「移動の自由」のジレンマ 〜EUで波紋を広げる新たな移民問題
2019-09-07
移動からみるヨーロッパの危機
今回はヨーロッパでの「移動(移住)」について考えてみたいと思います。とはいえ、難民危機のようなEU圏外からの移動についてではなく、EU圏内で認められている移動についてです。
今日のヨーロッパ連合(EU)において、人の自由な移動は、EUの経済的な発展だけでなく、互いを理解し、未来にむけて協調的な基盤をつくるためにも基本的、重要不可欠なものとしてとらえられています。7月に扱った若い学生たちの移動を奨励する留学プログラム「エラスムス」もそれを確信しているがゆえに成り立っている、世界最大規模の交換留学プログラムでした(「世界最大の交換留学プログラム「エラスムス」 〜「エラスムス」世代が闊歩するヨーロッパの未来」)。
一方、総人口5億1200万人のEU圏内で自由な移動が認められて、壮大な規模で実際に移動が起こるとどうでしょう。人口や社会にどのような変動や影響を及ぼすのでしょうか。端的に言えば、移動によるインパクトに一国や一都市で対処するのが難しい状況になります。
今回は、このような状況や問題について、スイスの新聞『ノイエ・チュルヒャー・ツァイトンク(NZZ)』日曜版に掲載された先鋭のヨーロッパ政治学者イワン・クラステフIvan Krastev の最新のインタビュー(Mijuk, 2019)や著作を参考にしながら概観し、どんな対処が可能なのかについて、少し考えをめぐらしてみたいと思います。
ちなみに、東ヨーロッパも含めたヨーロッパ全体を見渡すクラステフの卓見については昨年も同紙で紹介され、今回のインビュー記事は、それから1年後のヨーロッパの状況をアップデートする内容とみることもできます(この記事の抜粋とそこからの考察を2本の記事にまとめたものは、「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」、「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(2) 〜移民の受け入れ問題と鍵を握る「どこか」派」)。
EU圏内の移動、移住の実態
冷戦終結以来、ヨーロッパでは大規模な人口移動が続いています。冷戦以降、ポーランドから250万人、ルーマニアからは350万人が流出しました。そして、この流れは、東側から西側へという一方向に偏ったものでした。
クラステフは、「少し前まで移住は(ヨーロッパの 筆者註)外からくるものが最も大きな問題だった」が、これについては、現在ヨーロッパにおいては、EUの国境を超え自由に流入することをみとめず一定の規制をすることで、ヨーロッパの合意ができており、ヨーロッパ内で意見が分裂する問題ではもはやないとします。その一方、「現在は、内部の移住が問題となっている。それはシェンゲン協定と人の自由な移動だ」とします(Mijuk, S.6.)(シェンゲン協定とは、1985年以降はじまった、EU圏内を国境検査なしで自由に移動できること許可した協定のこと)。つまりヨーロッパ外からヨーロッパに入ってくる難民や移民は、現在ある程度コントロールできるようになったものの、EU内の移動には制限が基本的になく、その移動の量や質が、EUの社会や政治的な問題となりつつある、という見解です。
例えば、冷戦終結以降現在までに、ポーランドから250万人、ルーマニアからは350万人が流出しました。東ヨーロッパ全体では、1990年から今日までで1200から1500万人が祖国を去っています。
その移動の主たる世代は若者たちで、いずれも恵まれた経済や生活環境に惹きつけられての移動です。若者たちは単純労働の口を探して動く人たちもいますが、専門的な職業訓練を受けたものも多く含まれています。例えば、ルーマニアでは2年間で1万人の医師が国を去っていますし、家庭の老人の介護要員など、西側のサービスやケア産業全般の足りない人材の多くも、東ヨーロッパからの人材にたよっています(「人出が不足するアウトソーシング産業とグローバル・ケア・チェーン」)。
結果として、東ヨーロッパの国ぐにでは、全体の人口減少もさることながら、深刻な専門家不足にも陥っており、クラステフは、このままの状態では、国の様々な機能を維持することができなくなるだけでなく、若者が国を去り、保守的な年配の人たちが残ることで、政治システムも硬直化し、悪循環につながるだろうと予測します。そしてなんとかこれをくい止める施策を投じなくてはいけないとします。
問題の深刻さが近年、送出国の国民たちにも鮮明に把握されるようになってきました。現在、中部、東部のヨーロッパの国々では、チェコ、イタリア、ギリシアとスペインを除き、すべての国では、外国からの移住者よりも、外国への移住者のことについて危惧をしており、ポーランドやハンガリー、ルーマニアなどでは、経済的な理由で外国へ移り住むことを制限することに賛成する人も増えています。
人口の大規模な移動にどのように対応すべきか、できるのか
しかし、移動の自由は、これまでEUが謳う重要な自由の一つであり、どこの国の人々にも与えられてきた権利です。それを制限する権限を誰がどういう形でもつべきなのでしょうか。
そもそも、移動の流れをむりやりにでも食い止めることで問題は解決するのでしょうか。移民としてでていく国には、でていくなにか理由や問題があるということになりますが、それを見ずに、移動する人だけに焦点をあわせ、その人たちをどう、どこにどれくらい配置するか、という話をするので、長期的な解決、広い社会全体に配慮した解決になるのでしょうか。
いずれにせよ、人口が流出する(東ヨーロッパなどの)国々だけで解決できる問題でないと思われます。ではなにが必要なのでしょう。結論を先にいうと、解決を目指すのであれば、むしろキーとなるのは、流出していく国よりも、受け入れ国で、それにどう対応するか、どこまで協力的に関われるかという点ではないかと思われます。
例えばルーマニアから移住する人がもっとも多いのはドイツで、2016年の1年間で7万人以上の人がルーマニアからドイツに移住していますが、ドイツのように移民が流入する国は、概して豊かな国です。このような受け入れに積極的な豊かな国が、移民を送り出す国に配慮し、その国にもなんらかの恩恵を与えるよう関わることができないでしょうか。
簡単に解答がだせるような問題ではもちろんありませんが、ヒントになりそうな具体的な動きをふたつあげてみます。
医療スタッフに関する世界的な協定
ひとつは、2010年、世界健康保健機構の総会で定められた「保健医療人材の国際採用に関するWHO 世界実施規範(日本語訳)」です。(「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)。
今日、世界的医療関係者が不足しており、よりよい市場や就労条件を目指してグローバルに人々が移動しており、その割合が年々増えていますが、人材の移動の増加に並行し、国から国外への医療スタッフの流出が際限なく続くことで、送出国が長期的に深刻な影響を受けることも、国際的に認知されるようになってきました。このため、医療人材の移動による不公平を緩和し、世界的に協調的にこの問題に取り組むためにつくられたのが、この世界健康保健機構の指針です。200カ国近い加盟国によって合意され、行動規範として推奨されることになったこの「保健医療人材の国際採用に関するWHO 世界実施規範(日本語訳)」では以下のようなことがうたわれています。
1。人材が不足している国からは受け入れない
2。国内の従業者と同じ扱いをする
3。受け入れ国と供給国の両者の国際的な協力を強める
4。国内従業員の需要を補うための措置をとる
5。海外の医療スタッフについては、データを収集し、研究プログラムや定期的な評価などを行う
これは、あくまで規範であり法的な強制力を伴うものではなく、また移民の権利を制限するものでもありませんが、各国に自覚や自主規制を訴え、逸脱する行為の監視や抑制をする国際的な枠組みとして、倫理規範に加盟国が合意した意義は大きいとされています。
EU圏内ではもともと自由な移動が認められているため、通常個々人が組織や会社と契約し就業しています。しかし医療スタッフやまたほかの高度な専門職の人材など、送出国が輩出することで社会に大きな打撃を与える分野においては、このような協定を参考に、受け入れ国だけでなく送出国も、なんからの恩恵を享受できる具体的なしくみをつくっていくことが、長期的な視点からみて望ましいと思われます。
移民政策と途上国援助を一体化させる方針
もう一つのヒントは、スイスの移民政策と途上国援助を合わせるという方針です。スイスはこれまで移民政策と途上国援助を全く別の目的とカテゴリーで行なってきましたが、2015年のヨーロッパ難民危機以来(現在は流入する難民が減っていますが)、二つの別個に行なっていた政策を見直し、移民が多く入ってくる国に重点を置いて開発援助を行う方針への切り替えを模索するようになりました。
例えば、これまで開発援助の対象であったラテンアメリカからは少しずつ撤退し、今後援助の中心は、北アフリカと中東、サハラ以南のアフリカ、アジア(中央、南部、南東)、東ヨーロッパにしぼり、対象国を46カ国から34カ国に減らすとします。開発援助の対象にする基準としては、まず、当事国の援助の必要性、次にスイスの国としての利益、そして三番目に、国際的に比較してスイスの援助の付加価値の高いものであることを重視する方針を打ち立てています(Die Schweiz, 2019)。
ここでの移民政策の「移民」は主に、経済移民や難民など、様々な理由からスイスで難民申請をする人などを指しており、上記の高度な技術をもつスタッフの受け入れに関する協定が対象にする人々とは異なります。一方、難民としてスイスなどに渡ってくる必要がなくなるように、移民たちがでてくる国に、効果的な開発援助を行うという主旨は、人々の移住を、送出国への支援と関連づけているという点で、最初の医療就労者の協定の例と相通じるものがあるでしょう。
ただし、このようなスイスの方針の転換については、開発援助という世界の豊かな国が協調しながら行なっているプロジェクトを、一国の移民政策を尺度にして、方向づけるのは正しくなく、世界的な貧困の克服や持続可能な開発などの優先課題を軽視したものである、とOECD開発援助委員会からは批判されています。しかし、スイスとしては、これまでよりも対象国を減らし集中的に援助することで効果を高めるという主張で自国の方針転換を正当化し、当面これを撤回するつもりはないようです。スイスは2021年から向こう4年間の開発援助をこのような方針でやっていくことを今年5月に決定しました。
おわりに
「移民」「移動」というと、とかく、排外主義的な人たちの言動や暴力、衝突が目立ち、そのことに注目がいきがちですが、それは移動や移民の流入・流出の問題の、ほんの一部のテーマにすぎません。
国を変えて大量に移動するという現象は、非常に多様な要因や複雑な受け入れ国と送出国の需要と供給が作用して起きており、逆に言うと、国外への人口流出を防ぐために愛国主義や国の連帯を訴える声や排外主義の動きなどで、抑制、制御できる範囲は限られているといえます。また、移動者を送出する国だけでも、受け入れる国だけでも解決できる問題ではありません。
このため、利害や経済力などが大きく異なる国々どうしであっても、(存続の危機に瀕する東ヨーロッパ各国を救済し、EUとして共存共栄していくためには)これまで以上にお互いに協力して、移動に対する対策や措置をすすめていくしか、希望をつなぐためにEUに残された道はないのではないでしょうか。
参考文献
Alabor, Camilla /Friedli, Daniel/ Kucera, Andrea, Cassis setzt auf “Switzerland first». In: NZZ am Sonntag, 14.4.2019, S.9.
Die Schweiz soll in weniger Ländern Entwicklungshilfe leisten. In: NZZ, 2.5.2019, 13:35 Uhr
イワン・クラステフ著庄司 克宏監訳『アフター・ヨーロッパ』岩波書店、2018年 (Krastev, Ivan, After Europe, Philadelphia, 2017.)
Mijuk, Gordana (Interview), «Die Europäer fürchten sich vor der Zukunft». In: NZZ am Sonntag, 9.6.2019, S.6-7.
OECD kritisiert Neuausrichtung bei Entwicklungshilfe, SRF, Freitag, 5. April 2019, 18:00 Uhr
OECD日本政府代表部、OECDの概要:開発援助委員会 - DAC: Development Assistance Committee(2019年4月15日閲覧)
United Nations, Department of Economic and Social Affairs, Population Division. World Population Prospects: The 2017 Revision, Key Findings and Advance Tables. Working Paper No. ESA/P/WP/248, 2017.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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