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世界最大の交換留学プログラム「エラスムス」 〜「エラスムス」世代が闊歩するヨーロッパの未来

2019-07-12 [EntryURL]

テーマ「ヨーロッパの若者」

今回と次回では、ヨーロッパの現在の若者について注目してみたいと思います。若者たちは、どのような状況に置かれ、自分たちをどのように社会に位置付け、未来を展望しているのでしょうか。

今回具体的にみていきたいのは、「エラスムス」プログラムについてです。エラスムスと聞いて、世界史を学んだ方は、ロッテルダムのエラスムスDesiderius Erasmus (1466-1536)、という遠い暗記の記憶をよびおこされた方もいるかもしれません。

しかし、現在のヨーロッパにおいては、「エラスムス」という言葉は、そのルネサンス最大のヒューマニスト(人文主義者)エラスムスよりも、彼にちなんでつけられた同名のヨーロッパ大学間交換留学制度ERASMUS (European Region Action Scheme for the Mobility of University Studentsの頭文字をとって名称) として、頻繁に使われています。

この交換留学制度は1987年にEU(当時はEC)加盟国間の学術機関の人的交流を促進し、ナショナルな枠にとどまらずヨーロッパ全体に還元・貢献する人材の養成や人的関係を築いていくことを目標にスタートしたもので、現在、世界最大規模を誇る交換留学制度となっています。

今回は、このエラスムス・プログラムに込められている期待や、そこに見え隠れしている、ヨーロッパの今の若者をめぐる状況や展望について一望してみたいとおもいます。

エラスムス交換留学制度自体は日本とあまり関係がないように思えますが、世界が色々な形で緊密につながっており物品のやりとりだけでなく、デジタルの通信網を駆使すれば言語や視聴を伴うやりとりがいとも簡単にできる時代において、違う国に住んで、当地の学生たちと学んだり、地域の住民たちと交流することに、どのような意味があるのか。またそれによって近隣国の関係はそれを通してどう変わりうるか、などといった一般的・普遍的な問いや、日本にひきつけた具体的な課題を考える際に、今回の記事がなんらかの参考になればと思います。

エラスムス・プログラムの概要と実績

まず、エラスムス・プログラムの概要についてみてみます。

エラスムスは1987年からスタートした、今日世界最大の規模をほこる交換留学制度です。対象は、第三国を対象にしたプログラムErasmus Mundusもありますが、主な対象は、EU圏内や近隣のヨーロッパ諸国(ノルウェーやスイスなど)の大学生です。

3ヶ月から12ヶ月の間ほかのヨーロッパの国に留学できるプログラムで、その間、留学先の大学の学費が免除されるだけでなく、滞在費用をまかなうための奨学金にも応募できます(実際にどのくらいの奨学金を得られるかは、プログラムや参加者の経済的背景などによって異なります)。ほかにもエラスムスプログラムの学生のための、安価な滞在先をみつけるための特別のネットワークやほかの情報を入手できます。

ほかにも交換留学制度は多数存在しますが、その規模(受け入れ機関数でも留学生の人数においても)が非常に大きいことと、留学手続きや取得した授業単位の認定などがきわめて容易であることで突出しているのがこのエラスムス留学制度です。

現在37カ国の5000以上の大学などの研究機関が受け入れ先となっており、2012年の統計では、ヨーロッパ全体の大学院生の5%がエラスムスの交換プログラムを経験しています。これまでエラスムスに参加した学生数は、トータルで6百万人にものぼります。

ただし、留学生送出国と留学先には、これまでかなりの偏りがありました。2015年まではエラスムスを利用するのはとりわけ2カ国、フランスとドイツであり(2017年までにドイツからは65万人が参加)、留学先として行くのは南ヨーロッパ、西ヨーロッパ、そしてスカンジナビアでした。つまり、東ヨーロッパへ留学する人が相対的に少なかったといえます(このことに関連するテーマは、9月の記事で扱う予定です)。また、プログラムを受講すると奨学金が基本的にでますが、少額であるため、最終的に、経済的に恵まれた環境の学生(やそのような人が多い国)が留学する傾向が強かったといえます。

エラスムスの意義

エラスムスを使って留学を経験した人たちは、どんな印象や思いを抱いているのでしょうか。

追跡調査の結果はおおむね良好です。2014年のEU圏内で行われた調査では、エラスムス体験者は、外国滞在で就労に有利に働くだけでなく、国際的に移動しやくなるという結果がでています。また、おもしろいところでは、外国に行かない同級生よりも3倍外国人のパートナーをもつことが多いといいます。そのうち3割はエラスムスで知り合っており、エラスムスで知り合ったパートナーどうしから生まれたこどもの数は100万人以上になると推定されるほどです(Nuspliger, 2017)。

2016年の調査Eurobarometer でも、質問されたヨーロッパ人の約90%が、エラスムスに肯定的な印象が示されており(Nuspliger, 2017)、エラスムスはヨーロッパ社会全体に受け入れられていることがわかります。

ドイツ人でバーミンガムで政治学の教鞭をとるヴォルフStefan Wolffは、2005年に、このように増えているエラスムスの学生たちに注目し、彼らを「エラスムス世代」と呼び、「15、20か25年すれば、ヨーロッパは今日とは全く異なる社会化(社会的な背景やネットワークや実践をする)した人々がリーダーにつくだろう」と予想しています(Bennholdapril, 2005)。

エラスムスとヨーロッパ社会

ヴォルフの指摘から10余年たちましたが、現在のヨーロッパの状況はどうでしょうか。

ヨーロッパ全体をみまわすと、これまでのEUの歴史でかつてないほど、ヨーロッパ中にEUへの懐疑が広がっているようにみえます。先月5月に行われた欧州議会議員選挙では、ヨーロッパ猜疑派が大きく得票数を増やし、イタリアやポーランド、フランスなどでは第1党となりました。また、67%のヨーロッパ人は、過去の生活の方が現在よりよいと考えており(Mijulk, 2019)、ヨーロッパが連帯しより強く結びついていくことに前向きとはいえません。ヨーロッパ各国は、それぞれの国の枠に閉じ籠る道にすすみつつあるのでしょうか。

このような状況下、30余年続けれてきた世界最大規模の交換留学制度とそれを経験した若者たちは、ヨーロッパになにをもたらした、もたらしているのでしょう。エラスムスの留学制度は、未来のそれぞれの国で、ヨーロッパに肯定的なリーダーをつくる。そのようなエラスムス世代の時代が来る、いうのは楽観的すぎたのでしょうか。EU懐疑やナショナリズムの勢いの前に、なんのすべもなく、実質的にヨーロッパ社会にはほとんど影響は与えていないのでしょうか。

よくみると、現在、ヨーロッパへの懐疑傾向が全般に強まっているとはいっても、その度合いは、世代によって大きく異なっていることがわかります。2016年のユーロバロメーターの数字をみると、24歳以下の77%がEU市民だと(自覚し)回答しています(55歳以上は59%)(Nuspliger, 2017)。今年はじめに行ったEU圏在住の8220人の16歳から26歳の若者を対象にした調査でも、ヨーロッパ賛成派が圧倒的な多数派でした(74%)(TUI)。ブレクシットが決まったあと、若者のEU支持の姿勢は、ヨーロッパ全体で、むしろ強くなったと言われます。

EU圏に組み込まれていることでうまくいかないことや問題があったとしても、一国の枠にしばられずに可能性を自由に試すことができるというEUが提供する環境や枠組みが、現代の若者にとって、ほかのことよりもより重視されているといえるかもしれません。そしてその自由への扉を示す象徴的な存在として、エラスムスの交換プログラムは、輝きを失わず、若者たちをひきつけているということのようです。

進化するエラスムス・プログラム

見方を変えれば、懐疑派が増えているEUにとって、EUを生かすか壊すかの鍵を握っているのが、若者ということになるかもしれません。実際、これから育っていく若者たちが、EUを肯定できるようになるためには、自国だけでなく、EUの近隣諸国との交流や相互理解が不可欠であり、それを実感する重要な機会として、エラスムスは位置付けられています。

とはいえ、エラスムスはすでに人気が非常に高いため、需要に供給がおいつかない状態です。このため、現在続行中のプログラム「エラスムス・プラス」(2014年から2020年までの期間を対象にしたものErasmus+ 2014–2020)期間が終わったあと、さらに、2021年からも継続することが決まっていますが、2021年からの新しいエラスムスのプログラムはこれまでのプログラムをさらに拡充する内容にする予定です。

具体的には、単に、留学する大学生数を増やすのでなく、対象枠を広げることを目指します。例えば、大学生だけでなく広い社会層の若い人が外国へいく機会を増やせるようにします。具体的には小中学、高校、職業訓練生も対象となります。

また、現在奨学金が少額であるため、親に経済的に余裕がない人たちにエラスムスが十分対応していないという批判がありましたが、そこをカバーできるよう、親や本人の収入を考慮して奨学金の額を決める予定です。これによって、(現在の対象人数が400万人であるのに対し)今後、対象者を1200万人に増やす予定です。

プログラム拡充のため当然、予算は大幅にふくらみます。性格な額は確定していませんが、現在のエラスムスプログラムの予算(147億ユーロ)の2倍から3倍の、300億か400億ユーロがつぎこまれる予定です。

おわりに

ロッテルダムのエラスムスの生きた時代、宗教改革がはじまり、キリスト教会やそれを擁護するヨーロッパ内の国々が長く対立し、熾烈な戦いや荒廃を経験する時代へと突入していきました。そのなかで、エラスムスは、キリスト教会やヨーロッパの平和を尊び、みずからヨーロッパ中をまわり、多様な人々と親交を深めました。交換留学制度が、ロッテルダムのエラスムスにちなんだ真意は、そこにあります。

通常の生活でほとんどナショナルな枠組みしか意識しないで生活している人々が、ナショナルな枠をとびだし、学問や職業経験、交流などの目的で外国に滞在することで、自国の尺度だけで考えるのでなく、開かれたヨーロッパ圏の真価を自分の目で確かめる。そしてほかの人たちと互いに理解、尊重、協調する視点や共感する気持ちを願わくは、育くくんでもらう。そんな長期的な視点からの効果を期待し、貴重な機会を提供するため30年以上続けられてきました。

今後さらに増え続けていくこの留学支援プログラムなどを体験した若者たちは、将来、なにを判断し、なにを選んでゆくようになるのでしょうか。そして、どんなヨーロッパ社会が今後できていくのでしょうか。今後も短期的にみえる現象だけに終始せず、広い視点と長いスパンで観察していきたいと思います。

参考文献

Bennholdapril, Katrin, Quietly sprouting: A European identity. In: New York Times, 26.4.2005.

Die Zukunft von Erasmus+, Science, ORF, 23.8.2019.

Erasmus Generation, Erasmus Generation, the new generation of European leaders - Stefan Wolff interview, YouTube, 17.8.2015.

Erasmus-Programm, Wikipedia (Deutsch) (2019年6月12日閲覧)

Erasmus: Mehr Budget, breiterer Zugang, ORF, Seicnece, 9.5.2019.

Mijuk, Gordana (Interview), «Die Europäer fürchten sich vor der Zukunft». In: NZZ am Sonntag, 9.6.2019, S.6-7.

Erasmus Programme, Wikipedia (English) (2019年6月12日閲覧)

Nuspliger, Niklaus, Eine Generation von «Super-Europäern»?. In: NZZ, 27.1.2017, 12:00 Uhr.

TUI Stiftung, Youth Study “Young Europe 2019” of TUI Foundation: Disappointed with Europe? Young people support more integration and political participation in Europe, Hanover/Berlin, 3 May 2019

What is the Erasmus Programme?(2019年6月10日閲覧)

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


Luna Liberty(ルナリバティ)代表 月野るな 氏

2019-07-09 [EntryURL]

odahara-s.jpgLuna Liberty(ルナリバティ)代表。
ライター・セミナー講師・自分メディアプロデューサーとして活動。

著書に「はじめてのアメブロ入門[決定版] /秀和システム」「世界一やさしい「人脈」と「収入」をザクザク生みだすブログ文章術(共著)」「ネットで儲ける!モバオク/翔泳社」「スマホで稼ぐヤフオク! (綜合ムック)」など計7冊。

企業・商工会議所、協会、企業から依頼を受け登壇多数。SNS活用やライティングノウハウなどをテーマに講義を行う。
個人向け「自分メディア講座」も定期的に開催。

溝口式バイオリズム分析公認コーチでもあり、自分メディアプロデュースに分析学を活用しアドバイジングを行っている。

オフィシャルサイト http://www.tsukino-luna.jp/
ブログ https://ameblo.jp/tsukino-luna/


2019年07月10日号 ソーシャルメディアを「自分メディア」として育て、ビジネスに活用しよう
2019年08月10日号 サービス・商品を読者に理解してもらえる記事を書く
2019年09月10日号 覚えておきたい集客・販売記事の書き方3パターン

食事を持ち帰りにしてもゴミはゼロ 〜スイス全国で始まったテイクアウェイ容器の返却・再利用システム

2019-07-08 [EntryURL]

2019年は変わり目の年?

歴史上、ある時をさかいに、それまで安定してゆるがないようにみえた政情が一転するということがたびたびありますが、2019年という年を、数十年先の未来人が振り返ると、もしかしたら、ある点において、そのような年だったと、とらえるのかもしれません(少なくともヨーロッパのドイツ語圏において)。

何においてかというと、環境危機への意識と行動においてです。もちろん、環境危機は悪化の一途をたどる一方、一定の意識やそれに基づく努力が社会で続けられてきたことも事実ですが、今年に入ってからの変化は、目をみはるものがあります。環境改善をもとめるラディカルな動きが、これまでにないほど社会で広範に、また活発になっているようにみえます。

ヨーロッパ中の科学者たちが各地で地球温暖化防止への積極的な政策を講じることを求める共同声明を出し(その数は、ドイツ、スイス、オーストリアだけでも2万6800人にのぼりました)、高校生らの若者が毎週金曜に環境政策のラディカルな促進を訴えるデモ「フライデーズ・フォー・フューチャー」はドイツで半年以上続き、5月末の欧州議会議員選挙では緑の党が躍進しました。(ドイツの若者たちの最近の動きについては今月最後の記事で改めて触れる予定ですのでそちらをご参照ください)。

スイスでは7月はじめに、2030年までに連邦政府と連邦7省がカーボン・ニュートラル(大気中の炭素増加に加担せず気候変動に影響を与えない)にすることを目標として定めた環境法案がまとめられたり、長年経済重視で環境問題に消極的だった自由民主党(急進民主党)が、「環境というテーマは現在人々の心を動かし、わたしにとっても(自由民主党党首 筆者註)心にかかる切実な問題となりました」とし、経済至上主義から環境政策重視へと大きく政策を転換したりしています(Gössi, 2019)。

もちろん社会が足並みをそろえて方向転換するといった簡単な話ではありませんが、社会全体に、なんとかしなくてはという意識が若者層を中心に高まっており、環境に配慮した行動をとる人が増え、政治だけでなく企業への圧力も高まっているのは確かのようです。

このような社会全体の意識を追い風にして、スイスのテイクアウェイ(持ち帰り、「テイクアウト」と同義)の多いファストフード業界でも大きな地殻変動が起こりつつあるようにみえます。それを象徴するのが、テイクアウェイ(持ち帰り)の飲食産業の企業が近年、次々と導入している、テイクアウェイの容器(食器)の再利用システムの導入です。

テイクアウェイ容器の再利用システムは、「リサークルreCIRCLE」(英語で直訳すると「再循環」)という会社が、2017年から連邦環境省の助成を受けて、12個所のテイクアウェイ事業者とともに試験的におこなったことがきっかけではじまりました。それから、二年もたたない現在までに、全国的に普及するまで広がり、参加企業は800社を超えるまでになりました。

今回はこの最新のスイスのテイクアウェイ容器の再利用システムについて、レポートします。


今年4月はじめの開催されたスイスの環境デモの後に行われたコンサート会場の様子


テイクアウェイという食事形態の人気

現在ドイツ語圏では、テイクアウェイ(持ち帰りにする食事)の人気が急上昇中です(「ドイツの外食産業に吹く新しい風 〜理想の食生活をもとめて」)。

最近のドイツのデータをみると、全国33000ヶ所あるスーパー、工具店、洋服や家具、本屋などのすぐに食べられる飲食物を販売する小売業者の総売り上げは全部で52億ユーロでしたが、そのうちの50億ユーロが店内の簡易飲食スペース(パン屋やコンビニストアで購買したものをただちに飲食できる店頭スペース)での飲食や、店外へ持ち出しての飲食、つまり一般的にテイクアウェイと言われる食事形態のものでした。

レストランなどでじっくり座して食する伝統的な外食に比べ、費用も時間もかからず気楽に食事を楽しめ、また天気のいい日なら屋外ですごすことがリフレッシュにもなるテイクアウェイという食事形態の需要は、オフィスの会社員だけでなく、学生の間でも増えているようです。二年前のスイスの学校で行われた昼ごはんについてのアンケートでは、一週間で一回も学食を利用しないというのが9割にのぼり、代わりに圧倒的に多かったのがテイクアウェイの食事でした。

そのようなテイクアウェイの人気に乗じて、近年、街中で売られるテイクアウェイ用の食事の種類もバラエティに富むようになりました。そのことがテイクアウェイの人気を一層高めてもいるようです。

テイクアウェイの容器問題

このようにテイクアウェイという食事形態が、ポピュラーになればなるほど、増えるのが、食後に捨てられる容器です。公園のゴミ箱の付近には、入りきらずに溢れる容器が増え、それをねらってか、10年ほど前までほとんど都市に生息していなかったからすの数も増加しています。

テイクアウェイのゴミ問題を回避するのに現れたのが、使ったあとに洗わずにそのまま返却できる、デポジット制の容器の再利用システムです。「リサークル」という会社が自ら開発したリサイクル容器を用いることではじまったこのシステムは、現在スイスで、800社以上が利用しており、「世界的に最初の」(reCIRCLEの説明)全国的な大規模食器の再利用システムとなっています。

今年7月に、全国に182のレストランをもつ大手テイクアウェイ業者でまだシステムを導入していなかった「コープ」も、容器の再利用システムに参加することを表明したことで、今後、加速的に普及することが、期待されています。

ところで、現在、正確に言うと、スイスには食器再利用システムが二つあり、並行して存在しています。どちらもリサークル社が開発した容器で進められていますが、容器の色や形状、また参加事業者が異なっています。

ミグロの再利用システム

一つは、スイス小売業者として最大規模の「ミグロ」のレストランのテイクアウェイ部門が単独で行なっているものです(スイスの二大小売業者である「ミグロ」と「コープ」は、いずれも生協です。これらのスイスの生協については以下の記事でも扱っています「スイスとグローバリゼーション 〜生協週刊誌という生活密着型メディアの役割」、「バナナでつながっている世界 〜フェアートレードとバナナ危機」)。ミグロでは、2017年はじめから容器再利用システムを導入しており、現在もスイス全国175箇所で、リサークルの食器がつかわれています。

毎週ミグロレストランを利用する人は約120万おり、そのうちの3分の1がテイクアウェイにしていますが、その人たちを対象に、5スイスフランのデポジット(容器を借りる際に払う「預かり金(保証金)」)で、再利用できる容器を提供しています。

これにより、現在までですでに、ミグロ側の説明では、使い捨て容器6万点分が再利用型容器に代替されたといいます。

コープとほかの事業体がすすめる容器の共通再利用システム

もう一つは、「コープ」のレストラン部門が今月(7月)から参画を決めた容器再利用システムです。

二つのシステムの違いは、前者がミグロの単独のもので、ミグロで使っている容器はミグロでしか使っておらず、使用後の返却もミグロにしかできないのに対し、後者は、全国ほかの様々なテイクアウェイ部門をもつ業者が共通して使っているものなので、どこにでも利用、返却できることです(ちなみに、コーヒーカップの再利用のシステムとしては、すでに2016年にドイツで同様のしくみが採用されています。「テイクアウトでも使い捨てないカップ 〜ドイツにおける地域ぐるみの新しいごみ削減対策」)。

現在800以上のスイス全国の業者が共通して利用している再利用システム(以後、「共通容器システム」と表記します)の容器は、10スイスフランのデポジット額がミグロの倍ですが、食器をもどした時点で返してもらえるので、実際に消費者にとって負担が大きくなるわけではありません。コープでは、10スイスフラン以上払うと(スイスの食事はたいていの場合10スイスフラン以上になります)、料金の10%が割引するサービスもはじめており、共通容器システムが今後いっきに急伸長する可能性もあります。

環境保護団体グリーンピースも、使用した容器の返却が俄然しやすい共通容器システムのほうが、消費者に普及しやすいとして、ミグロ単独のシステムよりも、推奨しています。

リサークルによると、一週間に1度、一人の人が、使い捨てのかわりに再利用できる食器を使うと、1年間で1.5キロのプラスチックのゴミを減らせ、学食がこれを導入するとゴミが3割減るといいます。

容器のデザインにこめられているもの

リサークルが開発した容器には、リサークル社の独自の工夫や配慮がこめられているので、容器の特徴についても少しご紹介します(ここでは、共通容器システムの容器のみを紹介します。色や形については下記のリサークルのホームページからご覧ください)。

茄子色
色は容器や食器としては珍しい茄子の紫色です。それにはこだわりがありました。光沢のある深い紫は、食べ物がおいしくみえ、かつカレーの主原料の一つであるウコンや赤カブ、人参などによる食器への色移りもしにくい色であり、女性にも男性にも抵抗なく使ってもらいやすい色であるとします。

しかしなにより重要なのは、茄子色が、容器として珍しい色であることです。珍しい色なので、一目でほかの容器と区別できます。街角で再利用できる容器が可視化されることで、日常の身近な分野での環境意識を高めさせたり、具体的に行動をうながし、そして利用することで貢献が実感できる。そのような効果を期待して、茄子色という色の容器になったといいます。

ヴィーガン対応
また、この食器の材料や製造においては、ヴィーガン(食品だけでなく靴やバッグなどあらゆる生活で使用するものに、動物に由来するのを使わない生活を実践する人やその構想。詳しくは「肉なしソーセージ 〜ヴィーガン向け食品とヨーロッパの菜食ブーム」)の構想に反しないよう考慮してあり、ヴィーガンの人も問題なく使えるようにしています。

ちなみに容器には、有機素材(竹やじゃがいもの皮などの農業産物からつくられたもの)をあえて使っていません。プラスチック製の「リサイクル」よりも、それらに農薬など体に害を与えるものが入っている可能性が高いためだそうです。これに対し採用しているプラスチック製の容器は健康上問題ないだけでなく、約70回使え、洗浄には通常の食器と同様に食器洗い機を利用できます。

パートナー企業の利点とお試し期間

すぐれたシステムや容器がいくらあっても、それを利用する企業が多くなければ、ゴミの削減の規模は大きくなりません。リサークル社は、企業向けに、再利用システムを利用する利点を以下のようにホームページでアピールしています。

・使い捨て食器を使わないことで、ごみを大幅に減らせるだけでなく、中期的、長期的にはむしろ経済的である(容器のコストがなくなり、スイスでは有料となっているごみの量が減るため)

・顧客に、良心のとがめをうけないため、よりおいしく食べてもらうことができる。

・このシステムを導入している企業については、インターネットで公示しており、これによって(ごみを減らしたいという意識が高くなってきた多くの)潜在的な顧客が、このシステムを使っている企業を優先して選んでくれる可能性が高くなる。

企業や自治体が気軽に容器の再利用システムを試せるように、お試し期間ももうけています。150スイスフラン払うと、企業は3ヶ月間、希望する食器を無料で20セット借りることができます。この際、食器再利用システムについて広告(ポスターやちらい、ラベルやカードなど)も無料で提供してもらえます。

3ヶ月経過し、参加しないことにした場合は、借りた食器を返却します。引き続き利用したい場合は、さらに必要な数の食器を追加注文していき、翌年以後は、毎年パートナーとしての年会費150スイスフランを支払います。

おわりに

人の感覚というのは、思っているほど「普通」と思っていることが普通でも当たり前でもなく、数年で動き全く違うものが「普通」のこととして定着するというのは、非常によくあります。

将来、スイスの大多数のテイクアウェイ業者が、容器再利用システムを導入すると、どうなるでしょう。さらに、リサークルが期待するように行政や自治体もこの動きにリンクしてキャンペーンをすすめるとどうでしょう。システムへの認知や波及効果が一気に高まるかもしれません。

テイクアウェイの容器についても、多くの場所で「使い捨てる」ものでなく、「返却するもの」、あるいは「洗ってまた使うもの」という認識が生まれ、習慣化すれば、テイクアウェイの食品をいれる容器を、食べ終わったら捨てる、という今の「普通」の感覚は、あっというまに、すたれていくのかもしれません。

いずれにせよ、スイスでは、使い捨て容器を減らすための重要な一歩、本格的な一歩を確かに、踏み出したといえるでしょう。今後、スイスで実績をつくることができれば、スイスで当たり前のように定着するだけでなく、ほかの国でもそのようなシステムを導入することに背中をどんどん押すことにもなるかもしれません。スイスの健闘を祈りたいと思います。

参考文献

reCIRCLEのホームページ(茄子色のいくつかの種類の容器も提示されています)
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Bolzli, Michael, Coop und Migros setzten vermehrt auf Mehrweggeschirr, nau.ch, 1.7.2019.

Der Bundesrat. Das Portal der Schweizer Regierung, Bundesrat beschliesst Paket zur Senkung des Treibhausgas-Ausstosses in der Bundesverwaltung, Bern, 3.7.2019.

Gössi, Petra, Klimapolitik der FDP, Urliberale Verantwortung. Gastkommentar In: NZZ, 5.7.2019, S.10.

Hämman, Christoph, Eine Box zieht Kreise. In: Berner Zeitung, 2017-05-18 11:19

Marocchini, Svenja, Kleine Box, grosse Wirkung.In: Coopzeitung, Nr.27, 2.7.2019, S.64-5.Neues Take-Away-Geschirr zum Zurückbringen, Medienmitteilungen Migros, 16.01.2017.

Rüttimann, Jürg, Die Migros will das dreckige Geschirr zurück. In: Tages-Anzeiger, 16.1.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


交通の未来は自動走行のライドシェアそれとも公共交通? 〜これまでの研究結果をくつがえす新たな未来予想図

2019-07-01 [EntryURL]

20年後のモビリティ

未来のモビリティ(移動)は、どうなっているのでしょう。これまでとかなり異なるのでしょうか。

前回まで4回にわたってヨーロッパのモビリティなどのシェアリングの現状や課題についてみてきましたが、今回はそのおまけとして、モビリティの未来におけるシェアリングの可能性について、先月チューリヒ工科大学から出された最新の研究結果をご紹介してみます(Schlaefli, 2019)。

ここで、キーワードになるのは、車の自動走行(自動運転)です。すでに世界各地で実験的な走行がはじまっていますが、自動走行と聞いて、みなさんはどんなことを連想するでしょう。これまで自動走行について行われた複数の海外の研究調査では、事故が減る。運転手不足の解消になる。交通渋滞が減るといったことが予想されてきました。

しかし、今年6月にチューリヒ工科大学が出した最新の研究は、このようなこれまでの研究結果と真っ向から対峙するようなものでした。そこでは、過剰にふくれた想像や期待感がはぎとられ、(一般人の感覚でも)理解しやすい現実的な未来の展望が提示されているように思います。

この最新の自動走行とシェアリングのモビリティに関する研究結果を紹介しながら、未来のモビリティ、交通事情について少し考えをめぐらしてみたいと思います。

この研究について

この研究は、スイス交通エンジニアおよび専門家連盟(SVI)と連邦運輸省道路局(ASTRA)からの依頼を受け、チューリヒ工科大学の交通計画および輸送システム研究所のアクスハオゼン教授Kay Axhausenとその研究チームが行いました。

具体的には、自動走行のタクシーと自動走行の自動車を個人が所有する車を導入した場合、チューリヒとその近郊の交通が20年間でどう変化するのかをシミュレーションし、その結果を分析しました。シミュレーションは、チューリヒの全交通参加者の10%に該当する15万のエージェントを駆使した膨大なものです。

シミュレーションは、以下の二つのシナリオにもとづいて行われました。

自動走行の公共交通が充実する場合

最初のシナリオは、すでにある公共交通システムを、自動走行車に代替するというものです。その際、代替する交通車両(乗り物)の大きさを変えると、多少異なる結果がでました。小さな車両ではあまり魅力的にみられず利用されません。かといって乗り物が大きすぎると、サービスが高くつき、費用が高くなり、また利用者にとって魅力が失われるためです。

いろいろ需要と値段を組み合わせで、最も理想的だったのは、現行の公共交通に加えて3000台の自動走行のライドシェア・タクシーを導入するケースです。そうすると、1kmあたり56ラッペン(日本円で60円強)の費用で走らせることができるといいます。これは、現在私用で自家用車を走行する時のコストとほぼ同じになります。現行のタクシーの費用は1kmあたり2.73スイスフラン(日本円で300円弱)なので、これよりずっとやすくなります。(現在のチューリヒのタクシー代の88%は、運転手代であるため)。

ちなみに公共交通も、新しい技術を導入するおかげでコストを下げることができます。例えば、バスを自動走行にすると現在の費用の半額で走らせることができます。そうなると逆に、ライドシェアの自動走行のタクシーがあっても、バスには依然魅力があり、利用者が減らない、ということにもなります。

結論として、このようなタクシーサービスを、すでに存在する公共交通に加えて増やせば、公共交通の種類が豊かになるだけでなく、公共交通の量が現在の4割から6割へと増え、個人の交通量は44から29%に減る、という結果になりました。

自動走行の車を個々人が購入できるようになった場合

もう一つのシミュレーションのシナリオは、自動走行の車を個々人が購入できるようになった場合です。その際の、交通の質や量はどうなるのでしょうか。

おどろいたことに、最初のシナリオとは対照的な結果となりました。個人所有の車の量も減らないし、走行距離も減らず交通量が増えることになるのです。なぜこのような結果にいたったのでしょう。アクスハオゼン教授は以下のように説明しています。

個人が自動走行の車を購入できるとなれば人は、人はどうするか。自動走行が上記のように高価でないのなら、自動走行車はとても便利で魅力的であるため、ライドシェアをせず、自分の車をもちたがるようになるだろう。これまで車を運転しなかった子供や高齢者でも利用できるようになり、公共交通を使っていた人たちの一部までも、自動走行の自家用車使用に移行すると見込まれる。

一方、ライドシェアは、一人で乗るよりコストは安くなるが、一人乗りにはないデメリットもある。まず、他人との親密すぎる距離がいやな人が一定数いる。乗り物の大きさが小さければなおさら緊密すぎることが気になる人もいる。また、常に新しい人といっしょに乗り合う形になるので、自分の行きたいところにいつでも最短で直行できるわけではない。つまり時間的に個人の車よりも融通をきかせなくてはならなくなる。

これらの結果、便利な自分の自動走行の車を利用したがる傾向を食い止めることはできず、全体で交通量が増え、走行距離が長くなるといいます。シミュレーションの結果では、個人の自動車所有率は今日と変わらず、毎日25万kmほど、いまよりも前交通の走行距離が増えるため、交通システムにかなり負担が増えることになりました。

この調査の結論とスイスで推奨されたこと

このように、二つのシナリオから導かれる結果は、劇的に異なるものでした。そして、ここで明らかになったのは、個人所有の車台数が減るのは、自動走行車が公共交通やタクシーのみに使い、自動走行車のプライベートな利用を禁止した場合のみだということです。このため、この研究に関わった研究者たちは、自動走行の車にルールや制限をつけることを提案しています。

もしも自動走行車が公共交通やタクシーのみに使うと、上記の最初のシナリオが示したように、様々な相乗効果が期待できます。個人の車の交通量全体の29%が減り、代わりに、(自動走行の)公共交通(バス、電車、タクシー)は60%まで増えます。自動走行にすると、そうでない時に比べ2分の1までコストを下げることができます。利用が増えることで、公共交通の値段がさらに安くなることも考えられます。

これまで、自動走行の車は、渋滞を解消するとみられていました。自動走行のタクシーが効率よく走行できるため、アメリカでは都市の交通量を90%まで減らすことができるという最近の研究結果もありましたし、ほかの複数の国際的な研究でも、おおむね同様の結果がだされていました。配車サービス事業者のウーバーやリフトも、これらの研究をもとに、ライドシェアリング が唯一の占有的な交通機関になると予測していました。しかし、今回の研究では、自動走行が増えでも個人の交通がなくなるというのはまちがいと断言します。

これまでの結論と異なる理由

(本論から少しそれますが)ところで、ここでみなさんは、ちょっと不思議に思われるのではないでしょうか。これまでの結果とどうしてかくも違う結論が今回出てきたのか、と。結論から先に言えば、これまでの研究が便利さ、コスト、待ち時間などをこれまで考慮にいれていなかったのに対し、今回はそれらを考慮したためだからだと、アクスハオゼン教授はいいます。

今回の研究では、それは前提として正しくないとし、需要と供給、また利用者の個人的な好みなども考慮にいれシミュレーションをしています。この研究方法の根拠としたのは、チューリヒ州在住の359人の潜在的な移動行動についての調査です。どのような条件であれば、自動走行のあるいはライドシェアを利用するかなどをこれらの人に回答してもらい、それらを反映させ最終的に15万人の個人的なこのみをもつ人の交通行動をシミュレーションしました。ここで特徴的だったのは、待ち時間と値段という要素でありその組み合わせでした。

しかし、これまでの研究では、値段や待ち時間などに関係なく、自動走行の車を使う用意がすべての人にあることを前提としています。このような非現実的な理想的な条件でシミュレーションしたからではないかと、この研究を行なったアクスハオゼン教授は推察しています。

ライドシェアについてのアメリカの最新の研究結果

ところで、今年5月アメリカで出されたライドシェアの現状に関する研究も、今回の研究と補完する関係にあり、合わせて考えると、より交通の未来への理解が深まる気がします (Erhardt, 2019)。

この研究では、2010年から 2016年まででサンフランシスコの車両交通は、62%も遅延が増えており、シミュレーションではウーバーとリフトがなければ遅延率は22%にとどまったことから、ウーバーとリフトによって都市の車両交通は40%遅延が増えたとしています。自走走行同様、ライドシェアは、渋滞を引き起こすのではなく、減らすものとこれまで考えられることが多かったので、この結果は注目されます。

その理由として、

―ライドシェアのために走行する車が増えている(現在、サンフランシスコの全自動車の約5分の1が、ライドシェアのために走行)

―にもかかわらず、自家用車を利用する人の数も大きく減っていない

―ライドシェアの乗車や降車のため停車することで交通をさまたげる

ことがあげられています。

さらに、ライドシェアに自動走行車が使われるようになると、駐車場を借りてその代金を払うかわりに常に走行する車が増えるようになるのではという予測もあります。

再び注目される「公共交通」、自動走行の未来

交通と渋滞にまつわるこれらの研究をみると、間接的な形で一つ大切なことを示しているようにわたしには思われました。それは公共交通の重要性です。

なんだそれだけか、と言われそうな、目新しさのない言及ですが、公共交通は、文字通り、最も多くの人にとってもっともメリットがある(便利さや値段、安全性などの観点から)交通手段を目指すモビリティです。それが交通渋滞や網羅する範囲の少なさや、頻度の低さなどで達成されていないこともありますが、もしもそれらが達成されていれば、(自動走行やほかの手段が発達しても)将来も文句なしの最強のモビリティであることが証明されたように思います。

特に人口密度が高く、すでに公共交通網がすでに充実しているチューリヒのような都市においては、なおさらでしょう。アクスハオゼン教授も、路面電車(チューリヒの市内の公共交通の代表的なもの)は、多くの人に、停留所から少し歩かなくてはいけないにしても、便利で安全な乗り物でありつづける(Fritzsche, Interview, 2019)と予想しています。

公共交通には、便利さや気軽さ(他人との距離感もほどよく、安心してのれるなど)といった利便性以外にも、重要な役割があることがたびたび指摘されます。

そこは、広場や通り、公共施設と同様、様々な社会背景や世代の違う人たちが出入りし、共有する空間です。利用者が互いに尊重しあう場所であり、日常的に出会う機会を提供しています。このような環境を普通の日常生活で体験することは、その(地域)社会の一員であるという意識を(強い絆意識ではないにしろ)抱かせ、愛着だけでなくその地域の作法や人間関係を学ぶひとつの(ゆるいですが共通する)窓口になっているのではないかと思われます。

おわりにかえて

なにはともあれ、自動走行が一般化するであろう近未来、モビリティが、多くの人、多くの地域において、これまでにも増して移動を楽で快適にすることに貢献してくれるものであってほしいと願うばかりです。

参考文献

Schlaefli, Samuel, Fahrerlos im Stau, ETH Zürich, , 07.06.2019(チューリヒ工科大学が公表している研究成果についての報告)

Erhardt, Gregory D. et al., Do transportation network companies decrease or increase congestion? In: Science Advances 08 May 2019:Vol. 5, no. 5, eaau2670DOI: 10.1126/sciadv.aau2670

Fritzsche, Daniel, ETH-Studie zu selbstfahrenden Autos: Ohne Regulierung droht in den Städten ein Verkehrschaos, NZZ, 7.6.2019, 05:00 Uhr

Fritzsche, Daniel, Interview. ETH-Verkehrsprofessor: «Es werden mehr Autos als heute auf den Strassen unterwegs sein» In: NZZ, 7.6.2019, 05:00 Uhr

Wissenschaftsmagazin, Das verkannte Schweizer Genie, Samstag, 11. Mai 2019

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ヨーロッパのシェアリング・エコノミーの現状と未来の可能性  〜モビリティと地域生活に普及するシェアリング

2019-06-24 [EntryURL]

前回までヨーロッパのシェアリング・エコノミーの現状についてみてきましたが最終回の今回は、これまで扱った事例をまとめながら、地域全体との関係性や、現行の社会保障との関係、環境問題といった側面から、シェアリングエコノミーの輪郭をとらえ、これからの行方について考えてみたいと思います。

今回の考察には、これまでの三回の記事とあわせて、民泊というシェアリングビジネスについても参考にしていきます。以下の記事が、具体的な事例を扱った記事になります。

ウーバーの運転手は業務委託された自営業者か、被雇用者か 〜スイスで「長く待たれた」判決とその後

シェアリングがヨーロッパのトラック輸送の流れを変える 〜積載率、環境、ロジスティックスの未来

遊具のシェアリング 〜スイスの地域社会で半世紀存続してきたシェアリングサービス

民泊ブームがもたらす新しい旅行スタイル? 〜スイスのエアビーアンドビーの展開を例に

観光ビジネスと住民の生活 〜アムステルダムではじまった「バランスのとれた都市」への挑戦

問題としての認識とそれへの対処

シェアリングエコノミーは、細かな需要に応じた便利なサービスを、しかも(少なくともこれまでは)安価で提供し、利用を大きく増やしてきましたが、一方、それは利用者やサービス提供者側からみたシェアリングエコノミーの一面にすぎません。シェアリングエコノミーの利用が広がるにつれて、ヨーロッパ各地では、雇用の在り方や地域生活への影響など、利便性や経済的な効果などの短期的な利害とは別の観点から、問題視されるようになってきました。

例えば、ウーバーについてのローザンヌの裁判の件では、就労者が社会保障のない不安定な就労に陥る危険性が問題とされ、アムステルダムなどオーバーツーリズムで悩む都市では、民泊という宿泊システムが住居不足や家賃の高騰という形で地域に住む住民の生活に影響を与えることが問題視されるようになっていました。

一方、地域生活に強い影響を与え、新たな問題を引き起こしているとみなされたあと、新たな、オープン・クエスチョンがでてきます。誰が、またどれくらいの程度、それに対して対策をとることが正当とみなされるのか、というものです。

例えば、ウーバーについて、ウーバーの運転手の就労形態が、被雇用者のそれに近いと判断され、ウーバーの雇用者としての責任を明確にする判決が下されましたが、経済界の見解がこれに追随し一致しているわけではありません。行政がどれだけ迅速に対応するか(あるいは対応をのばしのばしにするか)も、はっきりしません。つまり、ヨーロッパの現段階で、経済界、行政、法律家などの専門家の間で、今も明確な合意がなされているわけではありません。

アムステルダムの民泊への対策

アムステルダムでも、同じような問題がありました。アムステルダムは、民泊のシェアビジネスが、オーバーツーリズムのひとつの要因であり、都市住民の生活を圧迫していると判断され、そのビジネスとしての事業拡大を大幅に抑制するため、Airbnb と協議を重ねてきました。

例えば、ヨーロッパで最初の都市として、2014年にAirbnbとの協定を結び、観光税を予約の際にAirbnbが都市に支払うことが取り決めました(現在、市内で観光客が宿泊した場合、朝食も含めた全宿泊料金の7%に当たる額を観光客税として支払う。ただし、周辺地域に宿泊した場合は4%のみ。税率を変えることで、市内に宿泊が集中するのを避けることが意図されている)。また2017年3月の協定で、宿泊日数がカウントされるカウンター機能を民泊オファーに表示させ、60泊までを上限とすることも決まりました。

しかし、今年からさらに年間上限を30日とさせたい市の意見とは調整がついておらず、現行ではAirbnbで60日オファーすることが可能となっています。ヨーロッパ最初のシェアリングシティ (シェアリグを都市全体で推進することを誓い、それを実際に遂行しているとされる都市)を名乗っているアムステルダム市では、行政が一方的で強硬な手段はとらず、協調的に、解決の方向を探るのが基本方針ですが、それが難航してるといえます。

ちなみに、民泊のオファーと地域の住居市場の間に明確な相関関係があり、住居不足や家賃の高騰をもたらしているという説明はオーバーツーリズムに直面する都市でよくされているもの、学術的にその相関関係は明確にされていません(BMWi, 2018, S.131)。

つまり、現状では、誰が、最終的に正当な権限があって、規制をできるのか、すべきか、というところが、はっきりしていません。他方、ローザンヌの裁判所で判決がだされ、今後もスタンダードな指針となる可能性があると評されているとおり、ヨーロッパの地域社会で事業を展開する以上、地域のルールに従う義務があるという基本的理解は、今後、重要になってくると予想されます。

シェアリングの意義や可能性を社会に示すカーゴネックスの例

しかし、ここで改めて、同時に強調しておくべきこともあるように思います。

ウーバーの裁判を担当した弁護士が、「ここ(この判決のこと。筆者註)で重要なのは、ウーバーや、ほかのデジタル事業全般に対し攻撃をはじめることではない。そうではなくむしろ、新しいデジタルな労働条件を社会法の管轄下に置くことである」(Schweizer Gericht, 2019)と判決の直後にコメントしていました(ここで言われる「社会法」とは、労働法、経済法、社会保障法、社会福祉法など社会的・公共的利益を指標とする法の総称。個人的利益に基礎をおく市民法を修正する法と対比され、それを修正するもの全般を指している考えられます)。

この指摘は、シェアリングエコノミーの問題を整理し、一方で、人々の就労や生活を守る配慮を重視しながらも、シェアリングエコノミーのサービスが善か悪かは全く別の問題であり、単にシェアリングエコノミーに、規制の網をかけるような短期的な措置や政策を積み上げていくこと自体が、行政や役所の目的になってはいけない、ということをむしろ強調しているようにみえます。

シェアリングエコノミーはまだ歴史が浅いビジネスやサービスです。また今のビジネスモデルだけでなく、さらに今後も新規の画期的なビジネスモデルが生まれてくるかもしれません。

それらが急速に発達することは、社会を相手どった新たな実験です。これらがたとえ失敗や失敗に近い形になるとしても、実験の場を狭めてしまったり、全くなくしてしまえば、新しいものもでてこられなくなります。

新しいビジネスモデルが新たな問題を起こせば、確かに社会システムやルールを変えて、それらに対抗する措置も必要ですが、現行の産業構造を守るため、それらのロビーに妨げられず、公平にシェアリングエコノミーを評価、擁護、対処していく必要があるでしょう。

この点で、大変示唆に富むのは、シェアリングでトラックの積載率を高めるデジタルネットワークを構築したカーゴネックスの例でしょう。カーゴネックスを立ち上げる前、誰もが、そんなの不可能だと言ったと言います。そして、実際にビジネスとして動きだすまでにはさらに約1年の時間を要したといいます。

しかし、最終的に、人工知能を駆使して迅速で簡単に最適な輸送オファーを(依頼側にも輸送者側においても)得られ、また輸送の品質を保障するシステムで信頼を固めることで、ビジネスとして急成長しています。

やっと、環境と業界両方が得をする好循環に歯車がまわりはじめる、そのきっかけをつくった、シェアリングモデルの功績は大きく、シェアリングがまだもつ潜在的な力を、改めて示しているといえるでしょう。

このような新しいビジネスモデルが、既存の輸送ルールや排外的な業界の動きに、進展の道を妨げられていたら、今のカーゴネックスがまわしている、トラック輸送の効率化は実現しなかったでしょう。

古いか新しいかではなく、地域に長期的に必要とされるものを提供できるかが鍵

そして、ヨーロッパのシェアリングの老舗ともいえる遊具貸し出しを行うルドテークの半世紀の歩みは、シェアリングエコノミーの必然性や持続性を考える上で、示唆に富みます。

ルドテークは、半世紀ほとんど形態が変えずに、安定して存続してきました。それは、単に遊具のシェアリングの需要が常にあったからだけでなく、ボランティアとして働くスタッフの人材を十分確保でき、地域の子育てを支援する重要な施設として地域社会から評価され、自治体からも継続的に経済的支援を受けることができたからでした。そして現在は、地域で子育てに関わる人々に密着した施設として、公立の図書館同様、一種の地域のインフラのように定着しています。

ここでさらに、視線を遊具に限らずもっとモノのシェアリングについても少し考えてみます。

一方でモノの所有に執着せず、モノをシェアリングしようという思想は、現在世界的に多くの人々を魅了しています。トレンディなライフスタイルの域にまで達しているかのようにみえます。一方、そのような要望は、自分の住む近くでどのくらいかなえられているでしょうか。

周辺地域にそのようなレンタル施設があれば、取りに行ったり、返却するだけで簡単に用を足すことができます。しかし近くになければ、シェアリング自体をあきらめるか、遠方まででかける。あるいはどこか遠くのシェアリングを受け付けているところに注文して、配達してもらうことになります。

遠方まででかけなくてはいけないのであれば、日常的に定着するシェアリングとしてはならないでしょう。注文する場合、輸送量が増えますが、利用者の手間からみると、オンラインのショッピングとほとんど変わらないかもしれません。しかし、モノのシェアリングという本来環境にもよいはずの行為が、梱包や往復する輸送という新たな環境負荷に加担することになってしまいます。

これらの状況や条件を考慮すると、それを環境負荷を減らし効率的に利用するためにも、またシェアリングのための(ボランティア的な)人材を集めやすくし、あるいは、そのような活動を評価・支持する地盤を固めるためでモノのシェアリングを持続的にまた安定して行うためにも、限定した地域に依拠して展開することがキーであるように思われます。

おわりに

シェアリングエコノミーは、世界的な潮流であるのと同時に、きわめて地域のインフラや経済力、環境意識など、地域色がでる事象・活動でもあります。このため、ヨーロッパの動きが、日本での動きと直接的にリンクするわけではありません。とはいえ、ヨーロッパでも日本でも、シェアリングエコノミーを、シェアリングビジネスの推進者やユーザーだけでなく、シェアリングという形態の活用の仕方や、それがもたらす影響や問題解決の方向性といったものについて、社会の多岐にわたる文脈を考慮しながら構想・検討していく時期へと移行してきているのは確かかと思います。

このような時期にあって、各国の議論を活発化させるため、互いの国や地域の社会や状況に合った(あるいは合わない)シェアリングエコノミーの事例について知ることは、大変有用なのではないかと思います。

※次回はシェアリング・シリーズのおまけとして、自動走行とシェアリングが未来の交通に与える影響を検証し、既存の見解を覆した最新のスイスの研究結果を紹介してみます。

参考文献

Amsterdam Sharing City, I amsterdam, 2019(アムステルダム市の公式サイト(2019年5月19日閲覧)

Bundesministerium für Wirtschaft und Energie (BMWi) (Hg.), Sharing Economy im Wirtschaftsraum Deutschland, Juli 2018.

Flash Eurobarometer 438 – TNS Political & Social, Fieldwork March 2016 Publication June 2016

Schweizer Gericht anerkennt Uber-Fahrer als Angestellten. In: Tages-Anzeiger, Erstellt: 06.05.2019, 13:24 Uhr

大江泰一郎「社会法」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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遊具のシェアリング 〜スイスの地域社会で半世紀存続してきたシェアリングサービス

2019-06-12 [EntryURL]

今回は、半世紀もの歴史をもち、地域に定着している、シェアリングサービスとして、スイスの遊具レンタル施設「ルドテーク」のサービスについて、取り上げてみます。

ルドテークについては以前も記事でとりあげたことがありますが(「スイスの遊具レンタル施設」)、ドイツ語圏をみわたし、これほど全国的(少なくともスイスにおいて)に展開し、長い歴史をもつモノのシェアリングサービスは、本のシェアリングである図書館以外にはないと思われます。

図書館は、文化や教育施設として自治体にすでに深く根をはった施設である一方、デジタルの読み物が増えた現代において、紙媒体の本を提供する図書館としての、住民に対して果たす役割は、相対的に減ってきています。将来も一定程度の需要が残ることは確かかと思いますが、紙媒体の貸し出しの役割の減少傾向は不可避のようにみえます。このため、図書館は、新しいデジタル技術を伝授したりそれを行使することができるサービスや、利用者たちが出会い、情報を交換できるスペースを充実させるなど、新たな図書館の役割を模索中です(「デジタル・リテラシーと図書館 〜スイスの公立図書館最新事情」)。

このように図書館は、現在、サービスやスペースに利用の仕方の変更を大きく迫られていますが、ルドテークをとりまく状況は、それとは対照的です。オンラインで予約や返却日の延長が可能になるなど、新しいデジタル技術の恩恵は若干受けているものの、基本的に、扱うサービス内容は、ルドテークが1970年代から設置されて以来、変わっていませんし、今後も変わる兆しも見当たりません。

今回、このルドテークという、スタイルも利用も安定している珍しいシェアリングサービスについて、サービスモデルとして改めて注目し、その概要を包括的にご紹介してみます。

施設「ルドテーク」の概要

まず、その起源についてですが、遊具をレンタルするという構想のルーツは、1930年代のアメリカにあるとされます。しかし、ヨーロッパにおいて、遊具レンタルの構想が実現されるのは、30年後の、1960年代からです。1960年代末にノルウェーの教師が遊具レンタル施設を設置して以降、ヨーロッパ各地で同様の施設がつくられていくようになりました。スイスでも、1972年に最初の施設が設立されました。

ところで、「ルドテークLudothek」という名前は、遊具レンタル施設について、1990年代からスイスで使われはじめ、現在、ドイツ語圏で最も定着している呼称です。英語での「トーイ・ライブラリー」に相当します。しかし、トーイ・ライブラリーが世界的に障害児のための遊具などを扱う施設として発展した経緯があり、そのような意味合いが現在も強いのに対し、スイスで発達してきたルドテークは当初より、健常児を含めすべての子供や住人の利用を目的に発展しててきたため、現在の二つの言葉の意味合いや範疇も若干異なっています。この記事では、スイスの遊具レンタル施設についてみていくので、遊具レンタル施設を一般的な英語の呼称ではなく、ルドテークというドイツ語圏の呼称を使っていきます。

1970年代以降、スイス各地で設置されていき、2011年には、全国組織であるルドテーク連盟に加入するルドテーク数は400施設に達しました。そして現在まで、スイスは、ヨーロッパで最多のルドテーク数を誇る国となっています。

図書館の一部のように、自治体が直接運営するルドテークも若干ありますが、ルドテークの大多数は、非営利団体です。賃貸料を免除されるなど地方自治体から経済的な支援を受け、おおむねボランティアスタッフで運営しています(図書館員と同じような正規雇用をされている地域も若干あります)。

ルドテークでは、通常1000から3000の遊具を常備し、開館日に、有料で貸し出ししています(課金システムは施設によって異なる)。

ちなみに、チューリヒ市(43万人)では、ルドテークは6箇所、11万人のヴィンタートゥア市では、3箇所設置されています。目安として、子どもが利用できる地域図書館数と比べるみると、チューリヒは図書館は17箇所、ヴィンタートゥアでは7箇所あります。

遊具は0歳から大人まで様々な年齢を対象にしたものが用意されていますが、もっとも多い遊具は幼児から小学生中学年あたりまでのものです。遊具は、素材や品質を重視し、あるいは健康促進や、情操教育や早期教育の観点から考慮し選ぶことが多く、このため最新の遊具もありますが、玩具店などに比べると、相対的にクラシックなものやスタンダードな遊具の割合が全体的に高くなっています。

母親たちが全国に設置していったルドテーク

ルドテークには当初からひとつの大きな特徴があります。それは、設立から運営、そして利用まで、ほとんどが女性、特に母親たちによってされてきたことです(ただし近年は男性利用者も増えています)。

ルドテークが各地に広がっていく1970、80年代という時代は、遊具は全般にまだ高価でしたが、木製の遊具や家族で楽しめる良質のボードゲームなど、遊具の種類が増えていく時代です。このため、レンタル(シェアする)という形で、一般家庭でも、高品質の遊具に使用を可能にするルドテーク構想は、魅力的に映ったようです。このため、遊具レンタルの構想に魅了された母親たちの一部が、地域の自治体にみずからかけあってスペースを安価で借りたり、資金援助を受けるといった、交渉や準備を重ね、各地にルドテークを設置していきました。

設立当初中心となっていたのは、とりわけ専業主婦たちでした(当時、子供をもつ母親の多数派が専業主婦)。母親たちにとって、家庭以外で活動する貴重な場のひとつであり、また子供が大きくなって再び就業する前の、準備期間の活動の場としても機能してきたようです。

時代の変化にどう対応してきたか

このように、設立以降しばらくは、遊具のレンタルへの需要が高く、また、その設置だけでなく継続的に運営を可能とする人材も十分にいたため、全国的にルドテークが維持されましたが、それから半世紀たった今日においてはどのような状況にあるのでしょう。

結論を先に言うと、この間、女性の就労の仕方や遊具の量や質も大きく変わってきましたが、ルドテークの数は全国的にほとんど変わっておらず、さらに貸し出し数がここ数年で顕著に上向くところもでてくるなど、全般に衰退というよりルネサンスをむかえているようです。

これほど長くシェアリングサービスとして持続できたのはなぜでしょうか。それを簡単に解答することはできませんが、いくつかの重要と思われる点を指摘してみます。

まず、遊具のレンタルの需要です。需要がなければ、ルドテークの存在意義もないわけですが、市場で多くの遊具が安価で手に入る時代となった今日、遊具のレンタルの需要やまだ高いのでしょうか。スイスについての資料はありませんが、遊具への理解や好みが近いと考えられるドイツをみると、ドイツ語圏の消費者の高品質の遊具を優先する傾向はあまり変わっていません。むしろ、安価の遊具がでまわるなかで、高品質の遊具の価値が高まったとも考えられます。一時期7割を占めた中国産の安価な遊具の市場占有率も近年は6割まで下がりまし(「ドイツ語圏で好まれるおもちゃ ~世界的な潮流と一線を画す玩具市場」)。高品質の遊具を要望する人たちが依然多いということは、それをレンタルする需要もまた、依然潜在的に高いと考えられます。

近年特に若い世代に強くみられる、所持するのではなくシェアリングすることを高く評価する価値観も、ルドテークの使用の追い風となっているように思われます。ルドテークの利用者の8割は幼少のこどもをつれた親世代ですが、その世代はまさにこのシェアリング世代であり、(筆者が務めるルドテークでこれらの人たちと話をして得た印象では)自分たちが幼少の時に通ったルドテークを再び発見、再評価し、遊具を積極的にそこからレンタルする行動パターンにでているように思われます。

また、以前に子連れでルドテークを利用したり運営に関わった人たちで、現在孫の子守をする祖母となってルドテークに再び足を運ぶようになった人たちも、最近たびたびみかけるようになりました。利用者の1割くらいがこれに当たります。これまではルドテークは若い親たちの利用が圧倒的だったが、このような利用層が厚くなっていることも、ルドテークの安定的な運営に貢献しているように思えます。

一方、スイスでも幼少の子供のいる母親でも6割が就労する今日において、ボランティアのスタッフは十分確保できているのでしょうか。いくら需要があっても、ボランティアスタッフからなる施設にスタッフが集まらなくては維持ができません。筆者が全国の様々なルドテークの報告や広報にこれまで目をとおしてみた限りでは、人員不足が全面的に問題視される記事は見当たりませんでした。いくつか例外的な事例もありますが、おおむね、運営・維持する側の人手も現状は足りているようです。

近年は、就労する母親が増えていますが、仕事のない日(スイスの母親が圧倒的にパートタイムが多く、2014年のスイスの統計調査では、子どもが6歳以下のスイスの母親のうち61%がパート就業しています。ちなみに27%が専業主婦、100%働いている人はわずか13%。)に、ルドテークで勤めるのがめずらしいのではなく、むしろ普通になりつつあります。

就業しているしていないに関係なく幼少の子をもつ母親でも就業しやすいように、仕事の在り方も工夫されています。例えば、子供を連れての就労を認め(子供たちは、母親が仕事をしているかたわらで遊具で遊んでいればよい)、1日の仕事時間(つまりルドテークの開館時間)は、スタッフの負担が多くならないよう、2~3時間と短く設定しています。

自治体や地域での理解や支援はどうでしょう。レンタル料は多くの家庭が利用できるように低くおさえられているため、自治体からの支援が途切れれば、ルドテークはたちまち経済的に窮地にたたされるはずですが、ルドテークのある地域社会では、地域の図書館同様に、地域に根付いた子育て支援の施設として、すでに認知されており、それを疑問視する声は地域行政からも、地域住民からもでにくいのではないかと思います。少なくとも、支援が打ち切られるなどして閉館を余儀なくされたという報告は、ルドテークの広報や報告書では見当たらず、むしろルドテークは地域の青少年教育の貢献をたたえられ、各地で賞を授与されていました。

おわりに

ルドテークは、現在もてはやされているシェアリングエコノミーとは、一見、大きく異なる様相にみえます。すでに半世紀もつづく伝統的なモデルを保持し、デジタルテクノロジーの活用も最小限にとどまり、開館時間も比較的短いものです。

このため、いつでも、速く、便利に、といったほかのシェアリングエコノミーのサービスの、かゆいところに手が届くようなサービスモデルとは、かけ離れています。にもかかわらず、シェアリングサービスとして、堅調で持続的です。

それはなぜなのか。次回、これまで扱った三回のシェアリングエコノミーの事例とあわせ、シェアリングというサービスの現状をまとめながら、このルドテークモデルの成功の秘密についても考えてみたいと思います。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


シェアリングがヨーロッパのトラック輸送の流れを変える 〜積載率、環境、ロジスティックスの未来

2019-06-11 [EntryURL]

企業と企業を結ぶシェアビジネス

シェアリング・エコノミーと聞いて、みなさんが真っ先に思い浮かべるのはなんでしょう。ウーバーや民泊など、個人と個人が結びついた貸し借りやサービスといったことではないかと思います。

今回は、そのようなシェアリング・エコノミーとは少し毛色が違い、企業と企業を結びつけるビジネスとして軌道にのせて、輸送業者にとって利便性の高いサービスを提供し、さらに環境負荷を減らしたり渋滞を緩和させる効果でも高く評価され、交通、環境、IT分野において熱い脚光を浴びているシェアビジネスについてご紹介します。

カーゴネックスのミッション

そのシェアビジネスを行なっている会社は、カーゴネックス Cargonexx というトラック輸送の取扱業者です。カーゴネックスは、2016年にドイツ、ハンブルクで、メディア業界で著名な企業コンサルタント会社SchicklerのラフレンツRolf Dieter Lafrenz とカラナスAndreas Karanas が共同で設立しました(その後すぐにカラナスはカーゴネックスを離れています)。

カーゴネックスを立ち上げたのには明確な目的がありました。それは、ドイツのトラック業界が抱えるロジスティック上の問題を改善することでした。

ドイツを走るトラックの36%が空のまま走っており、平均積載率は40%にとどまります(ちなみに日本の国土交通省によると、近年の日本のトラック積載率も40%以下とされます)。しかもこのような無駄な走りをしているトラックは、業界全般に無駄なコストを発生させているだけでなく、交通渋滞を悪化させてさらに輸送を非効率にさせ、CO2も増加させることで、社会や地球全体にも負担を強いたり悪影響を及ぼしています。

しかもドイツ連邦貨物輸送庁によると、貨物量は2030年までにさらに39%まで増えると予測されています。ちなみに、現在トラック運転手は150万人いますが、三人に一人は55歳以上であり(Jäger, 2018)、自動走行のトラック導入など、ドライバー確保に革新的な変化がみられない限り、将来は、これまで以上に運転手の人手不足が深刻になることも必至です。

このように、誰の目からみても、トラック輸送が大きな問題を抱えており、しかもそれが近い将来さらに悪化することがわかっていましたが、これまで業界からも国からも、解決に取り組む姿勢も対策もほとんどみられませんでした。

しかし、それは単に怠惰であったからといった、簡単な理由からではありませんでした。端的に言うと、ヨーロッパのトラック輸送は量が多いだけでなく、非常に多様な輸送業者によって担われているためでした。ドイツ連邦貨物輸送庁によると、今日、ヨーロッパでは、国境を超えて様々な輸送トラックが行き来しており、ヨーロッパ全輸送の4分の1を担っています。ヨーロッパ全体で毎日発生するトラック輸送の数は、1日に200万万件にも達しており、ドイツだけでも50万件あります。そして、これを担っている運送会社数は、圧倒的に規模が大きい大手も存在しなければ、標準型というのもなく、ヨーロッパ全体で25万社にものぼります。しかも、これだけの総量であるのに、どこにどれくらいの量の輸送の必要がでてくるか1、2日前までがわからないというのが、トラック輸送業界では一般的です。

このため、このようなヨーロッパの輸送状況全体を一望することは難しく、ましてそれを統括して、効率的な輸送のために輸送を組み合わせするといった構想は、理想であっても、不可能だ、というのが、トラック輸送業界の常識となっていました。

業界を一転させるしくみ 〜キーとなるのは人工知能

一方、そのような業界の「常識」に挑んで解決に取り組みの一歩を踏み出したのが、カーゴネックスでした。カーゴネックスが着目したのが、複数の輸送依頼主が、空いているトラックを使う、つまりシェア(共有)する、というビジネスモデルです。簡単にいうと、ひとつの輸送を終えたトラックが空のままで帰らず、帰路に沿ったルートで、ほかの貨物の輸送の依頼者を簡単にみつけ、輸送できるようにするしくみで、その対象をヨーロッパ全体のトラック輸送に広げることで、より効率的にする構想です。

それを可能にしたのは、天気や交通やトラック情報など400以上の変数(パラメーター)を配慮し計算する独自に開発した人工知能(Learning-Algorithmen und Deep Neural Networks)です。これにより、ヨーロッパ各地で発生する大量のトラックの輸送依頼と輸送業者の最適なマッチングを瞬時に提示することが可能になりました。

具体的にそのシステムを、輸送の流れに沿って紹介してみましょう。輸送を依頼する場合、まずオンラインのサイトでカーゴネックスに登録します(登録料は無料)。依頼サイトで、行き先や時間、貨物の量や形状など必要な情報をいれると、いくつかの輸送業者候補とその輸送費用が即座に表示されます。その中から選択することで、輸送依頼が確定します。輸送業者側も同様に、ワンクリックで受注を決定できます。その際、輸送会社は、カルゴネックスのシステムを利用しても、いっさいカーゴネッックスに対する手数料が発生しません。

輸送するトラック側にとって、帰路を利用して輸送することで、収入が増えることになり、輸送依頼主にとっても、高い積荷率が可能になることと全工程が完デジタル化することによって費用が抑えられた結果、ほかに比べても安価な輸送が選択できることになります。

そしてなにより、トラック輸送の依頼者も受注者にとって、瞬時に候補が提示され、それをワンクリックで契約できるというシステムになったことで、輸送に伴に費やされる時間が、大幅に節約できることになりました。

輸送の品質を保証するシステム

ただし、保守的なロジスティックス業界で、信頼をとりつけるには、輸送マッチング・システムがただ優れているだけでは不十分です。信頼を勝ち得るための、品質の高いサービスや、保証制度も、この企業の自慢の特徴です。これについても少し詳しくご紹介しましょう。

まず、カーゴネックスは、単に輸送取引市場を運営する仲介業者でなく、自らが、扱っている輸送(取扱)業者という位置付けで、すべての輸送に対して一貫した責任体制を敷いています。これにより、依頼主や輸送業者にとっては、輸送契約を直接結ぶ、唯一の契約相手が、カーゴネックスということになり、すべての輸送に、カーゴネックス社内のスタッフの誰かが担当者がつきます。輸送の遅延など、輸送に問題が起きた場合、いつでも担当者と連絡をとり、最適な対処を相談できるこのような協働的な体制は、テクノロジーをつかい効率的に仕事をすすめるのと同様に、カーゴネックスで重点が置かれています。逆に、第三者に委託したり、これをさらに運送市場にもちだすことは硬く禁止されており、それを違反した場合は、契約を一切打ち切り、場合によっては罰金を払わなくてはなりません。

カーゴネックスで提示される輸送会社は、すべてカーゴネックスに厳しい審査基準で審査された会社であり、もしも輸送中やあとの問題があれば、以後の輸送候補の選考に、反映させます(問題のある輸送会社が上位で薦められなくなる)。

依頼者や輸送業者両者ともに、契約期間など、カーゴネックスを利用するにあたってなんらの義務や条件も課せられていません。

ほかにも、輸送料は、遅くとも48時間に必ず支払うことや、市場で一般的な貨物運搬者保険に入っていることなど、輸送でのリスクを減らし信頼をえる努力をしています。

ちなみに、アメリカでは同じようなデジタル輸送システムがすでに導入されていますが(Hausel, 2018)、ヨーロッパでこれが、初めてトラック輸送界に導入されたものでした。


トラック運転手の休憩室(簡単な飲食物がとれるだけでなくトイレ、シャワーが装備されている)


業界企業と協調してゴールを目指す

これら優れたシステムと輸送品質を保証する体制のおかげで、トラック業界からも急速に受け入れられるようになり、すでに、2018年6月、スタートアップから18ヶ月で7万トラック、総売り上げは月に100万ユーロに達しており(Noah, 2018)、現在、8000以上の運送会社がカーゴネックスに登録しています。

ところで、カーゴネックスは、たびたび「トラック業界のウーバー」と呼ばれますが、その呼ばれ方をカーゴネックス自体はあまり好みません。パイの奪い合いでタクシー業者と対立するウーバーの基本的なビジネスモデルと異なり、トラック運疎開者や輸送取扱業者とともにはたらくことを全面的に重視していることが、そのとりわけ大きな理由とされます。

デジタル輸送システムによって輸送にまつわるコストパフォーマンスを改善するだけでなく、積載率の低いトラック輸送を減らす。このことは、現在も、カーゴネックスのホームページの冒頭でうたわれているとおり、カーゴネックスの当初から現在までの最重要の目標ですが、これを達成するのには、同業者と競合するのではなく、協調していくほうがはるかに近道である、と確信しているのでしょう。

このような、カーゴネックスの目指すビジネスと社会や環境への貢献の方向性については、業界だけでなく、社会全体から大きな注目が集まっています。これまで、ドイツ語圏を中心に多数のマスメディアで好意的に報道され、また10以上のヨーロッパのデジタル技術や環境パフォーマンスの高いスタートアップ企業を対象にした授与団体から、これまで賞を授与されたり、候補に選ばれてきました。

ちなみに、カーゴネックスは、現在までの好調なすべりだしを肯定しつつも、それに安住するつもりではないようです。トラックの容量を部分的に利用した輸送また、液体や、ばら積み貨物(包装されない状態で大量に輸送される貨物)、コンテーナー輸送、また自動走行するトラックの輸送なども視野にいれ、ヨーロッパの輸送をさらに効果的にすすめていくことをさらなる目標としてかかげています。

おわりに

貨物の輸送が効率的、安価になることで、さらに貨物量が増えていくというジレンマが起きる可能性もあり、それを抑制することにも留意をしていかなくてはなりませんが、カーゴネックス つの輸送業界を環境不可の少ない方向に牽引しようという姿勢は、文句なしに、高く評価できるのではないかと思います。

今後も、輸送の効率化がすすみ、さらに環境や交通渋滞、またトラック業界にとってよい循環が続いていくことを期待してやみません。

参考文献

カーゴネックスCargonexxのホームページ

Das sind die 10 besten Deep Tech Startups Europas – die EIT Digital Challenge 2018 Gewinner, 25. Oktober 2018

Hausel, Christoph, Start-up-Check! Die KI von Cargonexx verhindert leere LKW auf unseren Straßen, Basic Thinking, 24. Okt 2018

Jäger, Mathias, Cargonexx bringt künstliche Intelligenz auf die Straße, Hamburg Startup, 31. August 2018/in Allgemein, Startup News.

Köhn, Rüdiger, Dieses Start-up ist viel erfolgreicher, als sein Gründer dachte. Künstliche Intelligenz. In: faz.net, Aktualisiert am 15.10.2018

Kral, Julian, Mit KI gegen Leerfahrten. In: Logistra, Das Praxismagazin für Nfz-Fuhrpark und Lagerlogistik, 13. März 2019, 07:00 Uhr

Noah Conference, Rolf-Dieter Lafrenz, Cargonexx - NOAH18 Berlin, Company Pitch by Rolf-Dieter Lafrenz, Cargonexx at the Axel Springer NOAH Conference 2018 in Berlin, Tempodrom 6-7 June 2018 (2018/06/14 に公開)

Renner, Kai-Hinrich, Medienmacher Unternehmensberater entwickeln ein Start-up. In: Handelsblatt, 1.7.2016.

Süß, Annika, Online-Speditionen -Welche Online-Speditionen gibt es? In: Microtech, Kaufmännische Software, 12.10.2018.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


ウーバーの運転手は業務委託された自営業者か、被雇用者か 〜スイスで「長く待たれた」判決とその後

2019-06-03 [EntryURL]

はじめに

以前、ドイツ語圏を中心にヨーロッパのシェアリングエコノミーが直面している現状をレポートしましたが、それから2年がたち、現在はどのような動きや変化がでてきたのかを、再びレポートしてみたいと思います。具体的には、ウーバーをめぐる最近の動向、トラック輸送のシェアビジネスの展開、伝統的な遊具シェアリングサービスの事例を今回から三回にわたってとり扱っていき、最終回で、近い将来、ヨーロッパでシェアリングエコノミーが展開・定着する際、どのようなことがキーになってくるかを改めて考えてみたいと思います。

※今回のレポートは、以前のレポートとテーマが通底しているため続編としてもお読みいただけます。2年前のレポートは以下です。

ウーバーを相手どった裁判の判決

今回は、シェアリング・エコノミーの代表格として現在世界中で展開している配車サービスというビジネスモデルが直面している課題について、ライドシェアの世界的な大手ウーバーを例にみてみます。

今年5月はじめに、スイスの裁判所でウーバーの子会社Uber/Rasierを相手どった裁判の判決がローザンヌの労働裁判所だされました(以下の裁判に関する内容は次の文献をもとにまとめたものです。Culet, 2019, Erstmals, 2019, Schweizer Gericht, 2019)。

裁判は、ウーバーの扱いを不当とする元運転手によって起こされました。元運転手は、2015年4月から2016年12月までウーバーポップ(普通免許さえもっていれば運転手の資格を得られた当時のウーバーのサービス。現在のスイスでは行われていない)で就労していましたが、ウーバーは、この運転手のアカウントを12月に無効とし、就労不可能にしました。裁判でウーバーは、アカウントを無効とした理由として、飲酒や乱暴な運転などの苦情が顧客から5件出され、顧客評価が5から4.3に低下したことをあげましたが、このような事情についても、運転手は、訴訟を起こすまで全く知らされていませんでした。ちなみに訴訟では、解雇のきっかけとなった顧客の評価理由についても反論しています。

裁判所の判決では、元運転手の訴えを認め、ウーバーの態度は、不当な解雇とみなし、ウーバーの子会社に、2ヶ月分の給料(即刻と、法的に発生する有給休暇(被雇用者としての権利である)と賠償として、総計、18000スイスフランの支払いを命じました(Schweizer Gericht, 2019)。

被雇用者か自営業者か

この判決で注目されるのは、賠償問題よりもむしろ、裁判所の、ウーバーと運転手の関係についての判断です。

2015年4月から解雇されるまで、元運転手は毎月平均50.2時間、ウーバーで働いていました。このため弁護士は、ウーバーの就業はこの元運転手にとって副業としでではなく、主業であったと主張し、裁判所も同様の見解を示しました。タクシー会社とその従業員の間の労働(雇用)契約に匹敵するとし、運転手を(ウーバーが終始主張していたような)業務を委託された自営業者としてではなく、ウーバーの従業員とみなしたのです。

「このような判決が長い間待たれていた」(Dieses Urteil, 2019)、と労働法専門家のガイザーThomas Geiserは、この判決についてスイス公共放送のインタビューで発言しています。ウーバーの運転手が、ウーバーの被雇用者なのか、それとも自営業者なのか、というこれまでずっと議論されていても、はっきりした公式見解がでていなかった問題について、今回、スイスで(おそらくヨーロッパでも)はじめて裁判所から判決として示されたためです。

被雇用者であるとすれば、スイス(ヨーロッパ諸国も同様ですが)では、労働法で守られ、雇用主は被雇用者のもろもろの社会保険費用を負担する義務が生じることになります。病気休暇や有給休暇も保証しなければなりません。スイスでウーバーが、1000人に払うとすれば、社会保険だけでも5から6桁(スイスフランで)の相当な額になるとされ(Schweizer Gericht, 2019)、ウーバーにとっては、これまで全くなかった大きな負担となります。このため、ウーバーは一貫して、運転手がウーバーの被雇用者でなく自営業者だと主張してきました。

ちなみに、ウーバーは、現在、雇用関係を認めるようウーバーにもとめる同様の訴訟を世界で多くかかえているといいます(日経、2019年)。

専門家の今後の見通し

ウーバーがこの判決を不服とし、今後も裁判で争う可能性はあります。しかし、たとえそうなっても、ウーバーに勝つ見込みはほとんどない、つまり、運転手を自営業者だと主張するウーバーの主張は、認められないだろう、というのが現在の大方の法律専門家たちの見解です。

その理由は、ウーバーのビジネスモデルが、一方で好きな時間と場所を選べる自由な仕事の形態である一方、運賃を自由に決まられないなど、就労の在り方においてはウーバーへの依存が高いため、スイスやヨーロッパの一般的な労働法の観点からみると、従来の自営業者というより被雇用者に近いとみなされるためです。

さらに、労働法専門家ガイザーは、今回の判決が、「今後の指針となる判断だ」(Dieses Urteil, 2019)とします。この判決が、今後のスイス全体の配車仲介ビジネスで指針になるだけでなく、スイスより労働法がさらに厳しいヨーロッパ隣国でも、今回のスイスの判決が参考にされる可能性があると考えられるためです。配車仲介ビジネスだけでなく、食品や荷物を運ぶ配達サービスなど、ほかの業務委託事業の在り方にも、影響を与える可能性もあると、専門家たちは評しています(Bonati, 2019)。

ウーバーの運転手という仕事

ウーバーの事業の在り方については、欧州司法裁判所においても、2017年12月に決定的な判決がでています。ウーバーの配車アプリを利用した配車仲介サービスは、輸送サービスに当たるという判決です。このため、具体的な手法や、見直しの必要性などの判断は、EU加盟国各国にゆだねられますが、各国で、輸送サービスという同分野のルールが適用されることになりました(Gerichtshof, 2017)。

今回訴えを起こした元運転手のカテゴリーである、ウーバーポップという普通免許をもつ一般人の輸送サービスは、現在、スイスでも、またほかの多くのヨーロッパの国々でもされていません(スイスでも2017年8月に終了しています)。スイスでも違法とされ、取り締まりの対象となっています。

現在、スイスでウーバーのパートナードライバーになるためには、旅客輸送職につく人のための専門免許(タクシー運転手にも必要なもの)「免許121」が必要になります。これを取得するためには、講習、筆記と実技の試験、医師の診断などがあり、最低でも、約2200スイスフランほどかかります。

ちなみに、ドライバーはどのくらいの稼ぎになるのでしょう。スイス大手新聞社は、1時間に四人のせて、51フラン稼いだと計算し、料金の25%をウーバーに手数料として支払い、社会保険料を自分で支払う(少なくとも料金の15%)として計算し、時間給として手元に残るのは22.30スイスフランと概算しています(Kohler, 2016)。これはおおむね、スイスで暮らすための最低時間給とみなされている額です。ちなみに、運転手は、カテゴリーこそ違っても、労働条件には、ほとんど違いがありません。

おわりに 〜歩み寄りか、責任逃れか

このようにヨーロッパではウーバーのような配車のシェアリングサービスへの風当たりが、かなり強くなってきましたが、今後、配車サービスは、どう展開していくことになるのでしょうか。

ウーバーは、これまでスイス人だけでも30万人が利用しており(Medi, 2019)、知名度も経験値も高い事業者です。労働法専門家ガイザーThomas Geiserは、「ウーバーがもろもろの費用、特に社会保険全般の費用を支払わなければならなくなる」としても、配車サービスというビジネスモデルが通用しなくなるわけではないとします(Dieses Urteil, 2019)。ビジネスを展開するそれぞれの地域の生活や社会の営みに考慮し自分たちのビジネスの在り方を点検し、発想やしくみを見直し、作り変えていくことができるかが、今、まったなしで問われているということなのかもしれません。

実際、ちょうど、この記事をまとめている間に、ウーバーに新たな変化がありました。サービス中の事故や怪我に対して労災保険をかけることが決定されました(5月28日以降有効)。保険は、スイスの約2500人の全ドライバーのサービス中とその後15分間に自動的に発生し、運転手には金銭的な負担は一切かからないとします。

一方、このようなウーバーの発表に対し、社会での反応は分かれました。雇用者としての義務を逃れるための試みにすぎないという意見もあれば、就労問題に対しウーバーが進展をみせた、と一定の評価をする人たちもいました(Badertscher, 2019)。今後も便利さやコストだけでなく、サービス提供側の就労環境など様々な要素がからみあいながら、社会で合意が得られやすい落とし所を探していく経過は続いていきそうです。

このようなシェアリングサービスをめぐる社会での合意形成(あるいはルールづくり)の経緯は、日本をはじめほかの国でも参考になる点が多いと思いますので、今後も観察して、随時、ご報告していきたいと思います。

次回は、タクシー業界や就労者との競合や摩擦のなかでビジネスを展開してきたウーバーとは異なり、トラック運輸業界の不可能とされてきた領域に踏み込み、最近急浮上してきたシェアリングサービスについて、注目してみます。

参考文献・リンク

Badertscher, Claudia, Plattform-Ökonomie - Uber prescht mit Versicherung für Fahrer vor, SRF, News, 29.5.2019.

Bonati, Lorenzo / Kramer, Brigitte, Wegweisendes Urteil zu Uber-Taxis, Rendez-Vous, Montag, 6. Mai 2019, 12:30 Uhr.

Culet, Julien, Première suisse, un ex-chauffeur Uber obtient le statut de salarié, 24 heueres, le Matin Dimanche, 04.05.2019

«Dieses Urteil wäre für Uber sehr unangenehm», Fahrdienstvermittler-Prozess, Das Gespräch führte Lorenzo Bonati, SRF, News, 6.5.2019.

Erstmals in der Schweiz erhält ein Uber-Fahrer den Status eines Angestellten, fair untwergs, 9.5.2019.

Gerichtshof der Europäischen Union, Die von Uber erbrachte Dienstleistungder Herstellung einer Verbindungzu nicht berufsmäßigen Fahrern fällt unter die Verkehrsdienstleistungen, PRESSEMITTEILUNG Nr. 136/17Luxemburg, den 20. Dezember 2017

Kohler, Franziska, Wie viel verdient ein Uber-Fahrer wirklich? In: Tages-Anzeiger, 22.5.2016.

Medi, Martina E., Uber oder Taxi: Mit wem fahren Frauen sicherer? In: NZZ, 25.4.2019, 09:49 Uhr

Partnerschutz mit AXA XL, Uber(2019年6月2日閲覧)

Schweizer Gericht anerkennt Uber-Fahrer als Angestellten. In: Tages-Anzeiger, Erstellt: 06.05.2019, 13:24 Uhr

Schürpf, Thomas, Schwerer Schlag für das ursprüngliche Uber-Geschäftsmodell. In: NZZ, 20.12.2017, 10:03 Uhr

「ウーバー公募価格、予想下回る。米ユニコーン陰る勢い」『日本経済新聞』、2019年4月13日、3頁。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


求めることと望まないこと 自由死の議論のジレンマ

2019-05-22 [EntryURL]

前回の「自由な生き方、自由な死に方 〜スイスの「終活」としての自由死」につづき、スイスの自殺ほう助に対する社会の理解や議論の展開についてみていきたいと思います。

スイスでは、自分の死についてもより自由に決めたいとする声が強まってきており、2014年ごろから、健康上に特に問題がなくても死にたいという強い願望がある人に対しても、自殺ほう助を公式に認めるべきだとする、自殺ほう助の条件の緩和を求める動きが強まってきました。

そのような「自由死」を求める動きが強くなってきた一方、他方で、それへの是非は現在、社会でも分かれています。代表的な追いながら、現状と今後の議論の行方について概観してみます。

医師たちの対処

自殺ほう助は、自殺ほう助を受ける人とそれを手助けする自殺ほう助団体だけで、完結されるものではありません。これらの人を言ってみれば当事者とすると、当事者以外の人たちで、自分の意志に関係なく、自殺ほう助に実際に関わる人たちがいます。医師や家族、介護施設のスタッフなどがその典型といえますが、その人たちは、自殺ほう助や、今回の自由死について、どのような対処をとっているのでしょう。

まず、医師の動向をみてみます。

スイス医学アカデミーの2013年の調査(SAMW, 2014)によると、認知症の人に対して自殺ほう助を認める見解に対し、賛成は10%、どちらかといえば賛成が19%。反対は41%、どちらかといえば反対が24%でした。高齢の健康な人の自殺ほう助について賛成票はさらに低く、賛成(8%)とどちらかと言えば賛成(12%)あわせても2割にすぎず、逆に、反対(56%)、どちらかといえば反対(20%)としたのは、8割近い人たちでした(SAMW; 2014, S.1768)。これをみると、「高齢の自由死」について医師の大多数が反対していることがわかります。

そもそも、自由死以前に、自殺ほう助についても、医師は複雑な心境であるようです。アンケートに回答した全体の4分の1にあたる1318人の医師のうち一番多かったのは、確かに、基本的に自殺ほう助を許容でき、個人的に自殺をほう助するような状況を想定することができるという意見で、半分近い医師がこう回答しています(自殺ほう助を認めるが自分ではしないと回答した人は4分の1、自殺ほう助を基本的に否定する人は5分の1でした)。

一方、具体的な状況で自殺のほう助をする準備ができている、と答えたのは全体の4分の1にとどまりました。この一見矛盾しているようにもみえる回答から、多くの医師たちは、一般論として医師が自殺ほう助に関与する必要性を認めつつも、個人的には躊躇が強いことが伺われます。

このような医師の態度には、複数の理由があると思われますが、一応、医療倫理指針(自殺ほう助についての法的な詳細の規定がないため、医学アカデミーが、2004年に「人生末期の患者の看護」というタイトルで定めたもの(SAMW, 2004))はありますが、実際に自殺願望の患者を目の前に、なにが「公平」で「中立」で「正しい」医師の立場や判断になるのかがいまだ明確とはいえないことが、最大の理由ではないかと思われます。

一方、2017年において自分たちが関わった自殺ほう助の4分の1が、すでに「高齢者の自由な死」に相当するものだったと、スイス最大の自殺ほう助団体「エグジット」が表明しているように、実際には、終末期の患者だけではなく、健康上特に問題のない自殺希望者にも自殺ほう助がすでに実施されています。厳密に医療倫理指針と協定で定められている標準規定を厳守していれば、無理なはずなのですが、医師の審査・判断という部分がグレーゾーンとなって、倫理指針に背くことが実際には常態化していることになります。

このような倫理指針と現実が乖離する実情を前に、医学アカデミー(SAMW)は、重い腰をあげ、これまでの医療倫理指針を大きく見直し、終末期の患者に限らず「堪え難い苦悩」がある人全体を対象にするという、医療倫理指針の緩和を2018年5月に打ち出しました。

しかし、医学アカデミーとはまた別の医師の団体のスイス医師会(FMH)が、これに反対の態度をとります。通常、スイス医学アカデミーが定める医療倫理指針を、スイス医師会が医師の職業規定に取り入れ、スイスの医師に通達するしくみなのですが、同年10月、医療倫理指針の改定版を職業規定に組み入れることを拒否したのです。これはきわめて異例の事態であり、現在、医師の間で、自由死を認めるか、どこまで認めるかで、意見が大きく割れていることを物語っているといえます(Brotschi, 2018)。

ちなみに、新しい医療倫理指針は職業規定に取り入れられませんでしたが、現行の医療倫理指針は依然有効であるため、自殺ほう助団体は、これまでと同様のやり方で、自分たちの活動を続けています。

一方、自殺ほう助でも緩和ケアでもなく、絶食死を別の選択肢として提唱する医者もでてきました。この方法で死に至るまでは通常三週間かかりますが、徐々に絶食死の事例は増えてきており、今後絶食死は、自殺ほう助や緩和ケアと並行して「社会の大きなテーマMegathema」になると予想されています(Müller, 2017)。

ホームのスタッフたちの対処

現在、スイスにはホーム(ホームとは、ここでは、老人ホームと介護施設を合わせたものを示しています)が約1600施設あり、全国で約10万人の収容が可能な状況が整っています。以前は、70歳を過ぎたくらいで健康でもホームに入ってくるような人がかなりいましたが、今日は、在宅が不可能になってから施設に入ってくる人がほとんどであるため、ホーム居住者の高齢化が進んでいます。現在、スイスのホーム入居時の年齢は、平均年齢84から86歳です。つまり、多くの入居者にとって、ホームは事実上終の住処となっています。

ホームでの自殺ほう助事情は、州によって異なります。自殺ほう助を権利としてみとめ、居住者が希望すればホームでの実行を拒否できないとする州もあれば、各施設に、許可するか否かの決断を委ねている州もあります。ホームでの自殺ほう助を全面禁止にしている州も少ないですがあります。2014年、エグジットによる自殺ほう助583件のうち60件がホームで行われました。

大勢の人が共同で暮らし、同室に複数で住んでいることも多いホームでは、自殺ほう助がまわりに与える影響も、大きくなりがちです。

自殺ほう助後に検察官や警察が現場検証に訪れるため、普段の穏やかな雰囲気が乱れるだけでなく、自分が生きる意味を感じられなかったり、ほかの人に迷惑をかけているといった気持ちをもつ居住者に、不要な圧力や不安が生じないように、通常以上に気遣いが必要となります。自然死でなくなる居住者と異なり、自殺ほう助で亡くなった居住者については居住者への通知を最小限にとどめる処置をしているところもあります。

介護スタッフにとっても、検察官の現場検証に立会うなど、通常業務以外の負担を強いられるだけでなく、担当する居住者が自殺ほう助したことで個人的に責めを感じたりしないよう、配慮が必要になるといいます。

国内に2600ヶ所の老人ホームと介護施設の統括組織クラヴィヴァCuravivaが行なったルツェルン州の匿名のアンケートでは、ホームの3分の1が自殺ほう助に反対、それについて話す準備がまだできていないと回答しています。ほかの3分の1は、社会の圧力のため、このことについて話すようになったと答え、残りの3分の1はすでに自殺ほう助を行なった実績がありました(Odermatt, 2018)。

家族の気持ち

家族は、自殺ほう助が起きた時に、医師やホームのスタッフよりもはるかに強い影響を、多くの場合、受けていると思われますが、そのような家族は、どんな思いで、身内の自殺ほう助による死を受け止めているのでしょう。

とはいえ、自殺ほう助団体の言動についてはメディアの注目度が高く、その主張を聞く機会が多い一方、自殺ほう助で家族をなくした人々の声を聞くことはまれです。どんな形であれ家族を失った人の喪失感は大きく、公的に意見を述べるというエネルギーやモチベーションを持ち合わせている人は少ないでしょうし、まして、故人の自殺ほう助に、個人的に反対であった場合、故人の意志を尊重したい気持ちと自分の気持ちの間に葛藤も生まれ、それについて公に語られることは、少なくなるためでしょう。

だからといって、自殺ほう助という選択肢によって身内が「自由死」した家族の心境が、軽視されていいわけではないでしょう。このため、自殺ほう助の家族への影響について調べた数少ない研究として、チューリヒ大学の臨床心理学者ヴァグナーBrigit Wagnerの調査結果は示唆に富みます(Wagner, 2012)。

ヴァグナーは、調査時点から遡って14〜24ヶ月前に、家族や近しい友人の自殺ほう助に立ち会った人を対象に調査をし、85人の回答内容を分析しました(これは、自殺ほう助で家族をなくした人々がすべて対象であり、(健康な人々の自殺ほう助である)自由死で家族を無くした人にとどまりません)。この結果、13%がPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状、6.5%がその前段階の症状を示し、うつ病の症状と判断された人は16%でした。自殺ほう助で家族を無くして2年近くたっても、PTSDやうつ病に苦しんでいる家族が4割近くいることになります。

この調査の回答率が51%と低かったため、これだけで全体像を判断するは難しいものの、自殺ほう助が立会った人にとって心理的に長く重い負担になっていると著者は指摘します。

これに対し、エグジットで長く自殺ほう助に関わってきたフォークとHeidi Vogtは、協会としては、早い段階で家族と連絡をとるよう会員にうながすなど、家族への一定の配慮をしており、亡くなって2〜4週間した後にも家族に連絡をとっている。現実に、半分以上の家族は協会とコンタクトを受け入れており、うつ病やトラウマになるケースは自分たちのところではほとんどない、と反論します。また、自然死で家族がなくなった場合の同様の調査がないため、この研究だけで内容を評価することは難しいとします(Freuler, 2016, Exit wehrt sich, 2016)。

デグニタスでも、自殺ほう助を願う人たちに、家族や友人の承認をできるだけ求めるようにうながしたり、自殺ほう助の日程を知らせ、家族や友人に最後まで立ち会ってもらうことで、喪失を受け入れやすくしたり、別れを可能にするなど対処をしています。

自殺ほう助団体が、家族への配慮をし、支援活動も行なっているのは確かでしょう(柴嵜、59−60頁)。とはいえ、自殺ほう助団体側から提供するそのような配慮や救済事業が実際にどれだけ、自殺ほう助による死を家族が受け入れる助けになっているかは、別問題として残ると思われます。

ちなみに、オランダでの研究では、自殺ほう助の場合と異なり、緩和ケアが家族に与える悪い影響は見当たりませんでした(Freuler, 2016)。

社会への影響を危惧

自由死の議論が難しいのは、それ自体の是非が見極めるのが難しいからだけでなく、自由死という考えが社会に広がることで、社会のほかの部分にも間接的に、しかし少なからぬ影響を与えることが危惧されるためです。

例えば、スイスのカトリックの頂点にたつゲミュアFelix Gemürは、現在の自殺ほう助の向かっている方向が、「わたしには、健康で、生産的で、スポーツができ、まだ自分ですべてできる人だけが、生きるに値する、そんな風に言っているように思える。これは、我々の社会での、障害を持つ人や弱者、生産的でない人や貧しい人を締め出そうとするひとつの傾向だ」(Boss/ Rau, 2018, S.17)と、警鐘を鳴らします。

スイス医師会の医学雑誌『スイス・メディカル・フォーラム』でも、「経済的な理由で「死にたいと思うべき」圧力が並行して生じて、自殺ほう助が高齢化社会の政治的な装置になる危険性は、否定できない」と認めます。そして、高齢者が急増する人口変動に並行して、今後、性急に、別の提案をつめていかなくてはならないと提言しています(Zimmerman, 2017)。

自殺を抑制する効果

一方、自由死が認められることで、精神的にむしろ安定するような作用を、人々に及ぼすという事実も見過ごすことはできません。

35年以上スイスで公式に活動を行なっている自殺ほう助団体のおかげで、自殺ほう助件数は増えている一方、自殺ほう助団体の会員となった人たちの間で、会員になったあとに、自殺をとどまる、いわゆる「自殺抑制効果」と思われるケースも少なくありません。

例えば、二回の医者の診断で暫時的に自殺ほう助が可能という判断が下すことを、自殺ほう助団体「ディグニタス」では、暫時的な「青信号」と呼んでいますが、この「青信号」がでた後、70%の人からはその後一切連絡がこなくなり、16%の人は、自殺ほう助の必要なくなった旨の連絡をしてくるといいます。そして最終的に自殺ほう助を望むのは、会員の3%に留まるといいます(Dignitas, Lektion)。

エグジットに登録した人の間でも、よく話し合いをした結果、自殺ほう助を受けるのをやめるケースが多く、全体の80%の人たちは、緩和ケアなどの別の解決策を最終的に選択しています(Mijuk, 2016)。

老人ホームや介護施設(以後は、これらを合わせて「ホーム」と表記します)でも、居住者が、自殺ほう助の会員になることは、実際に実行するためというより、むしろ、これでなにかあったら頼めばいい、という安心感を得るための一種の「保険」のようなものとなっているようだ、という意見を聞きます。

このような状況をふまえて、ディグニタスの会長ミネリLudwig A. Minelliは、自分たちのやっていることが、「自殺ほう助よりもずっと広いもの」であり、自殺予防にもつながっていると強調します。「包括的に相談することができ、困難な状況でも選択肢があれば、人は、プレッシャーやストレス、苦悩が減り、これにより、よりよく長く生きることができる」(Stoffel, 2017)というのが、持論です。

また、スイスの自殺件数は全体として、過去20年減り続けています。自殺の減少と自殺ほう助の増加の間の関係が明確になっているわけではありませんが、自殺願望者の一部が、暴力的な自殺を自分で試みる人が減るかわりに、自殺ほう助団体を通して自殺を実施している人が増えていると推測されています。それを、苦痛を伴う残酷な死に方や、死ぬことができる重い後遺症を追って生き続ける人を減らすことにもつながっている、と解釈することも可能であり、このため、外国人会員のそれぞれの祖国で自殺ほう助も受けられるようになり、「我々がしていることを、医療や社会システムに統合されるようになれば、ディグニタスやエグジット、ほかの同様の組織は安心して消え去ることができる」のだ、とミネリは言います (Stoffel, 2017)とも言います。

いずれにせよ、老年医学専門家のボスハルトGeorg Bosshardは、自殺ほう助が占める死因の割合はこの先も上がっていくだろうとします。2014年の時点で自殺ほう助による死亡は、全体の死亡の1.2%にすぎませんが、10年後には、(自殺ほう助も医師の積極的安楽死も認められている現在とベルギーのフランドル地方の同レベルの)5%程度になるのではないかと予想しています(Mijuk, 2016)。

おわりにかえて 〜今後の議論の行方は

スイスでは自由死の権利の拡張(自殺ほう助の自由化)を求める議論は、新たな社会のコンセンサスに近づいているというより、ジレンマが鮮明になり、むしろ膠着状態に陥っているようにみえます。

しかし、いずれにせよ、社会において、自殺ほう助の「賛成者でも反対者でも誰もが、人が死ぬ意志にプレッシャーをかけてはいけないということでは、一致していることは確か」(Vollenwyder, 2015)です。ここを議論の出発点にして、「自由な死」については、早急に結論を出すことに終始せず、立ち止まり状況を再点検することが、今、スイスに必要なのかもしれません。

倫理学者ビラー=アンドルノNikola Biller-Andornoは、自分の死を個人的に決定することは容認されるべきであるにせよ、ひとつの決まった答えがあるわけではなく、誰もが自分で人生末期を積極的に形作る必要はない。自分で決めずに、医師や家族に委ねるのも可能だといいます。そして「人生末期において最も重要なものは寛容さ」だと強調します(Biller-Andorno, 2015)。

ここでいわれる、人生末期における寛容さとはなんでしょう。まず、緩和ケアや絶食死など、最近新たに注目されるようになった選択肢も含め、様々な死の形を認め合う社会全体の寛容さを指しているでしょう。

一方、もう一つ重要な方向に向かう寛容さも、含まれているように思います。これまで比較的健康や社会的な環境に恵まれた若い高齢者たちであっても、これから先、後期高齢期に入っていけば、当然、これまでと異なる、健康や精神面でのアップダウンを体験することになります。その時に、これまで同様自分で死に方も決めるのがいいことだと考えることも、ひとつの考えですが、自分のなかで意見が揺れ動いたり、自分の判断に自信がもてなかったり、自分で決めることができなかったりする、そんな(決してこれまでの自分と比べて「自分らしくない」かもしれない)自分自身に気づくかもしれません。そんな新しい自分の気持ちも受け止める、自分自身に対する寛容さも必要なのではないかと思います。

参考文献・サイト

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穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


自由な生き方、自由な死に方 〜スイスの「終活」としての自由死

2019-05-18 [EntryURL]

寺田修二とスイスの接点

演出家の寺田修二の著作に『自殺のすすめ』というのがあります。この本で寺田は、世間で一般的に言われている「自殺」は、まわりの人や環境に追い詰められて自分が殺されることであり、自殺というより他殺であり、そのような社会関係や環境の影響を受けずに、自分の意思で、死ぬことこそ、「自殺」なのだ、と主張しています。

ところで、スイスでは数年前から、自殺ほう助の自由化(自殺ほう助の条件の緩和化)について、社会で広範に議論されています。すでに一定の条件下で自殺ほう助が認められているスイスですが、自分の死の在り方を、自分でできるだけ自由に決めたいという切実に思う人が増えており、そのための手段として、自殺ほう助に期待する声が高まっているためです。自殺ほう助の自由化を推進する人たちの思想をみると、寺田が提示する自由意志に基づく「自殺」という考えに、重なる部分があるように思われます。

ただし、アプローチ方法はかなり異なります。寺田が一個人の問題に還元し、自分の意志で完結する自由な死に方を想定していたのに対し、スイスでは、人間の権利の(死の領域まで)拡張することで、それを社会の合法的なシステムとして、それを未来の社会で公認する、死に方の選択肢の一つにしようとするものです。

今回と次回の記事では、今のスイス社会で問われているこのような切実な問いと、それに答えを見い出そうと、交わされている議論の中身を置ってみたいと思います。

これまで扱ってきたコラムとはかなり毛色の違う重たいテーマですが、人の死を直視してなにかを論じることは、どの社会でも、長い間、タブーに近かったですが、超高齢化が、急速に展開している先進国の国々では、高齢の生き方だけでなく、死についての考え方や状況も、これまでと大きく変わりつつあります。日本でも「終活」と言った表現の仕方で、積極的に、自分の人生終末期までの様々なテーマを避けずにむしろ扱う姿勢が強くなってきており、今後は、さらに、より深く自分の死の問題に踏み込んで、考えていく動きが強まっていくかもしれません。

スイスでの終末期の選択肢や制度、またこれについての現在の議論を大観することが、日本での類似するテーマにおいての議論や理解の一助になればさいわいです。

合法の自殺ほう助

最初に、スイス社会における自殺ほう助のあゆみについて、簡単に概観しておきます。

スイスでは、利己的な理由で人に自殺をうながしたり、自殺ほう助を行なった場合に処する法律がありますが(刑法115条)、利己的な目的ではない自殺ほう助は、処罰の対象になっていません(ただし容認する法律が特にあるわけではありません)。

このような状況下、スイスでは1984年に、世界に先駆けて、自殺ほう助する公式な非営利団体が設立されます。そしてそれ以後、自殺ほう助を希望する人は、自殺ほう助団体を通じて、合法的に(正式には処罰の対象とならないことが法的に認められているのにとどまりますが)、自殺ほう助されていくようになりました。

このような団体の存在は、設立当初は社会でも多くの物議をかもし、反対勢力も強くありましたが、35年以上たった現在においては、社会で広く公認される存在となっています。2011年チューリヒ州の住民投票はそのことを端的に示す一例です。84.5%という圧倒的多数が自殺ほう助を支持(正確には、自殺ほう助の禁止案に反対)する側に票を投じました。

近代以降、欧米を中心として人々は、自由に生きる権利を求め?、その範囲を拡大させてきましたが、この自由に生きる権利を、自分の終末期にまで拡張して考え、そこで個人はどのような権利を有するのか、有するべきか。そして、この「自分の死についての」権利の行使を、自殺ほう助という、現在の日本からみると極めて急進的なやり方で、スイスでは多くの人に支持・許容される形で、社会で公的に合法化する制度としてスイスは整備してきたのだと言えます。

もちろん、現在も、これに反対する人がいないわけではありません。例えば、カトリック教会自殺ほう助を真っ向から否定する立場を表明しています。しかし世俗化が顕著にすすんでいるスイスにおいては(例えば、2017年の調査では、スイスのプロテスタント教徒もカトリック教徒も、宗教が重要だと考える人や実際に祈祷などの宗教的な行為をする人が1割か未満にとどまっていました。これは欧米のほかの国と比較しても、かなり低い割合でした(「対立から融和へ 〜宗教改革から500年後に実現されたもの」)、宗教界の社会への影響力は、わずかと考えられます(Mijuk, 2016)。

ちなみに、プロテスタント教会は、自殺ほう助の支持こそしていませんが、最初に作られた自殺ほう助団体の共同設立者の一人はプロテスタント教会の牧師でしたし、個人的に自殺ほう助への理解を示したり、退職後に関わる教会関係者が、これまで少なくありませんでした。2016年以降は、ローザンヌを州都とするフランス語圏のヴォー州の教会を皮切りに(Rapin, 2017)、いくつかの州のプロテスタント教会で、牧師たちに、自殺ほう助を選択した人々に最後まで寄り添うことを薦める方針が打ち出されるようにもなっています(Reformierte Kirchen, 2018)。

自由死を求める若い高齢者層

ただし、現在社会的なコンセンサス(合意)となっている「自殺ほう助」とは、差し迫った健康上の理由がありやむをえない人々を対象にした自殺ほう助に限ったものでした。これに対し、差し迫った健康上の理由がない(終末期にいなくても)人々にも自殺の自由を認めることを求める声が、近年、増してきています。

そのような世論は、通称「ベビーブーマー世代」と呼ばれる若い高齢者たちによって、とりわけ押し上げられています。ベビーブーマー世代とはどんな人たちなのでしょうか。簡単に紹介してみますと、ベビーブーマー世代は、1945〜65年ごろ、ようやくヨーロッパに平和がおとずれてまもない時代に生まれ育ち、右上がりに経済成長する社会で栄養状態もよく健康に育ち、1968年には若者として権威主義的な社会構造に対決し、その後も社会の改革を目指してきた世代です。

この世代は、それまでの高齢者たちと、健康状態や教育水準、家族との関係など、ライフスタイルの様々な側面において顕著な違いがあるとされます。発達心理学者で高齢者研究でも名高いペリック=ヒエロPasqualina Perrig-Chielloは、これまでの高齢者(現在約80歳以上の高齢者)がなにをしてもいいかを考える世代であるのとは対照的に、新しい高齢者たちは、どこまでなにができるかを追求する世代だ、と端的に表現しています(「現代ヨーロッパの祖父母たち 〜スイスを中心にした新しい高齢者像」)。

この世代の人たちは、これまで歩んできた時代のなかで、社会やだれかに意見を押し付けられるのを嫌い、自分で決めることに高い価値を置くことを重視する、人生観や価値観を保持、つらぬいてきました。

そして、その延長上において、彼らは、自分の死に方についても、自分で決められることを重視し、その一環として、高齢者で、自分の死に方を決める自由度を高めるべきだと考えます。そして、そのような自由の裁量から自分で死を選ぶことを、「自殺」とは言わず、「自由死」という言葉で表現します。具体敵には、若い人の自殺ほう助の際に不可欠とみなされている必要な医学的な審査を簡略化し、強い痛みについても厳しい証明を必要としないようにするなど、現行の自殺ほう助の条件を緩和することを求めます。

換言すれば、ベビーブーマー世代が高齢になる今の時代だからこそ、「自由死」が、問題になってきた、という言い方もできるでしょう。

2014年にスイスの三つの語学圏(ドイツ、フランス、イタリア語圏)の1812人の55歳以上の人を対象に電話で行なった調査によると、4%がすでに自殺ほう助団体の会員となっており、さらに今後会員になる意向の人たちは、8.5%でした(Obsan, 2014)。また実際に、2014年に自殺ほう助を受けた742人の94%という圧倒的多数が55歳以上でした。これらの数字は、高齢者の間で、自殺ほう助について、かなり関心が高いことをうかがわせます。

「自由死」を望む主要な理由

ところで、差し迫った健康上の理由がない人たちが、自然の寿命よりも早く終末期をむかえなくてはいけない状況とはどのようなものでしょうか。想定される具体的な状況は、主に以下の3ケースあると思われます。

苦痛を避けるため
まず、これまでの自殺ほう助の理由でもあった、物理的な苦痛の忌避です。これまで、ほかの世代の同年齢の頃に比べ、良好な健康状態を保ってきたベビーブーマー世代であるだけに、健康状態の悪化を危惧する気持ちがことのほか強いのかもしれません。

しかしこれについては、2010年代以降、緩和ケアを行う施設も増えており、実質的に緩和ケアが、有力な代替案として置き換えられる可能性があるでしょう。スイスのホームでは、25%が、自分たちの核となる課題として、理想として緩和ケアを掲げ、実際にホームの40%が緩和ケアを実現かするための取り組みを現在しています(Seifert, 2017, S.15)。ちなみにここでの、緩和ケアとは、単なる痛みの緩和だけでなく、医学、介護、社会的、宗教的、心理的なケアも含めた包括的なものをさします。

スイスよりも早くから緩和ケアに取り組んできたドイツの医師すべてに配布されている週刊誌『ドイツ医師報』には、三人の緩和ケア専門医師が、自殺願望のある患者の気持ちやその対処について、包括的にまとめているので、以下、抜粋してご紹介してみます。

緩和ケアではあまりないが、患者が、死にたいと言うことがある。しかしこれには、慎重に対処すべきである。一方で、医者が患者よりもよくわかっていると考え、患者の苦悩や絶望をしっかり捉えていない危険があるので注意しないといけない。他方、重い病気をかかえる患者がそのようなことを伝えてきたからといって、必ずしも、それは死を切望しているのではなく、堪え難い状況を終えたいという希望である場合が多い。ほかの人に迷惑をかけたくないという人もいる。そのようなテーマをタブーにしてはならず、医師や介護スタッフやほかの関係者でチームとして、そのような希望を聞き、取り組むべきである。死の願望の表明は、むしろ、信頼のあらわれとみることもできる。そういうことを考えていい、話せる、ということだけで、患者の気持ちはずいぶんらくになり、緩和チームと患者との関係を豊かにするものともなりえる。死の願望は、それだけを単独でみるのでなく、二つの相反する価値を同時に含んでいる状態を示しているとみることができる。そこから、二つの希望、もうすぐ人生を終えたいという希望ともっと生きたいという希望が並存しているという状況が生まれるかもしれない。緩和ケアは、死にゆく人々を最善の形で支援すること、同時に死ぬことを阻止するのではない。緩和ケアは直面する死における助けを提供するが、死への助けではない(Friedemann, 2014)。

人生の総決算として
目前に迫る苦痛を回避するということよりも、「もう十分生きた」という人生への充足感や、将来予想される自分がのぞまない状況全般を回避したいといった思慮から、「自由死」を望む場合もあります。この場合、人生末期への悲観(希望がもてないこと)と、それを未然に防ぎたいという、二つの強い考えが、とりわけ大きな影響を与えているようです。

雑誌『シュヴァイツァー・イルストリエルテ』が1004人を対象に電話で行ったアンケートで、自分が認知症になったら「自由死」(スイスの文脈でいうと「自殺ほう助」など意図的に死期を早めることを意味します)を選ぶことを想定できるとかという質問には、43%が「はい」と回答しています。また、認知症に対する悲観的な見方が、年齢が上がって来るほど強まっていました。認知症になっても生きる価値があるか、という質問に対して、価値があると回答した人が、55歳以上のスイス人で49%で、若い世代(35歳から54歳が54%、15歳から34歳が69%)に比べ、最低の割合でした(Enggist, 2016)。

このアンケート結果をみると、認知症をのぞましくないものととらえ、それが進行する前に、自分で死を決断するのがよいと(少なくとも想定)する人が、特に高齢者にかなりいることがわかります。このような志向は、「自由死」の同義語として、しばしば使われる「総決算の自殺Bilanzsuizid」という言葉にも表れているように思われます。この言葉には、人生を長い帳簿になぞらえ、総決算をマイナス決済で終わらせたくない、そのために、事前に自分で人生を終わらせる、というニュアンスが感じられます。

経済的な配慮
チューリヒ大学の社会学者ヘプフリンガーFrançois Höpflingerは、健康、教育、経済状況にも恵まれてきたスイスの若い高齢者世代は、現在、経済的に自立しているのが一般的だが、今後、介護が必要になると、年金や貯蓄が十分ではなくなり、良好な状態が急激に悪化することもありうる。そして、実際にそのように高齢者にも認識されている。しかし、自分たちが病気や介護が必要になることで、これまではなかったような家族への財政的な重荷となることは避けたいと考える人は多く (Wacker, 2016)、そのような人たちにとって、自殺ほう助という考えがちらつくことは考えられる (Kobler, 2015.)、といいます。

個人的な経済的な状況が要因となって、自殺ほう助に気持ちが傾く可能性があるというこの指摘について、自殺ほう助団体の中では意見が別れています。エグジットでは、自分たちの顧客には、経済的な考慮は全くなんの役割も果たしておらず、自分たちの人生の最後を自分で決めたいという強い意思を本人や有しているかいなかが問題だ(Wacker, 2016)とするのに対し、デグニタスのミネリは、ホームで希望もなく長期滞在するのを回避し、それに必要な費用を、孫の教育費用に当てたいという人がいれば、「それは分別があり賞賛に値する」と、むしろ肯定しています(Gute Arbeit, 2012)。

まとめ

自分の死に関する権利(自由に決められる裁量)を拡大し、終末期でない人々も自殺ほう助が受けやすくなることを要望する人々の動向について今回まとめてみました。

一方このような、自殺ほう助の自由化の議論は、社会に新たな波紋を広げています。これまでは、自殺ほう助について、社会で一定のコンセンサスを得ているようにみえていましたが、今は、むしろ、自由化の圧力を前に、戸惑いや意見の割れが目立ってきたように思われます。

次回は、このような最近、目立つ、戸惑いや躊躇する人々の動向にも目を向け、全体として、自由な死の議論が、スイスで具体的にどのような展開を現在しており、今後、どこへ向かおうとしているのかについて、さらに探っていきたいと思います。
※参考文献・サイトは、こちらの記事の後に一括して掲載しています。

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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