筆記用具と書籍分野でのアナログ・ブーム 〜デジタル時代に新たに問われ、求められるものとは?

筆記用具と書籍分野でのアナログ・ブーム 〜デジタル時代に新たに問われ、求められるものとは?

2017-06-13

この数十年の間で、紙を使っていたものが、デジタル機器にとって替わられてくるのを、先進国の誰もが目の前で目撃してきました。すでにゲーム分野ではデジタル媒体が首位になって久しいですし、オフィスの業務からお金の決済、コミュニケーションにいたるまで、ペーパーレスが進んできており、その勢いたるや、一見、近い将来、トイレとティッシュペーパー以外の紙が、すべて近いうちに消滅するかと思えるほどです。
一方、その勢いは現在も変わらないにせよ、つきあいが長くなってくるうちに、紙の代わりをつとめてきたデジタル機器の限界や短所もだんだん実感されてくるようになり、紙媒体の再評価や売り上げの伸長が目立つ分野が、最近、ヨーロッパででてきました。今回は、デジタル化最前線を追っているだけではなかなかみえてこない、このような新しい動きを、筆記用具と書籍分野から、読み取ってみたいと思います。
筆記用具の好調な売り上げ
まず、筆記用具分野の最新事情をドイツを例にとってみてみましょう。ドイツには、世界的に鉛筆の基準となっている6角形の木軸鉛筆を19世紀半ばに開発したファーバーカステル Faber-Castellを筆頭に、ステッドラーStaedlerやスタビロStabiloという世界的な大手筆記用具製造メーカーがあります。ファーバーカステルは、年間、20億本の木軸ペンシルを製造する世界最大の鉛筆製造業者で、ステッドラーも、日本をはじめ24カ国に支社をもち、160カ国以上で文具を販売しています。スタビロも、グループ全体で5100人従業員を抱え、文具および化粧品分野で世界的に名を馳せるメーカーいます。
近年、この3社はいずれも記録的に売り上げを伸ばしています。ファーバーカステルでは、2015年から2016年の1年で前年比で10%売り上げが伸び6億3100万ユーロに達し、ステッドラーは、2015年、3億2200万ユーロの売り上げで前年比で14%増、スタビロの文具部門も同年、売り上げ額は約10%増し、1億8500万ユーロでした。3社とも3交代制で24時間フル回転するなど、生産ラインの強化をはかり、この空前の筆記用具の特需に対応しています。
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大人のぬりえブームと「ドイツ製」というブランド力
デジタル化の進行と鉛筆の消費は反比例するように思えるのに、なぜ今、鉛筆やペンなどの筆記類が、史上最高の売り上げを記録しているのでしょう。それは、世界的な大人のぬりえ Adult coloringの流行と直結しています。ここ数年世界的に大人の間でぬりえの人気を高まっており、アマゾンでも2016年初めから3月までに最も売れたアマゾンの本20冊のなかで、4冊が大人のぬりえ本でした。
ただし、ドイツで鉛筆類の売り上げ増加には、ほかの要因も関連していると専門家は指摘します。それは、中国などのアジア諸国での需要の増加です。豊かになってきたアジアでは、単にモノを消費するのではなく、品質へのこだわりも強くなってきており、質の高さを強くイメージさせる「ドイツ製」の製品への人気が高まっています。筆記用具業界もその例外でなく、アジア全般で購買が増えているようです。ステッドラーでは、「メイド・イン・ジャーマニー」のブランド力を最大限活用するため、商品の8割をドイツで実際に製造しています。
ジャンルにより使い分けられる書籍
書籍分野でも、変調がみられます。今年4月イギリスの日刊紙『ガーディアン』によると、イギリスでは、2011年以降、電子書籍の売り上げが好調でしたが、昨年2016年は、はじめて、前年比で17%売り上げを減らし、逆に紙の書籍の売り上げが8%増加したというのです(Sweney, 2017.)。
詳細をみると、書籍の分野によって紙が好まれるか電子書籍が好まれるかが異なるのも特徴です。教育や学術的ジャンルなどでは、電子書籍は相変わらず売れているのに対し、小説類では電子書籍の伸び悩んでいます。一方、フィクション、ノンフィクション、子どもの本類では、紙の書籍が、昨年は前年比で9%売り上げを増やしました。
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この現象をどう理解する?
さて、このような最近の筆記用具や書籍をめぐる状況を、みなさんは、どうご覧になるでしょうか。大勢の大人が急にぬりえを始めた理由について、スタビロのマーケティング主任のブリンクマン氏は「スローライフという大きなトレンドがあり、大人のぬりえは、その一部」であり、デジタル化が進む日常に対して釣り合いをとるための 「カウンターウェイト」という分析をしています(Krapp, FAZ, 2016)。
ほかにも、デジタル漬けの生活の疲れでたまったストレスの解消やいやしをもとめて、紙の需要が逆に高まってきた、という説明・分析をよく目にします。これは、一見、わかりやすい説明ではありますが、よく考えると、どうしてアナログの紙の媒体では、ストレス解消や癒しになり、デジタルではならないのか、という問題の核心がよくみえてきません。このため以下では、ぬりえや紙の書籍などの特徴を改めておさえながら、紙媒体が再評価や人気に結びつく理由を、いくつか具体的に考えてみたいと思います。
ハプティックな体験としての評価
ぬりえも紙の書籍には、デジタル機器で置き換えられない要素や機能がいくつもあります。ぬりえを例にとってみると、技術的にスクリーンタッチで濃淡をつけて、アナログ風に仕上げることができても、それで紙のぬりえをすべて代替できるわけではありません。特に、紙や鉛筆という素材の肌触りや、紙に色鉛筆を押し当てているときの手応え、かすかな擦れる音といった、アナログぬりえの多様なハプティク(触覚的な)体験は、少なくともいまのデジタル機器での代替は不可能な要素です。
書籍においても、例えば子どもの本が昨年、紙の書籍が顕著によく売れたという事実は、電子書籍に代替されえない特別のハプティックなよさが、子どもの本で重視されたことを物語っているように思えます。本は大きさや厚さも紙の質感も多様であり、飛び出す絵本はもちろん、紙ならではの遊びのしかけをもつ本も多数あります。また、子どもたちが何度も読んでいるうちにページがよれたり、折れたりして、同じ本でも新品とは違う「 自分の本」という愛着や特別の意味が生まれます。読んだ本はその厚さで達成感が実感できますし、本をめくる時には、不自然で完璧な人工の音ではなく、もちろん、本物独特の音と感触を味わえます(!)。
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これまでのデジタル機器は、視覚や聴覚だけに特化して発達してきたため、大部分のハプティックな体験は、すべすべのスクリーンにタッチしたりキーボードを押すだけの、非常に限られた乏しいものでした。同時に、ハプティックな体験がモノトーンで貧相であること自体が、なんら問題だともほとんど考えられてきませんでした。しかし、これら視覚に依拠しない情報、とくに触覚による情報は、これまでわたしたちが想像していた以上に、刺激に富み、人々の生活を豊かにするものであることが、最近学問や産業界では徐々に知られるようになってきました(この詳細については、「ハプティック・デザイン 〜触覚を重視した新たなデザインの志向」をご高覧ください)。
ぬりえや紙書籍のブームは、このようなハプティックな体験を再評価・再発見する新たな時代の潮流にあり、意識的にか無意識的にかハプティックな体験を重視する人も増えてきたことを、まず、示していると思われます。
自己満足や達成感をもたらす
また、紙のぬりえにおいては、簡単に達成できないからこそ、逆に高い自己満足につながり、やりがいになる、といった心理的な充足感や達成感も、デジタル機器には代替できない重要な要素だと考えられます。
少し話はそれますが、数年前に、切り絵の展示をみにいった時、おもしろい体験をしました。スイスでは伝統的に切り絵美術がさかんであり、展示でも、中世から現代まで様々な切り絵が展示されていたのですが、切り絵の世界もデジタル化が進み、近年、作業工程は大きく変化しました。かっては、ハサミやナイフでの切りとりは膨大な労力と集中力を要する作業でしたが、現在はレーザーで正確により細かく切ることができ、デザインを入力すれば全自動で完成させることもできます。それをわかって作品を鑑賞すると、おかしなことが起こりました。最初感心して見た作品でも、その作品がレーザーで切ったとわかった途端、作品に対する自分自身の評価が下がってしまうのです。作品の客観的な出来栄えとは別に、作業の工程やかけられた労力の量で、満足度・達成感で違いをもたらすというのは、大人のぬりえとも共通するように思えます。ぬりえのような作業が、デジタル媒体を使って簡単にできるようになると、どんなに趣向をこらしたものでもデジタルに作られたものには相対的に低い価値しか置かれなくなり、むしろ、手をつかって根気強くやる、失敗しても直せないリスクがあるものに、高い価値や自己満足が高まる、という傾向がでてくるのではないかと思います。
そして、このようなハプティックな楽しみや自己満足感・達成感こそが、ストレス解消や、癒し効果など、さまざまなポジティブな効果を引き出す主因ではないかと考えられます。
扱いやすさ
質感の味わいや充実感の高まり以外にも、アナログ媒体には、デジタル機器には代替できない、端的な特徴があります。例えば、紙の書籍やぬりえ用具は、いつでも長時間、バッテリー容量など気にせずに気軽に持ち歩け、多少の乱暴な扱いや衝撃にも耐久性のある素材でできているため、デジタル機器に比べ扱いが楽で、便利です。 仕事時間や通勤中はデジタル機器を欠かすことができなくても、あるいはそうであるからこそ、プライベートの時間や行為においては、むしろ、気楽なアナログ媒体を好んで使おうとする人がいても不思議はありません。
ヒトの身体的能力や耐久性を考慮
また、身体的な過剰な負担をすこしでも軽くするため、好む好まざるを問わず、デジタル機器の代替としてアナログ書籍を、意識的に求める人も増えているようです。デジタル機器を使うことによる身体的な負担で、とくに多いのが目への負担です。スクリーンを見続けることによる疲労や視力の悪化は、ヨーロッパでも「Screen fatigue」などと呼ばれ、国民的な職業病となりつつあります。ヒトとしての身体的耐久性や能力に限界があり、それを超える過度な利用が続けば、健康を害することになり、便利から一転し、非常に不便なものになってしまうという、言って見れば当たり前の理解や自覚が、やっと、デジタル機器を使う「目」という身体機能についても、でてきたということかもしれません。いずれにせよ、目の負担を減らす目的で、紙の書籍を購読する人が増えていることも、紙媒体の書籍の復活に一役買っていると考えられます。
「脳を活性化する」という説
紙の媒体は、デジタル機器に比べ、目に負担をかけないだけでなく、脳の働きを維持・活性化するのに非常にいい、という意見もあります。以前にも紹介しましたが(「デジタル・ツールと広がる読書体験」)、紙を通じて読んだり、鉛筆を使って思考をまとめたり、表現するほうが、同様の作業をデジタル機器を使って行う場合よりも、脳を多用な形で刺激し、長期的に活性化させることになります。この結果、記憶に残りやすくなったり、集中力を高められたり、総合的に把握する理解力も増すといいます。
この説は、脳のしくみがあまりにも総合的で複雑なため、端的に証明できるものではありませんが、少なくともドイツ語圏の教育関係者の間では、すでに広く支持されており、こどもは幼少期からなるべくデジタル機器から距離を置くことが、全般に奨励されています。(幼少の子どもだちの教育現場で、デジタル機器の代わりに、どんな遊びやその中での学びが重視されているのかについては、「想像の翼が広がる幼児向けアナログゲーム 〜スイスの保育士たちが選ぶ遊具」も、ご参照ください。)
このような教育関係者層で一般的になっている意見が、発育期の子どもに限らず、子どもから大人まで、ヒト全般の身体的な機能の発達や維持においても有効だという理解が、社会の多数派に共有されるようになれば、紙媒体の需要は、一層大きく広がっていくことになるでしょう。
おわりに
総じて、アナログ書籍や筆記用具の人気は、様々な理由からデジタル機器よりもむしろアナログ媒体を意識的に選ぼうとする人たちが、一定数、出現してきたことを示しているといえるでしょう。
未来において、社会全体ではデジタル機器の汎用性はさらに広がるでしょうが、その一方で、バランスのいい食事にするためにビタミンをとったり、健康を維持するために適度な運動をするといったように、デジタル機器だけで不十分な機能を、意識的にアナログ媒体で補完・補充するというのが、時代のスタンダート・常識になっていくのかもしれません。
<参考サイト>
——ドイツの筆記用具業界の記録的な売り上げについて
Marina Zapf, GESCHICHTE SCHREIBEN, Folge 3 Stifte, Capital, 20.4.2017.
Matthias Huber und Jakob Schulz, Schreibwaren Buntstifte-Hersteller schieben Sonderschichten - wegen Erwachsenen, Süddeutsche Zeitung, 22. März 2016.
Catiana Krapp, Ein brummendes Geschäft: Ausmalbücher für Erwachsene, FAZ, 14.3.2016.
Ausmal-Boom führt bei Faber-Castell zu Rekord-Umsatz, Welt.de, 18.8.2016.
Schwan-Stabilo fährt wegen Ausmal-Boom Rekordumsatz ein, FAZ
19.10.2016
Schwan-Stabilo, Wikipedia, (Deutsch) (2017年6月5日閲覧
ステッドラー公式サイト(2017年6月5日閲覧)
Staedler, Wikipedia (Deutsch) (2017年6月5日閲覧)
ステッドラーの歴史(Staedler の日本支社公式サイト)(2017年6月5日閲覧)
Faber-Castell, Wikipedia (Deutsch)(2017年6月5日閲覧)
ファーバーカステル、ウィキペディア(2017年6月5日閲覧)
Adult Colouring Warum erwachsene Deutsche jetzt Buntstifte kaufen, Welt.de, 4.4.2016.
——2016年のイギリスの書籍の売り上げについて
Mark Sweney, ‘Screen fatigue’ sees UK ebook sales plunge 17% as readers return to print, the guardian, 27 April 2017.
——ドイツのブランド力について
Dorothea Siema, Wettbewerbsvorteil Warum man in aller Welt „Made in Germany” so liebt, Welt.de, 27.3.2017.
——ほか
Jürgen Salz, Peter Steinkirchner, Henryk Hielscher, PLATTEN, POLAROID UND PAPIER, Wirtschaftswoche, 12. Mai 2017
Screenfatigue, 100 Sekunden Wissen, SRF, 1.6.2017.

穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振
興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。


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