シェアリングによって変わる地域社会と生活スタイル(1) 〜スイスのシェアリング施設のボランティア体験から

シェアリングによって変わる地域社会と生活スタイル(1) 〜スイスのシェアリング施設のボランティア体験から

2020-12-15

長くなったモノのライフサイクルがつむぐ人と社会と環境の未来

前回の記事(「コロナ禍のヨーロッパのシェアリング・エコノミーとこれから」)に引き続き、今回と次回の記事でも、シェアリングというキーワードから、今年をふりかえってみたいと思います。今回と次回では、特に、シェアリングによって、地域社会や生活のあり方がどんな風に変わるか、また、今後、さらにどんな方向に変化しうるか、という部分に注目して少し掘り下げてみたいと思います。

このようなテーマを今回扱おうと思ったのには、理由があります。これまで、ヨーロッパのシェアリングについて、多様な角度から観察・レポートしてきて、それなりに理解しいてたつもりだったのですが、今秋からシェアリング施設管理に自ら関わるようになって、新しく気づくことがいくつもあったためです。特に、生活スタイルやモノの消費行動の深層心理とシェアリングとの具体的なつながり方が、すこしみえてきた(ように思われた)ことが、とても興味深く感じられました。

シェアリングに関する研究はかなり増えましたが、地域社会において、シェアリングが長期的・幅広く、住民の生活に及ぼしていく状況に関心を置く研究は、まだほとんどないように思います(註1)。しかし、シェアリングが人々の暮らしや地域生活に中・長期的に及ぼす変化や、シェアリングによってモノと人の関係がどう発展していくか、といった領域は、シェアリングの次なるステージを見据える上で、重要なテーマであり、視点でしょう。

このため、今回は、自分がボランティアを通して見えてきたシェアリングと社会や生活との「つながり(方)」に注視し、それを環境面、経済面、健康・レジャー面、生活面という四つの側面に分けて、叙述してみたいと思います。今回は、最初の三つの側面、次回は、生活面についてクローズアップして考えていきます。

今回と次回で扱う内容は、シェアリング施設の社会的機能や生活の可能性を包括的に概観するものではありません。あくまで、一つのシェアリング施設をとりまく状況で、私自身がボランティアや一住民の目の高さで、現時点までに気づいたことを、断片的にまとめたにすぎません。しかし、逆に、シェアリングと社会や生活との関係性のドラスティックに変化する断片を端的に示すことで、これからのシェアリングの発展の可能性を考える際の、具体的で新しいインスピーレションになればさいわいです。

※註1
以下の専門誌上でも、近年、特集を組んでシェアリングについて取り上げ、シェアリングの多様な側面にスポットをあてていますが、テーマや専門家は見当たりません。
『個人金融 特集 シェアリングエコノミー』2020年夏号
『生活協同組合研究 特集 「シェアリングエコノミー」を学ぶ』2019年8月号

※本稿では、「シェアリング・エコノミー」という表記は用いず、「シェアリング」という表記のみを使用します。これは、単に、「シェアリング」や「シェアリング・エコノミー」と一般に呼ばれる一連の動きについて、「エコノミー」より主に「シェアリング」に重きを置いて、論考をしていきたいためだからであり、シェアリングとシェアリング・エコノミーを厳格に定義し、使い分けているからではありません。

ギブ・アンド・テイクの「交換の家」

今回、具体的にみていくのは、スイスのヴィンタートゥーアという中都市(11万5千人)に今秋、開館した「交換の家 Tauschhaus」と呼ばれるシェアリング施設とその周辺の状況です。この施設は、環境ボランティア団体MYBLUEPLANETが運営しているもので、実際の施設の管理は、複数の地域在住のボランティアたちによって行われています。わたしもボランティアに加わり、この秋から、施設の維持・管理にたずさわるようになりました。この団体は、一人の飛行機パイロットによって2006年に立ち上げられるという、環境団体としてはユニークな履歴をもちますが、その後、草の根レベルの多様な環境活動をスイス全国で展開することで急成長し、現在は、スイスを代表する環境団体のひとつとなっています(MYBLUEPLANET)。

施設は、名前こそ、「家」ですが、6㎡ほどの照明つきの小さなコンテナで、内部には、複数の棚が置かれ、食器、衣類、本、雑貨、玩具、文具、CD、靴、電気機器などが、分類して置けるようになっています。ここには、生鮮食品以外で、まだ使えるモノであれば、原則としてだれでも、開館時間中になんでも持ち込むことができ、同時に、陳列されているものは、誰でもいくつでも、無料で持ち去ることができます。開館時間は、祝祭日を除き、月曜から土曜までの週6日の9時から6時(冬季は夕方5時まで)です。ちなみに現在はコロナ対策として、一度に一人のみしか入室することができません。

この施設は、持ち去る人が、そのモノの新しい「所有者」になるという意味を重視すると、モノのシェアリング(共有)施設ではありません。他方、モノの側からみると、施設は、そこに持ち込まれさえすれば、何度でも新たな人に持ち去られるという装置(場所)であり、複数の人に利用されることが可能という意味では、モノの共有(シェアリング)を仲介する場所として機能しています。近年、「シェアリング」と呼ばれるしくみよりも、シェアリングされる周期が長い「シェアリング」とでもいえるかもしれません。

これに類似する機能をもつ施設は、手間が最小限ですむシンプルな形で持続的に存続しやすく、需要も高いため、今日、世界各地にみられます。ある意味で、最も広く普及しているシェアリングの形のひとつといえるかもしれません。


同じヴィンタートゥーア市内にある、本に特化して自由に持ち込み・持ち運びができる施設

環境面 地域全体のゴミの減量化

そこに持ち込まれ陳列されているモノは、非常に雑多ですが、使用感が強いもの(例えば、使い込んだ形跡のあるまな板、鉛筆、タッパーウェア)や、不揃いなもの(例えば、1セット分のティーカップ)、雑多なもの(例えば、おまけについてきた玩具)が、比較的多く置かれています。後述するスイスのリサイクルショップに並んでいる商品よりも、その傾向が強いように思われます。

それでも、これまで3ヶ月間たずさわって観察してきたところ、使用感が強いモノもふくめ、陳列されているモノの大半が、早いサイクルで、持ち去れていることがわかりました。週に2回施設訪れるわたしの印象では、陳列されているモノの約半分が、いくたびに、入れ替わっているという感じです。

このことを、環境面からとらえると、ライフサイクルが長くなるモノが増え、地域全体のゴミの量の相対的な減少に貢献しているといえるでしょう。

経済面

経済面にひきつけて考えると、この施設はどんな機能を担っているのでしょうか。

まず、経済的に困窮する人たちにとって、直結した生活支援につながっている可能性があります。経済的に困窮する人々に日常必需品やこどもの玩具、衣類などを配るボランティア活動もいくつかありますが、この施設は、好きな時間と頻度で、自主的に、各自がさらに補完できる場所となっているといえます。

また、施設で、生活の必需品だけでなく、(直接生活に不可欠とは思われない)雑貨や飾り類も多く持ち去られている事実を配慮すると、日常生活に直結した支援以上の、役割を果しているようにも思われます。

以前、経済的に困窮する世帯にモノを定期的に配るボランティア組織のスタッフに、日常必需品だけでなく、ほかのものの需要も非常に大きい、という話を聞いたことがあります。配布会場の(寄付で集められ陳列された)中古品の雑貨や玩具などのモノは、毎回、すべてきれいに持ち去られ、残るものが一切ないといっていました。

生活必需品以外のモノへの関心は、誰にとっても、多かれ少なかれあるのでしょうが、経済的に余裕がなければ、そういったものに金銭を出費することは容易ではありません。つまり、無料配布や交換の家は、普段の流通ルートでは生活必需品以外の消費をあきらめている人が、それを試せる、ささやかなしかし貴重な場所になっているのではないかと思われます。

もちろん、自分がもっていないそこにある中古品を試してみたい、使ってみたい、という要望は、経済的に困窮する人だけのものではないでしょう。この施設には、絶え間なく人の出入りがあり、その人たちの世代も、訪れる時間帯も様々であることから、ちょっとした好奇心をもって、寄り道がてら、気軽に立ち寄り、持ち去る人たちがかなり多くいるのではないかと想像されます。

ただし、そこにあるモノは、上述のように、通常の流通では取引価値がないに等しい(使用感が強かったり、不揃いだったりする)モノもかなり多く含まれています。これらの要素を総合して考えると、このささやかな6m2の施設は、市場原理で成立する流通網で通常対象となるモノやモチベーションの人を相手にするものとは一線を画し、あるいは、そこからはこぼれ落ちている、別のモノや、ほかのモチベーションの人を対象にしている、取引の場として成立しているように思われます。

平たく言えば、お金が介在せず、気軽に交換できるこのような場所さえあれば、お金が介在する取引の対象にはならなかったようなものの一部、また、取引・交換される可能性がでてくる、ということであるように思われます。

健康・レジャー面

コロナ禍で、現在、世界中、ステイホームが推奨されており、とくに、北半球では、日が短くて寒い冬季であることもあり、屋外にでる時間は相対的に減っています。

もちろん、コロナ感染対策は重要ですが、だからといって自宅にこもりがちな生活が長期化すれば、体力がどんどん落ち、精神的にも気分転換がはかりにくく、気持ちがダウンしてしまう人が多くなるのではと危惧されます。ウィズ・コロナの生活を中・長期的な視点で健康的に続けるためには、適度な運動や、屋外への外出を定期的に行うことが理想です。

そう考えると、「コロナ感染の恐れが少ない安全な外出、屋外での適度な運動」が、家にとじこもるという選択肢以外を求める人にとっての、有望な解決策でしょう。では、「コロナ感染の恐れが少ない安全な外出、屋外での適度な運動」のためには、なにが必要でしょう。まず、「密」を避ける移動空間や移動手段が不可欠でしょう(このことについては、以下の記事で包括的に議論しています「ヨーロッパ都市のモビリティの近未来(1) 〜コロナ危機以降のヨーロッパの交通手段の地殻変動」、「ヨーロッパ都市のモビリティの近未来(2) 〜自転車、モビリティ・プライシング、全国年間定期制度」)。

ただし、それだけでは十分ではありません。移動した先にあるもの、どこか、いける「場所」、行きたい場所もまた不可欠です。

例えば、コロナ禍でも、一般的に考えれば、地域の公園や川沿いのプロムナードなどは、「安全にでかけられる場所」の有力候補となります。しかし、皮肉なことに、その数が住民の人数に対して十分でなければ、逆に混んで「密」になる危険があるとして、ヨーロッパのロックダウン下では、唯一屋外で、羽をのばせて憩いの場の候補となれるはずの、これらの場所が、むしろ立ち入り禁止となっているケースが多くみられました。これらのコロナ禍でも「貴重な」でかけられる場所が、混み合わずに最大限利用されるようにするためにも、ほかにも同時に、安全にでかけられるスポットを、地域全体に数カ所、散在して配置されていることが理想です。

このような観点を総合すると、「交換の家」は、コロナ禍の安全で外出・運動を促進する「お出かけスポット」として、かなりの有望株かもしれません。ヴィンタートゥーアの「交換の家」は市の中心部に位置し、入室は一人のみであり、消毒液も入り口に備え付けられており、天気が良好で暖かい日はドアをあけたままにしておくなど、感染対策を徹底しています。モノはボランティアが定期的にチェックすることで清潔・整然に陳列されており、夜間は施錠され、施設が荒らされることなどないよう監視カメラも設置されています。このため、誰もが安心して気軽に立ち寄りやすい場所という条件を、まず、満たしています。

また、大きな敷地が必要なく、騒音の問題もなく、住宅地などでも点在して配置できます。先日、施設を訪れた初老の男性に、なにかいいものがみつかりましたか、と尋ねると、「今日はなにもなかったですが、問題ないです。また明日来ますから」という答えが返ってきました。この男性は、毎日、立ち寄ることが日課になっているようで、日々の運動や気分転換の一部に、交換の家が、すでになっているようでした。

もちろん、安全でちょっとした「おでかけスポット」は、シェアリング施設には限らないでしょう。シェアリングに全く興味のない人ももちろんいますし、ほかの目的をもった多様な「おでかけスポット」が地域に必要です。いずれによせ、地域にちょっとした「おでかけスポット」が増えてくれば、コロナ禍でも、ステイホーム以外の選択肢が広がり、住民の健康および生活の質を向上させるのに、貢献できることは間違いないでしょう。

次回につづく

次回(「シェアリングによって変わる地域社会と生活スタイル(2) 〜スイスのシェアリング施設のボランティア体験から」)は、シェアリング施設の存在によって、自宅での生活の自体も変化していく可能性について、掘り下げて考えてみます。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


PAGE TOP




MENU

CONTACT
HOME