映画「フクシマ、モナムール Fukushima, mon Amour」 〜ドイツと日本をつなぐ眼差し
2016-05-15
ロゼリー・トーマスと桃井かおり主演のドイツ映画「フクシマ、モナムール Fukushima, mon Amour」の上演がドイツで3月10日からはじまりました。この映画は、今年2月に開催された世界3大映画祭の一つとされるベルリン国際映画祭にも出品され、国際アートシアター連盟賞(CICAE)など三つの賞に輝いたこともあり、ドイツの主要メディアでとりあげていないものを見つけるのが難しいほど、今年2月から4月にかけてメディアで大きな話題になりました。スイスでもメディアで取り上げられ、各地での上映がはじまり、わたしも先月4月に地元の映画館で鑑賞することができました。
この映画は、昨年2015年初夏に、原発事故地点から11キロ離れた年頭に避難解除されたばかりの被災地と、12キロ離れた避難所を中心に数ヶ月にわたり撮影されて、作られたものです。日本人もほとんど立ち寄らない場所に、あえてドイツ人が赴いて長期の撮影に臨んだことに、好奇心をくすぐられた人も多かったのでしょう、ドリス・デリエ監督に映画を作った背景について質問するインタビュー記事も多く出されました。これらのインタビューに目を通していくうちに、監督自身が映画に、二つの方向に向けて思いを込めていたことがわかってきました。そして、原発についてはとかく日本では国内の議論や視点に集中しがちですが、監督の指摘によって、思ってもいなかった方向に視界が開かれた気がしました。
この映画に関しては、映画祭の賞の受賞の時には日本でも注目されたようですが、それ以後はほとんど報道されておらず、日本国内の上映予定も未定のようですが、被災地を舞台にしたドラマをあえて作成して、ドイツ人が一体なにを伝えようとしたのか、知ってもらえる機会になればと思い、今回、監督自らが語る映画の(あらすじではなく)背景や、そこに込められた思いを、ご紹介したいと思います。
<作品ができた背景>
ドリス・デリエ監督は、今月末に61歳になるドイツでは著名な女性監督で、1985年に東京の映画祭に参加するため初めて来日して以来、25回も来日している親日家であり知日派です。日本を題材にした映画もこれまで3本撮っており、2008年に公開になった「HANAMI」では、ドイツ映画賞銀賞を受賞しています。
デリエ監督の今回の映画構想は、原発事故直後にさかのぼります。原発事故以降日本に住んでいた多くの外国人が出国していきました。特にそれ以前から原発の危険意識が高かったドイツ人には、その傾向が強かったようです。ドイツでは日本全国が放射能汚染された危険地域であるかのような扱いであったといいます。そのような状況に監督は憤りを感じ、何が起きたのかまず自分の目で確かるべく、事故から半年後の秋に、日本を再訪します。 そして当時立ち入りが禁止されていた避難地区にも、ガイガーカウンターを片手に許可を得て足を踏み入れ、何が起きたのかを目の当たりにして驚愕したといいます。同時にその惨状をみながら、自分になにか伝えられることができないかと考え始めたといいます。
そして2015年5月、被災の痕跡が生々しく残る南相馬市や仮設住宅敷地で、撮影が開始されました。映画は、登場主演人物こそ架空の人物ですが、舞台となる主役二人が住むことになる家屋やまわりの風景はすべて実際のもので、また仮設住宅に居住する方々にも出演してもらい、事実に寄り添うように撮影されていきました。桃井かおりさんが芸者という設定も、外国人好みの空想の産物ではなく、実際に釜石の芸者さんの話が下敷きとなっており、映画の終盤に登場する3人の若い芸者さんは、その芸者さんが伝授した歌と踊りを披露しています。
<日本へ向けられた思い>
気晴らしの場はもちろん、食堂すら1件もない避難解除地区と仮設住宅地区での数ヶ月に及ぶ撮影が、外国人撮影スタッフにとって骨の折れる難行であったことは容易に想像されますが、それでも映画をあえてとろうとする監督には、映画を通じて特に語りかけたいと思う人たちが当初から念頭にありました。それは、まずは日本の被災者たちでした。
「私にとって重要だったのは、映画の最後になにかなぐさめになることを提供することでした。」「ドイツ人と日本人の間の交流から」ある種の「軽快さが生まれ」、交流を通じて「お互いにその痛みを越える」ことができる、そんなことを、トラウマを抱える日本の人々に示したかった、と監督はインタビューで語っています。そして、どんなにつらいことがあっても、ひとつ「すばらしいことは、わたしたちはお互いのなかに痛みやつらさをみつけることができれば、お互いに本当につながり合うことができる、ということです。このような深い絆は、幸せや喜びよりも、むしろつらさをわかちあうことでより強くなるように思います。」とも言っています。(2月15日付のNDRでのインタビュー)このような思いを日本人に示し、また原発事故の被害者に生きる勇気を贈りたい、という気持ちが映画に託されました。
<ドイツへ向けた思い>
日本から1万キロ離れたドイツでは、福島の事故をきっかけに、それまでのエネルギー政策が大きく転換され、脱原発が決定されました。福島の事故をきっかけに脱原発を政府が公式表明するという、ドイツとスイスの劇的な状況変化について、ドイツ語圏ではよく「フクシマ効果」と表現されます。福島の原発事故は、少なくともドイツやスイスにおいて、政策大転換に決定的に重要な役割を果たしたといえます。
デリエ監督はこのような事実関係を、すこし違う観点からとらえ、独特の言いまわしで表現します。「事故によって脱原発あるいは、少なくともそう向かおうと道を歩むようにな」ったわたしたちドイツ人は、「日本と深い関係に」なったのであり、福島の事故は、日本だけでなく、わたしたちのものでもあるのであり、日本とドイツは原発事故を通じて繋がったと言います。しかし、そうでありながら、ドイツがつながっているはずの片方の先端である、日本の原発事故のその後の状況、汚染地域や除染の進捗状況、また今も避難所で生活している人々の様子などは、ドイツ人にとってあまりよく知られていません。しかしもっとそのことを知る必要があるのではないか、そして「わたしたちが少しはそのことを記憶できるよう」でありたい、そんな思いから、知日派である監督が、ドイツと日本を繋ぐ架け橋となるような作品を「ドイツ人に送ろう」として、この作品になりました。(Vip.deの3月18日のインタビュー)
この映画の海外用タイトルは「フクシマ、モナムール Fukushima, mon Amour」ですが、ドイツ語のタイトルは「福島からのあいさつ」です。原発で繋がったドイツ人に対してフクシマから「あいさつ」を送る、そんな思いをこの映画のタイトルにも託しているといいます。
この映画に関するドイツの主要メディアから地域紙まで目を通した20本以上の記事では、どれも好意的な評価があふれていました。また、上映がはじまって2ヶ月を経た5月半ばの現在でも、ドイツ各地(大都市だけでなく中小都市の映画館を含めて)で上映が続いており、動員数は増え続けています。監督のドイツの人へ伝えたかった思いは、ドイツでは順調に伝達されているようにみえます。
ちなみに、今年は福島の事故から5年であるのと同時にチェルノブイリの事故から30年後ということで、原発についての報道が多くされていますが、ドイツでは脱原発に舵をきってから5年の歳月を記念し、これまでの自身の脱原発の歩みを振り返る機会ともなっています。この5年の間で、精力的に再生可能エネルギーの開発に取り組み、原発は遅くとも2022年までに段階的に廃止する明確な計画を打ち出してきました。最終処分場も2031年までに決定される予定です。今年一般向けに、ドイツ連邦環境・自然保護・原子炉安全省がドイツのエネルギー政策の歩みと今後の展望をまとめて一般向けに発行した小冊子においても、紙面が大幅に占められているのは廃炉と最終的な廃棄処分の問題で、原発問題の関心が、廃炉後の次なる長期の国家的な計画の段階にすすんでいることがよくわかります。
一方、福島の原発事故以後、ドイツとほとんど同時に政府が脱原発の決定を政府が下したスイスでは、ここまではっきりした道すじには至っていません。最古の原発は2019年稼働停止することが決まりましたが、ほかの4基については、寿命に制限を設定していないため、 段階的な脱原発の今後の計画が明確になっていません。日本の原発事故のすでに2年後の段階でアンケート調査によると、事故直後と比べ環境意識や省エネ意識がかなり薄らいでおり、今後もその傾向が強まることが予想されます。デリエ監督の言い方を踏襲すれば、ドイツが原発事故以後に日本との「深い関係」をもったのに対し、スイスでは思ったより日本との関係が深くなかった、あるいは関係が、年月をへて薄れてきたと言えるのかもしれません。
話を映画にもどしましょう。監督は知日派であるとはいえ、日本に対し未だに異質と親和性両者の感情が同居していると言います。監督のこのような二つが相反する感情は、映画のなかにもにじみでているように思われます。一方で異質である日本の国やそこに住む人の生き方に、一定の距離を置いてそこでくり広がることを静かに見つめ、またその一方で、親和性を感じる人たちに、遠くドイツから共感の気持ちを示して、傷みを分かち合いたいと手を差し伸べようとする。「日出ずる国」(ドイツ語でも日本のことをよくこう表現します)へ、ドイツからの「あいさつ」とも読み取れる、暖かいまなざしがこめられた比類のない映画だと思いますので、機会がありましたら、日本のみなさんにもぜひみていただけたらと思います。
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参考文献及びサイト(文中に引用したサイトを含む)
—-映画に関するデリエ監督への主要なインタビュー記事
Doris Dörrie: Überleben in Fukushima, NDR.de, Interview, 15.2.2016.
„Alle Drehorte mit dem Geigezähler ausgemessen”, Die Welt, 6.3.2016.
‘Grüße aus Fukushima’: Doris Dörrie spricht über ihren neuen Film, Vip.de, 18.3.2016.
«In Japan bin ich immer noch ein Elefant», Züritipp, 23.3.2016.
Magdalena, Miedl, “Grüße aus Fukushima”: Wo die Angst unsichtbar lebt, Für ihren Film “Grüße aus Fukushima” hat Regisseurin Doris Dörrie direkt in der ehemaligen Sperrzone gedreht, Salzburger Nachrichten, 31.3.2016.
„Grüße aus Fukushima”: Liebeserklärung an eine Katastrophenregion, BZ, 6.4.2016.
—-映画についてのほかの主要な記事
Seelenreparatur im Sperrgebiet, Tagesanzeiger, 1.6.2015.
Walli Müller,”Grüße aus Fukushima” von Doris Dörrie, NRD,9.3.2016.
Zum Kinostart “Grüße aus Fukushima” Rosalie Thomass: “Japans Katastrophe ist auch unsere”, Abendzeitung. Das Gesicht dieser Stadt, 9.3.2016.
Bert Rebhandl, Doris Dörries Fukushima-Film Japan, schwarzweiß, FAZ, 11.3.2016.
Christina Tilmann, Grüsse aus Fukushima. Ein Elefant trinkt Tee, NZZ, 23.3.2016.
—-ドイツ連邦環境・自然保護・原子炉安全省の脱原発計画についての冊子
Bundesministerium für Umwelt, Naturtschutz, Bau und Reaktorsicherheit, Alle Aussteigen! 30 Jahre nach Tschernobyl: Was noch zu tun ist, 2016.
—-スイス人の「フクシマ効果」と環境意識低下について
Der Fukushima-Effekt ist verpufft, Tagesanzeiger, 24.2.2013.
Der Fukushima-Effekt ist verpufft, SRF, 11.3.2014.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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