電話とメールで診断し処方箋は直接薬局へ 〜スイスの遠隔医療の最新事情
2019-09-22
前回、スイスが医療業界における患者情報のデジタル化についての現状と来年から始動するデジタル改革について、レポートしました(個人医療情報のデジタル改革 〜スイスではじまる「電子患者書類」システム)。
今回は、そのような医療データの扱いの変化に並行して、デジタルテクノロジーを利用し診療そのものを変革・拡大しようとする新たな試みとして注目される、スイスの遠隔医療Telemedizinについてレポートしてみたいと思います。
患者と保険会社にウィンウィンとなるか、遠隔医療
スイスでは2000年代から、「遠隔医療」と銘打ったICTを駆使した医療サービスを扱う会社ができはじめ、いくつかの会社は、今日、スイスだけでなく、フランスやイタリア、オーストリア、ドイツなど国外にも進出しています。ただし、これらの会社が行ってきた「遠隔医療」とは、基本的にコールセンターに待機する医師などの医療専門家に、医療の相談をする、いわゆる相談業務にとどまるものでした。
これに対し、スイスでは今年はじめから、遠隔医療サービスを提供している民間保険会社のひとつ「Swica」の遠隔医療サービスが、診療所としても認可され、これまでは医者に行かないと受けられなかったような医療サービスの一部を遠隔医療で受けることが可能になりました。
具体的に言うと、ひどい咳の症状、風邪、腰痛や膀胱炎など15種類の疾患を訴える患者の診療が、現在遠隔医療サービスの医師に認可されました。これらの病気と診断される患者に対しては、病院の医師と同様に、抗生剤をはじめとする薬の処方箋をだすことができ、また、放射線検査や血液検査、リハビリ治療などに患者を送ることもできるようになりました。
遠隔医療の手法は、これまでの医療業界の慣習にとらわれないのが特徴です。例えば、自分で疾患部分の写真をとっておくってもらいそれをみて判断する。専用アプリで症状としてあてはまるものを自身でチェックしてもらう。複数の専門家が電話で対応し、判断をする、などの手法が、定着してきました。
もちろん遠隔医療での診療は、医師が直接患者をみることができないため、限界があります。例えば、Swicaの遠隔医療サービスでは、病気休暇証明書(患者があり病気休暇が必要であることを認める内容の書類。スイスでは医師が公式に病気であることを認めれば、企業は社員に病気休暇をとることを認めなくてはいけないことになっています)の発行も可能となりましたが、患者を直接みないで、本人の説明や訴えだけで、医師が病気休暇が必要かを判断するのは、現実的には難しいものです。しかし(仕事のずる休みといった)不正な行為を手助けするものになってしまっては、スタートしたばかりの遠隔医療の信憑性にひびが入ってしまうため、最長で三日間の病気休暇しか認めず、また一人につき年間2回までしか病気休暇を認めないなど、独自のルールをつくって現在対応しています。
つまり、全般に、いかに診断の質をあげていくか、そのためにほかにどんな工夫の余地があるかが、遠隔医療の今の重要な課題であり、今後拡張路線にスムーズに移行できるかの鍵になるといえるでしょう。
今後拡大が予想される遠隔医療
このように遠隔医療は、まだはじまったばかりで、試行錯誤の部分や実際の有効性が問われ厳しく制限される部分も今後でてくるかと思いますが、大局的にみると今後、遠隔医療業務は必要不可欠で、市場としても一定の拡大をすると予想されます。その理由はいくつかあります。
1。とにかく便利
いつでもどこからでも簡単に電話でできるため、気軽に相談でき、相談だけでなく、場合によっては処方箋をだしてもらったり、リハビリ治療への許可をだしてもらえるなど、物理的に医者にいくという手間をひとつスキップした次の段階にすぐに進めます。時間的な拘束が少ないこのコンビニエンスさは、通常の医療機関とは比べものになりません。
2。医療コストが減る
遠隔医療では、少なくとも現状では、相談はもちろん、処方箋や紹介状の発行もすべて無料でやってもらえるため、患者にとって経済的にも魅力的です。Swicaによると、昨年まで、(相談業務だけにとどまったにも関わらず当時から)遠隔医療に対して、年間で50万件の電話があったといい、すでに高い需要を示していますが、医療行為が拡大した今年以降、さらに需要がのびることが予想されます。
このような医療モデルは、患者だけでなく保険会社やひいては国全体にとってもメリットが大きいといえるでしょう。電話の相談や診断だけですみ、病院に行かなくてもすむ人が増えれば、その分、医師にかかると発生する医療コストが減るためです。
現状で唯一、遠隔医療の診断が認可されている民間保険会社Swicaでは、すでに病院にいく前に必ずこの遠隔医療に相談することを義務付けるという保険商品として扱っており、今後、このような、遠隔医療を利用することで医療コストを抑制し、被保険者の負担も少なくする新しい保険モデルが増えていく可能性があります。
ちなみに、Swicaでは、この遠隔医療サービスを、自社の保険に加入している人に限定していますが、今後、加入保険会社を限定せずこのサービスを提供することも検討中だそうです。
3。医療スタッフ不足の対応策として
現在、スイスでは(ほかの国同様)医療スタッフの不足が大きな問題です(このことについての詳細は「帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題」)。都心部はそれでもまだ医療機関が十分ありますが、郊外にいけばいくほど深刻な医療機関や医者や医療機関不足に悩んでいます。そのような物理的に医療機関が不足する地域の人々にとって、アクセスできる医療サービスがあることは、非常に重要であり、今後、医療スタッフ不足に対応する有望な策として、遠隔医療の拡充が、各地で推進される可能性があるでしょう。
おまけ 外国語で症状を伝える時
ところで一方で、医療サービスがどんどん便利になってきているとしても、患者本人が症状についてうまく伝えることができなければ、いい診療を受けることはできません。特に、遠隔医療では、直接診てもらわない分、自分が自分の症状をうまく伝えることがより重要となるでしょう。
外国に滞在中、医療施設にお世話にならなくてはならなくなった時、そこで痛感するのが言語の壁です。医療サービスを受ける側のこのような問題について、最後に少し言及してみたいと思います。
普段使わない難しい病名や体の部分の名前などを外国語で理解・確認することももちろん一苦労ですが、それはとりあえず、対訳を辞書などで調べればことはすみます。それよりも、わたしにとって医療現場で言葉の壁として立ちはだかり、難易度が高いように思うのは、病気の症状について、どう叙述・表現するかという問題です。このような難易度の高い翻訳は、いまだ自動翻訳でも不可能です。
端的な日本語を母語とする自分自身を例にあげてみます。母語の日本語では、体の異変を表現しようとすると具体的にぴったりする言葉がすぐ頭に浮かびます。ずきずきする、きりきりする、ひりひりする、ぱくぱくする、ふらふらする、ぼーとする。。。そして、日本語がわかる人に、これらの言葉を使って伝えると、通常、すぐに相手にも状況を察してもらうことができます。
しかし、ほかの言語では、(わたしの場合ドイツ圏なのでドイツ語では)、このような症状をどう表現できるでしょう。結論から言うと、残念なことにぴったり対応する語彙がありません。ものごとの状況や気持ちや音を音的に表現する、これらオノマトペ(擬音語・擬態語などの総称)と言われるものは、言語専門家によると、日本語に特徴的で、日本語では非常に豊かな一方、ほかの言語にあまりないのだそうです。
この手の表現手法がないドイツ語で、無理やり音的な表現で症状を試そうとすれば、たちまち「稚拙」な印象を与え、大人が医師と交わすまじめなやりとりの場には全く不適切な感じです(オノマトペがただちに稚拙に感じられるのは、オノマトペが大人の語彙にほとんどないのに対し、こどもの言葉の世界や語彙には少しあるためだと思われます)。
ではどうすればいいのでしょう。ドイツ語では、全般に、その状態を客観的にみて表現するというのが、一般的な手法です。痛みがひどければ、強さを、1から10の数で痛みの度合いを表すといった方法がよく使われます(例えば、10が自分が想像できる最も強い痛むの程度と仮定して、痛みは8といった風に)。どんな痛みかについては、第三者的な叙述、例えば、刺すような痛み、強い疲労感、船酔いのような気持ちの悪さといった言い方をします。
しかし、ここで問題にぶち当たります。痛みの強度は数で示すだけなので問題ありませんが、どのような痛みかを十分表現するには、一定の言語能力が不可欠です。ドイツ語の語彙が多い人であれば、自分の症状を十分表現できるデータバンクが頭にあり、そこから随時適切なものを引き出して利用すればいいのでしょうが、ドイツ語の語彙が少なくそのようなデータバンクが頭にそもそもない人はどうすればいいのでしょう。
仕方がないので、知っている言葉を駆使して、自分の症状のイメージに合うような客観的な表現を、日本語のオノマトペを参考にしながら探し、あとは、うまくそれが相手に伝わるように祈ります。さいわい普通の病気の症状は、(地球に住む同じホモ・サピエンスのかかる病気として)世界共通であり、こちらの説明がつたなくても、医療スタッフのほうでもおおよそ想像がつくようです。わかったような神妙な顔で、わたしの(若干怪しげな)症状説明を聞いてくれることが多く、病気の時に、途方にくれるほど困ることは、これまでありませんでした。しかしそれにしても、頭にオノマトペでのぼってくる身体の症状を、ドイツ語の客観的な表現に入れ替えて伝えるという作業や努力は、自分の具合が悪い時は、とりわけ骨の折れる難しい作業に思われることは確かです。
おわりに
歴史的にみると、200年の歴史をもつ西洋医学の医療は、現在、デジタル化という大きな転換期をむかえているのかもしれません。少なくともテクノロジーは整いつつあり、それをいつ、どのように導入するか、ということが問われる段階にあるのかもしれません。
ただし、全国民が関わる壮大なプロジェクトであり、成功させるのはどこの国でも簡単ではないでしょう。国民からの信頼を得られず実質的に医療データのシステム導入が進まなかったり、安全な診察が実現できず利用がままならないという事態も、十分ありえます。
しかし、住民に便利なサービスとして定着し、医療全体の質を向上させられたら、どんなにすばらしいでしょう。多くの国でこれを達成し、医療を一段ステップアップした明るい境地に導いていってほしいと願わずにはいられません。
参考文献
ehealthsuisse, Fragen und Antworten zur Umsetzung (2019年9月17日)
EPD elektronisches Patientendossier (2019年9月17日)
Nachts klopft das Herz lauter. Telemedizin. Die Telemediziner von Swica sind Tag und Nacht erreichbar. Wir haben bei der Spätschicht mitgehört. In: Der Landbote, 11.9.2019, S.3.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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