ヨーロッパの公共放送の今 〜世界的に共通する状況とローカルな政界との関係

ヨーロッパの公共放送の今 〜世界的に共通する状況とローカルな政界との関係

2020-03-09

「BBC、お前もか。」

最近は毎日、新型コロナウィルスの感染関連について、報道されない日はありませんが、みなさんは、ニュースソースとしてどのようなメディアを主に利用しているでしょうか。例えば、検索で「コロナウィルス」、「ニュース」といれてみると、公共放送局や、新聞、雑誌、民間テレビ局、オンラインのニュースポータルサイトなど、さまざまなニュースメディアのニュースがあがってきますが、実際に、そこからニュースを入手しようとする時、なにを基準・理由に、選ぶでしょう。タイトルでしょうか、ニュース発信元でしょうか。それとももっと異なるファクターからでしょうか。

いずれにせよ確かなのは、デイリーニュースに関するものだけでも、今日、多様な発信先があること。裏を返せば、公共放送が、ニュースの主要発信者としての以前のような圧倒的な存在感をもちえなくなった、ということでしょう。

このようなメディア環境の急激な変化を受けて、ヨーロッパでは、公共放送の在り方を改めて問う動きが活発になってきています。その手始めとして、公共放送の受信料という制度を見直す動きが各地で相次いでみられます。2013年にフィンランドで受信料が廃止され公共放送税が導入されたのを皮切りに、デンマークやスウェーデン、ノルウェーでも受信料を廃止し、税金として徴収する制度に移行することが決定、あるいは検討され(中村「ヨーロッパ」)、スイスでは、公共放送の受信料を廃止すべきかが国民投票で問われました。

公共放送の在り方を見直す風潮は、イギリスのBBCにも及んできたようです。受信料を廃止し課金制度にすることや、オンラインサイトの縮小、テレビのチャンネルの削減と61のラジオに関しては大部分を売却するという、これまでの公共放送の在り方を全く覆すような見直し案を、現在イギリス政府が検討中であることが最近、明らかになりました。

BBCは、数ある世界の公共放送のなかでも、知名度でも品質でも最高峰に位置する放送局といえるほどであるにもかかわらず、例外にはならず、ほかの国の公共放送局と同様に、存続の意義を根幹から問われているかと思うと、時代の変化を強く意識させられ、考えさせられます。

今回と次回の記事では、このような、ヨーロッパ全般の公共放送が直面している現状についてドイツ語圏を中心に整理し、そのような状況にあってどんな方向性・可能性があるのかについて、具体的に少し考えてみたいと思います。

公共放送が直面している物理的な問題

今日、存在感が薄くなっているのは公共放送だけではありません。むしろ、新聞社や民放などの民間報道機関のほうが深刻な状況にあるといえるでしょう。ネット上に存在する様々な情報発信源との読者獲得の熾烈な競争を強いられ、報道機関としての影響力が相対的に減少しているだけでなく、有料購読件数や広告収入の減少により、財政基盤が揺らいでいるためです。これに対し、公共放送は、少なくとも、財政面では、受信料という安定した経済的な基盤ゆえ、大きな打撃は受けずにきているわけですが、その「不変」で「安泰」的な在り方がむしろ、現代のメディア環境においては「不自然」であり、変わるべきだ、と考える人もまた、逆に増えているようです。

まず、その多岐にわたる豊富な(批判側からみると、「肥大化しすぎた」)コンテンツの提供の在り方に対して、批判の声があがっています。オンラインの発信が、メディアの主流となりつつある今日、公共放送と、民間の新聞や雑誌、テレビやラジオ局の間の、住み分けは難しいため、そのような圧倒的でコンテンツをもつ公共放送が、民間の報道機関を圧迫し、民間メディアをますます窮地に陥れているのではないか、と批判されます。

それに加え、若者を中心に公共放送の視聴者の減少が深刻であり、歯止めがかからない見通しがたってないという事実も、公共放送の存在を当然のものとみなしていた、これまでの認識をゆるがしています。例えば、2016年のスイスのドイツ語圏では、日々、240万人が視聴していますが(民間放送は140万)、これは2000年と比べると60万人少なくなっており、視聴する人の年齢は顕著に高齢化しています。スイスの公共放送の第一報道局(スイスのテレビ、ラジオのメイン放送局、時事問題を主に扱う)の視聴者の平均年齢は60.8歳です(ちなみにスイス全体の平均年齢は42歳)(「若者の目につくところに公共放送あり 〜スイスの公共放送の最新戦略」)利用者がどんどん減っていて、特に一定の世代にだけ偏重しているのに、「公共の益にかなっている」と正当化することはできない、というのが批判者の主張です。

スイスで、受信料廃止の提案を国民投票にもちこんだ人たちも、テレビ・ラジオ以外にも多くの情報発信源やツールが存在し、それを選択することができる現代において、視聴するしないに関係なく、国民から強制的に受信料を徴収する公共放送の在りかたは理不尽なだけでなく、メディア業界の市場原理(自由な競争)をさまたげている。今後は、公共放送も、受信料を財源とするのでなく、ほかの民間のメディア同様に、広告料や有料サービスを財源として運営されるべきだ、という言説を繰り返しました(「メディアの質は、その国の議論の質を左右する 〜スイスではじまった「メディアクオリティ評価」」)。

このような批判は、今日、受信料に基づく公共放送をもつどこの国でも可能であり、また、どこの国でもこれらの批判点に真っ向から反証するのが難しい状況です。つまり、公共放送は、どこの国も例外なく、窮地に陥っているといえます。

公共放送と国内の政情

と、ここまで中立的な要因をあげてみましたが、公共放送についての最近のヨーロッパの議論をみると、それとはまた少し異なる側面もみえてきます。

公共放送のどこまでの、なにが必要なのか、といったことを声高に提言したり、実際に決めていくのは、通常、公共放送でも、国民ではなく、現行の政権であったり、有力な政治勢力です(スイスだけは例外的に、国民投票という形で、最終的に国民が決める権利を保障されていますが)。そして、それぞれの国の内情に少し分け入ってみていくと、政権や有力な政治勢力が重視することや方針の背後には、公共放送と政治とのそれまで培われていた関係が透けて見えたり、政治的なかけひきや抗争が「公共の利」の大義の下で展開しているようにみえる一面もあります。もちろん、国によって状況はかなり違い、また政情は刻々と日々変わっているので、静態的に決めつけてかかることは危険ですが、スイスとオーストリアの最近の事例をあげてみます。

スイスの場合
先述の受信料廃止の国民投票の結果をみると、廃止に賛成を投じたのは、ほとんど(保守・右派の)国民党支持者だけでした(Surber, 2018)。その国民党の受信料廃止の国民投票への支持をアピールしている公式のページをみると、先ほどの(民間メディアを圧迫し市場競争原理を歪めているといった)言説とは異なる内容も熱心にかかげられていて注目されます。例えば、公共放送は、旧東ドイツにあった「秘密警察」のようであり、フェイクニュースを発明したのはトランプではなく、スイスの公共放送だ、などという非難・罵倒の言葉です (Köppel, 2018)。

これは、受信料という制度とは直接関係がなく、むしろ報道内容に対する批判であり、そこに対して強い不満があることをあらわしています。スイスの国民党では、スイスの公共放送が、親EU派で、左寄りであるという猜疑的な見方が強く、自分たちの政党の言い分を中立的に扱ってもらっていないという不満が根強く、公共放送の弱体化をのぞむ声があり、それが、受信料廃止を国民投票にかけた、主要な理由のひとつであったと考えられます。

オーストリアの場合
オーストリアは、昨年まで極右政党(自由党)が保守党(国民党)との連立政権にはいっていましたが、この自由党も、与党時代に、公共放送の弱体化をあからさまに画策していました。特に、オーストリア公共放送の看板テレビキャスターで、政治家にも鋭い質問でつっこむヴォルフArmin Wolf など何人かの公共放送のジャーナリストを敵視し、ソーシャルメディアなどで激しい批判を繰り広げることが常態化していました。

例えば、自由党党首で同時副首相だったシュトラッヘHeinz-Christian Stracheは、80万人のファンをもつ自身のフェイスブックのアカウントで「オーストリア公共放送は、偽りをニュースにするところだ」というコメントも公然とのせ(FPÖ, 2019)、テレビ受信料も支払っていませんでした(オーストリアでは、ラジオとテレビの受信料を別べつに支払うシステムで、片方だけ払うことが可能となっています)。

ただし、自由党は昨年、自らのスキャンダルで野に下って今日にいたるため(「保守政党と環境政党がさぐる新たなヨーロッパ・モデル 〜オーストリアの新政権に注目するヨーロッパの現状と心理」)、公共放送への政治的圧力を強力に行使することはできくなったようです。現在は、自由党と公共放送の問題は(問題がなくなったわけではないにせよ、社会的な影響力が少ないため)、話題になることもほとんどなくなりました。

改めて、世界で問われている公共放送がどうあるべきか、というオープン・クエスチョン

これらの例は、(従来、政権のプロパガンダを流すなど、国の直接的な関与が強い)国営放送とは一線を置いて、中立な立場からの報道に徹しているはず(べき)の公共放送においても、ふたをあけると、国の政権や政治勢力と、無関係でいることは難しく、政権が、現在、公共放送が苦境にたっている状況を利用し、公共放送への影響力・圧力を強めようと試みた事例ととらえることができるでしょう。

実際には、(スイスの受信料廃止案は国民投票で否決され、オーストリアの自由党は野に下り影響力が減ったため)それらの政党の試みは実現せず、今も、どちらの国でも公共放送は安定的に存続していますが、今後も、公共放送の行方を政権や政治が、大きく握っている状況は、とくに変わっておらず、政権が変わればまた同じような圧力が強まるかもしれません。

イギリスのジョンソン首相の現政権は、BBCとの関係が悪く、昨年の選挙後、いくつかの番組には大臣が一切出るのを拒んでいるといいます(450 Stellen)。今回のBBC改革案の背後にも、政権と折り合いが悪いがために、間接的に、予算や事業の削減・縮小という形で、政治的な圧力をかけられている、という解釈も可能かもしれません。

ただし、そのような政治的な圧力というファクターを過大視することも、逆にほかの社会的な文脈や変化する状況を看過する見解に陥る危険があります。最初にあげたような、メディア全般の危機的な状況がゆるぎなくあることは歴然としており、このようなメディアをめぐる環境の大きな変化を受けて、今後の公共放送がどうあるべきか、というオープン・クエスチョンが、今、切実に問われていることは間違いありません。

次回(「公共放送の近い将来 〜消滅?縮小?新しい形?」)は、このような公共放送をめぐる状況をふまえつつ、今後、公共放送には、どのような可能性が秘められているのかを、具体的に少し考えてみたいと思います。

※参考文献は、次回の記事のあとに一括して表示します。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。



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