「どこから来ましたか」という質問はだめ? 〜ヨーロッパから学ぶ異文化間コミュニケーション

「どこから来ましたか」という質問はだめ? 〜ヨーロッパから学ぶ異文化間コミュニケーション

2019-04-18

今年3月にドイツで『訊くのをやめろ。わたしはここの者だ』というタイトルの本がでました(Ataman, Ferda, Hör auf zu fragen. Ich bin von hier, S. FISCHER Verlag, 2019.)。著者アタマンFerda Atamanがドイツで著名な雑誌で活躍するジャーナリストであるためか、この本に関しては出版以前から、ドイツだけでなく、スイスでもメディアで取り上げられていました。

トルコ系ドイツ人である著者が、(この本のタイトルにある)「訊くのをやめ」てほしいものとは、その人がどこ(の国)から来たのかを訊くことで、なぜなら、わたしはここの者、つまりドイツの出身なのだから、というのが、このタイトルの意味になります。

自分と違う(と思われる)出身国の人に会って、「どこから来たのですか?」と質問をしたくなる状況はわたしにとってしばしばあります。その人がどこから来たのか本当に知りたいと思う時だけでなく、自分が相手に関心をもっていることを示すシグナルにしたり、その場をなごますスモールトークがほしい時です。

しかし、この本では、この質問に不快感をもつ人や状況があることがむしろ強調されています。一体、この質問のなにが問題だというのでしょう。その背景にはなにがあるのでしょう。それほど、異文化間のコミュニケーションは、普通に考えるコミュニケーションとは異なるややこしいものなのでしょうか。

確かに、異文化間のコミュニケーションでは、同じ文化圏や習慣をもつ人との間のやりとりでは起こりにくい誤解や不快感を引き起こしてしまうことがあります。しかし、それのトラブルやハプニングは、いくつかのことに点に留意し、配慮すれば、トラブルを完全に防ぐことができなくても、ずいぶん減ると思います。

今回は、この本が提起する問題を契機に、そのような異文化間のコミュニケーションで起こりやすいトラブルや、多文化の人とのやりとりで必要な感覚や配慮を、これまでの筆者のドイツとスイスでの経験や知見をもとに整理して、指摘してみたいと思います。

多様な分野で、就労のため外国からこれまで以上に人々が入ってくることが見込まれている(少なくとも期待されている)日本において、今後、職場や地域生活で接点が格段増えてくると思いますが、ここで示すことが、コミュニケーションがぎくしゃくしそうな時に垂らす数滴の円滑油になってくれたらさいわいです。

※今回の記事は「移民」をテーマにした連載記事の四回目にあたります。これまでの記事で扱ったテーマは以下です。
移民の模範生と言われる人々 〜ドイツに移住したベトナム人の半世紀
ドイツの介護現場のホープ 〜ベトナム人を対象としたドイツの介護人材採用モデル
帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題

三つの質問

この本のタイトルを聞いた直後、個人的に思い出したことがありました。以前、ドイツ在住のエチオピアからの移住者が、ドイツでされる嫌いな質問がある。それは、どこから来たのか、ここでなにをしているのか、いつまでここにいるのか、の三つだと言っていたことです。エチオピア人の気になる質問は、この本のタイトルにある質問よりさらに二つ多いですが、基本的に同じようなことを問題視しているといえるでしょう。

これらの質問が適切か否かについて、すぐに考えてみるのではなく、まず、これらの質問をめぐる状況を、ふたつの「なぜ」で整理してみます。なぜそのようなことをドイツ人が訊いたのか。また、なぜ、著者やエチオピア人はそれらを訊かれることをいやがるのか、です。

なぜドイツ人がそのような質問をたびたびするのか。これについては、当人たちに実際に訊いてみないとわからず、ここで、どの理由がもっとも妥当なものなのかを回答するのは不可能です。純粋な好奇心から訊いた人もいれば、外国人への排斥的な気持ちをもって訊いた人もいたかもしれません。また、便利なスモールトークのつもりで他愛なく口から出た質問であったかもしれません。

一方、質問をするドイツ人の動機に関係なく(たとえ訊いた人にとっては、他愛ない動機だったり好意的な意味合いであったとしても)、それを質問される側が、いやがるとすれば、それはどうしてでしょう。

質問が中立的なニュアンスかそうでないか

本の著者とエチオピアからの移住者は、このような質問をドイツでよくうけており、その質問に答えることにうんざりしており、このような質問にとても敏感になっていました。

では、どこからきたのか、なにをしているのか、など具体的な質問の内容が問題だったのでしょうか。もしそうであれば、ある意味で、コトは簡単で、そのような質問を避ければいい、ということかもしれません。しかし、実際は、それほど簡単ではなく、問題はそこにはないのではないかと思います。

少し話がずれますが、世の中には、同じ質問が繰り返しされることは、誰にでもままあります。典型的なのは、名前でしょう。例えば、役所やサービス部門で、自分の名前を訊かれることは非常によくあります。しかし、そのようなシチュエーションで、名前を訊かれるのを嫌がったり、なんで訊くのか、とキレる人はまずいないでしょう。換言すると、その質問が、サービスや事務処理に不可欠なもので、質問事項も、きわめてニュートラルなものであれば、繰り返し訊かれても苦にはならないということなのだと思います。

つまり、ここでは質問内容自体が、問題ではなく、質問が繰り返されるのをいやがる理由はほかにある。だとすれば、それは何なのでしょう。

「よそもの」として扱われたくない

結論から先に言うと、質問の仕方が、訊かれている方に中立的な質問に聞こえず、不快感をもよおすものであった、ということではないかと思います。

ここで、本のタイトルに目を再びむけてみます。どこから来たかと訊いてくれるな、わたしは、ここの者だ、です。よそものでなく仲間だと思われたいのに、いつまでもよそもの扱いをされている、そのような不満が、背景にあるわけで、そのように不満がつのっていることが問題です。

実際に、著者に対するいくつあのインタビューをみても、同種のことが語られています。戦後、外国人労働者としてドイツにやってきた移民世代が2世、3世となっている今日でも、ドイツは、「もともとドイツにいたドイツ人」と移民的背景をもつ「新しいドイツ人」という2種類に分類するような意識が強くある。しかし、これからは移民たちをとりこんだ、新しいドイツ人像を構築すべきだというのが、主たる主張です。

よそものとして扱われたくない気持ちは、自分や自分以外の外国出身者が、ドイツ社会でどう振る舞うべきか、ということにも敏感になるようです。

以前、スイスのあるセミナーで、わたしが自分自身を「外国人」と表現した際、ほかの外国からの移住者に、なんで自分のことを外国人と称するのかと強く非難されたことがありました。わたしがその人に会ったのはあとにも先にもそのセミナーの一度きりでしたが、そのようなささいな縁しかない人の言動でも気になった。その心理はどのようなものでしょう。一般的な理解から推論すると以下のようなことではないかと思われます。

その人はドイツ語が流暢でしたので、多分長くスイスかほかのドイツ語圏で生活してきたのでしょう。そして、自分やほかの外国からの移住者が、当地でよそ者のように扱われることがあり不満に思い、日頃から問題意識をもっていた。そこへ、自分のことを「(移民的背景の)住民」と言わずに「外国人」(つまりよそ者である)と堂々と自称する人が目の前に現れた。そのような態度が、移住者をよそもの扱いするヨーロッパ人の態度に鈍感なだけでなく、それを助長する、あるいは迎合する態度のように思われ、だまっていられなかった。

このような、その人にとって長いわけや複雑な事情が、非難に背景としてあったのだと思います。

「よそもの」についてまわる意味合い

一方、この出来事をめぐるこのような簡単な説明では、矛盾もまた明らかになります。なぜ、同じヨーロッパに住む外国出身者のなかで、一方で、「よそもの」扱いされるのをいやがり、ほかの「外国人」と自称する人を非難までする敏感な人がおり、他方で、自分を平気で「外国人」と表現する(わたしのような)「よそもの」意識に鈍感な者もいるのでしょう。

これを説明するのに、重要なキーとなるのは、「よそもの」という概念に対する感覚の違いだと思われます。わたしが「外国人」だと自称することを厭わなかったのは、ヨーロッパで今でも(文化や習慣的な違いを強く感じ)異邦人だという感覚が強くぬぐえないということもありますが、それよりなにより、自分が日本人であることにヨーロッパ社会でデメリットをあまり感じていない、ということが大きな理由だと思います。

もちろん、就職やアパート探しの時に、自分がヨーロッパ的な名前でないことで不利になるなど、ほかの外国出身者と同様に、「よそもの」であることで生活に不便をきたすことをあげればきりはありません(公式にはそのような場面で差別することは禁止されているにせよ慣行的には簡単に克服されるのが難しい課題です)。一方、日本が民主主義的で経済的に豊かな国であり、文化面でもヨーロッパ人に一目置かれている国(「異質さと親近感 〜スイス人の目に映る今の「日本」の姿とは」)であるため、ドイツやスイスに日本人として暮らす際、最初から悪いレッテルが無条件ではられたり、あからさまな人種差別的な扱いを受けることは、あまりありません。

しかし、肌の色や故郷の国や保持している宗教や文化によっては、貧しい(から盗みもしそうだ)、異教徒(だから危険そうだ)、国民性が違う(だから性格が乱暴そうにみえる)などの理由で、ネガティブなイメージがついてまわり、現実に生活のさまざまな側面で、デメリットをこうむっている外国出身者が多くいます。この人たちが、「よそもの」として被っていることと、西側のEUの国や(日本のような)経済力がある先進国の出身の人たちが「よそもの」として味わっていることは、非常に大きな差があります。

差別を日常的に体験する人たちにとっては、「よそもの」は悪いイメージ以外のなにものでもないため、そのようなイメージを取り除き、スイスの一住民として、差別なくうけとめてもらいたいという願いが、強くなるのではないかと思います。

このような一定の外国出身者だけがヨーロッパで被っている差別的な態度については、ヨーロッパ社会で(ヨーロッパ人やヨーロッパで有利な立場を享受している出身国の移住者にも)、何世代にもわたる長い間、たびたび問題とされることはあっても、根本的に状況はあまり変わってこなかったのでしょう。今年3月に真正面からとりあげるこの本が現れると、ドイツだけでなくスイスでもメディアでも注目された、という事実が、そのことをうかがわせます。

よそものの文化に対する関心

とはいえ、と、ここから話がまた一見矛盾するような、しかし、やはり異文化間コミュニケーションにおいて、やはり見落としではならないと思える点を指摘したいと思います。

それは、「よそもの」と扱われることが移民的背景の人にとって、全般には不愉快だったとしても、同時に、自分が大きな愛着をもっている祖国の文化や習慣について、異国のヨーロッパでも、機会があれば、紹介したり、披露できる機会があればうれしい。喜んで説明、紹介したい、と思っている人もまた、かなりいるようだ、ということです。

それを強く実感した事例をふたつあげてみます。一つは、わたしがボランティアとして移民や難民向けのドイツ語の初心者講座をスイスで4年半受け持っていた時の体験です。毎回、受講者が積極的に発言したくなるテーマを選ぼうと苦心しましたが、受講者がもっとも積極的に話をしてくれたのは、それぞれの故郷の習慣や文化が関係するテーマを選んだ時でした。故郷の経験や様子を話す時は、誰もが例外なく、その話の主役であり、よくぞ聞いてくれたとばかり、こぞってはりきって話をしてくれる、という光景を何度も目にしました(ドイツ語圏の難民や移民のインテグレーション(社会的な統合)政策や状況に関しては「ヨーロッパにおける難民のインテグレーション 〜ドイツ語圏を例に」)。

また、地元の公立小学校で、任意で親たちが自分の祖国の自慢の料理を持ち寄り、みんなで食べるという会を企画した時も同じような光景を目にしました。その学校は、全校生徒の4割以上が移民的背景をもつ学校であり、親たちは50カ国近い多様な国々の出身者でした。その親たちが、その日はほこらしげに、大きな袋をもってあらわれ、郷土料理をはりきって披露していたのがとても印象的でした(就労とインテグレーション(社会への統合) 〜 スウェーデンとスイスの比較

これらの光景を思うと、ヨーロッパ社会においても統合されずに自分が背景にしょっている文化や習慣にほこりをもっており、それらに純粋に興味や関心をもつ人たちがいれば、それらを説明したり紹介することに、強い関心や意欲をもっている外国人移住者の数はかなり多いのではないかと推測します。わたしが担当したドイツ語初級講座では30カ国以上の国の出身者に会いましたが、そのような気持ちや欲求は、出身国が南か北か、大国か小国か、先進国か否かなどに全く関係なく、みられました。

ここで、もう一歩踏み込んで言うと、「よそもの」というレッテルをはらず、中立的、好意的な態度で、外国から出身者に、その人のしょっている文化や風習や抱いている思いを訊くことは、決して失敗コミュニケーションではなく、むしろコミュニケーションが良好に発展するかぎになると思います。

日本での異文化コミュニケーションの在り方とは

ところで、ドイツやスイスに居住する様々な年代のヨーロッパ人や移住者と長く関わってきて、最近、改めて強く思うことがあります。

日本人の基本的なコミュニケーションの手法は、協調性や社会規範と強く結びついて、よくいえば、おくゆかしく、悪く言えば(といっても一概に悪いとも限りませんが)はっきり意見を主張しない傾向を今でも強くもっているということ。そして、そのような日本人のコミュニケーションの手法が、ほかの国の人たちとずいぶん、違うのではないかということです。

このような指摘は、20年以上ヨーロッパに住む日本人の間でもよく耳にします。ただし、ヨーロッパに来る移住者のなかでは日本をふくめアジア出身者は少数であるため、その分、少し差し引いて理解すべきかもしれません。日本で出会う外国出身者といえば、周辺のアジアの人たちが多く、わたしが中心的に出会ってきたヨーロッパや南米、東欧、アフリカを中心とした国の出身の人たちとは、また違う傾向をもっていることでしょう。

いずれにせよ、日本に今後、アジアやほかの国からも外国人がくるようになると、これまで日本人の間では普通に通用したコミュニケーションの在り方では通用しないことがたびたびでてくることは必至かと思われます。その際、実際に多様な外国人移住者たちとどんな風にコミュニケーションをとることになるのでしょう。あるいはどんなことが、良好な異文化間コミュニケーションにおいて問題や鍵となるのでしょう。

もちろんなかには、日本に長く住んでいて日本人のやり方をよく理解している人たちで、日本人に通じやすいコミュニケーション話法をわきまえて話す人もいるでしょう。一方、コミュニケーションの仕方は、そのバックボーンとなる社会規範やふるまいと同様に、基本的に、違う国にいったからといってころころ変わらない人や場合も多いのではないかと思います。社会で相対的に外国出身者が増えていけばいくほど、実際に、日本的な流儀にこだわらず、多種多様なコミュニケーションの仕方をする人の数も増えるでしょう。

そのような人たちとのコミュニケーションは具体的にどんな風になるのでしょう。それは、端的に想像するとすれば、『訊くのをやめろ。わたしはここの者だ』に類似するタイトルの本が、日本に住む外国からの移住者によって書かれ、日本で出版されるような状況でしょう。このタイトルは、当事国の人々すべてを相手にけんかを売っているような挑発的なタイトルですが、このようなタイトルの本が移民的背景をもつ人たちによって日本で出版され、自分たちの立場をはっきり主張する。そんな時代が間近に迫っているということなのかもしれません。その時日本人はどんな風にこれらの人と実際にどんな風にコミュニケーションしていくのでしょうか。

一つ確かなことは、コミュニケーションの作法が違う人たちともいっしょに同じ社会で働き、生活していく以上、困惑や反感などの衝動的な感情とは別のレベルで、そういう流儀の違う人たちともなんとか折り合いをつけて、やっていくしかないということでしょう。そのような覚悟をきめ、求められたら、実際にそれらの新しい住人に向き合いはっきり自分たちの意見をいう誠意ある態度が、これから必要なのではないかと思います。

おわりに

今回は、異文化間コミュニケーションでもとりわけデリケードで難しい側面をみたので、これからの日本での外国出身者とのコミュニケーションの在り方を思い、茫漠とした不安な気分になってしまった方が、もしかしたらおられるかもしれません。その暗雲を晴らすべく、最後に、もう少し長い目で見晴らしのいいところに立って、異文化間コミュニケーションの奥義について触れてみたいと思います。

話はずれますが、以前、戦争を繰り返し何百年も続いたヨーロッパのプロテスタントとカトリックの対立が、今のヨーロッパでは、うそのようになくなり、雪解けの時代に至ったという話をご紹介しました(対立から融和へ 〜宗教改革から500年後に実現されたもの)。その理由は、お互いが寛容や平和の境地に歩み寄り、届いたからというよりは(そう言えたらかっこよかったのですが)、社会全体が世俗化し、キリスト教や宗教というものの社会での影響力や役割が大幅に減ったためだと考えられます。

ここにみられるように、短期的、表面的な時事だけに目をやると、なんら進展がみえなくても、気づかないうちに自分のよりどころとなっている社会の深層の地盤自体が移動し、気づくと、ある時代のある場所では非常に重視されていた問題が消滅している、あるいは少なくとも多くの人の立ち位置からは大きな問題としてみえなくなっている、ということが、歴史上、ままあります。

少し突飛かもしれませんが、異文化間コミュニケーション上、今存在する多くの問題や課題も、これと同じような傾向をもつ問題なのかもしれないという気がします。つまり、異文化を意識するような段階を通り越して、それが意識されなくなる段階にまで進む時、異文化のなかに「存在した」問題自体も消える、あるいは相対的に重要なことに映らなくなる。そのような問題解決のありかたが、あるように思います。

というのも、少なくとも、その兆候にみえるようなものが、現在のスイスで観察されるためです。昨年の若者バロメーターの調査によると(「若者たちの世界観、若者たちからみえてくる現代という時代 〜国際比較調査『若者バロメーター2018』を手がかりに」)、外国人を、問題が少ない、問題が全くない、あるいは外国人がいるのがむしろメリットだ、と回答した若者のトータルの割合は、難民危機となった2015年をのぞき、ゆるやかに増えており、2018年は65%に達していました。若い世代の外国人とスイス人の関係に限ってみた場合、調和的(ハーモニー)であると答えた人の割合も、2010年には、11%であったのに対し、2018年は、3倍の33%になっています。

現在移民的背景をもつ人が全体の4割近くを占めているスイスでは、差別や区別のない教室を目指す明確な方針の下で、様々な国や文化的背景のこどもたちが、クラスメートとして幼稚園から義務教育課程(州によって若干違いますが約10年)を共にすごします。このような教育課程を経た若者にとっては、移民をひとくくりにして、アプリオリに問題とするという思考や、移民と非移民という区分の仕方自体が、かなり感覚的に合わなくなってきているようです。

ここからわかることは、外国出身者との良好な形で共存し、その共存に慣れてくればなれるほど、「問題」として認識される事項が減ったり、その「問題」の濃度が相対的に薄まるということではないか思います。

ただし、一度消え去った問題が、あとで恣意的にイデオロギーで呼び覚まされ、対立を生み出すという構図もまた、歴史のなかでたびたびありますので、異文化コミュニケーションにおいてもそれが起こらない保証はありません。このため、油断や楽観は決してできませんが、日本のみなさんにもこれから、外国から人が来たからといって疑心暗鬼にならず、このような明るい展望もまたあることをスイスからお伝えして、今回のレポートを閉じたいと思います。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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