公平な女性の社会進出のルールづくりとは 〜スイスの国会を二分したクオーター制の是非をめぐる議論
2018-11-05
今年6月、スイスの国民議会で、企業の執行役員会と取締役会にクオータ制を導入する案が可決されました。クオータ制とは、役職をの一定の割合で女性に割り当てる制度です。これにより、将来従業員250人以上の上場企業の取締役員の30%、執行役員の20%以上を女性が占めることが義務付けられました(ただし罰則規定なし)。
この導入案は、わずか一票差(賛成95票、反対94票、棄権3票)で可決されました。国会の賛否のほぼ同数に割れたという事実は、スイスで現在も、女性の社会進出の問題の捉え方やその政策について、議員や政党によって考え方が大きく異なっていることを如実に表しているように思われます。
国会でなくスイスの社会全体としては、女性の社会進出を支援する策とししてのクオータ制導入についてどのように受け止められているのでしょうか。またスイスでは、実際に、クオータ制という枠組みはどう活かされ、定着していく見込みでしょう。今回と次回の記事では、これらの素朴な疑問を下敷きにしながら、スイスの女性進出の現状と今後の展望を整理してみたいと思います。
クオータ制は、ヨーロッパの多くの国々で、政界や経済界で女性の社会進出の鍵として導入されていますが、ヨーロッパ内でも国によって女性の就労をめぐる社会制度や就労状況にかなりの差異があるため、それが実際に今後、どのくらいの期間で定着するかあるいかしないのかは、国によってかなり違ってくるのかもしれません。スイスを含めたドイツ語圏は、ヨーロッパのなかでも、母親の家庭や育児の役割を重んじる伝統が根強いため、クオータ制や男女同権の先進国であるスカンジナビアの国々や、独自の男女同権の就労の歴史をもつ東ヨーロッパの旧社会主義国などとは、違った形やテンポで、クオータ制が展開をすることも考えられます。
今回のレポートでは、このクオータ制についてのスイスなどドイツ語圏での主要な賛成と反対の意見を、整理してみます。そして次回は、スイスの女性の就労全般の状況をより広い文脈でおさえ、スイスの女性の社会進出の方向性についてさぐってみたいとおもいます。
共通する合意部分
賛否の議論をみていく前に、まず、女性のクオータ制に反対する人と賛成する人が合意している部分をおさえておきます。それは、女性と男性の同権とそれに基づく女性の社会進出の促進です。特に、近い将来、社会の人口構造が高齢化と少子化により、これまでにない規模と範囲の労働力不足が予想されるため、労働力不足を緩和する重要なファクターとしても、女性の人生における長期にわたる幅広い職種の就労が期待されています。つまり、女性も働きやすくする、女性進出をさまたげないようにする、ということは、スイスの現在の圧倒的多数の共通見解、前提だといえます。
ドイツ語圏に「女性(特に母親)は家庭と育児」という見方がスカンジナビアやフランスなどよりも近年まで根強く強くあったことも事実ですが、このような意見は、少なくても公的な場では支持を得られなくなっており、社会の一部や心情としてある程度支持されているとしても、思想としては社会での実際の影響力は年々減っているように思います。
一方、そのような社会的な合意があっても、いざ具体的にどのような策が女性の社会進出の上で妥当か、というところでは、大きく意見が割れている状況です。
クオータ制賛成派の意見
まず、クオータ制賛成派の意見をみてみます(賛成派の意見は、世界中おおむね一致しているので、詳細は、ほかの多くの研究や議論をご参照いただくことにして、ここではおおざっぱにまとめるに留めることにします)。
現在、女性は118の大手スイス企業で、執行役員になっている女性は11人しかおらず、企業全体の59%が、執行役員に女性が一人もいません。また執行役員の任期も女性は平均3.9年と男性の8.1年に比べ、2分の1以下の期間になっています(schillingerreport 2018)。
このようなデータをみて、クオータ制賛成派は、現在の多くの企業では、女性の実際の仕事能力や実績が、十分反映されていない状況にあると考えます。
十分に女性が職場で特に高い地位に付いている人が少ないのは、女性が、抜擢や選抜で振り落とされてしまうからであり、能力がある女性が少ないからではない。しかし、それをいくら繰り返し認められたとしても、なにもしないでいるのでは、企業内の女性の就業状況はなかなか変わってこない。能力ある女性求む、と掛け声をかけあっているだけでは、変化はあまりに遅々としている。だから、女性が実力主義で昇進していくのももちろんいいことだが、それだけでなく、もうすこしカンフル剤的なものを強行手段として必要だ。そう考え、有効な政策をとることを必要とし、制度として役職の一定割合を女性に割り当てることを義務づけるのが有効であると考えます。
この考え方の底流には、一旦、長年のねじれ(能力ある女性がそれに相当する地位につくことが「不当に」妨げられている状態)がほどかれれば、あとは、クオータ制に頼らずに女性が正当な地位につける社会が成立する、という楽観的な前提があるともいえます。
反対派の意見
これに対し、反対派は、どのような点で反対しているのでしょうか。これについては、人や時期によってかなり異なりますが、主だった最近までの根拠を、以下、女性クオータ制についてのドイツ語のウィキペディアで整理されている論争項目を参考にしながら、整理してみます(Frauenquote, Wikipedia)。
―自由主義的経済の観点からの批判
スイスのクオータ制導入の決議では、保守系右派の国民党や中道右派の急進党は反対を表明しました。両政党は、制度的な措置で、政治が社会や自由市場に介入することを嫌う傾向が強く、女性であるということだけで昇進を促進しようとする措置を不服とします。彼らは、シンプルな実力至上主義をかかげ、女性だから起用するというのではなく、能力がある女性だから起用する、ということで解決すると考えます。これは結果として、「能力がともなわない」女性を起用することで貴重の経済活動に支障がでると考えることになり、クオータ制に反対する立場となります。
―新たな不公平を生むという批判
一概に割り当てを決めることで、新たな不公平を生むのではという反論や危惧もみられます。
例えば、力量的には高い男性でも女性でないことで優先されないというケースがでれば、今度は男性に対して不当だとします。例えば、ドイツの自動車メーカー、ダイムラーでは女性の就業は13.9%であるのに、監査役の委員は最低でも30%女性が占めなくてはならないというのは(ドイツで2016年から施行された法律により義務化された)、おかしいのではと異議を唱える人がいます。
ちなみに、女性を限定しなんらかの支援を打ち出す方針が、公平性からみて妥当かという議論は、就労に限ったものではありません。理系科目への女性進出が思うように進まない教育現場でも考慮すべき問題となっています(「謎多き「ジェンダー・パラドクス」 〜女性の理工学分野進出と男女同権の複雑な関係」)。
―最たる「差別」という見方
また、クオータ制が対象とする「女性」という枠組みそのものが、差別を前提にしている考え方で、「差別」の最たるものだとする意見もあります。
個性や能力や志向が違う様々な女性を、個々の人格とみるのでなく、性別だけで分けて、判断することを前提とするこの政策が、一面的であり、性差別の最たるものというものです。
―女性の間に新たな差別をうむ
女性のキャリア推進という社会進出の一定の方向に向かわせることで、女性のなかに新たな差別構造が生み出され、女性が、社会的強者の女性と、社会的弱者の女性というふたつに分けることになる、という指摘もあります。
その主張を認めてみると以下のようになります。クオータ制は、女性が男性と同じような高い地位につくことを目指すものであり、女性の就業のあり方が、そのような頂点を目指す就業の在りかたに、一元化されやすくなる、すくなくともそれを助長することになるのではないか。そうすると特に、無報酬でプライベートな領域で行われる育児や介護などの仕事やその社会的貢献を、(経済的あるいは社会的に認知されている)従来の就労ど同様に、積極的に認知しなければ、それらに従事する人々は、差別や批判にさらされやすくなる。そしてその人たちとは主に、高い地位や昇進といった目標や評価などとは無縁の、子育てや家族への就労時間を多く費やす母親となるといいます。
ここでは、本来、だれもが自分の人生をどう生きたいか、どのような就労の仕方をしたいかを選べるのが理想的であるとすれば、結局、家族や子育てを是とする母親という生き方が認められにくくなるというのは、時代に逆行するのではないか、というのが批判の核にあるといえます。
―対象とする業種が一部であることは不公平?
また、現在民間企業に導入しているクオータ制が、主に大手企業という、ごく一部の業界であることもまた、不公平なのでは、という批判もあります。このような政策を実施するのなら、(女性の就労が現在少ない)ごみの収集や上下水道の清掃など、すべての分野で一貫して行うべきだ、という批判です。
―ほかの事項との優先関係
ほかに、クオータ制を問題視する見方として、ほかの優先制度と共存させることの難しさを指摘する声もあります。
国によっては、女性の雇用に関するクオータ制以外にもほかの擁護・優先政策をとっている場合があります。例えば、アメリカではアファマティーブ・アクション(歴史的・構造的に差別されている集団に対する特別優遇製作)があり、スイスでは4カ国の公用語の人才に対する割り当て措置があります。
これらは、社会的マイノリティを擁護・支援するという意味で同様に重要な課題であるというのが基本的なスタンスですが、このような支援措置が複数あると相互の優先順位が問題になったり、雇用や経営への拘束が増えまることで企業の負担が大きくなることを危惧する指摘です。
おわりに
このように、一旦クオータの是非の議論に分け入ってみていくと、様々な立場を反映し多様に展開しており、それぞれ一理あるようにみえ、国会でも二分したように、明快な是か非かの判断をするのが難しく思われます。
とはいえ、どの指摘をより重視、尊重すべきかと、議論が交わす時代ではもはやなくなりました。スイスではクオータ制への舵とりをすでにとることをすでに決めたため、これからはそれをいかに社会にできるだけスムーズに定着させるか、という段階に入ったといえます。
次回は、このようなクオータ制が前提となる女性就労の新たな時代において、どのような女性の就労が展開するかという点に、集中してみていきたいと思います。
※ 参考文献とリンクは、こちらのページに記載させていただきます。
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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