異国での老後 〜スイスの老人ホームにおける 「地中海クラブ」の試み
2017-02-23 [EntryURL]
様々な事情で住み慣れた国を離れ、外国に住んでいる人が、今日、世界中に大勢います。若いうちはその人たちも、海外で働いたり、住むことにそれほど違和感がないかもしれません。しかし高齢になってくるとどうでしょう。海外生活が長い人でも、先のことはわからない、とあまり話題にされることがない、 異国での老後というテーマについて、今回は、 スイスの老人ホームの現状を例としてみていきながら、少し具体的に考えてみたいと思います。
スイスの老人ホーム
スイスの老人ホームは、公立の施設でもアメニティー(快適さ)はかなり高いように思われます。居住者は自活能力に合わせてサービスが選べ、自炊もペット連れの入居も可能です。 どの施設も市内にあり、一般に開放されているレストランや庭も付設され、小さい子を連れた家族など、地域住民もよく訪れます。クリーニング・サービスや美容院も充実しており、居住している方の服装や髪型からもいつも清楚な印象を受けます。しかし、このように居住者の快適さを充実させてきた老人ホームに、これまでなかった全く新しい課題が近年、でてきました。外国出身の高齢者への対応です。
数年前までスイスの老人ホームは、外国出身者の割合が年々高くなるスイス社会全般の状況とは一線を画し、スイス人という文化的同一性の高い人々で占められていました。外国からスイスに移り住んでくる人がほとんど若者であったことと、外国出身の人の圧倒的多数が、親を老人ホームに預けずに自分たちで世話をすることをよしとする文化的な背景をもつ国からきていたためです。しかし、時代も状況も変わり、外国出身の家庭の子どもが親の世話をみることができなくなるケースが多くなってきて、外国人のホーム入居が増えてきました(以下、ドイツ語圏を中心に話をすすめていきます)。
イタリアからの労働者の高齢化
スイスの外国人高齢者で現在、圧倒的に多いにはイタリア人です。2008年のスイスに住む65〜79歳の外国人の統計をみると、イタリア人が4万6千人で、次に多い2万人弱のドイツ人高齢者の2倍以上の数です。 イタリア人が多いのは、スイスの20世紀後半の歴史に深く関係しています。スイスでは、1950・60年代に、重工業や土木建築産業部門で不足する労働力を確保するため、外国からの労働者を受け入れてきましたが、その労働力の大半がイタリアからの若者でした。
当時やってきた若者は、生涯スイスに住むというより、しばらく稼いでお金をためて故郷に帰るつもりだった人が多く、ドイツ語圏にいてもドイツ語の習得にあまり熱心でない人がかなりいたようです。スイスでは公用語の一つがイタリア語であり 、ほかの言語の出身国に比べて言葉の不便も比較的少なくてすんだことや、同郷人だけで保育園から余暇活動まで過ごす機会や時間が多かったことも、ドイツ語習得があまり浸透しなかった理由とされます。
月日は過ぎ、現在は、かつてのイタリアからの労働者の約3分の1は母国にもどり、ほかの3分の1はスイスとイタリアの二つの国を行き来しており、スイスに残っているのは3分の1ほどだといいます。その中で一部が、スイスの老人ホームに入居しはじめたということになりますが、ドイツ語がわからない人たちもその中に含まれています。
ドイツ語がわからないイタリア人が入居すると当然、コミュニケーションに支障がでます。イタリア語を話せるスタッフを増員できれば、てっとり早い かもしれませんが、ただでさえスタッフ不足の介護業界で、必要な言葉を話すスタッフを採用し適所に配置するのは容易ではありません。このため、入居者を対象にドイツ語講座を設けて、住人のドイツ語力の向上を計るホームもでてきました。しかし長くドイツ語圏に住みながらドイツ語を(色々な事情で)習得できなかった人たちが、高齢になって体の健康もすぐれない状態で、どれだけドイツ語の授業で語学力を伸ばせるかは、はなはだ疑問が残ります。少なくとも、 これまでわたし自身が関わったドイツ語初心者講座では、60代の方でもドイツ語を初めて習得するのは、きわめて困難な作業でした。
外国人入居者の側からみたスイスの老人ホーム
一方、言葉ができて、生活に一見不自由がなくても、ホームで暮らす当人にとっては、スイス人には想像しづらい問題もあるでしょう。例えば、食事はスイス人の高齢者の口に合うように献立が作られていますが、異なる食文化に慣れ親しんだ高齢者にとって、食べたいものが食べられないこと、そしてそれが一時的ではなく人生最後まで恒常的に続くことは、どのように感じられるでしょうか。
もっと深淵なレベルで、高齢になると若い時以上に故郷への憧憬が強くなり、文化や習慣的な差異が辛くなるかもしれません。高齢者の心の奥深い部分を推測するのは難しいですが、ドキュメンタリー映画『ノスタルジア Nostalgia』 は、外国出身の高齢者自身の目線に合わせてこの問題を捉えており、参考になると思うので、この映画について少しご紹介します。
イタリアのシチリア出身の一人の80代の男性ファルゾーネさんは、2013年の暮れから、ヴィンタートゥア郊外の特別介護老人ホームPflegezentrum Eulachtalに入居しました。彼は、ホーム初の外国出身者でしたが、同室でやはり80代のスイス人男性マイリさんと意気投合し、イタリア語とスイス・ドイツ語でお互いに通じない会話もはずみ、新居の生活にも次第に慣れていきました。
その一方で、ファルゾーネさんは、強い望郷の念にかられるようになります。妹や甥が住むシチリアにもう一度帰りたいという彼の切ない願いを実現してあげたい、そう思い立った介護スタッフの強い熱意と協力で、故郷を訪ねる1週間の旅が2014年9月に実現されました。旅行には二人の介護スタッフとともに、離れ難いほど仲良しになったマイリさんもいっしょに行くことになりました。酪農農家一筋で働いてきたマイリさんは、一度もスイス国外に出たことがありませんでしたが、生まれて初めての飛行機に乗って、まだ一度も見たことがない海を目指します。
家族との再会を果たしたり、待望の海で大はしゃぎしたりして、満面の笑顔でたくさんの思い出をつくり、二人の旅はチューリッヒの空港で、両家族に暖かく迎えられて終わります。その後「魂をシチリアに置いてきたように」(家族の言)急に容態が悪化したファルゾーネさんは、旅行から1ヶ月もたたないうちに他界します。最後の旅立ちは、旅行前のように死への恐怖でパニックになることもなく、とても静かに迎えられたといいます。
この映画は、最後まで二つの国への強い絆と愛着をもって生きた一人の人生へのオマージュであるのと同時に、これから増えていく外国出身の高齢者たちの状況や思いに重なることもまた多分にあるように思えます。
老人ホームの「地中海クラブ」
2000年代から、老人ホームでは、言葉や文化的差異による不便や孤独化を少しでも改善するための新たな取り組みが、少しずつはじまりました。
もっとも一般的なのは、ホームの一部をイタリア人(一部の施設ではポルトガル人もいれて)専門のクラスター(居住グループ)にするというものです。 地中海セクションと一般に呼ばれる、そのようなホームの一角では、スタッフとも隣人ともイタリア語で会話でき、食事も地中海のメニューが多く取り入れられ、イタリア人の食文化に欠かせないワインまで出てきます。スイス人の住人は、食後自分の部屋に戻る人が多いそうですが、このセクションでは食後は廊下がピアッツア(イタリアの広場)となって、ワインを飲んで踊ったり、また一緒に歌って新しくできたコミュニティで過ごす人が多く、さながら、老人ホームの 「地中海クラブ」といった感じのようです。ここに移ってきた人たちは、以前より睡眠薬など薬の量が減るなど、健康状態がよくなる人も多いといいます。
老人ホームの文化尊重ケアの課題と可能性
しかし、このような国別に特化してケアすることに対し、社会では反発や疑念の声もあがっています。ホームに出身国の文化を並行輸入することは、スイスの社会全体が目指すべきインテグレーションの構想に反しているという意見、また、現在のスイスに住む人の4人に一人が外国人で、2020年には19万1千人の外国人が60歳以上になると予測されており、これからイタリア人だけでなく、さらに多国籍化していくホーム住人がすべて同じような出身国に合わせた居住環境を要望するようになると、収拾がつかなくなるという危惧もあります。
例えば、 イスラム教徒は、食事で豚肉が食べられないだけでなく、介護のスタッフの性別が重視され、ラマダンの時期は、食事はもちろん、薬や点滴の投与の時間が制約される可能性があります。また旧ユーゴスラビア出身の高齢者は、スイスに80歳以上が千人ほどおり、イタリア人に続きホームの入居が増えている外国出身者グループですが、長い内戦で国が対立した経緯や、今もたびたび国同士が文化や宗教的に対立していることで、お互いに言葉は通じ文化は似ていても、 イタリア人のように一つのクラスターを設ければいいという簡単な話ではないようです。
今後、社会全体の高齢化でただでさえ高齢者が大挙して老人ホームに入居する時代が到来するのに、「地中海クラブ」のような各文化圏を配慮した環境を、老人ホームが早期に整備できる余力は果たしてあるでしょうか。 現実的にはかなりの難題になりそうです。
一方、ホームで対処できない多様な外国出身の居住者の需要を、 周囲の地域の人々や様々な活動によってカバーできる可能はあります。目下、軌道にのっているのは、ホームの外国人と同じ言葉を話したり文化を理解するボランティアの活動です。 以前に「ヨーロッパにおける難民のインテグレーション 〜ドイツ語圏を例に」でも紹介しましたが、私の住む10万人 都市の老人ホームでも、250人のボランティア・スタッフは、5大陸にまたがり、すでに15言語に対応しています。
また、ファルゾーネさんはホームで、地中海出身者のセクションがないどころか、たった一人のイタリア人でしたが、同室のマイリさんと大の仲良しになって、結果として初めての海外旅行に連れ出すほど、一人のスイスの高齢者の世界を広げてあげられたことも示唆に富みます。人生の最後のステージをどこで過ごそうとも、心を開いて新たな出会いや交流をすることで、人生に花がそえられたり、充実した体験ができるのかもしれない、そんな希望もまた大切な気がします。
老人ホームという小さな一つの社会は、これから、多彩な背景や立場の人が様々な形で関わっていくことで、 多国籍型老人ホームとして、少しずつ進化をとげていくのでしょうか。 胎動する老人ホームの健闘を祈りたいと思います。
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<参考サイトと文献>
——スイスのイタリア人高齢者および老人ホームの地中海セクションについて
Nadja Ehrbar, Damit sich Migranten in der Fremde wie zu Hause fühlen. In: Der Landbote, 3.12.2014.
David Scarano, Eingewandert, um zu bleiben, Tagblatt, 16.3.2014.
Senada Haralcic, In Zürich alt werden wie am Mittelmeer, Limmattaler Zeitung, 14.8.2014.
Antonio Cortesi, Das stille Leiden betagter Italiener, Tagesanzeiger, 21.6.2010.
Grande Famiglia im Altersheim, Schweiz Aktuell, SRF, 04.08.2010.
Schweizerisches Rotes Kreuz, Alters- und Pflegeeinrichtungen mit mediterraner Abteilung, Das vierte Lebensalter - Hochaltrigkeit (2017年2月18日閲覧)
Spaghetti ins Altersheim. Migranten leisten Integrationsarbeit auch im Rentenalter, NZZ, 27.9.2005.
Ursula Steiner-König, Italienische Luft im Altersheim, Migration und Lebensweg, Medicus Mundi Schweiz. (2017年2月18日閲覧)
——ドイツの老人ホームの例
Seniorenheim für Migranten, DW, 7.5.2014.
Silke Ballweg, Multikultur im Altenheim, Quantra.de (2017年2月17日閲覧)
Pflege mit “Pfiff”: Pflegeheim berücksichtigt Bedürfnisse von Migranten, 3sat, 13.10.2016.
Multikulti im Seniorenheim, Gesund durch Informationen zur Gesundheit, 27.9.2012.
——映画『ノスタルジア』について(以下のサイトはすべて2017年2月16日閲覧)
Pflegeheim Eulach, NOSTALGIA: noch einmal zurück in die Heimat
Über das Projekt
„Ich hätte nie gedacht, dass das Meer so gross ist.”, Landbote.
Blog. Buongiorno Sicilia
——その他(スイスの老人ホーム関連)
Joel Bedetti, Altesheime vor Zustrom aus dem Balkan. Nationalismus, physische und Psychische Gebrechen werden zur Herausforderung in der Pflege, NZZ am Sonntag, 4.1.2015.
Wohnen im Alter in Winterthur: Überblick über die Angebote an Wohn- und Betreuungsformen
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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