため、それまでに、そのための知識と技能の両方の取得が不可欠となる、これが、小学生のうちに試験が行われる理由です。
・試験内容(3部構成)
1。交通ルールについての筆記試験
事前に配布された教材やオンラインで勉強した交通ルールについての筆記試験
2。自転車の点検
ブレーキ、前と後のライトと反射鏡、タイヤの状態、ベル、ヘルメットがチェックされます。
3。実技試験
教習所内での(カーブや細い道などを走行する)実技試験と路上での実技試験(具体的な走行ルートの例(ビデオ)は、記事最後に掲載してある参考リンクからご覧ください)
・試験の合否と試験後のケア
試験は、多くの自治体で、自動車免許試験同様、合格と不合格に判定されます。これには法的効力はありませんが、合格すれば(あるいは合格するために交通ルールを覚えたり実技の練習をすることで)、こどもたちには、公道を走行するのに必要な余裕や自信となることでしょう。
不合格となる場合にも、法的効力があるわけではありませんが、こどもたちが不十分な技能で不安なまま走行することにならないよう、後日、補講を行うなど、さらなる指導をしています。自治体や年度により合格率は異なりますが、平均すると5、6人の生徒のうち一人の割合で不合格者がいるとされます。
おわりにかえて 〜適切な移動手段を考える
スイスの子供たちの現在の自転車走行を取り巻く状況を広範に見ていけばみていくほど、様々な事情や相反する問題が絡んできて、自転車が乗れなくなったことが一概に悪いことで、自転車を推進することが正しいとも言えなくなります。
例えば、端的に以下のような問いには、どう回答するのが適切でしょう。
こどもたちの健康促進や環境負荷を減らすために自転車にのらせたほうがいいのか、それとも事故予防のため、自転車にのらないようがいいのか。
自転車走行が下手であれば、乗らないほうがいいのか。それとも上手になるために、自転車走行したほうがいいのか。
自転車走行を奨励するとしたとして、今度は、ヘルメットの問題があります。かぶらないなら自転車にのらないほうがいいのか。それともかぶらなくても自転車走行を奨励したほうがいいのか。
ところで、直接これらの回答の手助けにはなりませんが、これに関連する話として、デンマークの自転車愛好家Mikael Colville-Andersenの興味深い主張があります。ヘルメットをかぶる人が多いところほど、その町の自転車運転が安心感がない、という説です。実際、ヘルメットをかぶる人が多いところほど、自転車にのる人がすくないということはある調査でもみとめられたといいます(ただしこれは1997年のイギリスの調査です)(Schindler, 2016)
ヘルメットをかぶりたくない人は、ヘルメットなしでは危険と考え、自転車自体にのらないということもあるといいましたが、スイスでは自転車の乗る時にヘルメットをかぶっている人でも、かぶっていても安全な気がしない人が多いといいます (Schindler, 2016)。
それらの話を聞くと、ヘルメットをかぶるかぶらないに関係なく、安心して走行するための、自転車専用レーンの整備などを優先すべきという気もしてきます(実際に、来たる9月23日の国民投票では、憲法に自転車専用レーンの設置を盛り込むかの是非が問われることになっています)。
または、自転車に諸事情(自分が運転するよりデジタル機器を利用する時間を作りたいなど)があって乗りたがらない人が増えているのだとすれば、その人たちが乗る方向を目指すよりも、さまざまな理由で自転車に乗ることができない人々(例えば高齢者や幼児、障害者など)も乗車できる公共移動手段の充実をさらに優先させるほうが、公益になるのではという考え方もできるかもしれません。
さらに広げて考えてみれば、地域社会の規模、地形(平地か山がちか)、気候、地域住民の社会構成(年齢や社会、経済的背景)などによって、社会で中心的になる移動手段は異なることでしょうし、そもそも、社会のインフラやライフスタイルなど生活を取り囲む環境自体が数年単位で大きく変化している現代においては、自転車の社会での意味や重要性自体も大きく変わる可能性があります。
今後も、さまざまな事例をとりあげながら、人々にとって適切な移動・交通手段とは何か、場所や世代や時代の文脈に合わせて、考えていきたいと思います。
参考文献・サイト
Kaufmann, Carmen, Alle Schüler bestanden die Veloprüfun. In: Tagblatt, 30.5.2018, 08:01 Uhr
Kinder und Velo: Keine Erfolgsgeschichte, Mdeianschule St. Gallen. In: Saiten, 27.9.2013.
Raths, Olivia, Wenn eine Autoversicherung Velofahrer warnt. In: Tagesanzeiger, 9.8.2013.
Rüttimann, Céline, Schulweg soll zum Veloweg werden. In: Der Bunde, 5.9.2017.
Schindler, Felix, Velo-Entwicklungsland Schweiz. In: Tagesanzeiger, 9.8.2016.
Veloprüfung der 6. Klässlerinnen und 6. Klässler. In: Der Landbote, 07.06.2016.
Veloprüfung, Schule Steinberg(自転車試験のために必要な技能と知識が一望できる)(2018年6月27日閲覧)
Veloprüfung, Stadt Winterthur(2018年6月27日閲覧)
Veloprüfung, Winterthur(オンライン交通ルール問題集)(2018年6月27日閲覧)
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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