学校閉鎖時のドイツの遠隔教育 〜コロナ危機が教育格差をこれ以上広げないために

学校閉鎖時のドイツの遠隔教育 〜コロナ危機が教育格差をこれ以上広げないために

2021-01-20

コロナ危機は、世界中の学校教育にとっても、大きな試練となりました。感染拡大への恐れから、通常授業を急遽とりやめにすることになった学校が相次ぎ、昨年、11月末の時点で、世界中で、学校に通う生徒の約3分の1の学校が閉鎖されていました(Nagiller, Wenn das Radio)。

このような前代未聞の緊急事態に、学校は、どのように対応したのでしょう。もちろん、潜在的に遠隔授業を可能とする環境が、学校側も、生徒側も整っていれば、混乱は少なく、遠隔授業に移行することができます。実際、金曜夜にロックダウンが決まったスイスでは、次の週の月曜の1限目から、すべて遠隔授業に移行できた学校もありました(「突如はじまった、学校の遠隔授業 〜ヨーロッパのコロナ危機と社会の変化(1)」)。

しかし、大多数の国と学校では、そのような施設や整備が整っておらず、数週間あるいは数ヶ月にわたって、臨時対応に追われました。また、いざ遠隔授業がはじまったところも、その結果が気になります。通学する学校授業と比べ、どのような差異が生じているのでしょう。

今回から3回にわたり、このようなコロナ危機下の学校教育について、異なる地域、複数の角度から、ラフスケッチしてみたいと思います。初回の今回は、ドイツの教育専門家の意見を参考に、長期学校閉鎖時の教育現場の状況や、そこで明らかになった問題点を概観してみたいと思います。

学校閉鎖といえば、「遠隔授業」という四文字熟語が想起されますが、「遠隔授業」の形態は、それほど自明ではありません。それでも、多くの人の頭に真っ先に思い浮かぶのは、インターネットを利用した遠隔授業だと思いますが、インターネットを利用した遠隔授業をするために必要な、デジタル機器(端末)は、どのくらい生徒(あるいは生徒の家庭)に普及しているのでしょうか。

このことを問題にし、ロックダウン直後から、デジタル端末がない家庭に、寄付で集めたラップトップのパソコンを配るという活動をはじめたスイス人がいました。この、一見ありそうなのに、ほかの誰もまだ行なっていなかった活動内容について、次回は、紹介します(「余分にある人から欲しい人へ届け! 〜学校閉鎖中のスイスで注目される「デジタル時代の生活に不可欠なもの」」)。

ヨーロッパから世界にさらに視線を移すと、デジタル機器もインターネットもほとんどまだない、国や地域が多くあります。そこでは、どんな風に、学校閉鎖中対応していたのでしょうか。最終回は、このような課題に直面したルワンダの事例をとりあげます(「ルワンダがロックダウン下で選んだ教育機会最適化のための手段 〜ラジオによる遠隔教育」)。

コロナ危機の収束のきざしがまだみえてこない状況下にあって、いまでも、どうやったらこどもたちに十分な教育を提供できるかというテーマは、世界中の焦眉の課題で、強い関心ごとでしょう。コラムでとりあげていくことは、一見、地域特有の事情を反映した限定的な事例のようにもみえますが、国境を超えて、ほかの国や地域でも、視座を広げたり、具体的なヒント、あるいは、自分の地域のなにかを変えるきっかけにもなれるかもしれません。そんな希望や期待をいだきながら、3本の連載コラムをスタートしてみます。

デジタル化が遅れていたドイツでの遠隔授業

ドイツでは、昨年の春からこれまで2回のロックダウンがあり、学校も閉鎖されました。その間、教育界はどのように対応したのでしょうか。

ドイツを代表する良質の日刊紙と知られる『フランクフルト・アールゲマイネ・ツァイトゥンク』の政治編集者で教育専門家のシュモル Heike Schmoll が、紙面や、ポッドキャスト番組『SWR Wissen』(5月末の講演と12月末のインタビュー)で報告したものを再構成しながら、具体的にどんな様子だったのかをまとめてみます。ただし、本文中には、ほかの文献からとった内容や、わたしの補足的な説明も若干、含まれます。

ロックダウン期のドイツの遠隔授業を、一言で総括すると、残念ながら、貧弱・不完全という評価になります。教育上のデジタル化に早くからとりくんできた、デンマークやアイスランド、フィンランドなどほかのヨーロッパの諸国と比べると、デジタル化の遅れは相当大きく、ドイツ語圏の隣国スイスやオーストリアと比べても(教師へのアンケート調査の結果などをみると)遅れていたことが、大きな原因です。

状況を概観できるまとまったデータはまだありませんが、11月末の全国の学校の校長が回答した以下のようなアンケートの結果をみると、遠隔授業が、その時点にあっても、かなり困難である様子が想像されます。

2020年11月末に開催されたドイツ校長会議で発表された、ドイツ全国785校のアンケート調査では(2020年,10月、11月に調査)、生徒全員がなんらかの利用できるデジタル機器(端末)をもっていると答えた学校は、6%にとどまりました。教師が全員、必要な端末をもっている場合すら、全学校の15%です。このため、完全オンラインの授業ができないだけでなく、ハイブリッド形式の授業(学校の授業と遠隔授業を合わせた少人数制の授業)も、十分に行えない学校が多いのが現実でした(VBE, 2020)。

州によっては個人情報保護の法的規制が厳しく、教師が生徒と直接オンラインでつながることはおろか、親のメールアドレスも知らないケースもありました。そうなると、オンラインのデジタル学習どころではありません (Schule und Corona, 2020)。

ただし、インターネットをどう教育で活用するかという議論が敎育界でなかったわけではありません。10年以上前からドイツでもあったにはありました。しかし、そのための教師の研修・養成が全く不十分であったことが、致命的であったとします。このため、デジタル機器を利用する機会も、十分に活かせない状況が続いていたとします(Schule und Corona, 2020)。

ちなみに、シュモラへのインタビューでは時間的な制約もあり、一切触れられていませんでしたが、私としては、ドイツの敎育教育のデジタル化が遅れてきた理由として、教育にデジタルなものを導入するのは好ましくないという一定のイデオロギー(理解)がドイツに強かったことも、大きかったのではないかと思っています。

そのような理解を代表するのが、神経科学者のマンフレッド・シュピッツアーであり、シュピッツアーの代表作の一つ『デジタル認知症』でしょう(Manfred Spitzer, Digitale Demenz. Wie wir uns und unsere Kinder um den Verstand bringen, München 2012.)。

著者は、この本で、神経細胞レベルのしくみを説明しながら、見る、聞く、触る、発言する、議論するなどを駆使した従来の学び方に比べ、デジタル・ツールの学習方法は、インプットが視覚に偏重しており、読解・認識、さらには洞察や発展的な考え方を得るために十分なシナプスの発達を妨げている、と危惧しています。もともと著者は、ドイツの公共放送で2004年から8年間計200回近く放映された「心と脳」という番組で、明快で簡潔に(毎回15分)脳のしくみを様々なテーマから解説したため、ドイツでは人気も知名度も高い人物です。さらに本書がセンセーショナルなタイトルで主旨もわかりやすく、また、教育学者や政治家などではなく、神経学という科学的見地からの教育や社会への警鐘であったため、メディアでも大きく取り上げられることになりました。

本が出版されて以降、たしかにデジタル機器の影響は一定程度認められるものの、デジタル機器の使用と学習や理解能力の関係は、個々の人間や環境、またデジタル機器のコンテンツなどによっても非常に異なり、本書が打ち出したような明快な相関関係はみられない、ということで世間を巻き込んだ「デジタル認知症」の議論は、一応収拾がついた感があります。ただし、保守的な考えが強い人たちの間では、デジタル機器全般の弊害を危惧する見方は、依然受け入れられやすいものであるには変わりなく、これまで、教育や社会全般のデジタル化に、一定のブレーキをかけているように思います(「デジタル・ツールと広がる読書体験」)。

危惧される格差拡大のスパイラル

シュモルは、ロックダウン期の教育界は、「前近代の時代にほうりなげられた」 (Schule und Corona, 2020) ような状態だったといいます。

公立学校の義務教育制度が整備されていなかった前近代において(約200年から300年前)、富裕な家庭は家庭教師などを雇い、子どもに英才教育をほどこす一方、生活に余裕がない家庭では、そのような機会をつくるのが難しく、就学の代わりに労働に従事させられるケースが一般的でした。

コロナ危機下の学校閉鎖は、あたかもそのような時代にもどったかのように、教育格差を大きく広げることになったとシュモルはいいます。

問題は、学習に必要なデジタル機器(端末)が自分用にない生徒が多いことだけではありません。経済的に困窮する家庭では、ほかにも、学習に集中できる静かな空間が確保できなかったり、家事労働や年下の兄弟のおもりを手伝うように親に要請されたりすることが多く、また親が、能力的・時間的に家庭の子供の学習を十分にサポートできないと、家庭での学習は困難を極めます。

近隣に上記のような困難な環境にある子供が多く住んでいると、本人自身には学べる環境や意欲があっても、まわりの環境に影響を受け、まじめに学習を続けることが難しくなることもあります。さらに悪いことに、移民的背景の家庭では、数ヶ月ロックダウンが続いているうちに、授業内容の習得以前に、子供のドイツ語能力が下がってしまうケースもあります。

そうこうして数ヶ月、半年後が過ぎてしまうと、格差は縮まるどころか、むしろどんどん広がっていきます。半年の遅れをとりもどすには、次の半年間では足りず、数年に及び、その遅れが、将来に長期間にわたり、決定的影響を及ぼすことにもなりかねません。

シュモルは、遠隔授業期間中、学歴の高い親をもつ生徒に比べ、学歴が低い親をもつ生徒は、55%も習得できたことが少なかったというイギリスの調査結果も引用し(Schule und Corona, 2020)、ドイツの現状に警鐘を鳴らします。

とりわけ打撃が大きかったのは、低学年と最終学年

ただし、ロックダウン中の学習状況は、年齢や学校の種類によって、かなり異なり、小学生と、ギムナジウムやほかの中等教育の卒業をひかえる最終学年がとりわけ、大きな打撃を受けたとシュモルは言います(Schule und Corona, 2020)。

小学生、とくに読み書きだけでなく自分一人での学習がまだ難しい小学校3年生くらいまでは、もともと遠隔授業がなじみにくい、不適切な年齢であり、この年齢での遠隔授業自体に、厳しい限界があるとします。

中等教育の最終学年は、自分で学習することが可能な年代ですが、大学入学資格試験や、職業資格試験などそれぞれの課程で指定されている資格試験を合格しなくてはいけません。換言するとそれらの試験が卒業試験に相当します。学校にいっていれば、同じ境遇にあって勉強しあえる同級生や、すぐに授業中や授業後にわからないところを訊ける教師がいますが、今年度は、必要な試験の範囲の勉強を一人で習得しなければならず、従来の学力以外に、精神力や耐久力も大きく問われることになりそうです。

今年の2月から、これら最終学年の生徒たちの試験がはじまります(試験の開催時期は、2月から初夏まで州によって異なります)。この結果がどうなるかは現時点では、全く予測できませんが、もしも不合格の生徒が、例年よりも大幅に多くなれば、それもまた、来年度以降に、大きな課題となります。従来、試験に不合格の生徒が希望すれば、学校が留年生として引き受けますが、大量の生徒が試験に不合格となった場合、その受け入れが、学校という教育機関にとっても、学校教育費を負担する州にとっても、(教室や教員を大幅に増やさなくてはならなくなるため)大きな問題となると考えられます。ちなみに昨年はロックダウン中の例外的措置として、無試験で卒業を認める措置がとられました。

これらの学年の生徒に比べれば、それ以外の生徒、特に、中等教育に通う生徒においては、遠隔授業の影響はそれほど大きくない、あるいはほとんどないというのが一般的な見解です。モチベーションが高い生徒や、親が支援するなど外的な環境に恵まれている場合は、従来の学校の授業より多く学んでいる場合もありました。

ドイツのこれから進むべき道

このように、ロックダウン期のドイツの遠隔授業は、無い無い尽くしで、迷走しながらすすんできましたが、ドイツの教育界は、今後、どんな道をすすむべきなのでしょうか。

シュモルからのメッセージは、明確です。まずは、できるだけはやく、学校の授業を再開すること。シュモルは、学校での授業が、遠隔授業に比べ、2倍以上学習効果があったというスイスの最新の調査結果もひきあいに出し(Schule und Corona, 2020)、特に小学校では学校再開が緊急に必要だと訴えます(今回参考にした記事や講演が公開になった時点では、まだロックダウン最中で、学校閉鎖がいつとかれるのか、未定でした)。

確かに学校を再開すれば、感染が広がる危険もあります。しかし、シュモルは、ほかの場所と比べ学校での感染が、特に高くなるということはこれまでの調査でもでてきていないため、ほかの場所と同じくらいの感染の危険しかないのなら、自宅にこどもをとどめるより、学校に行かせるほうがずっといいと考えます。

モチベーションのある生徒、自分で勉強できる生徒などには、遠隔授業で逆に学習量が増えた場合もありましたが、逆にモチベーションも環境もそろっていない生徒たちには、学校で授業を受けさせてあげることが、学力を維持、強化するために必須であり、社会の教育格差を広げないためにも、学校を再開すべきというのが、シュモルが発信する最重要のメッセージだと言えます。

おわりに

シュモルのこのような話を、(これを書いている1月中旬)現在もほとんどの州で学校閉鎖が続いているドイツの状況と合わせて考えると、ジレンマを感じます。

本稿の最後は、少し視点をずらして、将来について考えてみましょう。シュモル自身が、再三強調しているように、今のところ学校の授業にまわる遠隔授業はなく、遠隔授業は学校の授業にとってかわることはありえず、あくまで遠隔授業は学校の授業を代行あるいは補完するものである、という位置付けが、遠隔授業設備が進んでいる国も含めて世界全体の教育界で一致する意見です。

つまり、これまでデジタルなものに猜疑的だったドイツの立場は、学校閉鎖のときには裏目にでてしまったかもしれませんが、本来のドイツの教育のあり方が否定されるものでは、もちろんありません。

しばらくの間、ドイツではかなり苦戦を強いられ、遠隔授業の工夫・改善努力が今後も必要なことは確かでしょうが、晴れて学校の授業が再開したあかつきには、これまでのドイツの学校教育の実績とデジタルの教育経験をハイブリッドさせて、よりいい授業内容になっていってくれればと願います。

次回は、ドイツから少し南下したスイスから、ロックダウン直後からはじまった、デジタル機器のない家庭にパソコンを配る活動について紹介します。

参考文献

Nagiller, Juliane, Wenn das Radio zum Klassenzimmer wird, Science.orf.at, 20. November 2020, 13.00 Uhr

News4Teachers, VBE-Umfrage zum Deutschen Schulleiterkongress: Unmut unter Schulleitern wächst, Bildungsmagazin, 27. November 2020.

Schmoll, Heike, Corona-Krise – Lernen mit Hindernissen, SWR2 Wissen: Aula, So, 31.5.2020 8:30 Uhr

Schmoll, Heike, Brennpunkt-Schule auf Distanz : Wer nicht eingeloggt ist, wird angerufen. In: Frankfuter Allgemeine Zeitung, am 27.11.2020-09:52

Schmoll, Heike, Corona-Maßnahmen : Wie geht es mit den Schulen weiter? In: Frankfurter Allgemeine Zeitung, Aktualisiert am 03.01.2021-19:11

VBE (Verband für Bildung und Erziehung), „Die angemessene Ressourcenausstattung der Schulen ist nicht Kür, sondern Pflicht der Politik“. forsa Schulleitungsumfrage zu Berufszufriedenheit und Corona, Pressedienste, Hamburg, 27. November 2020

Schule und Corona - Lehren aus der Pandemie, Heike Schmoll im Gespräch mit Ralf Caspary, SWR2 Wissen: Aula, 29.12.2020, 4:31 Uhr

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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