スイスの職業教育(2) 〜継続教育(リカレント教育)ブームと新たに広がる格差

スイスの職業教育(2) 〜継続教育(リカレント教育)ブームと新たに広がる格差

はじめに

前回(「スイスの職業教育(1) 〜中卒ではじまり大学に続く一貫した職業教育体系」)は、スイスで義務教育課程卒業後に3人に2人が進む職業訓練制度と、そこから進むことができる高等教育などの第三期教育課程のしくみについてみていき、スイスの職業教育が、高等教育などの高度な学習といかに密接に結びついているかを概観してみました。

今回は、そのような職業教育をさらに補完する教育課程として、近年、受講者が急増している、リカレント教育(継続教育)にスポットをあて、その光と影の両面をおさえてみたいと思います。

スイス人にとっての継続教育

近年、スイスでは、レギュラーな教育(初等、中等、高等教育といった)とは別の教育が盛況を博しています。それは、「継続教育Weiterbildung」と呼ばれるものです。

これは、社会で一般的な教育コースとして定着しているもの、例えば、職業訓練課程や義務教育、また総合大学の課程(学位やマスター、博士課程)のほかに、補足するものとして受ける教育です。仕事をしながら受ける場合と仕事を一旦やめて受ける場合がありますが、いずれにせよ実務に関連する内容が主で(Vgl. BSF 2018, S.2, 5.)、日本で「リカレント教育」と一般に呼ばれているものに相当します。ただし、スイスでは「リカレント教育」という表記はほとんど用いられられず、またスイスの教育体系の文脈のなかで追加・継続される教育と位置付けられるため、以下では、スイスの表現を踏襲し、「継続教育」と表記していくことにします。

統計データからスイスの継続教育を概観してみます。2009年、スイス在住の25歳から64歳の人の80%、2016年のスイス在住の15歳から75歳の人の62。5%、年間で少なくともひとつの継続教育を受けています(BFS, 2010, S.5)。

世代別にみると、25−34歳で継続教育うけている人は76%で、35−44歳が70%、45−54歳が68%。55歳―64歳までは57%。65から75歳は3人に一人のみとなっています(BSF 2018, S.5.)。

現在の継続教育の約半分は、雇用者である事業体が従業員に対して自ら行なっていますが、最近、高等教育機関など、大きな教育機関による継続教育が顕著に増えてきています(SKBF, 2014, S.270)。継続教育の形態は、3分の1が、なんらかの課程(コース)で、74%。次がセミナー会議や催し21%。個人授業5%で、平均年間52時間受講しています(BFS, 2010, S.5)。

内容は、仕事に関連するものが72%で圧倒的で(BFS, 2010, S.5)、テーマは情報、金融、科学、技術などは半分以上を占めます(SKBF, 2014, S.270, 274)。

雇用者である事業者は、従業員の継続教育に理解があり、積極的な支援をすることが多いようです。継続教育に参加する人の4分の3が、直接的な経済支援だったり、仕事の時間という形であったりといった、なんらかの支援を雇用者から支援をうけていると回答しています(SKBF, 2014, S.270, 274)。

ほかのヨーロッパ諸国と比べてみると、スイスの継続教育はかなり高くなっています。25歳から64歳の人で、過去4週間の間になんらかの継続教育を受講した人の割合をみると、最終学歴が第三期の教育の人の受講は、4割以上で、国際比較でスイスはトップにあります。中期教育終了者も、4人に1人が受講しており、国際比較でデンマークに続き、2番目の高さです(BFS, Weiterbidlung, 2016.)。

これだけみると、スイスは特別のよう継続教育が進んでいるかのようにみえますが、世界的に、ハイテク産業やサービス産業の占める割合が大きい経済構造の国は、継続教育多くなる傾向があることがわかっており(SKBF, 2014, S.270)、そのようにみてみると、スイスが産業構造にみあう継続教育を行なっているのは、時代的な潮流に一致しているものとも解釈できます。

25歳から64歳の人継続教育受講の割合(過去4週間の間に受講した割合)赤色、青色、緑色が、それぞれ最終学歴が第三期の教育、中期教育、義務教育。
最終学歴が第三期の教育の人の継続教育受講者の割合は、4割以上で、国際比較でスイスはトップに位置しています。中期教育修了者の4人に1人も継続教育を受講しており、国際比較でデンマークに続き、2番目の高い割合です。
出典: BFS, Weiterbidlung, 2016.

継続教育産業の興隆

このような継続教育は、労働市場に見合う能力を身につけ、就労を安定させるだけでなく、キャリア向上など仕事上の満足度を高めるものであり、本来、大変望ましいものです。

しかし、そのような社会で大きな期待がかかる継続教育においても、いくつかの問題や課題が最近明らかになってきました。

まず、一つは、継続教育に費やす費用や時間が、際限なくふくらむ可能性があることです。一般的に、学位や博士課程などは、一通り課程を終えることで修了しますが、継続教育は、もともと教育体系に組み込まれているものでなく、教育体系を補足する教育であり、ひとつの継続教育を終えても、自分がまだ満足できなかったり、もっとキャリアの成功をめざそうと思えば、いくらでもまた受講できるものがみつかります。それ自体は、決して悪いことではありませんが、継続教育が多くなればなるほど、費用や労力がかさみます。

実際、MBAのように、コース費用が48000〜76000スイスフラン(日本円で550万から860万円)という多額の費用がかかるものもあり、現在、幼稚園から大学までの正規の教育予算の約5分の1にあたる費用が、継続教育に支払われているといわれます(Rost, 2019)。

しかし、このような継続教育の加熱化は、単なる就労者側の問題でなく、雇用者側の責任も大きいとされます。雇用者が従業員を採用する場合はもちろん、従業員の社内での評価でも、継続教育の内容や資格に過大に重視する傾向があるためです(Rost, 2019)。

一方、雇用者自身も、年々、その人の能力を本来推し量るのに有用とされていた継続教育の評価で苦労するようになってきました。スイス国内で公的私的な継続教育機関が3000以上あり、その継続教育の質や内容は、正規の教育機関の教育課程とは異なり、コントロールもされていないため、あまたある継続教育の質を見渡すことは不可能であるためです。

つまり、就労者にとって継続教育が利益となっている面は確かに多い一方、継続教育に膨大や時間や労力が費やされることで、個人や社会全体の不利益や不便も生じてきているといえるでしょう。

継続教育に最重要な目的は、継続教育産業を繁栄させることでなく、就労者にとって利便性の高い学習の場を提供することですので、単に、継続教育の量とコストだけが右上がりに増やすことを助長させないように、継続教育の内容の有効性や収益性を、事業者や社会全体で、クリティカルな視点で観察・監視することが、今後、重要になると思われます。

継続教育によって生じる格差

もうひとつ、継続教育において、新たな問題として浮上してきたのが、格差の問題です。

2016年スイスの就業者の7割が継続教育を受けていますが、内訳をみると、就業者の学歴によって、継続教育の受講量に大きな違いがあります。高学歴の人(第三期の教育課程修了者)の継続教育の受講率は高く、1年で継続教育を受講した人の割合は80%で、ほとんどの人が1つから4つの継続教育を受けていましたが、5%の人は7つ以上の継続教育を受講していました (SKBF, S.271) 。

このような高学歴の人の継続教育受講の割合は、義務教育しか受けていない人で継続教育受講を受けた人の割合に比べると4倍、中期教育修了者(職業訓練課程およびギムナジウムの修了者)の継続教育受講者の割合と比べると1.7倍にもなります。ちなみに、このような学歴による継続教育受講の比率の差は、ヨーロッパのほかの国ぐにと、ほぼ同じ程度です(SKBF, S.276-7)。

このような差は、まず、就業者自身の関心の高さの違いからくるとされます。高学歴の人は継続教育に関心が強くそれに対して自分で費用も多くだす用意があるのに対し、低学歴(義務教育が最終学歴の人)の人たちは継続教育への興味がそもそも低く、それにかける費用も少なくなっています。2011年の調査では、低学歴の従業員に対しても継続教育を費用や時間などなんらかの支援をする雇用者が8割以上ありましたが、それでも継続教育の受講は2割未満で、高学歴従業員の約半分以下でした。(SKBF, S.277)。

雇用者側でも、そのような向学心の高い高学歴の従業員に職場を魅力的にするための、一種の報酬として、継続教育を利用する傾向があるようです。教育研究者ヴォルターStefan Wolterは、「会社は、すでに高い教育があり能力をもつ従業員には、継続教育の機会を提供することに大きな関心がある。被雇用者の企業へのロイヤリティを高めるためだ」(Bürgler, 2019)と、高学歴者に継続教育が偏りやすい理由を説明しています。

いずれにせよ、継続教育という、本来、すべての人に開かれ、(低学歴の人でこれからキャリアをキャッチアップしようとする人にとっても、)チャンスになるはずの教育機会が、高学歴の人にとってはさらなる能力向上になる一方、そうでない人との能力差を広げるのにも一役買ってしまう可能性があるということになります。

これまでの自信と未来へのまなざし

ところで先日、ピサ・テスト(OECD(経済協力開発機構)が進めている国際的な学習到達度に関する調査)が発表になりましたが、それに対するスイスのメディアの報道に興味深いものがありました。

「2000年のピサテストの結果では、読解力も自然科学の学力も、テストの結果では、今回と同じように低いものだった。当時テストを受けた人は現在30代半ばである。そしてわたしたちが知っているように、彼らは無能な世代にはならなかった。むしろ、スタートアップの起業家や高学歴の世代となった」(Furger, 2019, S.23)。

だからピサ・テストなんぞを重視する必要はない、というこの記事の主旨が正しいかは別として、確かに、現在30代のスイスの人たちは、急速に高学歴化しています。25歳から34歳までの人は、高等教育課程を修了した人が51%で、過半数以上となっています。

スイスでは、経済・産業界と密接に連携する自国の職業教育を非常に誇りにされており、逆に、一部の高学歴の親たちに強くなってきた、近年の子供をギムナジウムにいかせ高学歴化させようとする傾向を、自分たちの教育制度を脅かす「国民病」(Hirschi, 2019)や「教育ドーピング」として、強く批判する風潮が、今も根強くみられます(「急成長中のスイスの補習授業ビジネス 〜塾業界とネットを介した学習支援」「進学の機会の平等とは? 〜スイスでの知能検査導入議論と経済格差緩和への取り組み」)。

それほど職業教育を重視・執心する姿勢は、一種のナショナリズムとも思えるほどですが、世界に平準化されそうな現代においても、ゆるぎなく、独自の職業教育の在り方に真価を見出し、ほかの国にたやすく流されようとしないスイス人の気概には、感心させられます。

同時に、スイスでは、現在の状況に安住しようとは思っていないことも注目に値します。国際競争力の高い労働人材を維持・確保していくため、第三期の教育課程修了者の割合を現在の4割から7割まで2030年に、引き上げることを2009年に目標とかかげました(Akademien, 2009)。ただし、ギムナジウム進学者は全体の2割という現在の割合で十分でこれ以上増えるべきではないという見方は依然社会に根強くあり、職業訓練制度からのルートで第三期の教育課程へ行く人を大幅に増やすことが中心的な課題とされています。

あと10年で、どこまで引き上げられるかは不明ですが、すでにそれを受け入れるための柔軟な教育制度や教育インフラはすでにできあがっています。これらを利用して、10年後、第三期の教育課程までのぼっていく人の相対数が、どこまで伸びていくのか。そしてスイス流の、職業教育を重視した高学歴化が今後、国の経済や産業にどのように貢献していくのか(あるいはしないのか)。現在の職業教育や継続教育だけでなく、長期的なスイスの動向に、今後も注目していきたいと思います。

参考文献

Akademien der Wissenschaften Schweiz, Zukunft Bildung Schweiz.
Anforderungen an das schweizerische Bildungssystem 2030, Bern 2009.

Bundesamt für Statistik (BFS), Berufliche Weiterbildung in Unternehmen im Jahr 2015, Neuchâtel 2017,

Bundesamt für Statistik (BFS), Bildung und Wissenschaft, Neuchâtel 2018 Lebenslanges Lernen in der SchweizErgebnisse des Mikrozensus Aus- und Weiterbildung 2016, Neuchâtel 2018.

Bundesamt für Statistik (BFS), Teilnahme an Weiterbildung in der Schweiz. Erste Ergebnisse des Moduls «Weiterbildung» der Schweizerischen Arbeitskräfteerhebung 2009, Neuchâtel 2010.

Bundesamt für Statistik (BFS), Weiterbildung in der Schweiz 2016. Kennzahlen aus dem Mikrozensus Aus- und Weiterbildung, Neuchâtel 2017.

Bürgler, Erich, Viele Schweizer halten Weiterbildung für unnötig. In: Sonntagszeitung, 10.02.2019

Furger, Michael, Pisa ist durchgefallen. In: NZZ am Sonntag, 8.12.2019, S.22-23.

Hirschi, Caspar, Der Hype ums Gymnasium bedroht unser Bidlungssystem. In: NZZ am Sonntag, 11.8.2019.

Höhere Berufsbildung in der Schweiz – Arbeitsdokument SWIR 2/2014

国立研究開発法人科学技術振興機構研究開発戦略センター『科学技術・イノベーション動向報告 ~スイス編~』(2 0 1 6 年度版) 2017年3月

OECD, Country notes: Switzerland. In: Education at a Glance 2019. OECD Indicators, Sept.2019, p.196-197

OECD, Learning for Jobs, Annex B, Summary assessments and policy recommendations for reviewed countries, Switzerland, Hoeckel. K., S. Field and W.N. Grubb (2009)

Pfaff, Isabel, Deutsche umgehen Schweizer Schulsystem. In: Sonntagszeitung, 29.12.2019, S.10.

Rémy Hübschi: Die Berufsbildung im Wandel der Zeit, Tagesgespräch, SRF, 19. November 2019, 13:00 Uhr.

Rost, Katja, Fehlentwicklung in der Berufswelt: Wenn Titel mehr zählen als Talent

SKBF, Bildungsbericht Schweiz 2014. Aarau: Schweizerische Koordinationsstelle für Bildungsforschung, Aarau 2014.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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