帰らないで、外国人スタッフたち 〜医療人材不足というグローバルでローカルな問題
2019-04-16
前回、国内で不足する介護人材を海外から確保しようと奔走するドイツの様子についてみてみました(「ドイツの介護現場のホープ 〜ベトナム人を対象としたドイツの介護人材採用モデル」)。
ドイツの隣国スイスでも、医療業界全体で多くの外国からの人材が働いています。スイスでとりわけ多いのは、ドイツからの人材です。今回は、隣の大国ドイツの人材に強く依存するスイスの医療分野の状況をみながら、今後取り組むべき課題について考えてみたいと思います。
スイス人をヒヤリとさせたドイツ保健大臣の一言
今年初め、スイス人の肝がヒヤリとさせられることがありました。ドイツの保健大臣(日本の厚生大臣に相当)シュパーンJens Spahnの発言がその原因です。
シュパーンは、スイスのある新聞社のインタビューで、ドイツで専門的な訓練を受けた医療関係者たちがスイスに流れてしまう事情について、一定の理解を示す一方、「しかしはっきりしているのは、ドイツでも専門家が不足していることだ。われわれのところでは、ポーランドの医師が働くため、ポーランドでもまた医者が不足する。これは正しいとはいえない。このため、我々はEU内の特定の職業分野の専門家の引き抜きかたについてなんらかの新しいルールをつくらなくてはいけないかについて、検討する必要がある」と発言しました(Dorer, 2019)。
スイスの病院や老人介護施設は、ドイツ人の医師や介護スタッフがいなくなったら閉鎖されてしまうことになりますが、と取材陣に言われても、シュパーンは、それでも「彼ら(ドイツ人)にドイツにもどってきたほしい」とも回答しています。
この内容が紙面に載った翌日、スイスの公共放送をはじめ主要な新聞で、この発言が一斉に引用され、報道されていました。ほかのライバルメディアの記事を引用してまで扱う必要があると判断するほど、スイス人にとって気になる発言であったようです。
ドイツスタッフが支えるスイス医療界
スイス医療業界で、実際にどのくらいの人数のドイツ人が働いているのでしょうか。医師を例にとると、2017年スイスには全部で36900人の医者(前年比725人増)が働いており、そのうち外国人は34%ですが、外国人医師の過半数(54.5%)がドイツ人です。医師全体の5人に一人がドイツ人医師という割合です。ドイツ人の次に多いイタリア人が8.6%、フランス人は6.5%、オーストリア人は6.1%であり、ドイツ人の割合はほかの国に比べ群を抜いています (Hostettlera / Kraftb, 2018)。
ドイツ側の2017年の調査では、ドイツ人医師のうち1965人が外国で働いており、そのなかで一番多いのがスイスで、641人。次がオーストリア268人、アメリカでも84人となっています (Abwanderung, 2019) 。
医師以外の医療関係者もおおむね同じような状況で、スイスの医療スタッフ全体の5人に一人、3割弱がドイツ人です(Brönnimann, 2017)。
ドイツ人は、なぜ隣国スイスに働きにくるのでしょうか。ドイツ語圏は言葉が共通であり、EUとスイス間で互いの医師や看護師資格が認定されているということももちろん大きいでしょうが、決定的な理由は、ドイツより良好な就労条件や環境にあるようです。ドイツに比べ、スイスで医師として働く場合、給料がよいだけでなく、就労環境や就労時間が全般によいとされます (Als Arzt, 2018)。
しかし、就労条件だけでなく(あるいは就労条件に伴ってより強く実感される)社会的な地位もひとつの魅力であるようです。例えばスイスではドイツよりも、医療関係者に対し、レスペクトや社会的な評価が全般に高いと言われます。長くスイスでつとめるドイツ人の看護師が、ドイツでは看護師の仕事は社会的に低い地位であるのに対し、スイスでは、消防隊員に匹敵するほど社会的に名誉のある仕事とみなされており、スイスでアパートをさがすのも難しくないと言っているのを聞いたこともあります。
依存体質が抱え込むリスク
一方、スイスの医療界がドイツからの人材に依存していることは、諸刃の刃です。ドイツ人は、言葉の壁もなく、比較的簡単にスイスへ移ってくることができますが、それは同時に、スイスからドイツに移ることも容易であるためです。政策や制度的な変化など、なにかをきっかけに、これまで就業していた人たちが急に立ち去るリスクが常にあります。
例えば、これは医療分野に限らず就労者全般を対象にしたものですが、ポルトガルでは、海外で就労するポルトガル人に対し2019年および2020にポルトガルに戻れば、1年から2年という期間を限定し、所得税を半額にする措置をとっています。ポルトガルは2013年から2019年にかけて失業率が16%から7%に減り経済成長率も前年2%を記録しており、海外に流出していた高度な技術や資格をもつポルトガル人で国内によびもどすことが課題となっています(Alabor, 2019)。
この結果、どのくらいポルトガルに海外から人材がもどるのかわかりませんが、このような外の国々の措置に、海外からの人材に依存する国としては、敏感にならざるをえないのは確かです。シュパーン保健大臣の言葉は、そのことを、スイス人たちに改めて思い知らせたといえるかもしれません。
外国人依存を減らすため、スイスでも2025年までに医学部修士課程を修了する医師を、これまでの800人から1300人に増やす計画がされています(Studer, 2019)。しかし高齢化による年々増える医者の需要に見合う医師数を国内では十分確保できるとは思われません。ドイツをはじめ外国からの医療スタッフが多く投入されているにもかかわらず、スイス全体で、医療スタッフは現在すでに85000人近く不足しています(Basel Economic Forum 2016)。
医療関係者の不足はとりわけ、貧しい国々で深刻ですが、スイスで働くドイツ人の例のように、先進国でも医療スタッフの不足は共通してみられる問題だといえます。
海外に大量に医師を送り出しているドイツでも、現在全国で5万人の外国人医師が医療に従事しています(しかしなお、現在ドイツ全体で医師が5000人不足しています)(Ärztemangel, 2019)。
さらに、ヨーロッパでは、生活の質の向上を優先し、高収入層を中心として、フルタイムでなく、パートタイムで働きたい人が増える傾向がみられ(「スイス人の就労最前線 〜パートタイム勤務の人気と社会への影響」)、特に、きつい仕事の部類に入る医療スタッフでは、パートタイム勤務の人の割合が全体に増えています。すでに100%働いていない医者は3分の2に達しており、介護福祉士や看護師でも100%勤務するのは少数派になって久しい状況です。このため医療業務の実働人数を増やすためには、国内外からの医師や医療スタッフの数をさらに増やす必要がでてきます。
このように、医療業界の人手不足は様々な要因がからみ、国内問題として解決が簡単ではなく、結果として、海外から医師や医療スタッフへの依存を減らすことも難しくしています。
流出する医療人材
世界的な医療関係の不足を背景に、よりよい市場や就労条件を目指してグローバルに人々が移動しています。
英語にも専門技術にもたけているエリート層にとっては、特にそれが容易であり、有利な条件を示されて引き抜かれるケースも増えています。実際に、ドイツ人医師の半数以上、6割近く(59.3%)が、国内ではなく海外で働いています(Abwanderung, 2019)。つまり、世界中の医療関係者たちは、多かれ少なかれグローバルな医療ツーリズム市場に組み込まれており、その競争下にもあるともいえます(「ヨーロッパに押し寄せる「医療ツーリズム」と「医療ウェルネス」の波 〜ホテル化する医療施設と医療施設化するホテル」)。
その結果、外国からの人材にたよる国も、そのたよる割合も顕著に増えています。OECDの2015年の統計では、国の全医師のなかで外国人医師が占める割合は、平均16.9%で、ニュージーランド、アイルランド、ノルウェーでは、外国人医師の割合が4割前後、イスラエルにいたっては57.9%にのぼっています(Studer, 2019)。
国際採用に関する倫理規範
しかし、国から海外への医療スタッフの流出が際限なく続けば、繰り返しになりますが、送出国にとって長期的な影響を伴う深刻な打撃となります。このため、世界的な際限ない現在の医療人材の流動性に一定の歯止めをかようとする、国際的な協調の動きもでてきました。2010年、世界健康保健機構の総会で定められた「保健医療人材の国際採用に関するWHO 世界実施規範(日本語訳)」がそれです。
世界健康保健機構加盟国によって合意された主な内容は以下のようなものです(Berger, 2016) 。
1。人材が不足している国からは受け入れない
2。国内の従業者と同じ扱いをする
3。受け入れ国と供給国の両者の国際的な協力を強める
4。国内従業員の需要を補うための措置をとる
5。海外の医療スタッフについては、データを収集し、研究プログラムや定期的な評価などを行う
これらの内容が、200カ国近い加盟国に合意され行動規範として推奨されています。あくまで規範であり法的な強制力を伴うものではなく、また移民の権利を制限するものでもないため、実際に二国間の人材移動の際にこれらの内容がどれほど配慮されるかは、当人次第という弱さはあります。とはいえ、各国に自覚や自主規制を訴え、逸脱する行為の監視や抑制をする国際的な枠組みとして、倫理規範に加盟国が合意した意味は大きく、今後新たに送出国と受け入れ国の間で協定(人材派遣に関する協力関係)がつくれられる際にも、指針として重んじられるようになると考えられます。
ちなみに、前回扱ったベトナムからの介護研修生養成プロジェクトも、この指針に沿ってすすめられたものでした。
おわりに
ドイツの保健大臣の発言が大々的に報道されましたが、その発言自体を批判する報道はひとつもありませんでした。ドイツでも医療スタッフが不足し非常に深刻な状況であることは、スイス人もよくわかっており、大臣の気持ち自体はよく理解できるためです。一方、ドイツ人医療スタッフに帰ってもらっては困る、ぜひともスイスに残ってほしいというのも、隠しようもないスイス人の本音です。
お互いに八方塞がりのようにみえる状況ですが、だからといって先細る医療人材という綱をお互いに両端で引っ張りあっているだけでは、なんの解決にもならないだけでなく、お互いの得にもなりません。
一方、世界健康保健機構の国際採用に関する倫理規範に照らし合わせてみると、ドイツとスイスが双方に目指すべき方向は、すでにみえているともいえます。一方で、国内で、不足状況を緩和する努力を地道に続けつつ、他方で、送出国と受け入れ国双方がなるべく合意できる(恩恵を手にできる)協力関係(人材の派遣と受容の関係)をさぐっていくことです。
どこのパートナー関係にある国々にもあてはまる、凡庸な解答にすぎませんが、今後、ドイツの保健大臣の発言でスイス国民が一喜一憂しないかどうかは、まさにそこにかかっているといえるでしょう。
参考文献・サイト
Alabor, Amilla, Zurück in die Heimat, Schweiz Migration. In: NZZ am Sonntag, 24.3.2019.
Hehli, Simon, Deutsche Ärzte fürchten Schweizer Ressentiments. In: NZZ, 17.1.2017, 05:30 Uhr
OECD Stat, Health Workforce Immigration. Foreign-trained doctors by country of origin(2019年4月1日閲覧)
Merkel, Karen, Warum die Schweiz deutsche Ärzte braucht. In: Bilanz, 15.01.2019
(「保健医療人材の国際採用に関するWHO 世界実施規範(日本語訳)」、第63 回世界保健総会─WHA63.162010 年5 月)
穂鷹知美
ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥア市 Winterthur 在住。
詳しいプロフィールはこちらをご覧ください。