地域経済・就労のサイクルに組み込まれた大学 〜オーストリアの大学改革構想とフォアアールベルク専門大学の事例
2016-11-08
大学や大学院などの高等教育機関は、その国や地域の学問や文化の重要な担い手であるだけでなく、研究開発によってイノベーションを促進し、高い技術や知識をもつ人材を育成することで、その国や地域の社会や経済に長期的に大きな影響を与えます。このため、どの先進国においても、高等教育政策については常に高い関心が払われ、様々な角度から議論が行われています。しかし意見や議論は多くても、答えを出すのは容易ではないようです。それぞれの国や地域の規模、教育レベル、インフラ、また高等教育に投じる予算によって目標は異なるでしょうし、状況・経過に合わせてその都度目標そのものの見直しや修正もおこなう必要もあるでしょう。
今回は、 オーストリアの高等教育の実情を観察しながら、先進国がこぞって議論している高等教育の将来について一考を加えてみたいと思います。まず、オーストリアの大学の現状と、近く実行される予定の国内の大学制度の見直し構想について概観し、そのあとは国家レベルの議論を離れ、フォアアールベルク専門大学という大学に注目してみます。フォアアールベルク専門大学は設立から4半世紀の比較的新しい大学ですが、独自の大学のスタイルを確立して成功している好例といえます。この大学を例に、大学の在り方やその可能性を具体的に考えてみたいと思います。
オーストリアの大学制度
オーストリアには、ほかのヨーロッパ諸国同様、エリートのための高等教育の場として機能してきた「総合大学 Universität 」の長い伝統があります。他方、1990年以降は「専門大学Fachhochchule」という新たなジャンルの大学が、ドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)で広く配置されていくようになりました。「専門大学 」は、技術を学ぶ専門学校として各地にあった技術学校から発展した実践的で専門性の高い高等教育機関です。英語の「 University of Applied Sciences(応用大学)」に相当し、学部と修士過程だけで、博士課程はありませんが、当初より、公式には総合大学と同等の高等教育機関という位置付けがされてきました。
ほかのOECD諸国と同様に、オーストリアでも高学歴化が進んでおり、大学への入学者数がここ数十年で顕著に増加しました。特に増えているのが、大学のなかでも専門大学ではなく総合大学への入学で、2002年から2016年までの間に総合大学に在籍する大学生数は20万から30万9千人と54%増加しています。首都にあるウィーン大学一校だけでも、9万2千人の学生が在籍しています。これは、オーストリアで6番目に大きい都市 Klagenfurt am Wörtherseeの全人口である8万7千人よりも多い数です。
他方、専門大学が設置されて4半世紀を経た現在においても、オーストリアでは、専門大学への入学数はあまり増えていません 。これは同時期から、同様の専門大学を設置し、順調に学生数を増やしてきたスイスやドイツのバイエルン州とは対照的です。スイスやバイエルンでは、学生の3分の1が、総合大学ではなく専門大学に在籍していますが、オーストリアの専門大学学生数は全学生数35万人の13%にとどまっています 。
増え続ける学生を総合大学が一手に引き受けるという状況は、限界にきており、総合大学と専門大学の不均衡(学生数だけでなく、対象とする学問領域や研究予算の割り当てなど)にも疑問の声が上がってきました。このような状況下、国は2017年までに「未来の大学」構想をまとめ、2019年から2021年の間に改革を実施しようとしています。これを受けて、オーストリア国営放送局 (ORF)でも、ウェッブサイト上で、「大学の未来」と題して、見識者の寄稿記事やインタビュー記事の掲載をはじめました。この特集サイトに載っている記事を参考に、改革のポイントを大まかにまとめてみると以下のようになると思います。
総合大学と専門大学の差異化
本来、総合大学は理論、専門大学は実践(実業)を重視した学問を修める場とされてきました。しかし、総合大学は学科を熱心に増設し、専門大学は、従来の学部、修士課程にとどまらず博士過程を作ろうとするなど、オーストリアの大学ではすべての大学がすべてを欲しがる傾向が強いとされます(H. Holzinger)。
このためオーストリアでは実際には、専門大学と総合大学の間で、 差異がはっきりしなくなり、両方が重なって同じことを提供するような無駄もでてきました。このような両者の秩序ない膨張の方向は、大学システム全体にとって望ましくないと考えられ、まず総合大学と専門大学の本来の役割と対象学問分野を明確にすることが、改革の前提とされます。
協力体制の強化
それぞれの大学の役割や分野をはっきりさせた上で、次に、プロジェクトや目的に合わせて積極的に協力体制をとることが重要とされます。これまで、オーストリアではそれぞれの大学の自律性が強く、連携は総合大学、あるいは専門大学同士でも希薄でした。まして、総合大学と専門大学との間の協力体制はほとんどみられません。スイスの大学運営に長く関わり、今年初めからオーストリア学問議会委員長Antonio Loprienoも、オーストリアでは総合大学と専門大学の間の壁が厚いのにおどろいたといいます。しかし、「未来の大学」構想で目指すべきは、そのような分野や大学の壁を取り払い、既得権益に縛られず、体系的な協力体制を築くことであると強調します。同時に、場合によっては特徴や強みを最大限に活かすために、総合大学と専門大学の合併も視野にいれるべきとされます 。
総合大学の学生量の緩和
現在、学生数の過剰な増加で、教育・研究両分野でも機能不全に陥っている総合大学の状況をラディカルに改善するために、学生数が多い経営学や司法試験を目指す法律関連学部を専門大学に移すなど、一部の学科を専門大学に移管する案が有力になってきています。ただし、実際に実施するとなると様々な利害関係が対立することが予想され、どこのどの学科や規模が対象になるかが決まるまでには、しばらく時間がかかるかもしれません。
いずれにせよ、学科や分野の所属(総合大学か応用大学か)の検討は、今回一回限りの話ではなく、今後も、時代の変化に応じてつねに検討していくことが必要でしょう。そのためには、これまでのような硬直した制度ではなく、随時配置を見直せるような柔軟な制度がのぞましいと考えられます。
教育内容の向上と研究の促進
総合大学の学生数を減らすことは、授業や研究の質の向上につながるだけでなく、最終的に国が負担する費用のかなりの軽減にもなります。というのも総合大学を学生一人が卒業するまでにかかる国が負担する費用は、平均8万5千ユーロであるのに対し、専門大学は2万ユーロと、現在大きな差があるためです。オーストリアの総合大学では基本的に学生は、学生運営団体へのわずかな会員費を支払うだけで、学費は個人的に払いませんが、専門大学に入る場合は学費が必要です。
総合大学の学生数が減り、さらに制度的な改革や大学間の協力関係が進展すれば、ほかの教育や研究への予算も充実し、よりよい教育システムや研究環境の整備も可能となるでしょう。
フォアアールベルク専門大学
国家レベルの改革構想はまだ議論の段階ですが、お上の議論をよそに、望ましい大学の形を見出し、すでに軌道にのっていると思われるところがあります。オーストリアの最西端でドイツやスイスに国境を接するフォアアールベルク州の、人口5万人弱のオーストリアで10番目に大きい都市ドルンビルンにあるフォアアールベルク専門大学です。
この大学は、1989年に設立された 工業専門学校 Technikum を前身とし、オーストリアで最初の専門(応用)大学として1994年から大学としてスタートしました。(日本語では「専門大学」「応用大学」あるいは単に「大学」など、色々な呼称が使われることがありますが、ここではフォアアールベルク専門大学という表記を用います。)この大学の特徴を、幾つかのポイントにまとめてみます。
実業・実践重視の姿勢
まずあげられる特徴は、一貫した実業・実践重視の姿勢です。専門大学であるため、当然といえば当然ですが、その姿勢が徹底しており、特に地元の産業分野における労働市場の需要に合う人材の育成に重きを置いてきました。
フォアアールベルク州には、製造業にたずさわる企業がいまだ多くあり、全就業者の31パーセントが製造業に従事しています。製造業関連のサービス業就業者も合わせると、地域の全就労者の半分以上の52%になります。製造業のジャンルは、家具用特殊金具、ロープウェイ製造、照明光学、繊維など多岐にわたりますが、特殊な高い技術力で、それぞれの専門分野で世界でも名高い企業が多くあります。商品のEU圏への輸出は6割で、ほかは世界中に輸出されており、一人当たりにするとフォアアールベルクからの輸出量は、アメリカや日本よりも多いと言われます。1.6%と現在も堅調な成長をつづけるフォアアールベルクの製造業の将来を担う人材を育成することが、大学設立同時からのゆるぎない大きな目標でした。
就業と学業の間の連続性を重視
また、実業を重視するカリキュラムだけでなく、就業しながらも続けられることに配慮した教育課程が充実しており、学生に就業経験者や就業中の人が多いこともこの大学の特徴です。
フォアアールベルク州では、2015年の時点で51%の半分以上の若者、男子だけでは68%が職業訓練を受けています(ドイツ語圏独特の若者を対象にした職業訓練制度についての詳細は、「スイスの職業訓練制度 〜職業教育への世界的な関心と期待」をご参照ください」。これはオーストリア全体の平均40%よりかなり高い数値であり、職業訓練が今もさかんなスイスの数値にむしろ近い数値です。つまり、オーストリアでは珍しく学歴よりも実業を重んじる伝統が、いまだに強く残っている地域だといえますが、そのような地域的なキャリアの在り方や地域の産業構造を尊重し、地域で将来働く、あるいは現在働いている人たちに、さらに質の高い技術を伝授するために広く門戸を開ことに、大学は重きを置いています。
現在、学生の40%が就業経験者であり、在籍中の学生の40パーセントは、就業しながら大学教育を受けており、大学は、地域経済・就労のサイクルに組み込まれた存在になっているといえるでしょう。
地元の企業との連携
大学は研究や開発でも地元企業と協力関係を築いてきましたが、2014年秋からは、さらに「デュアル学習Duales Studium」というコースをつくり 、教育課程においても企業と強い連携をとるようになりました。
これは大学の教育課程の一部の実習を地域の有力企業が直接担うというもので、電子工学の学部で導入されました。このコースでは、入学してからの最初の2学期の期間(1年間)は大学で理論を学び、3学期目からは、複数の企業で電気工学、電子工学、情報処理、経営学などのさまざまな分野について実習を通して学ぶことがカリキュラムに組み込まれています。 コース中合計12ヶ月の実習期間があり、 実習期間中は企業に雇用される形をとるため、企業から給料を受け取ることになります。
卒業前から企業と学生を緊密に結びつけるこの新しいコースへの企業への関心は高く、コースの開設と同時に36のフォアアールベルクやスイス、ドイツ、リヒテンシュタインの名高い企業がパートナーとなり、実習の場を提供しています 。企業だけでなく学生にとっても、いくつもの有力な会社で働くという貴重な経験を積むことができ、卒業後の就職にも有利につながるという期待もあり、評価は上々のようです。
大学間の協力関係
今年2016年からは、協力関係を企業だけではなく、他大学にも拡大しました。オーストリアでは大学間の協力・協調関係が乏しく、学生の移動や講義の互換性も、スイスなどに比べかなり難しいとされていましたが、今回協力関係を結んだインスブルック総合大学との間で、将来、研究や講義など広い分野で協力しあうことになりました。講義資料や材料やコース、また教員などの人材も共有・協力することで、内容を充実させるだけでなく、両大学間の学生の移動や講義の受講をしやすくなることが期待されます。
大学への評価
ところで、この州には総合大学が一度も存在しことがありません。歴史的にはアルプスの山あいの貧しい酪農地帯であり、長い間、 学問とは縁が薄い地域でした。産業時代以降、工業化がすすみ、生活は豊かになっていきますが、上述のように今日まで職業訓練の伝統が強く残っており、実業に直接結びつかない総合大学の設立には一度も至りませんでした。そして、そのようなフォアアールベルク州に最初にできた大学が、この専門大学でした。総合大学がないためその発想や制度に縛られることもなく、またオーストリア内部だけでなく、ウィーンよりも地理的にも文化的にもずっと近いドイツのバイエルン州やスイスの状況を参考にしたことが、独自の視点にたった大学の実現をもたらす大きな助けになったと分析する人もいます。
いずれにせよ、地域の産業の積極的な連携姿勢をとりながら、地域の労働市場に見合う高い能力の人材の育成を、人々の就業スタイルを尊重しながらすすめていくこの大学の存在は、地域で高く評価されるだけでなく、すでに地域経済に組み込まれた不可欠の位置にあるといえるでしょう。
それと同時に、実践重視を徹底させたフォアアールベルク専門大学のカリキュラムについては定評があり、特に電子工学と情報処理分野は、複数の外部評価で、オーストリア国内だけでなく、ドイツ語圏内の大学のなかでも上位を占めています。
ちなみに現在のフォアアールベルク州には、この専門大学のほかに教育大学(2007年創立、フェルトキルヒ市)も設置されています。
ヨーロッパの大学のこれからの形
ヨーロッパでは、この約半世紀の間に大学進学率が著しく上昇してきましたが、この主な理由として、スイスの教育経済学者のヴォルター氏Stefan Wolterはとりわけ以下の二つのことがらをあげています。まず、 1968年以降、機会均等をもとめる声が強くなり、それまでエリート層が独占していた大学が大衆化したこと。また地域によっては、大学の学位をとることが、社会下層の人々にとって、社会での出世を保証するものと考えられる傾向が強くなったことです。しかし、大衆化した大学のレベルは低下し、研究レベルも下がり、結果として、そのような大学で学んだとしても、労働市場に適合した教育が十分に受けられず、そのような学歴志向が強くなったヨーロッパの国々では、熟練した労働力は不足しているのに、青年の失業率が高くなるという悪循環に陥っている国が多くみられるといいます。
今回みてきたフォアアールベルク州の大学においては、大学設立当初から、このような大衆化する大学の動きとは一線をひいた歩みであったようにみえます。大学が立地する地域にあった形の高等教育の在り方として、地域社会や経済に必要な具体的な需要に合わせて、実業分野に重点を置いてきました。結果として、高水準の大学という名声を手にいれだけでなく、研究開発と人材の両面で地域経済活動の潤滑油の役割も果たしてきました。
未来の大学は、これまで以上に色々な形が可能となっていくでしょう。そのなかで、今回みたような地域社会へ重点をシフトさせた大学の在り方も、有望な一つの形となっていくのかもしれません。
参考サイト・文献
——オーストリアの大学制度改正についての議論
Bundesministerium für Wissenschaft, Forschung und Wirtschaft, “Zukunft Hochschule” strategische Ausrichtung von Universitäten und Fachhochschulen, Pressegespräch am 15.02.2016.
オーストリア国営放送局がウェッブサイトでまとめている特集「大学の未来」シリーズの記事一覧
Elke Ziegler, Gefragt: Hochschulen mit Profil, science, ORF, 24.10.2016.
ÖH und uniko bezweifeln „billigere FH”, science, ORF, 12.4.2016.
Studenten von Unis an FHs verlagern FH, “Zukunft Hochschule”, science, ORF, 15.02.2016.
Hochschulpolitik, FHs wollen nicht alle Studien anbieten, sceience, ORF (2016年10月30日閲覧)
Uniko will „endlich Taten sehen”, science, ORF, 7.6.2016.
Oliver Vitouch, Unis: „Hier sind Sie goldrichtig”, 19.10.2016.
FHs: Mehr Fächer, weiter praxisnah, Interview mit Helmut Holzinger, science, ORF, 20.10.2016.
Antonio Loprieno, Reiches Angebot, wenig Vernetzung, science, ORF, 18.10.2016.
Welche Fächer abgeglichen werden sollen, science, ORF, 17.8.2016.
——フォアアールベルク州の産業及び職業訓練について
Kein anderes Bundesland hat Zahlen in dieser Größenordnung, Die Wirtschaft, Die Zeitung der Wirtschaftskammer Vorarlberg, 69. Jahrgang, Nr. 41-42, 10.10.2014, S.4.
——フォアアールベルク専門大学について
フォアアールベルク専門大学公式サイト(ドイツ語・英語)
Jobmesse, 2016, FH Vorarlberg, 9.-10.1.2016.
——スイスの教育経済学者のヴォルター氏Stefan Wolterへのインタビュー記事
Andrea Sommer, Für Eltern mit Uniabschluss ist eine Berufslehre oft keine Option, Berner Zeitung, Berner Zeitung, 17.09.2014.
——その他(オーストリアについて概観できるサイト)
Das Leben und Arbeiten in Österreich in 2010.
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
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