突如はじまった、学校の遠隔授業 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(1)

突如はじまった、学校の遠隔授業 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(1)

2020-03-22

コロナ危機に関するニュースで伝わりにくい部分

新型コロナウィルスはまだ世界中でいまだに衰える気配がなく、どこの国でも、生活や仕事に厳しい制約を強いられていますが、そのような困難な状況下にあって、ほかの国では、どんな風に人々は過ごしているのでしょう。

世界中、同じような状況下にあり、ほかの国の話で参考になったり、はげまさるようなことが多いかもしれませんが、通常のニュースは、ほかのもっと深刻なテーマ(感染や医療機関の状況、経済的な打撃や補償問題など)を扱うのに忙しく、そのようなことはあまり報道されません。現在、移動や外出が大きく制限されている国や地域では、取材自体が難しくなっているため、たとえ取材したくても、できなくなっている、ということもあります。

公共メディア以外のメディア・チャンネルでは、逆に、人々の生活に関わる情報が多く扱われていますが、ここから情報を入手するのも簡単ではありません。断片的な情報であったり、ファクトチェックで情報の公平性が担保されたものでないものも多く、それだけにたよって理解すると、偏った理解や誤認になる危険がありますし、ほかの国の人にも有用な、示唆に富む情報であっても、言葉の壁が障害となって、ほかの国(ほかの言語の国)の人に知られるのが事実上難しい場合も多くあります。

そういう事情で、ヨーロッパも、現在、(ほかの地域の多くの人たちにとって)よくわらかない、生活者がみえてこない見知らぬ地域になっているのではないかと推測します。わたしも、安否をたずねるご連絡を、最近、何人かからいただきました。

確かに、ヨーロッパは、WHOに、新型コロナウィルスの新たな中心地となっていると名指しされたほど、3月半ばから、感染者数が急増し、(各国の対応は若干異なりますが)移動や外出、就労・就業が、またたくまに厳しく規制されるようになり現在にいたっています。特にこの1週間のめまぐるしい変化は、在住者でも、理解するのが大変でした。

特に様々な規制がはじまった週は、ヨーロッパ全体に、いっきに暖かくなり、通常なら、どっと外に人があふれでる陽気だったので、それとはうらはらに、どこもかしこも突然の眠りについたかのような街角の光景が、とても印象的でした。

今回とあわせて数回、このコラムを利用し、そんな(急に、ベールに包まれてみえなくなったかのような)ヨーロッパの様子について、お伝えしていければと思います。といっても、大変な状況ではなく(それについてはニュースでも若干ほかの国に伝えられる機会があるでしょうし、類似するニュースは自国で聞くことも多いでしょうから)、むしろ、冒頭でも述べましたが、世界共通のコロナ危機にあって、ほかの国においても、役にたったり、あるいは、インスピレーションが湧くようなトピックに焦点をあてて、お伝えしたいと思います。

今回は、通常の授業ができなくなったスイスの学校で突如としてはじまった遠隔授業について紹介しながら、その現在の意義やこれからの可能性について考えてみたいと思います。コロナ危機で、日本でもヨーロッパでも、テレワークの普及が加速されるのではないかと現在、よく言われ、期待も高まっていますが、教育の現場での遠隔授業もまた、これをきっかけに導入に拍車がかかるのでしょうか。

ちなみに、ヨーロッパにおいて(この記事では主にドイツ語圏を対象にしています)遠隔授業は、リカレント教育のような成人教育の一部では導入例がありますが、一般の学校教育では一切行われておらず、それを導入するかという議論も、これまできいたことがありません。にもかかわらず、(学校の授業の)代替手段として突然、白羽の矢が立ち、まさに、ぶっつけ本番ではじまりました。

13日金曜日の突然の決定

13日金曜日という、キリスト教徒にいわくのある日の夕方近く、スイスの教育関係者は、政府からの重大な発表を受けました。週明け月曜から、幼稚園から大学までのすべての教育機関を閉鎖とするという決定です。日本はすでに学校が多くの地域で閉鎖されすでに3週間がすぎ、あまり驚かれないかもしれませんが、当時の困惑を思い出していただければ、今回のスイスでの驚きと混乱も想像していただけるかと思います。

発表後、スイスのそれぞれの学校は、具体的な対応策に着手しましたが、準備期間が短かったため、週明けの段階では、まだ方針がはっきりしていない学校や、方針はあっても準備が間に合っていない学校も多くありました。

他方、月曜早朝から通常の時間割通りに、遠隔授業をスタートさせたところもありました。月曜からオンラインで遠隔授業をはじめたある学校のクラスの一つを、3月17日(オンライン授業をスタートさせて二日目)に見学しましたので、その様子を、まず、ご紹介します(見学したのは、チューリヒ州の職業訓練学校のクラス(生徒数約20人)のフランス語、経済・法律の授業です。職業訓練学校は、スイスで中学を卒業したあとに、職業訓練課程にすすむ人が通う学校の総称です。詳しくは「スイスの職業教育(1) 〜中卒ではじまり大学に続く一貫した職業教育体系」)。

バーチャルな教室の授業風景

遠隔授業は、マイクロソフトのTeam というソフトを使い、あらかじめ設けられていた、遠隔授業用のクラスのサイトに、科目担当の教師が、学校の時間割通りの時間に、生徒のアイコンで、全員がいるかを一望できるバーチャル教室にオンラインで入って、早速開始となりました。

教師は、自らの顔をビデオで写しながら授業をすることもできますし、音声と視覚的教材だけでの授業も可能ですが、画面は主に、教材をうつしていました。フランス語の授業では、教師が教材をもとに文法の説明し、その後、ドリル問題用紙を生徒が各自ダウンロードし、書きこんだ回答を教師にわたすという形でした。経済・法律の授業では、教師が、デジタルペンで教材に手書きで内容を加えながら説明するのを、生徒が聴き、同時に自分の手元の紙のノートに書き写していました。授業中は終始、学校での授業と同じように、生徒と先生は質問などを通し、対話していました(互いのやりとりの仕方については後で詳述します)。

このクラスでは、1日平均7コマの授業がありますが(1コマ45分)、順次、時間割に従って、教師が入れ替わり立ち代り、このバーチャルな教室に入ってきて、授業を行っています。

どの科目も、具体的にどうやって成績をつけるか、テストはどうやって行うか、などは、まだ決まっておらず、当然、オンラインだけでできないこともあるでしょうが、とりあえず、授業風景をみたかぎり、大きな混乱もなく、カリキュラム通り授業がすすんでいるようでした。教師の立場からみれば、全く新しく授業の進行の仕方を考えるなど、準備に大幅な修正の必要がなかったからこそ、週明けからすぐに、遠隔授業に移行させて、授業を続行することができたともいえるかもしれません。

学校や生徒たちのこれまでの評価

この学校は遠隔授業を三日目試した結果、生徒の圧倒的多数が、新しい授業体制に柔軟に対応し、学ぶ姿勢や意欲も好ましいものだったと、親たちにメールで報告しており、おおむね学校側としては、現状に満足していることがうかがえます。

生徒たちの目には、突然変わった、このような学び方は、どううつっているのでしょう。はじまったばかりで、どのくらい授業を満足して、しっかり理解できているのかを図ることも難しく、試験や成績によっては、生徒たちの満足度や評価も変わるかもしれませんが、いまのところ、当惑というより、新しい授業の仕方が新鮮で、たのしんでいるようです。そのような印象は、以下のような授業中の光景から得ました。

・授業でたびたび、生徒たちが、先生とのやりとりで冗談が交わしたり、もりあがっていることがあった。
もりあがったり、笑えるということは、授業が、楽しく、スムーズに進行している証拠でしょう。

・チャットが、生徒と教師の間をとりもつツールとしてだけでなく、授業中、生徒どうしのスモールトークのためにも、絵文字なども駆使して利用されていた。
授業中の生徒どうしのチャットは、一般論からいえば「のぞましくないもの」にあたるのかもしれませんが、そういった一見、無駄に思えることを通じて、生徒たちに、授業を同時に受けていることを実感し、授業が味気ないものでなく、活気を帯びる気がしました。

・授業の休憩時間、先生がいなくなると、授業中はオフにしていたウェッブカメラをオンにして、生徒が互いの姿をみあったり、マイクで雑談するなど、生徒たちが自発的に遠隔授業のツールを通じて交流していた。

みえてきた課題

このように、今回の見学内容を見る限り、遠隔授業は、緊急の措置としてとられたにしては、順調にスタートをきり、教師たちも一定の安堵をしていましたが、同時に、いくつかの限界や問題もめにつきました。ここでは二つあげてみます。

物理的な条件
このような遠隔授業を導入するには、生徒一人につき一台の1日中使用できるパソコンがあることや、静かで集中できる環境、そして一定の速さで安定したインターネットといった物理的な条件をみたすことが必須です。今回のクラスでは生徒がすべてそのような条件を満たすことができたため、授業が成立していました。

しかし、このような条件を満たすことは、学年が若い生徒の場合、かなり難しいでしょう。また物理的に条件を満たせても、低学年の生徒たちは、自分で操作するのが困難であったり、授業中、ゲームなどほかのことに気がむかないようにするため、サポートする大人が近くにいる必要であるように思われます。それらを考えると、このような遠隔授業は、現状では、低学年の生徒たちには、今の技術的なレベルでは、不向きであるように思われます。

事実、スイスでは、小学校や中学校では、遠隔授業ではない形で代替授業がすすめられています。メールで具体的に課題が通知される場合もありますが、なかには、通常の授業内容にこだわらず、まったく違う特別授業の週という風に位置付けて、(日本の夏休みの自由研究のように)なにか自分たちで独自に勉強し、それについてレポートや作品として提出するよう促しているところもあるようです。家から出られないことや、こどもたちの関心のあるテーマであることなどを考慮し、中学生など上の学年には、ビデオやポッドキャストを作成するといった、デジタル媒体を積極的に利用する課題もだされているようです。

インターネットの送信量やソフトウェアのキャパシティの問題
今回の遠隔授業では、ほとんどの生徒は問題なく授業を受けていましたが、だけたびたびインターネットがつながらなくなって授業が中断していた生徒もいました。

これからの数週間の間で、ホームオフィスの数がさらに増えたり、また遠隔授業を行う準備が整って開始する教育機関がいっきに増えると、インターネット上の問題が増えてくるのではと危惧されています。

遠隔授業を提供している主要な提供企業のキャパシティも心配です。遠隔授業サービスは、スイスだけでなく、ヨーロッパ全土で利用が急増しているため、それに十分対応できるのか不明です。

これら、遠隔授業のインフラ問題が、遠隔授業の続行に、致命的な問題となるかもしれません。

コロナ危機に直面する若者をつなぎとめる遠隔授業

ところで、遠隔授業という存在は、現在の自宅にとじこもっている若者にとって、単に勉強する機会ということ以上の、重要な意義もあると思われますので、これについても触れておきます。

コロナウィルス危機によって、切実な経済面や健康面での不安に陥っている人のことを思うと、目下、学校の生徒たちがこうむっていることは、学校に行けなくなっただけであり、大きな被害とはいえません。

とはいえ、スイスをはじめヨーロッパでは、最低でも5週間、ほとんどどこにも行けず、誰にも会えない状態が続きます。(スイスではまだ可能ですが、)スペインやフランスでは、ジョギングや散歩なども禁止されており、今後、状況次第では、ヨーロッパ各地の規制はさらに厳しくなったり、長期化するでしょう。このような事実上の自宅軟禁状態は、エネルギーあふれる若者たちにとって、(状況をひととおり頭でわかっても)大きな試練であるには違いありません。

そんな境遇にいる若者たちが受ける、遠隔授業の風景を今回見学して、安堵しました。チャットで会話をはずませながらすすむ授業や、休み時間に次々にでてきた、こどもたちのおどけた様子やリラックスした表情をみると、しばし、孤立した物理的な環境を忘れ、バーチャルなクラスの学習時間を楽しんでいるように感じられたためです。

これからしばらく、遠隔授業が、若者たちにとって、学ぶためのツールであるだけでなく、クラスメートたちとゆるやかに集い、交流する、重要な気分転換の場にもなってくれればと切に願います。

授業がよりインターアクティブになる可能性

最後に、長期的な視点から遠隔授業について考えてみます。遠隔授業は、コロナ危機が収束したあとの教育現場で、どのような可能性を秘めているのでしょう(グループワークや、あるテーマについに集中・総合的に扱う特別授業などではなく、ここではとりあげず、いわゆるスイスの「通常の授業」だけを対象に、考察していきます)。

授業風景をふりかえりながら、具体的に考えてみます。今回の授業をみる限り、(もちろん授業の進行の仕方などで、学校での授業のやり方と変えたところや工夫しているところがあったにせよ)、教材をもとに、先生が説明したり、それをふまえた上で問題を解くという大筋の流れは、通常の学校の授業の場合と、大きく違っていませんでした。

一方それとは対照的に、生徒側の参加の仕方には、通常と大きく違い、印象的でした。

スイスでは、それぞれの科目の成績に、試験の結果だけでなく(発言をどのくらいしたかで測る)授業の積極性が、かなり配慮されることになっていることもあり(科目によって異なりますが、おもに2割から3割)、授業中は、挙手して発言しようとする生徒が比較的多いのですが、発言は、挙手するだけではだめで、教師に指されてでないとできません。つまり、通常の教室では、時間的な制約もあるため、教師たちは、一部の生徒の発言しかきけません。

しかし、(少なくとも今回の学校の使用していた)オンライン授業では、「挙手」にあたる機能がなく、かわりに、二つの発言ツールが生徒の手中にありました。ひとつはマイク。インターネットに常時つながっていても、マイクを生徒たちは普通オフにしていますが、マイクをオンにすればすぐに発話できます。もう一つは、チャット。授業画面の横に、チャットスペースがあり、いつでも、文字媒体だけでなく絵文字も用いて発話や対話ができます。

つまり、生徒にとって発言するチャンネルが、端的に増えたことになります。そして実際に、生徒たちは、マイクとチャットの間を自在にいききし(特に違いに留意せず、自分の気分で使い分けながら)、発言をしていました。

生徒によっては、チャットやマイクで発言するのが、目の前の先生に話すよりも、最初はしにくい、と抵抗を感じる人もいるかもしれません。全員が同時に発話するような事態になれば、音量が大きくなりすぎ、なにを言っているかもわからないので、発言には、一定のルールが必要にはなってくるかもしれません。また、マルチタスキングについての最近の調査結果をふまえると、色々なツールや情報が、同じ画面にのっていることで、授業への集中が阻害されるといった、弊害についても徐々に明らかになるのかもしれません(人間の脳は同時に二つのことをこなすことはできず、いわゆるマルチタスキングは、細切れに作業をしているにすぎず、集中力低下や、効率的に作業する能力を阻むという研究結果がでています。「小学生に適切な情報授業の内容とは? 〜20年以上続いてきた情報授業の失敗を繰り返さないために」)。

しかし少なくとも、今回見学したハイ・ティーン(16歳以上)のクラスをみると、発言に二つのツールがありそれを駆使して授業を受けることが、著しく授業の進行や集中力の妨げになっているようには、みえませんでした。思えば、今のハイ・ティーンといえば、小学校のころからおもちゃとしてデジタル機器が身近にあり、中学では、ほぼ全員がスマホを所持していた世代であり、ビデオチャットやチャットを使いこなすことが(こどもの生活環境によって一定の違いはありますが平均すると)日常的、「普通」な世代です。それを思うと、このようなツールは、難しいものでも、集中力がそがれることでもなく、普通に発話するように自然に近く、できることなのかもしれません。逆に、自分がよく知っているツールであるため、それを使って発言するほうが、生徒にとって、挙手して発言するよりも、敷居が低くなり、授業参加がしやすくなるかもしれません。

もしもそうであるとすれば、教師は、このようなツールのおかげで、生徒たちの率直な反応を素早く吸い上げ、通常の授業よりも、さらにインターアクティブで活気のある授業にすることもできるかもしれません。

将来の教育に今の経験が活かす

もし本当に、生徒たちがより参加し、授業があらたなダイナミズムで活性化されるようになったらどうでしょう。それを、コロナの危機がすぎて、すべて破棄してしまうのは、もったいない気もします。そうなると、今後、学校の授業に完全に代替されることはないでしょう(しそれが遠隔授業の最終目標でもないでしょう)が、遠隔授業を部分的、一時的にとりいれるなど、従来の授業を補強する部分にするのが、賢明かもしれません。

それは逆に言うと、遠隔授業だと最終的に、普通の授業よりも、生徒が受動的になるとわかったら、学校という学習の場がより望ましいということがはっきり証明されることになります。

最終的にどちらに転ぶか(どっちの授業のほうがより優れていると判断されるか)、まだわかりませんが、いずれにせよ、マクロな視点に立ってみると、今行われている、遠隔授業は、今後の教育を考える上で、貴重な実験であり、以後参考になる重要な経験となることは確かでしょう。

ただし、少し矛盾しているようにも聞こえますが、遠隔授業の利用価値、利用のしやすくなるかは、もともとリアルな学級があるか否かが、肝心なのかもしれません。生徒と教師が互いによく知った関係であり、ある程度の信頼関係がすでに築かれているほうが、バーチャルな教室でのやりとりをスムーズにいくと考えられるためです。逆に言えば、おたがいによく知らない人どうしが、バーチャルな教室でお互いと勉強をはじめる場合は、今回見学した授業風景ほど、すんなりと遠隔授業がスタートしないということかもしれません。

おわりにかえて

遠隔授業は、コロナ危機でやむをえずはじまったものであり、大きな期待をうけてスタートしたものではありませんが、そこで得た新たな経験や知見は、これからの教育業界に、きっと、役にたっていくことでしょう。

コロナ危機によって、ほかにもどんな変容がスイスやヨーロッパの人々の生活や心理で、どんなことが起き、また変化していくのかを、それを内部から、しばらく観察し、ほかの地域でも参考になりそうなこと、あるいは将来の役にたちそうなことに注目し、またお伝えしたいと思います。共通の危機を前に、住んでいる国は違っても、はげみになったり、希望を感じる情報の共有につながればと願います。

もしも逆になにかヨーロッパの状況で、なにか知りたいことがありましたら、ぜひそれもご遠慮なく、ご一報ください。

参考文献

Gaul, Simone/ Luig Judith, Haben alle Ferien? In: Zeit Online, 13.3.2020.

Vorlesen, Youtube und Experimente. In: Der Tagesspiegel, 17.3.2020.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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