出生率からみる世界(2) 〜白人マイノリティ擁護論と出生率を抑制する最強の手段

出生率からみる世界(2) 〜白人マイノリティ擁護論と出生率を抑制する最強の手段

2019-12-27

前回(「出生率からみる世界(1) 〜ピサ・テストや難民危機と表裏一体の出生率」)に引き続き、出生率を切り口に2010年代の世界の旅を続けていきます。今回は、移民的背景をもつ人たち(本人あるいはその親がほかの国の出身である人をさします)の人口増加に対する近年の欧米での反応や、これまでの統計調査から明らかになった教育と出生率の関係という、出生率をめぐる最近の世界的な潮流について扱ってみたいと思います。最後に日本にもどり、出生率と社会の関係についてのドイツ人哲学者のコメントも紹介してみます。

移民と出生率の「不都合な」関係? 出生率に刺激されて世界各地で噴出してきた危惧

前回、ドイツで現在出生率が上昇していること、そして、その一つの理由として難民の人たちの子供達が多く生まれていることがあげられているのを紹介しました。これは、半世紀少子化に悩んできたドイツの将来にとって朗報であるといえますが、人は、長期的な見通しだけで行動、判断するとは限りません。移民的背景をもつ人たちの出生率が高くなり人口が増えることが、現地の人を刺激し、ネガティブな感情を誘因することがあります。

もちろん、それはドイツに限ったことではありません。まず、現在の西欧諸国の現状を概観してみましょう。ヨーロッパでは、移民の占める割合がすでにかなり高くなっていますが、今後の人口動態の予測をみると、21世紀の終わりまでに、ヨーロッパ系の住民の占める割合は半分以下になるとされます。アメリカでは、すでに今日ヨーロッパ系住民の割合が60%にまで減っており(1950年ごろにはヨーロッパ系の住民が90%をしめていたのに対し)、すでに現在、ヒスパニック系の住民が、ヨーロッパ系の住人よりも多くなっているカリフォルニアのようなところもあります。

このような状況下で、現在、国内の移民的背景をもつ人たちが増えていくことで自分たちが脅威にさられるのではという危惧が強まり、そのような考えに基づいて過激化する国内の移民たちへの排斥的な態度や暴力が、ヨーロッパで増えています(「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ」)。実際には移民的背景をもつ人が、西ヨーロッパに比べそれほど多くない東ヨーロッパでも、すでに移民たちへの脅威感やそれに伴う排斥感情が、強まっています(「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(2) 〜移民の受け入れ問題と鍵を握る「どこか」派」)。

これに対し、『ホワイトシフトWhiteshift』という著書を今年出版したイギリスの政治学者カウフマンEric Kaufmannは、不安をもつ西側の人々をただ非難するのでなく、正当に評価をし、適切に扱うことが重要だと訴えます。ただし評価するといっても、それを讃えるということではありません。それへの理解を示し、適切に処遇するという意味です。そして、それこそ、ポピュリズムの台頭を防ぐのに有効な手段なのだと指摘します(Müller, 2019)。

「白人」というメジャー・マイノリティのアイデンティティを擁護する

どういうことなのでしょうか。インタビューの記事からその主旨をまとめてみます(Müller, 2019)。

まず、これまで社会の多数派の地位にあったヨーロッパ系住民が、移民が自国に増えてきて、自分たちが追いやられてしまうように恐怖を感じているということを事実として認めます。そして、そのような不安は、単なる経済的な要因(自分の仕事がうばわれるというような 筆者註)によるのでなく、もっと心理的なものであるとします。そして、人口動態が急変することに不安や恐怖感を覚えることだけで、ただちに人種差別的と烙印するのはおかしいとします。カウフマンは、むしろ、これからは、ひとつの人種的なグループとして白人の住人の権利を擁護し、その上で多様性を保つのが賢明だとし、一方で、白人に「メジャーな少数民族のひとつ」としてほかの少数グループに認められているようなアイデンティティ政策をとることを認め、他方、既存の宗教や政党支持のように、社会に適応する穏健な形に定着するようにすることを具体的に提案します。そして、そのように環境を整備し、仕向けていくことが、これからの国家の重要な任務と考えます。

カウフマンは急激な移民の流入にも反対します。移民の流入による人口動態の変化の速度を少し遅くさせ、白人たちが新しい住民たちに適応するのにもっと時間をかけられるようにすべきだという考えです。ただし移民を入れないというのではありません。先進国は全般に人口が減少するから、社会が今後も今と同じように機能していくためには移民をいれていかなくてはいけないのは明らかだというスタンスで、移民全般に懐疑的な見解とは、はっきり一線を画します。

左翼はこれまで、誇りにもつべきは憲法や人権だと、知的・抽象的にうたいあげ、不安から発して外国人や難民にネガティブな発言をすることを抑圧しようとしてきましたが、そのような姿勢が、逆に、(左翼的な)政治エリートへの反感や不信感を大衆につのらせることになったし、これからもポピュリズムの温床となる可能性があるとします。むしろ、民族的なアイデンティティは、原則としてすでに有害であるという見方を捨て、安心して文化的民族的なアイデンティティを誰でもたもてるよう移民に適切な権利を保証することが、ポピュリズムを抑制すると考えます。

ところで(カウフマンの主張と直接関係ありませんが)ここでひとつ補足しておきたいことがあります。カウフマンは「白人」と一貫して表記しますが、大陸ヨーロッパのヨーロッパ人について語る場合、個人的には、不適切のように思います。地続きでいろいろな文化圏につながっている大陸ヨーロッパにあっては、白人とされる人の定義が、イギリスやアメリカ以上に定義しずらいこともありますが、そもそも大陸ヨーロッパでは、「白人」という言葉自体を、アメリカやイギリスに比べると、ずっと使うことが少ないためです。これは大陸ヨーロッパと、アメリカやイギリスの地理的環境、辿ってきた歴史、また現在の事情が異なることに依拠しているのだと思われますが、少なくとも大陸ヨーロッパにおいて「白人」を語る時は、より一般的に使われる「ヨーロッパ(系の)住人」という表記のほうが、適切なように思われました。カウフマンの主張について語る際には、オリジナルの表記を重視し、「白人」という表記を用いましたが、このような理由で、「白人」と表記していても、わたしのなかでは「ヨーロッパ系住人」というくくりかたを想定しています。

カウフマンの提案は実現可能か

確かに、難民危機のころからのヨーロッパの歩みをふりかえってみると、ヨーロッパ系住民が、難民・移民が増えることに不安をもつことを、事実として中立に認めること自体が、簡単ではない状況にありました。右翼側は、不安を自分たちの排斥や暴力行為にあおるための道具ともっぱら利用し、左翼は、それを事実として受け止めること自体がタブー視されていたためです。ただし、ここ数年で、このような態度がいきすぎていたのでは、という反省の声や揺り戻しの解釈、客観的に検証する研究がだんだんでてくるようになり(例えばStrenger, 2019とDebattencheck)、少なくともドイツ語圏では、少しずつ偏りのない状況に修正されてきているように思います。

カウフマンは、そのようなヨーロッパの状況を単に批判・検証するだけでなく、状況を脱するための建設的な提案もしたことで、そのような潮流において、さらに一歩先ゆく存在であるといえるでしょう。「地雷がうまった場所に足を踏み込んだ最初の研究者の1人」(Müller, 2019)と評されるゆえんです。

このようなカウフマンの主張は、著作の出版からもまなく、西欧諸国では、斬新なものと受け取られ、ドイツ語圏でも一時期、話題となりました。しかし、実際に、このような主張がどれだけ、社会に受け入れられ、実践されるかは、全く未知数です。主張自体は理にかなったようにみえても、実践するのは、かなり微妙で難しいことも予想されます。

まず、このような主張が、極右の思想に結局からめとられて、その主張を擁護・助長・正当化する道具になりさがっては本末転倒ですが、そのような危険もうちにはらんでいます。

また、ヨーロッパ系の住民たち(カウフマンのいう「白人」)の「文化」と、どの文化圏出身者であるかに関係なく共通する基本的な思想とされる部分の、線引きは、言うほど簡単なことではありません。たとえば、クリスマスの歌を歌うことを、ヨーロッパ系の人たちの文化の一部ととらえるならば、今日のように公立学校でみんなで歌う正当な理由はなくなり、全員が歌わなくてもいい、という解釈が成り立つかもしれません(現在スイスの公立小学校では、クリスマスソングが全員で歌唱されています「クリスマスソングとモミの木のないクリスマス? 〜クリスマスをめぐるヨーロッパ人の最近の複雑な心理」)。

ヨーロッパ文化や慣習の特異性を保護する、という態度が鮮明にされることで、ほかにも別の力学も加わるかもしれません。例えば、ヨーロッパのこれこれの慣習を保護しているのだから、わたしたちのそれこれの慣習を実践することも認められるべきだ、という主張が、今以上に強まることもあるかもしれません(例えば、公立プールで女性イスラム教徒のどのような水着の形態を認めるかが、しばしばヨーロッパでは議論となりますが、新しくヨーロッパ系住民のマイノリティ文化を認めることになれば、議論に新しい力学が働くかもしれません。「ヨーロッパの水着最新事情とそれをめぐる議論」)

このように、カウフマンの提案をいざ実践しようとすれば、バランスのよい舵取りが不可欠ですが、なにが適当かについては常に意見が割れて、かなり難しくなることが予想されます。ただし、硬直した状態が続いている現状(移民に対し危惧し、移民を拒絶・排斥する勢力が強まって、社会に対立的な緊張関係が生まれている状況)が、社会全体にのぞましくないことも確かです。ヨーロッパのタブーにあえて踏み込んで論じた『ホワイトシフト』の挑発的な提言を皮切りに、まずは活発にこれらのことについて議論し、膠着状態を脱するべく建設的な努力をはじめていくことが期待されます。

教育と出生率

最後に、豊かな西側諸国だけでなく、世界全体に目を向けてみましょう。国連の今年のレポートによると、2019年世界の人口は77億人で、2030年には85億、2050年には97億になると予想されています。東ヨーロッパのように今後数十年で人口が急減すると予想されている地域もある一方、急増すると予測されている地域もあるためです(人口が急減する東ヨーロッパについては「東ヨーロッパからみえてくる世界的な潮流(1) 〜 「普通」を目指した国ぐにの理想と直面している現実」「「移動の自由」のジレンマ 〜EUで波紋を広げる新たな移民問題」)。

2019年から2050年の間に人口が倍増すると予想されている国は47カ国あり、とりわけ人口急増の代表格となっているのはサブサハラアフリカとよばれるサハラ砂漠より南のアフリカの地域です。そこでの現在の平均出生率は、4.6です。

これらの地域では、人口の急増が、その地域の持続的な発展や社会的な安定の大きな支障となっています(United Nations, p.1-2)。望まない出産やそれに伴い母子の健康の危険が大きくなることは、それ自体大きな問題ですが、無事に育っていっても子供が多過ぎれば十分な教育を受けることができず、将来の就労の見通しはよくありません。すでにアフリカでは、現在、数百万人の教師が不足しているといわれ、出産が今後も増えることで悪循環のスパイラルに陥ると危惧されます。

ところで興味深いデータがあります。統計調査の結果、学校教育を受けないと出生率が高くなるという相関関係があり、特に女子が数年間長く教育受けることで、出生率が明白に下がることがわかっています。つまり、「教育は、最強の避妊装置の役割を果たす」ということになります(Preuss, 2019)。

しかし、教師が不足していると、就学年数を増やすことは不可能です。一方、教師を増やすには、将来教師となるようなこどもの教育機会を増やさなくてはいけません。つまり、出生率を下げるために強力な手段とわかっているにもかかわらず、就学状況の改善という具体的な出口につながっていない状態です。

おわりに

出生率を切り口に世界を周ってきましたが、最後に日本に立ち寄りましょう。日本もほかの東アジアの国々の例外でなく、出生率が長らく低迷しており、高齢化が世界でももっとも急速に進行している地域です。国内で不足する労働力を海外から獲得することを期待し、今年の4月からは、移民の受け入れへと政策も大きく転換させました。

今後、日本では低い出生率とどのように向きあっていくべきなのでしょうか。ドイツの新鋭の哲学者ガブリエルMarkus Gabrielは、讀賣新聞のインタビューで、日本のこのような状況について以下のように述べています。

「人口減少はゆゆしい問題ですが、日本は移民受け入れに及び腰です。言葉や美意識、社会制度など、つまり文化が分厚い壁になっている。20年後を見据えて、日本語に習熟できるような若い外国人を100万人単位で受け入れて、訓練することを想像してみてはどうでしょうか。文化的DNAを継承するために、生物的 DNAの継承にはこだわらないという発想です。」(鶴原、2019年)

現在、いくつかの国では低すぎ、移民への依存を高めながら、高齢化が進行しています。ほかのいくつかの国では出生率が高すぎ、十分な教育環境をこどもに用意できず、持続可能な社会実現への道筋もみいだせていません。つまり、国によって中身こそ異なりますが、なんらかの出生率に関する問題を抱えているということは、多くの国に共通しています。また、自国のなかだけで、出生率をコントロールするのが難しい、ということも、世界的に共通します。このため、国連の報告書では、それら「すべての国は、すべての人にとって利益となるように、安全で秩序のある系統だった移住・移民の対策を講じるべきだ」(United Nations, p.2)と提言しています。

自分たちの国だけで出生率の制御が不可能ならば、発想をかえ、ほかの国との関連、つまり移住・移民との関係のなかで、自国の人口動態やその政策を本格的に語る時期にきているということなのかもしれません。

参考文献

«Die afrikanische Migration nach Europa wird nicht aufhören», Tagegespräch, SRF, Donnerstag, 24. Oktober 2019, 13:00 Uhr

Debattencheck – Flucht und Migration, Wissenschafgt im Dialog (2019年12月11日閲覧)

Erdmann, Elena/ Fischer, Linda, Geburten in Deutschland: Wieso kommen gerade so viele Babys zur Welt? In: Zeit Online, 6. Juli 2018, 14:42 Uhr

Geburtenrate : Frauen bekommen später Kinder. In: FAZ, Aktualisiert am 03.09.2019-12:31

Kim, Sam, South Korea Set to Break Own Record on World’s Lowest Birth Rate, Bloomberg, November 27, 2019, 4:00

松本健太郎「2年早まった出生数90万人割れはなぜ起きた?」『日経ビジネス』2019年11月6日

ポール・モーランド『人口で語る世界史』文藝春秋、2019年(Morland, Paul, The Human Tide: How Population Shaped the Modern World, Publisher: John Murray, 2019.)

Müller, Felix E., Die Weissen werden zur Minderheit. Was soll die Politik tun? In: NZZ am Sonntag, 01.06.2019, 21.45 Uhr

Preuss, Roland, Jeden Tag kommt eien Stadt Genf hinzu. Weltbevölkerung. In: Der Landbote, 13.11.2019, S.30.

Strenger, Carlo, Diese verdammten liberalen Eliten - Wer sie sind und warum wir sie brauchen, Suhrkamp: 2019.

鶴原徹也「普遍的価値共有「西側」の希望」『讀賣新聞』2019年10月6日、6頁。

United Nations, World Population Prospects 2019: Highlights (ST/ESA/SER.A/423), Department of Economic and Social Affairs, Population Division, New York, 2019.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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