マルチカルチュラルな社会 〜薄氷の上のおもしろさと危うさ

マルチカルチュラルな社会 〜薄氷の上のおもしろさと危うさ

2020-01-02

大変でややこしいけどおもしろく豊かにするもの

新しい年がはじまり、どんな年になるか想像をふくらませたくなる時節ですが、近い未来に起こるのが必至とされていることは、すでにいくつもあります。例えば、世界各地でおこってきている労働人材不足のため、人々が好むか好まざるに関係なく、世界規模で移住が増加することです。そして、その結果、全く異なる文化圏の人たちが地球のあちこちで共存する頻度が増え、その濃度も高まっていくことでしょう(「出生率からみる世界(1) 〜PISA調査や難民危機と表裏一体の出生率」「出生率からみる世界(2) 〜白人マイノリティ擁護論と出生率を抑制する最強の手段」)。

つまりマルチカルチュラルな社会がこれから、世界で大きく広がっていくということになりますが、マルチカルチュラルな社会とは、具体的にどのような社会なのでしょう。

多文化が共存することは大変だし難しい。しかし、社会をおもしろくより豊かにする。そんなことを、異文化を渡り歩く人たちは、よく言います。それが具体的にどんなことで、どんな難しさや醍醐味があるのか。今回と次回、日本出身の異文化を渡り歩くエキスパート2人の話を手がかりにしながら、すこし考えてみたいと思います。

今回は、イギリス生活が長い保育士のブレイディみかこさんの昨年出版された『ほくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社、2019年)のなかで紹介されているエピソードを起点にして、考えてみたいと思います。

この本は、イギリス、ブライトンでの中学生の息子とその学校をめぐるノンフィクションで、現在、スイスの学校に通う自分のこどもとわたしも再読させてもらっています。いっしょに読んでいると、本の内容に対するこどもの反応から、同じ欧州とはいえ、イギリスとスイスの子供をとりまく環境に相違があることがよくわかり、一粒で2度おいしいことになっているのですが、今回は、そこで取り上げられているマルチカルチュラルな社会での「失礼な行為」、人種差別的な行為とはなにかという問いに、わたし自身の経験や、それについてのこどもの反応もまじえながら、少し考えてみたいと思います。

※ここではほんの一部しか触れませんが、著作は現在のイギリス、ブライトンの現在の子供の周りの社会環境や状況がよく描写されており、またそこで息子さんの考え方や、やりとりもとても感動的で、素晴らしい本です。

「ずいぶん失礼な態度」とは

ブレイディさん(以下、敬称省略)と13歳の息子さんが街中に買い物にいった際、にやにや笑いかけながら、ニーハオ、ニーハオとしつこく話しかけるホームレスの人のエピソードがあります。詳細はここでは割愛しますが、ブレイディは「ずいぶん失礼な態度」で、「いくらホームレスであろうとも失礼なものは失礼」と思い、「完全無視をきめて前を通り過ぎた」(121頁)あと、息子とこのことについて話し合うというものです。

この箇所を読んだ時、ブレイディの言動に、いささか驚きました。不愉快な気持ちを抱くのはわかるにせよ、ずいぶん失礼だ、と決めつけるのは早急すぎるように思われたためです。著作全体をとおして一貫してイギリスの現在を思慮深く洞察するブレイディらしくないようにも思えました。

著作で、ブレイディがホームレスの態度が親しみのもてない失礼な感じだと断言すると、「でも、決めつけないでいろんな考え方をしてみることが大事なんだって。シティズンシップ・エデュケーションの先生が言ってた。それがエンパシーへの第一歩なんだって」(124頁)と息子さんも言っていますので、わたしも、なにが失礼かを決めつけないで、失礼とはなにか、改めていくつかアングルを変えながら、少し考えてみます。

まず、なにを、ずいぶん失礼だと感じたのでしょうか。著作ではたびたび、中国人とまちがえられたことを気にする場面があり、やはりニーハオと声をかけられた時に腰に手をあてて、「私は日本人です」と言って、日本語でまくしたてたこともあったことを、息子さんの回想というかたちで明らかにしています(124頁)。

しかし、ここではとりあえずここでは、(中国人とよばれたという)「そこは重要なポイントではない」(122頁)と言っていますし、ほかの東洋人に対し、同じ「界隈で暮らしている東洋人」としての「帰属意識」があるともいいます(220ページ)。つまり、国籍を間違えられたことでなく、アジア人とわかってにやにやしつこく話しかけるという行動が問題となっているようです。

マルチカルチュラルな社会で失礼か否かを判断する土台

しかし、「にやにや」と「しつこく」話しかけることを、失礼と考えはじめると、にこにことにやにやの境も難しいですし、人によって何回までがしつこくないかも議論の割れそうなところなため、どこら辺からが失礼で、どこからが失礼でないのが、という線引きの位置が、たちまちよくわからなくなります。

もともと、コミュニケーションのはじには、2人の異なる価値判断をもった人がいますが、どちらに価値判断にあわせて、失礼かそうでないかが決まるのでしょう。通常は、先方が失礼と感じる価値判断を尊重し、失礼のリミットをこさないように、発話側が、対処するという、理解だと思います。

しかし、コミュニケーションの受け入れ相手側の価値判断とはどれほど確かなものなのでしょうか。価値判断がそれほどぶれなくても、失礼さの許容範囲は、状況によって、かなり上下しないでしょうか。

例えば、にやにやしてしつこく話しかける人が、人気のない暗がりにいたらどうでしょう。身を守るため穏便にすませることが最大優先事項となり、失礼かどうかははあまり重視されず、結果として失礼に対する許容範囲は大きくなるでしょう。

招かれたパーティー会場で、ニーハオや、コンニチハとしつこくにやにや挨拶する人がいたらどうでしょう。招かれた客としては、通常、パーティーのマナーコードを最大限に尊重し、通常よりも許容範囲を大きくするでしょう。

自分自身のその時の気分も、許容キャパシティの大小大きな影響を与えるでしょう。気分に余裕がある場合、不快な顔をつくらず対応できます。非常に余裕があれば、少し長めに丁寧に対応することもできるかもしれません。一方、時間も余裕も特にない時は、無反応でそのままスルーことが多いかもしれません。気分が落ち込んでいる時やいらいらしている時は、ささいなことでも衝撃を受けたり、不愉快なきもちになりやすいかもしれません。

つまり、「ニーハオ、ニーハオ」を繰り返すホームーレス(コミュニケーションの発信者)を、コミュニケーションの受け側がどう判断するかは、決して自明ではないと思われます。そうだとすると、相手を大変失礼だと、判断するというのは、いかなることでしょう。一方的に、失礼だぞ、と片付けてしまうのは、一段上から自分の主観的な感情で一刀両断しているようで、それもまた、相手の意向を一切無視した、リスペクトがない失礼な態度ではないでしょうか。

もちろん、実際のコミュニケーションは理屈ではなく、ものごとには程度と限度があり、著者の言わんとする常識的な礼儀と失礼な範囲もばくぜんとわかっているつもりですが、それでもなお、「ずいぶん失礼な態度」という判断は、マルチカルチュラルな社会では、かなりあやしい土台にのっており、そこでの判断もゆらゆら不安定でぶれるような気がします。

また、失礼な人には、目には目を、のロジックで失礼な態度をとることは、それほど当然なのでしょうか。そうやって非難したり弾劾することが、かえって、お互いに抑制のない「失礼な」態度をエスカレートさせることになるのではないでしょうか。そうであるとすれば、「失礼な」人に、自分もまた「失礼な」態度をとらないことこそ、負の連鎖を止める肝心な要所であり、「良識ある」(あるいは自分がそうでありたいと望む)人が、もっとも重視すべき点ではないのでしょうか。

「善意」もまた悪意となる危険

そんな疑問がわいてきたので、このエピソードを読み終えたところで、自分のこどもに訊いてみました。このお母さんの態度をどう思う?ニーハオって言われただけで、失礼だと怒る必要があると思う?

すると、こどもは、「にやにやしながら話しかけたって書いてあったじゃない。これは絶対、善意からじゃなかったってことだから、腹たつのも仕方ないよ。」

そこでわたしも食い下がって、続けます。でも、話しかけた人も、そういうことをする理由があったのかもしれないよ。例えば、これまでに東洋人からすごくいやな思いをさせられたことがあったのかもしれないし、その日とっても落ち込むようなことがあったかもしれないし。

すると、こどもは、わたしに強烈な拒絶反応を示しました。「やめてよ。その、自分はこういうことを言えるほど、いい人なんですよーって、いう態度。鳥肌がたちそう。」

その反応をみて、そういう解釈もありか、と意表を突かれました。確かに、いい方に解釈しようのも、ひとつの解釈にすぎず、しかも一方的で盲目的で、時には威圧的ですらあります。あったことをなかったように無視したり、本来の主旨をまげて解釈したり。あたかも、汚れた狭い道を、自分の肩をよごさないようにそつなくすりぬけようとするような、わたしの口先の説明に、こどもはティーンエイジャーらしい直感で、偽善や欺瞞に近い感覚を抱いたのでしょう。

少年Aは、人種主義者か

ところで、マルチカルチュラル社会(とそこでの人々の接し方)について考える時、わたしには、たびたび思い出されることがあります。

冷戦終結し東西ドイツが統一してまもない旧東ドイツに留学した時のことです。都市中心部から少し離れた古文書館からの帰り道、歩道で小学校1年生くらいの男の子がやはり小さな犬を連れて反対側から歩いてきました。距離が接近してくると、その子はじっとわたしの顔をみつめたまま、急に、(奇妙な発音を強調した)自分で作ったでたらめに言葉をならべたて、数秒間、わたしに向かってしゃべりました。

その子は真剣に(怒っているかのようにすらみえる面持ちで)それを発話したのですが、普通に通りすぎようと思っていた直前の予期せぬ出来事であったため、どう対応すべきかという冷静な思考が一切停止してしまい、全くなんの反応もせぬまま、その場を立ち去りました。

このことを思い出し、今回のことに重ねあわせて考えてみました。なぜその子がそうしたのか、いろんな解釈が可能でしょうが、ここでわたしが絶対に避けたい解釈があります。人種差別だ、という陥りがちな解釈です。

薄氷の上を歩むワクワク感とリスク

それは、その子のいた当時の環境やその子の年齢を考えると明らかに間違っていると思うからです。当時の旧東ドイツには外国人が非常に少なく、ベトナムからの移民は若干いましたが、アジア系の人に会う機会が、すこし都心から離れた場所では決して多くありませんでした。まして、犬と散歩する小さなこどもの行動範囲は非常にまだ小さかったでしょうから、アジア人の顔の人と面と向かって、一対一で対面する(通りすがりですが)ということ自体、少年にとって初めてだったかもしれません。

ある日、いつもの散歩道にふとアジア人がおり、自分のほうに歩いてきます。こんなことめったにありません。さて、どうしましょう。あ、と思い出します。アジア(あるいは勝手に中国と思い込んでいたかもしれませんが)では、自分の言葉とずいぶん違う言葉をしゃべっている。なんか、こんな感じの音のするやつ(男の子には「こんな感じ」がどんな発音なのか、その言語がわからないなりに、しっかり頭に想定されています)。もしかしたら似たような音を発したら、あっちには、通じちゃうのかもしれない。ゆっくり考える時間はない。もうすぐ、すれ違ってしまう。よし、勇気をだして通じるかやってみよう。

そんなノリで、とっさにその子は、ひらめきを実行にうつしたのかもしれません。もちろん、そうじゃないかもしれません。今となっては検証しようがありません。しかし、もしそんなノリで、そんな気持ちでわたしに試していた可能性は、当時の東ドイツの状況やこどもの年齢を考えると、かなり高いのではないかと思います。

少なくとそう思えるわたしには、とてもじゃないですが、それを人種差別的だと弾劾する気にはなれませんし、よって、自分も人種差別的な扱いを受けたと不愉快な気持ちにもなれません。

同時に、こどもでなくても、めちゃくちゃな言葉を発するのでなくても、これに類似するようなことは、ままあるのではないかと思います。とっさにひらめいた言動が、一般にいわれる人種差別的発言のグレーゾーンや危険ゾーンに入ってしまうような事態です。

そもそも、マルチカルチュラルな社会というもの自体が、安心して歩ける陸というより、人々の価値観や互いへの期待感が多様で一致していないため、薄く氷のはった湖上のようなものだと思ったようがいいかもしれません。(ドイツ語には危険なことをためすことを、「薄い氷の上を動く(歩きまわる)」と表現することがあります。)そこを歩きまわると、硬く丈夫な地面を歩くのとは違う、スリリングな醍醐味があったり、そこから陸とは全く違う景色が堪能できますが、予期せず、時に足もとの氷が割れて、冷たい水中に足が入ってしまうような危険もまた高くなるという感じです。

長年イギリスに住むブレイディも、別の箇所で、人を傷つけるつもりがなかったのにふっと出た言葉で、マルチカルチュラルな社会にたくさん転がっている地雷を「久しぶりに思い切り」「踏んでしま」い、(144頁)「この国には様々な人々が住み、様々な文化や考え方を持ち、様々な怒りの表出法をすると長年学んできたはずでも、やっぱり踏んでしまう」(144−5頁)と、それを避けることの難しさを認めています。

人種差別的な発言やその背後にある人への人種差別的な先入観を擁護するわけでは全くありませんが、危険ゾーンに足を思わず踏み入れた人がいたら、それを「人種主義者」のレッテルを貼って非難するだけでは、互いになんの益も生み出さないでしょう。以後立ち入りにくくなるようにどうすればいいかを考え、やりとりを重ねていくことが、唯一、有効で建設的な方向性につながるのではないかと思います。

忘れられない二つの理由

ところで、わたしが、東ドイツの数秒間の経験の一コマを、20年以上たった今も、記憶しているのは、多分二つの理由があるのだと思います。

ひとつは、その時、もしかしたらすごく勇気をだしてわたしに話かけたつもりだったのかもしれないのに、わたしは、なんとも不自然に、完全無視してしまったこと。こどもに対する態度として大人げなかったと、子をもつ親になった今の心境としては、とても情けない気持ちになります(もしこれを万が一彼が今日本語で読んでいるのなら(まずありえませんが)、あの時は無視してごめん!とお伝えしたいところです)。以後、アジア的な挨拶やなにかを試みてくる人がいると、とりあえずその(その人にとってはめずらしい機会である可能性がるので、そのことに重きをおき)なるべく、いい一期一会になるよう、自分なりに考えます。

もう一つは、自分自身の小さいころにまさに同じような経験があったためです。日本で育ったわたしは、外国人とのつきあいは皆無でしたが、小学校低学年の時に、デシリットルとリットルという体積の単位を習った時に、筆記体のdl とl という文字を目にしました。それが、アルプス少女にでてくるハイジにあてたフランクフルトのクララの手紙の文体のようであり魅了されました。家に返って早速、dl とlばかり、ノート数ページにさらさら書いてみました(ほかに知っているアルファベットはなかったので)。そしてこれが、わたしにはなにが書いてあるのかわからないけど、欧米の人がみたら、意味のある内容を示しているのでは、と1人わくわくしました。

あの時のわたしの思い込みとわくわく感は、犬を散歩させていた少年の気持ちにものに相通ずる感じがします。違う文化や言葉へのむきだしの興味や好奇心、知らない言葉が通じることへのあこがれや勝手な思い込み。

そう思うと、少年とのことを思い出すたびに、なにも反応しなかった自分に歯がゆさが残りますが、それでも、少しほっとする感じもします。わたしが、少し失望させたとしても特に悪いイメージを少年に与えることもなかったと思うからです。

もしあの時、自分が気分を害したという理由で、失礼だと、こどもを一方的にいさめるような言動をしていたらどうなっていたでしょう。恣意的に人を不愉快にさせるつもりなどみじんもなかったとしたら、子供にとっては、そのように怒鳴るわたしの姿が、理不尽で悲しくいやな思い出として、心に蓄積されたかもしれません。もしかしたら初めて直接対面したアジア人との最悪の思い出として。いずれにせよ、お互いよく知らないのに、試してみたことを、見ず知らずの他人の大人が、真っ向から否定し、あたかも悪事のように烙印を押す権利はないでしょう。

造花のバラ事件(!)

また、私自身が、自分の解釈が、(決定的な根拠もないのに)ずいぶん、ぶれることも身をもって実感した経験があって、他人の態度が人種差別的態度かを判断することに、結構躊躇が強いのかもしれません。

それは、旧東ドイツの留学を終えて東京で暮らしていた時のことです。暗くなっても駅前の自転車置き場で自分の自転車をすぐにみつけられるようにするため、大きな原色のバラ(みるからに造花とわかるもの)を一輪、自転車のハンドルの上につけてつけてみたのですが、数日後、自宅前に駐輪させておいた間に、茎の部分を残して花だけがきれいに切られ、なくなっていました。

たしかに造花は異常に目立っていましたので、いたずら心をくすぐられる人がいても無理がないように思われました。そして、誰かが人目をしのんで大きなバラをこっそり切っている光景を浮かべると、腹が立つとか残念とかいう感情より、むしろ滑稽で、笑えてすらきました(安物の造花一輪の経済的被害も微々たるものでした)。

同時に、その時はっと思いました。もし、これが、少し前までいた旧東ドイツで起きていたら、自分がどう反応したかと。留学当時の旧東ドイツでは、ネオナチの活発な活動がメディアでよく報道されており街中でみかけることもあったので、常に、自分が一外国人としてどこかでネオナチや極右の被害にあうかもしれない、という恐怖感や危険への意識を、心のすみに(忘れたいと思っても忘れられず)常にもって過ごしていました。あの当時のわたしが、もし自転車にバラの花を一輪つけていて、それがある朝、同じように自宅前で切られているのがみつかったらどう思ったでしょう。わたしへの人種差別的ないやがらせだろうと、とっさに思い込んだだろうと思いました。

事件ではっきりしている事実関係は、唯一、ばらが切られ盗まれたということであり、犯行の動機や犯人を知る手がかりはほかになにもないのに、片方では、他愛ないいたずらとしか思えず、片方では、たぶん人種差別的な行動だろう、と自分の判断が非常にぶれていたであろうことに自分自身で、愕然としました。自分の判断は、決定的な事実関係ではなく、まわりの状況や自分の心理状態に、大きく影響されていたことになります。

人が、まわりの環境(入手する情報を含めて)から影響をうけて自分の心理状態を形成するのはまったく自然なことで、悪いとかいいとか言う話ではありませんが、気づかないうちに、自分の思い込みが際限なく広がり、客観的に考えて「常軌を逸する」ような判断にならないようには、気をつけなくてはならないと思います。

。。。!

と、ここまで書いて、こどもからの辛辣で鋭い意見が、ふとまた頭をよぎります。「とか言って、自分はいい人なんですよー、ってみんなに思ってもらいたいだけなんじゃないの?」もしかしたら、こんな風につらつらと書いてきたのも、善人ぶりたい気持ちにとりつかれているからなのでしょうか。

なにかボロがでてこないうちに、今回は、これで終えることにします。

次回は、無印良品のアートディレクターの原研哉さんの講演会と著作から、日本の文化のマルチカルチュラルな社会での意味について考えてみたいと思います。

参考文献 ※異文化間コミュニケーションに関するこれまでの主要な記事

コメディは社会のセラピー 〜ドイツの人気コメディアンと「#MeTwo」ムーブメント

ドイツ発対話プロジェクト 〜フィルターバブルを脱ぎ捨てた先にみえるもの

「どこから来ましたか」という質問はだめ? 〜ヨーロッパから学ぶ異文化間コミュニケーション

「悩める人たちのためのホットライン」が映し出すドイツの現状 〜お互いを尊重する対話というアプローチ

難民と高齢者の需要と供給が結びついて生まれた「IT ガイド」、〜スウェーデンで評判のインテグレーション・プロジェクト

人は誰とでも対話できるのか 〜プロジェクト「ドイツは話す」からみえてくる希望と課題

ヨーロッパにおける難民のインテグレーション 〜ドイツ語圏を例に

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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