世界中で消費される元祖インスタント食品 〜19世紀の労働者の食生活を改善するためのマギー(魔法?!)のスープ

世界中で消費される元祖インスタント食品 〜19世紀の労働者の食生活を改善するためのマギー(魔法?!)のスープ

2018-01-11

今回から3回の記事で、19世紀から現代にいたるまでの食品や理想の食生活の変遷について、転機をもたらした具体的な食品をとりあげながらみていきたいと思います。初回の今回は、19世紀の産業化時代にスイスで開発された元祖インスタント食品ともいえるスープの素(液体や固形ブイヨン)について注目し、それがどのような経緯で生まれ、グローバル化する食文化の潮流で、現在どのような役割を果たしているのかを概観してみます。次回は、20世紀の戦後の高度経済成長期のヨーロッパ(ドイツ語圏)の食生活の変化について、 調味料や料理自体の意味の変化から探ってみたいと思います。そして3回目の最終回では、ドイツ語圏の食文化の現在の様子とこれからの展望について、外食産業の最近の新たな動向に目を向けながら、考えてみたいと思います。
3回の記事を通じて注目したいのは、食材や調理法などの表層的な食文化の変化だけではなく、食事において重視されることが、時代とともにどう変化していったかという点です。
今日、わたしたちが購入できる食品の種類や形態は、ローファットのマヨネーズ、ファアトレードのインスタント食品、 調理済みの冷凍有機野菜、輸入食材、栄養機能食品・・・ と、非常に豊富ですが、みなさんが食品を選ぶとき、どんなことが決め手になるでしょうか。
多くの人たちにとって重視されるのは、以下のような点であると考えられます。
・入手しやすい価格であること
・簡単に食べられること
・おいしいこと
・健康的(栄養学的に優れていたり、健康を促進するもので)であること
・環境負荷や社会的配慮(エコロジカル・フットプリントやフェアートレードなどの)
これらの点は、現代の個々人によって優先順位が異なるだけでなく、時代によっても、重視するものや全く考慮されないものが大きく違っていました。このため、これらの要素を、食文化のそれぞれの時代の求めらてきた価値や要望を知る手がかりとしながら、 以下3回にわたって、具体的な事例をとりあげていきたいと思います。
19世紀労働者の食生活の改善策として開発されて元祖インスタント食品
みなさんが実際の調理で使ったことがあったり、使ったことがなくてもランチセットのコンソメスープの味として馴染みがあると思われる固形ブイヨン(スープの素)は、19世紀のスイスで生まれました。その時期のスイスで誕生した理由は、その時代の社会状況と深く結びついていますので、歴史をさがのぼってすこしご紹介します。
当時、スイスでも繊維産業などを中心に産業化がすすみ、工場で働く人が急激に増加していきますが、低賃金で長時間労働の労働者家庭では、女性も男性と共に工場で働くことが多く、家庭で料理をつくる時間も人も不足するようになります。
この結果、多くの労働者家庭が栄養不良に陥っていることが、当時のリベラルな市民たちの間で問題視されるようになります。「スイス公益協会Schweizerische Gemeinnützige Gesellschaft (SGG)」でも、医師で工場検査官も兼ねていたシュプラーFridolin Spulerを招いて「工場従業員の食生活とそこでの欠乏」という題名の講演会が1882年にひらかれます。
講演では、良好な食生活をするためのお金だけでなく時間も不足している労働者は、コールドディッシュ(調理をしないで済ますパンにチーズやサラミのような簡単な食事)やアルコール類で済ましていること。工場に食堂がある場合も、食事が安いのはいいが栄養的には好ましいものではないこと。それらの結果、栄養不良、胃腸の病気が労働者の間で頻繁にみられ、また子供の死亡率の高さにもつながっていることなどが説明され、スイス全体の工場労働者とその家族の栄養不足に警鐘が鳴らされました。
またシュプラーは、状況を改善するための手立てとして、労働者のために早くで安くできる食事の必要性を訴えました。特に、肉類同様にタンパク質が豊富であるのにはるかに安価で手に入り、消化もいい豆類の食品が、有望な食品として推奨されました。
この講演を聞いていた一人に ユリアン・マギー Julian Maggiがいました(マギー は、親がイタリアからの移民であり、 イタリア語読みして「マジ」と呼ばれることも多かったようですが、製粉所をもとに彼がスイスに1872年に設立した食品加工会社はドイツ語圏でも日本でも 「マギー」として知られているため、ここでも彼の姓を社名と同じく「マギー」と表記することにします)。たんぱく質が豊富な豆類を製粉した材料を食品化することにすでに高い関心をもち開発をしており、講演の前年の1885年には、9種類の豆類の商品を発表し、チューリッヒで開催された「料理展示会」で、「第1級証書」を授与されていた人物です。
講演後、スイス公益協会は、早速、シュプラーの推奨する新しい豆類の食品の開発をマギーに依頼し、そのための支援を申し出ます。
待望の食品開発へ
マギーはその後多くの試作を重ね、2年後の1886年に最初の食品が開発されます。それは、グリーンピースやほかの豆類の豆粉からつくられた調理済み即席スープの素で、それから数年の間にさらに22種類の粉末スープも開発されました。
しかし、商業的に大きな意味をもったのは、同年1886年に続いて開発された、液状の万能調味料の方です。「マギー・ビュルツェ(ビュルツェはドイツ語で調味料のこと)」と名付けられたこの液体調味料は、その後ドイツ語圏でその存在を知らない人はいないと言われるほど、ロングヒットとなっていきます。現在でも、ほとんど当時と変わらないシンプルな瓶に入れられ販売され、ドイツだけでも年間1900万点売れており(2012年現在)、世界有数の食品加工企業に現在発展したマギーの食品のなかで、今でも人気定番商品のひとつです。
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固形ブイヨンの発明
さらに、1909年、マギーは、肉のエッセンスではなく、植物性のタンパク質だけで、肉を想起させる味の、固形ブイヨンを世界で初めて開発しました。ブイヨンとは、日本ではコンソメと混合されて理解されていますが、もともと煮込んで作った汁の部分、だし汁部分のことで、コンソメはされにそれを使ってつくるスープそのもののことを指し、固形ブイヨンとは、それを投じれば長く煮込んだ時の煮出し汁のような味のスープになるエッセンスを凝縮させたものです。
肉のエキスを抽出したスープの素はそれ以前からありましたが、低賃金層にはとうてい入手不可能な高嶺の花でした 。しかし、工場で量産される植物を主原料とする固形ブイヨンのおかげで、貧しい家庭でも、安価でしかも簡単においしいスープを初めて食することができるようになりました。例えば1910年当時、1kgのスープをつくるのに、固形ブイヨンを使うと、肉を利用して作るときの値段の30分の1以下で済んだと言われます。
もともと貧しい労働者層の食文化の改善のために開発されたこれら植物原料のスープの素や調味料ですが、すぐに市民層の間でも人気をもち、広がっていきます。固形ブイヨンは、洗練された食文化の伝統があるフランスでも成功し、1912年の時点で、フランスでは600万箱の固形ブイヨンが販売されました。
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固形ブイヨンの世界的な普及
そして開発から100年余りを経た現在、固形ブイヨンは 、世界的にシェアを広げる世界共通の食品へと成長しました。
西アフリカで固形ブイヨン現象についてのフィールドリサーチを行い、2011年にこれをテーマに本を刊行したライプツィヒ大学の民俗学者シュトポックManfred Stoppok によると、アフリカで、水道水や電気がないところでも、村の店にいけば、マギーの固形ブイヨンがあるといいます。それほどマギー社やクノール社の製造する固形ブイヨンは、アフリカの一般的な家庭で、調味料として圧倒的な地位を占めるようになっており、それがないと調理は不可能と思われているほどだといいます。実際に、西と中央アフリカだけで、毎日360億個の固形ブイヨンが消費されています(Grossrieder, 2017)。
これだけアフリカで消費量が増えたのは、大手固形ブイヨンメーカーが現地で繰り広げた広告キャンペーンによるところが大きいとされますが、アフリカでは固形ブイヨンが独特の意味も表象していることも、大量の消費につながっているとシュトポックはいいます。植民地時代ヨーロッパからアフリカにもたらされた固形ブイヨンは、今も、固形ブイヨンは、コカ・コーラやビックマックのように、都会や近代化、西欧のライススタイルを象徴するものとしてとらえられ、それゆえ人気が高いとシュトポックは解釈します。
グローカリゼーションの成功例
アフリカだけでなく、アジアや中南米でも今日大量に消費されている固形ブイヨンですが、味には、少しずつ地域による差異がみられます。大方の人がおいしいと感じるベースの味を基調にしながらも、それぞれの地域により微妙に異なる味の好みを尊重することで、様々な地域特有の味に仕上げられており、例えばアフリカの固形ブイヨンはヨーロッパのものより辛めの味になっています。
このようなグローバルとローカルが合わさったグローカリゼーションの形が、グローバルに成功をおさめる秘訣であり、固形ブイヨンの人気と定着に大きな貢献をしてきたとされます(Grossrieder, 2017)。
以前、やはり世界的に定着したカップヌードルが世界中で少しずつ好みの味にかえており、世界中でトータルで数百種類以上の味があるという話を聞いたことがありますが、固形ブイヨンもまったく同様の手法により、成功した好例といえるでしょう。
とはいえ、社会や生活スタイルが大きく変わった100年の間に、いまも基本的にほとんど変わらない味と形で、5大陸のほとんどの地域で日々の日常に不可欠な食品として市民権を得たという事実自体も、興味深く感じられます。
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会社と従業員をウィンウィンな状況にもたらした商品開発
最後に、少し脱線しますが、 労働者用の新しい食品に取り組んで成功したマギー社の、商品開発だけでなく、従業員の就業環境への配慮についても触れておきます。
マギー社は産業化時代の企業としては先駆的な従業員への福利厚生政策をとっていたことでも有名です。社内食堂の設置のほか、労働者住宅、従業員の保養施設なども建設し、事業者健康保険や有給休暇制度を導入し、社内旅行や行事なども開催していました。消費者協会(従業員が安く購入できるために設立された団体で、生協の前身)も設立され、1907年のドイツのジンゲンSingenにある主要な生産工場のストライキの後は、従業員代表を組織する労働者委員会も設置しています。
これらの当時としては珍しい福利厚生制度は、クノールなどのライバル食品メーカーなどに、従業員を通じてレシピなどの企業秘密が漏れないようにするための対策でもあったといわれますが (Rechtsteiner, 2017)、結果として従業員の福利厚生の重視という当時としては先駆的な方針をとることになり、従業員にも会社にとってもウィンウィンの状況を生み出すことになりました。
おわりに
19世紀の産業化時代のはじまりとともに、大量生産や遠方からの大規模な輸送が可能になり、食文化においても様々な新たな可能性が生まれていきます。そこで、富裕層だけではなく一般の大衆にとっても、おなかがいっぱいにすること以外の価値として「健康的」であることが、食事に次第に求められるようになったわけですが、植物原料ベースのスープの素を、「健康的」な食材と考えた当時の理解は、現代のそれとはかなりずれているのが印象的です。
インスタントスープで食生活を改善しようという19世紀の社会的な使命感や発想のどこがいつどのように変化して、現在のような、インスタント食品=悪い、できれば避けたいもの、という感覚(少なくとも先進国では)になっていったのでしょう。
次回は、そのインスタント食品への社会的スタンスが大きく変化し、新たな食生活嗜好が形成される過渡期にスポットをあてて、引き続き、食文化やそれに対する期待や価値観の変化を探っていきたいと思います。
<参考サイトと文献>
Brühwürfel, wikipedia (2017年12月27日閲覧)
Burmeister, Thomas, Würzsauce Der Maggi-Schöpfer und sein geheimes Würzrezept. In: welt.de, 19.10.2012.
Der Mann, der uns die Suppe brachte. Zum 100. Todestag von Julius Maggie. In: Heimatspiegel, Nov. 2012, S.81-88.
Dohna, Jesko zu, Maggi in Afrika Zusammengewürfelt. In: Der Tagesspiegel, 20.04.2015 16:04 Uhr
Grossrieder, Beat, Ein Würfel geht um die Welt. In: NZZ, 10.6.2017.
Julius Maggi. In: Wikipedia, Deutsch
Maggi. In: academic.com (2017年12月27日閲覧)
Rechsteiner, Alexander, Blog, Nationalmuseum, 06.2017. (2017年12月27日閲覧)
Unsere Geschichte Von 1846-Heute, maggi.de(2017年12月27日閲覧)
Weite Welt, kulinarischer Alltag, kulinarische Erinnerung, Welt der Würfel(2017年12月27日閲覧)
Winkenbach, Julia, Maggi Würze. In: Welt am Sonntag, 16.1.2005.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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