濃厚な音楽鑑賞のすすめ 〜ヨガとコンサートが結びつく時
2019-05-01
音楽鑑賞は、今も昔も変わらず、多くの人にとって大きなよろこびですが、音楽をこれまで以上に堪能したければ(つまり音楽体験をより豊かに、充実させたい)、なにをすればいいと思いますか。
スピーカーやヘッドフォンの音質や効果にこだわったり、コンサートホールの音響効果や残音に関心をもったりといった、耳に入る音そのものの伝わり方や環境の最適化を、たいていの人は考えるのではないかと思います。
これに対し、音楽をより堪能するのになにより肝心なのは、自分自身の体の問題であるとする人がいます。ドイツ人シュテフLisa Stepfです。彼女は、音楽を聴く前に一定の準備を体にさせることで、聴くという体験が、全く違う次元のものとなり、濃厚に堪能することができるとします。
発想の転換ともいえる、この人の提唱する「新しい聴く経験 new listining experience」と実際のコンサートの様子について、今回、取り上げ、その体験としての特徴について考えてみます。同時に、これと対照的なクラシック音楽の鑑賞の仕方について改めて注目し、世界的なロング・トレンドでありつづけているゆえんも探ってみたいと思います。
※シュテフは、さまざまな音楽のジャンルで試してきましたが、今回は、クラシック音楽のコンサートのケースについてお伝えします。
ヨガコンサート
まず、シュテフが考案したヨガの手法を用いた「新しい聴く経験」(Video)について具体的にご紹介しましょう。これは単に音楽を聴きながらヨガをするというようなものではなく、音楽を聴く準備としてヨガを用いるもので、通常ヨガコンサートと言われます(Stepf, It changes)。
ヨガの教師でもあるシュテフのてほどきを受けながら、75分ほど、聴衆のために事前に用意されたマットの上で、それぞれヨガを行います。ヨガ経験があればいいにこしたことはありませんが、初心者も特別の指導をするので問題ないといいます。実際、毎回数人の初心者が参加するといいます。
その後数分間休憩を入れてその後、マットの上で横になったまま5分から10分間最後のリラクゼーションのヨガを行います。
ヨガが終わるか終わらないうちに、静かに演奏がはじまります。(演奏を聴きながらヨガをするのではなく、ヨガをして体を音楽を聴くために最高のコンディションにしてから音楽を鑑賞するということになります)
演奏は、マットに背中をつけた形で、演奏者に足を向けながら聴きます。演奏は約45分です。
ちなみに服装は、ヨガの動きに支障がないように、特に決まっていませんが、ジーンズなど動きにくい服は避け、動きやすい心地よい服装がいいとされます。
「新しい聴く経験 new listening experience」
シュテフが、ヨガコンサートをはじめたきっかけは、音楽家(チェロ奏者)で、ヨガの教師であるシュテフ自身の疑問と実体験にありました。
通常、コンサートホールでクラシック音楽を鑑賞する際、平然と並んだ椅子に、ほかの観客と肩を並べながら行儀よく腰をかけ、演奏の間(数十分あるいは数時間)音をたてることはおろか、身動きもほとんどさせずに聴きます。さらに服装には、明確ではないもののドレスコードがあり、スポーツウェアやジャージなど、体が動かしやすい服装は基本的に不可です。
シュテフは、このようなコンサートにまつわる作法にのっとった聴き方について、常々、肩苦しく快適でないと感じており、一方、ヨガをはじめるようになると、ヨガのあとは、体は非常にリラックスしている一方、意識や感性ははっきりとぎすまされ、音楽に非常に集中できることを実感するようになります。そして、その状態こそが、自分にとって音楽を聴くための完璧な状態だと思うようになりました(Interview)。
ただし、自分ではそうであっても、それがほかの人にも該当するとは限りません。ほかの人にも試してみたいと考えていたところ、2009年ベルリンで、シュテフは、実際に、それをほかの人に試してもらう機会をえます。その結果は、いつもの音楽の聞こえ方が全く違ったとするコメントなど、非常に大きいもので、自分だけでなく、ほかの人にも当てはまると確信します(Interview)。
そしてこれ以後、ドイツ語圏の各地で同じような新しい音楽の聴き方を試すコンサートを行うようになりました。
クラシック音楽とヨガは、伝統的なものと、世界のメガトレンドであり、それぞれは、決してめずらしいものではありません(ドイツ全体でヨガ人口は、現在500万人にのぼり、ベルリンだけでもヨガの専門教室は200箇所以上あります「ウェルネス ヨーロッパの健康志向の現状と将来」)。
ただ、その二つを、どちらの専門家である人によって、まじめにコンビネーションしたことで、音楽だけでも、ヨガだけでもない、新しいジャンルが開かれたといえます。
ディープな音楽体験
それは、見方をかえれば、より深い「体験」であるともいえるかもしれません。
現在、消費やクオリティオブライフを語る時、「体験」がひとつのキーワードになっています(「すべては「体験」を目指す 〜ショッピング、博物館、ツーリズムにみえる「体験」志向」、「「体験」をもとめる社会心理と市場経済 〜「体験」をキーワードに再構成される産業と文化施設」)。
「体験」が意味するものを、厳密に定義することは難しいですが、従来のあり方よりも、よりリアルに感じる経験全般をさしているといえるでしょう。つまり、全行程を完全リアルに経験するというのではなく、そのようなリアルな経験のダイジェスト版、いいところだけを「体験」という形で経験するという主旨であるといえます。
ヨガコンサートを、そのような「体験」のひとつと考えるとどのようにとらえられるでしょう。ヨガもクラシックコンサートもそれぞれリアルな「体験」の部類にすでに属していますが、その二つが組みあわされるヨガコンサートは、また違う次元の「体験」にいたっていると考えられます。それは、ヨガをすることで、より感性が研ぎ澄まれ音楽に集中できるとするシュテフの解釈を踏襲すると、より濃厚な音楽鑑賞「体験」、「ディープな体験」といえるのではないかと思います。
これまでも、よりディープな体験を求める動きはありました。例えば、ヴァーチャルリアリティを駆使してインターアクティブに体験する技術は、次々更新され、精度を高めています。
しかし、これらは、より「リアルに」することを目標点に技術的な向上という方向性にすすめられてきたのに対し、今回のヨガをとりいれたディープな体験とは、自分の体の性能を研ぎ澄ませるという全く違いアプローチからであることが、非常にユニークであるといえます。
ここに現れている、「リアル」さを高めるのでない角度から、体験を充実させる、違った体験をする、という発想は、体験というトレンドの、新しい展開のヒントを示しているのかもしれません。体験トレンドは、しばらくしてブームがさるのではなく、今後もこのような、多様な形からアプローチされ、進化していくのかもしれません。
クラシックコンサートをはじめて鑑賞したモザンビーク人
ヨガコンサートをはじめた経緯でシュテフが、通常のコンサートホールは居心地がいいと思えなかったと言うのを聞いて、思い出したことがあります。
モザンビークからの留学生がはじめてドイツ語学校の企画としてドイツでクラシックコンサートを聞いた時、素晴らしい演奏に体や手を動かして音楽を鑑賞しようとしたところ、付き添いのドイツ人教師にやめるように言われたという話です。その人は、なぜ音楽をききながら、体を思いのままゆすることが禁じられているのか、まったくわからなかったと言っていたことです。
小さい時から、ライブのクラシック音楽を頻繁に聴くことはなくても、聴く時にどんな風に聴くかをなんとなく習得している国の人たちには、クラシックコンサートで手拍子したり立ち上がって踊るとう発想がまず(幼少時期などは例外として)浮かばないと思いますが、確かに、言われてみれば、モザンビークの留学生にとって理解できなかったこともよくわかる気がします。
耳だけをかたむけて、数時間物音ひとつたてず、椅子に腰掛けて聴くというのは、確かに、誰にとっても(ある程度は訓練で慣れるにせよ)普通の行動様式とは違うきわめて異なる、自由が非常に制限された、また画一的な行動様式です。
クラシックコンサートの極意
そう考えると、改めて疑問に思うことがあります。なぜ、堅苦しい作法を強いるクラシック音楽の鑑賞の仕方は、100年以上ほとんど変わっておらず、しかも世界的に同じ方法を踏襲しているのでしょう。しかもそのように一見堅苦しく思われるコンサートでも、人気が落ちている気配はなく、少なくともドイツ語圏では最近また若者でコンサートに行く人が増えているといいます(Berg, 2017, Hinrichs, 2018, Mertens, 2017)。
ここで、一応、クラシックコンサートでの音楽鑑賞の仕方について、(ヨーロッパでの慣行に基づき)確認しておきます。
クラシックコンサートは、伝統的には、音楽だけでなく、服装や立ち居振る舞いとセットになった催し、体験です。フォーマル、あるいはそれに近い服を着て、十分時間に余裕をもって入場し、上着は通常クロークにあずけ(上着をコンサートホールに持ち込むことも可能)、コンサートの休憩時間には、ホールでアルコールなどを飲んだり歓談したりします。そしてコンサートがはじまると、上述のように画一的でかしこまったルールで鑑賞します。チケット代は、ほかの映画や博物館などの文化施設の訪問に比べても、かなり高額です。
これほど制限やルールが多い体験であるのに、通常その流儀に、疑問や不満をもつことはありません。いやなら足を運ばないだけで、あえて行く人はそれを従順に守ることにほとんど疑問や不満をもたず、世界中でその方法が踏襲されていて変化する兆しはありません。それはどうしてでしょう。
ヨーロッパ的音楽鑑賞というパッケージ体験
それは、そのような一連の体験すべてに、高い需要があるという、それにつきるのではないでしょうか。
身も蓋もないような説明ですが、行儀よく静かに座って鑑賞する音楽だけでなく、広々とした古風な豪華さを感じるスペースで、現代のヨーロッパでめっきり少なくなった「伝統ヨーロッパ的な」フォーマルな社交や習慣を享受する場所や時間への需要でしょう。
人々は、そこで、ちまちまと小分けされない、数時間に及ぶ時空が一体となった体験をパッケージとして味わうことで、「クラシック音楽をコンサートホールで聴いた」という強い実感をもつことができます。平たく言えば、コンサートホール独特の雰囲気に包まれて自分も礼儀作法にのっとって聴くことではじめて、クラシック音楽を「真に」聴いたという満足感を得られるのではないでしょうか。
なぜ「ヨーロッパ的な」形が世界的に今でも好まれるのかについては、クラシック音楽がもともとヨーロッパから発祥したから、というその一言でつきるのではないでしょうか。
体験には、本物志向がつきものです。よりリアルになにかを感じることこそ、体験の極意であり、クラシック音楽がヨーロッパ的なもの、という前提の認識に変化が生まれない限り、クラシック音楽を聴くのに、ヨーロッパ的な要素は優先され、好まれつづけるのではないかと思われます。
もしそうであるとすれば、通常のクラシックコンサートは、ヨガコンサートとは、目的もオーディエンスも違うものであり、目的に見合ったコンサートや音楽鑑賞の方法を、人々が選びとっていけば、今後も、問題なく共存できる関係にあるともいえるかもしれません。
おわりに
ヨーロッパ文化を象徴するクラッシック音楽のコンサートと、そこから遠く離れた全く違うインド文化圏の世界観を体現するヨガ、この二つの全く異なるものが、掛け合わされて、新しい音楽の鑑賞の仕方が生まれる。これが可能になるには、ほかの文化を許容する柔軟な発想や受け皿が不可欠です。
そのような柔軟な発想と受け皿の上で、異なる文化が交わり、そこから新たに醸成されてくる。これまでも世界中に限りなくあったその営みが今も各地で繰り広げられ、新しい文化をつくりあげていく。まだまだ、これからも、どのような魅力がある新しい文化がたくさん生まれてくるのか、楽しみです。
なにはともあれ、ヨガコンサート、わたしもいつかぜひ体験してみたいです。みなさんはどう思われたでしょうか。
参考文献
Barske, Sven, Mit den Fußsohlen hören. Kammerkonzert mit Yogastunde, Deutschlandfunk, 9.9.2013.
Berg, Jenny, Trendwende - Die Jungen haben wieder Bock auf klassische Konzerte, SRF, 6.3.2017.
Interviewmit Lisa Stepf, Kuratorin »Offbeat« (2019年4月17日閲覧)
Lisa Stepf: «It changes your listening experience», youtube, 2014年8月18日
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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